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●田臥勇太 「大きな第1歩」● 2004年11月21日(日) 身長173a、体重75`、ちなみに足のサイズは29a。日本人初の意味も込めた背番号「1」がコートに足を踏み入れた瞬間、会場からは暖かい拍手と声援が送られた。私が見たのは、深夜の録画放送でかなりの時間差があったにもかかわらず、その光景を見たとき、本当に鳥肌が立つくらい、感動、喜びがこみ上げてきた。歴史的大きな1歩である。 2004年11月4日(日本時間)、フェニックス・サンズ対アトランタ・ホークス。サンズの2004年シーズン開幕戦、サンズが大きくリードした第4Q、「YUTA TABUSE」のコールとともにわき上がる歓声。雰囲気をかみしめるでも、緊張でもなく、冷静な表情でコートの上に立った田臥選手はトランクスの紐を必死で結んでいた。 田臥選手はポイントガード。試合を組み立てるポジションだ。最初のオフェンス、彼が選んだのは自らのシュート。田臥選手の最大の武器は、スピードとパス。NBAで通用するためには、得点力が課題と言われていた。残念ながら最初のシュートは得点にはならなかった。しかし、この一投には彼の成長と、「俺はここ(NBA)でやっていくんだ」という、強い意思表示を感じた。 歴史的な最初の得点は、フリースロー。続いて、3ポイントも決めた。結局、10分間のプレイで、7得点1アシスト。素晴らしい活躍だった。ただ残念だったのは、“田臥らしい”プレイがうまく得点に結びつかなかったことだ。ひとつはスピードプレイ。速攻で敵のブロックをかわしてのバックシュート、ちょっとスピードに乗り過ぎていたのか、惜しくも外れた。もうひとつは、パス。一度、敵の狭いスペースをバウンドパスで通して速攻を決めようとしたが、味方がうまく反応できなかった。残念。 田臥選手は、ネッツ戦にも途中出場し3分で2アシスト2リバウンドを記録した。しかしその後、サンズはセンターのボー・アウトロー選手と契約を結んだため、田臥選手は故障者リスト入りし、試合には出場できない状況にある。これで分かるように、田臥選手はNBAデビューを果たしたものの、いつ試合に出れるのか、またクビになるのか分からない、本当に厳しい状況にいる。 それでももちろん悲観することは無い。田臥選手自身、この状況は想定済みだ。去年は開幕直前の解雇を経験していて、NBAがどれだけ厳しいところなのかは知っている。勝負はこれからだ。 ネッツ戦、敵地での戦いだったにもかかわらず会場からは歓声で迎え入れられた。MLBの日本人選手の活躍のためなのか分からないが、普通はありえないことだ。もちろん選手としては嬉しいことなのかもしれないし、私たち日本人としてもちょっと誇らしく感じるのも事実だが、このままではいけない。おそらく今は、ただ単に物珍しいということで騒いでいるに過ぎない。次は、プレイで「アッ」と言わせ、さらには、相手ファンにブーイングをもらえるぐらいの選手になることを願っている。 トップページへ戻る≫ |
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