フェイルド・フェアリー(第24話)



「きゃぁ!!」

「な、何だ!?」

 少し離れたところから悲鳴のような声が聞こえてきた。声からすると、距離は数十メートルといったところだ。この公園の中のどこかに違いない。おれは瞬時にベンチから立ち上がっていた。

「行くぞ、シルファ!」

『あ、待ってください〜』

 すぐに声のしたほうに駆け出したおれを追って、シルファが姿を消しつつ追いかけてくる。姿が見えないのでちゃんとついてきているかどうか分からないけど、まあ、わざと離れるってこともないだろう。

「あれか・・・!」

 やはりおれたちの目の前で事件は起こっていた。レンガが敷き詰められた公園のメインの通路上にひとりの女性が倒れこんでいる。まるで死んでいるかのように、全身の力が抜けてしまっているその様子は、祐美が昼に話していたものと類似点が多かった。

「犯人はどこだ!?」

 女性のそばにはすでに誰もいなかった。しかし、おれは取り逃がしたとは思っていなかった。シルファを見ても分かるように、肉眼で見えるものが相手とは限らないことをおれはよく知っていたからだった。そこまで考えた時に、おれはシルファのことを思い出した。

「シルファ、いるんだろ?魔法の気配とか、何か感じるか?」

『ええっと・・・感じないですね〜。でも・・・』

「でも?」

『魔法ではないですけど、何か思念のようなものを感じますね〜』

「思念?魔法じゃないてことは・・・もしかするとアレか・・・」

 そう、魔法じゃない思念ということは、誰かさんが得意の分野に違いない。魑魅魍魎の類の仕業というわけだ。あまり深入りしないほうがよさそうだ、おれがそう考えた矢先、おれは前方の空間に何かの気配を感じた。

「な、何だあれは?」

 こう見えてもおれは親父の血を受け継いでいるためか、霊力の類はなくとも、霊感はある程度備わっている。そのおれの目が、犯人の姿を捉えていた。

「??」

 シルファもおれの見ている方向に目を向けているけど、どうやらシルファには見えていないらしい。魔力の気配がないことから考えても、やはり相手はシルファの世界の存在ではないようだ。

 しかし、その姿をどう表現すればいいのだろう。生身の肉眼では捉えられない姿だというのに、さらに闇に溶け込もうかというのか、漆黒のマント――いやローブとでもいうのか――を身に着けている。そのため、やつが動かないでいると周りの景色と同化してしまい、目をこらさなければそれと認識することはできない。当然、実体を持たないローブも風があろうともはためくなどということはないのだ。

(ほう・・・オレの姿が見えているようだな。人間の中にも稀にお前のような能力者がいるというが・・・出会うのは初めてだ)

「!?」

 身じろぎひとつしていなかったそいつが、闇の中からこちらに一歩踏み出した。街頭の光の範囲に足を踏み入れているにもかかわらず、やつの漆黒のローブは光に照らされることもない。そしてやはりやつの足元には影などというものがなかった。

「お、お前がこの人を・・・?」

(くくく、そうだ。オレはそれを糧にして生きているのだからな。特に女の魂は美味なのだ!)

 シルファはおれとやつとの会話に聞き入っているようだ。シルファにやつの姿が見えないために、姿を消しているシルファも自らの存在を示すような愚は冒さないらしい。見かけによらず、この辺りは世慣れしているところがある。さすがはかくれんぼでステラに勝つだけのことはあるってところか。

「た、魂を食べるだって!?そ、それじゃあこの人はもう・・・」

(さあて、どうかな?オレもオレが食べた魂がどうなっているのかなんて知らないからな。大方、あの世にでも行ったんじゃないのか?)

「く・・・」

 怒りが込み上げてくるものの、まだ冷静な心の奥底では、現状をどうすることもできない自分というものに気が付いていた。おれにはやつの姿は見えるものの、実体のないやつにダメージを与える術を知らない。

 そうなると頼れるとすればシルファの魔法ということになるけど、シルファ自身にはやつの姿は見えていないらしいし、正直、シルファの魔法のレパートリーの中でやつに通用しそうなものは見当たらない。そう考えていくとどうしても手詰まり感が付きまとう。

 それでも何とかしなければいけないだろう。やつも自分の正体を見られてしまった以上、この場で何とかしようとするに違いない。このまますんなりと逃がしてくれるとは到底思えなかった。

「・・・シルファ、聞こえてるか?」

 おれはやつに聞き取れないような小声でシルファに呼びかけた。身体の小さなシルファにであれば、近くにさえいれば十分に聞き取れるはずだ。案の定、シルファは返事を返してきた。

『何ですか、光次郎さん?』

「あの人の中に入って、公園から出るんだ」

 おれは地面に倒れている女性を指差しながらそういった。

『え・・・』

「やつはおれが何とかする。お前はその人を安全な場所に逃がすんだ」

『わ、分かりました。でも光次郎さん、無茶しないでくださいね』

「できるかぎりはそうするよ」

(・・・ん?何をしている?)

