協会の誕生と歩みを振り返って

父の遺志を継ぎ、母が八ヶ岳の黒百合平に小屋を建ててから54年の月日が経つ。 私の人生はこの小屋と、そしてその小屋を抱く母とも言うべき八ヶ岳とともに歩み、多くの登山者との心に残る出会い、時として襲う悲しみ、喜び、そういった「山を愛する」が故の悲喜劇が、長い年月をかけて私に山と登山との向き合い方を教えてくれた。 

あの戦後の荒んだ人々の心、荒廃した大地の中から、時を経て、人々に自然に触れる心が芽生えた日本では着実に国民全体に登山が根付き、愛され、ブームと言われるようになった。古くから杣人、猟師として存在していた「山案内人」が、いつしかガイドと呼ばれるようになっていったのも不思議ではない。 しかしヨーロッパのようにガイド業を職業とした、まとまった組織はなく、ガイドと言う概念そのものが曖昧なものだった。 

「山岳ガイドとは、山岳や自然探訪を志す客を、より楽しくより安全に、目的地まで案内するのが仕事である。」

この言葉をまさに体現していた友人、故長谷川恒夫氏。 彼の天才的登攀活動はもちろん、山と自然を愛するがゆえの多くの精力的活動が私の心を掴み、揺り動かすのにさほど時間はかからなかった。 彼の夢はまさに「日本にヨーロッパに通用する山岳ガイド協会を作る」ことだった。 国家の支援を得て、山と登山客の為に非常に効果的に機能するヨーロッパ各国のガイド協会、おのずと育ってくる優秀なガイド。 それに匹敵するものを日本にもなんとか作りたい。 

「八ヶ岳として協力してくれ。」という彼の訴えに、「確かに八ヶ岳だったらなんとかできるかもしれない」と、私は思った。 それから長野県と八ヶ岳に関わるあらゆる会や仲間に呼びかけて、山を愛する有志を集め、県の協力を得て1990年ついに「八ヶ岳山岳ガイド協会」が誕生した。 

更に、登山者と山岳ガイドを取り巻く環境がめまぐるしく変わる中、2004年には多くの人々と関係機関の努力の末、日本を代表する山岳ガイド組織「社団法人日本山岳ガイド協会」が誕生した。 「八ヶ岳山岳ガイド協会」がその傘下団体として活動し、更なる日本の登山界の発展に貢献できることに、私は深い感動を覚えてやまない。 

2009年7月

八ヶ岳山岳ガイド協会会長
米川正利

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