高橋節
  プロフィール






昔に遡って思い出してみると、私が初めて手に入れたジャズのCDというのは Paul Chambers のリーダー・アルバム『Bass On Top』(誰が見ても、ウッドベースがメインだとわかるブルーノートの名盤)でした。
その頃は丁度コントラバスを齧り始めたばかりで、ジャズで言うところの Wood Bassというもの自体がどういう風にやって弾けるようになって、どういう風な役割を演奏で演じているものなのか、全く見当がついていた訳ではなく、たまたま「木のベースで出来ることを観聴きしてみたい」という動機ででした。

その頃周囲の友達は、他大学のジャズ研や母校のビッグバンドなどで、結構楽しげにセッションしたりしており、クラシック音楽のみにどっぷりと浸かって来た音楽歴の私には、友人がジャズを演奏している事自体が、目の前でイリュージョン・マジックを観せられている程に感じました。そんな友達に手を引かれて、今は無き新宿アルタ裏の「Dug」なんかに連れて行って貰い、時間の経つのも忘れて「世にも不思議な音楽」を摂取していたものです。全く、何が何に繋がるか解らないのが、この世の不思議です。しかも、音楽には人の人生まで左右してしまうような、影響力が存在するように思えます。「ジャズはやっぱりWood Bass が演奏の『要(かなめ)』だよね」…なんて、今思えば、本当に言った本人は解っていたのだか、誰かの受け売りだったのかは、今以て問いただしたことはないですが、そう聞かされてしまった日には「『要』って、どんなことをやっているんだろう」と、わくわく探らざるを得ないではないですか。

そんな一方、私自身、友人でグループを組んで、Duoで生演奏を聴かせる店で、交代制のピアノ伴奏をしていたりしたので、演奏レパートリー拡充の為に、ミュージカル映画やサントラ、グレン・ミラー、ベニー・グッドマン楽団など、私達親の世代の懐メロを聴き漁っていたことは、今でも功を奏しているのですが、自然とジャズへの敷居を通り易いものにしていたのかも知れません。

話を戻すと「ベースがじっくり聴けるCDを買おう」と思い立ち、JAZZのCDコーナーに足を向けた時は、自分が音大生として何か悪いことをしているようなくすぐったい気分だったのは、今でも鮮明に覚えている。早る気持ちを制してデッキにセットして聴いてみると、それはまさに「マジック」そのもの。フル編成のオーケストラで、上質な交響曲の演奏を聴き終えたような「心地よさ」「安定感」「充実感」が、たかが3〜4人のアンサンブルで可能にし、しかもそれが即興演奏だと言うのだから、これを「マジック」と言わずに何と言うのでしょうか。

勿論、この心地を支配しているのがPaul ChambersのWood Bass であったことは、ジャズのリスナー若葉マークの私にも直感的に理解できました。それがリズムが生み出す『グルーヴ感』というのだと知るのは、勿論もっと 後々の話ですが、蒸気機関車がシュッポシュッポと走っているような、重厚感を安定感を見せつけられたようでした。「そうか Paul Chambersという人がベースを弾いているCDを買えば、これをもっと聴くことが出来るのか」と思い立ち、50、60年代マイルスのCDを聴いたり しているうちに、どうしてもやってみたくなりました。後にその狙い所の価値を知る、師匠の鈴木淳氏との出逢いがあり、心の中ではいつも「いつかは自分が 得たような、『あの心地』を自分で実現してみたい」と思っていました。楽器を買う為に老舗のジャズ・クラブで膨大な時間をバイトに費やしたりもしましたが、毎日演奏を聴く事が出来ることのを、とても有り難い経験と感じていました。

その後、実際にPaul Chambers本人と交流があった、師匠の中村照夫氏に巡り逢い、現在に至ります。それはたかが十年ちょいくらいの期間に起こった出来事の話です。
まったく、我ながら頑固なベース歴です。全ては自分が感じた「これだ!」と思ったことを自分でやってみたい為に、続いて来て、これからも続くことのようです。