 おれが動かないことに不審を感じたそいつが、おれに疑いの眼差しを向けてきた。眼差しといっても、目が光っているだけなので本当にそうかどうか、よくは分からないのだけれど。

(何!?どういうことだ?)

 おれの指示通り、シルファが女性に憑依したので女性は立ち上がり、やつから離れていく。やつにとっては予期していなかった展開に、驚きの色を隠せないようだった。その一瞬を突き、おれはやつとの間合いを一気に詰めた。驚きに目を見開いている(ように見える)やつの顔面に向けて、おれは拳を叩き付けた。

 ――しかし、やはり実体のないやつには、触れることができなかった。拳はやつの顔面を素通りし、おれは間合いを詰めた勢いそのままに、やつの体を通り抜けてしまった。恐ろしいほどに冷え冷えとした空気をその瞬間に感じ、やつの力が並大抵ではないことを予感させられた。

「く、だめか!」

(何だ、とんだ期待はずれだったな。お前にはオレが見えるほどの霊感はあるが、それだけのようだな。くだらん。どうでもよくなったが、オレの姿を見た以上は生かしてはおけんな)

「・・・・くそ!」

 おれは勢いを殺さずにやつとの間合いを広げた。少なくともやつは魂を抜くという攻撃手段を持っているはずだ。その他にも何かできるかもしれない。それに比べておれはやつの姿が見える以外は何もない。絶体絶命というやつだ。このところ、いくつかの修羅場を潜り抜けてきたおれだけど、今度ばかりは相手が悪い、そう思わざるを得ない。

(・・・やはり、何の策もないようだな。あの女をどうやって動かしたのかは分からんが、それとてもオレに害を及ぼすものとは思えん。あまりゆっくりしていると誰かが来ないとも限らんし、さっさと片付けさせてもらう!)

「くっ!」

 やつは無造作におれとの間合いを詰めると、長い鉤爪状の爪の伸びた手を、おれに向かって繰り出してきた。恐ろしいほどの妖気を感じ、おれは身をよじってすんでのところでその攻撃をかわした。反撃は無意味なので、ここは再び下がるしかない。

(反射神経はよさそうだな。だが時間の問題だな。いつまでも避けきれるものではない)

 おれの背筋に冷たいものが流れた。このまま背を向けて逃げ出したい気分だったけど、どうしてだかそれはする気にはなれなかった。それはおれの中で何かが目覚めようとしていることを予感していたせいなのかもしれない。

「・・・」

(ふん、ではこれはどうだ?)

 やつがおれに向かって手をかざすと、やつの周りの空気が渦巻きはじめた。それはそう、昨夜ステラが浩介の部屋で見せたものと同じような・・・大きな何かが発動する瞬間に生じる空気の乱れのようだった。おれに向かってそいつが発射されれば、おれはひとたまりもないだろう。

(ふん!)

 やつはぐっとひとつ踏ん張ると、空気の乱れが衝撃波へと変わり、おれに向かって飛んでくるのが窺えた。しかし、飛んでくるものの実体を肉眼で捉えることはできない。おれは反射的に横っ飛びに身を避けていた。

バキバキッ!

 後ろで木が折れるような音が聞こえてきた。おれがさっきまで背にしていた桜の木が、やつの放ったものでへし折られてしまったようだ。もし、あれがおれの肉体だったら・・・おれの全身に戦慄が走った。

「・・・はぁ、はぁ」

 地面を転がりながらも、おれはやつから目を離さなかった。いや、離せなかった。一瞬でもやつを見失えば、こちらの命が取られる。まさにそんな感じだった。

(なかなかいい身のこなしをしているな。それで攻撃手段があればオレといい勝負になったろうがな。しかし、体勢を崩してしまったのはまずかったな。これで終わりだ!)

 やつはおれに向かって右手を振り下ろした。ぞっとするほどの妖気を肌に感じる。地面に転がっているおれは、即座に反応することができなかった。目には見えない「何か」がおれに向かってくる。

 ダメだ!もはや逃れることはできそうもない。おれは観念していた。様々なことが頭をよぎる。人は死ぬ間際に、走馬灯のように人生を顧みるというけど・・・これがそれなのか。

(祐美・・・)

 最後におれの頭をよぎったのは祐美のことだった。まさかこんなところで命を取られようとは思わなかったこともあるけど、これじゃああまりに祐美に申し訳ない。

バシッ!

 とうとうおれは死ぬのか・・・痛みを感じないってことは即死だったってことなのか・・・そう思ったものの、どうも様子がおかしい。

「あれ?」

 よく見ると、おれは無傷だった。魂を抜かれたわけでもないようだ。おれは顔をあげ、やつのほうを見てみた。しかし、おれの目にはやつの姿は映らなかった。おれとやつの間に何者か立ちはだかっていたからだ。

(き、貴様は何だ!?)

 おれにはすでにその人物の正体が分かっていた。今の時代では非常識な、袴穿きでわらじを履いているなどという出で立ちの人物など、他に考えようがない。

「親父・・・!?なのか?」

「光次郎、この程度のやつに手間取るとは、お前もまだまだだな」

 おいおい、おれは親父の弟子じゃないって・・・そう突っ込みたかったけど、こうして命を取られる寸前という有り様では何もいい返す言葉がない。

(この程度だと・・・?オレの力を見くびってもらっては困るな。オレは――ぐはっ!)

 やつがいい終わらないうちに、親父の持つ数珠がやつの身体を一閃していた。おれが触れることもできなかったやつの肉体に、いとも簡単にダメージを与える親父――やはり専門家は違う。

(な、何だと・・・このオレがただの一撃で・・・?)

「ふん、お前程度の力でワシの法力に逆らうことができるはずがなかろう。去るがよい」

(う、うわ、助けてくれ!向こうに行くのは・・・うわぁぁぁ!)

 闇に融けていくようにやつの肉体は消滅していった。同時にやつの肉体から、何か青白い光が大量に放出される。これってもしかして、やつが食べたという被害者の魂?

「親父、あれってみんなの魂なのか?」

「ほう、お前にも見えるのか。霊感だけはかなりのものがあるようだな。さすがワシの息子だ。そう、あれはあの妖怪が食っていた魂だ。それにしても、恐ろしいほどの数だな。やつの業の深さがありありと分かる」

「・・・ほんとにすごいな。って、親父、どうしてこんなところに?」

「仕事が終わって帰ってみれば、大きな妖気が立ち昇っているんだからな。放っておくわけにも行かないだろう。さ、やつに魂を抜かれた人たちも元に戻ることだろう。光次郎、帰るぞ」

 親父はそういい残すと先に帰ってしまった。あっという間の出来事におれは唖然とさせられていたものの、いずれにせよ助かったらしい。おれは立ち上がり、服についた汚れを落としていると、思いがけない至近距離からシルファの声が聞こえてきた。

『光次郎さん!』

「うおっ!」

 どうやら姿を消しているらしく、シルファは見当たらない。その直後肩にふわりとした感触がのしかかってくる。どうやらシルファが肩に座ったらしい。おれはそちらに顔を向けた。

「おどかすなよ。まあ、シルファには退避しておいてもらってよかったよ。あの状態で親父に出くわしていたら面倒なことになっただろうからな」

『お父さんが事件を解決してくださったんですね〜。私の入っていた女性の心が急に起きだしてきて驚きましたよ〜。光次郎さんにお怪我はありませんでしたか?』

「ああ、あちこちに擦り傷ができたけど何とか無事だ。ま、とにかく帰ろうか・・・ん?そういえばものすごい数の魂が飛んでいったけど、あんなに被害者が多かったのかな?」

 おれは恐ろしい想像に考えが及び、寒々しい気持ちにさせられた。つまり、あのうちのほとんどはかなりの過去に――すなわち数十年、いや数百年前に抜かれた魂たちであって、帰る肉体は既にこの世に――う〜ん、当たらずとも遠からずのような気がする・・・

「まあいいや。事件も解決したことだし、とりあえず今日は帰ろう。疲れたよ」

「はい〜」

 こうしておれたちの夜の散歩は終了した。今回の件は親父の領分で、シルファとは無関係だったようだ。それにしてもシルファがきてからというもの、珍事件の連続だ。まったく、ちょっとは休ませてくれ・・・そう思いながらもどこかで期待しているおれであった。


(つづく)