《言語》
十九世紀紳士淑女用二十一世紀紳士淑女用


ロシア文学におけるcomme il fautの実際
文:桂令夫

 RPGamer5号誌上において、我等がトム公は色々comme il fautについて説明してをります。しかし物事を知るには説明だけでなく用例もなければなりません。
 そこで私共は文学作品におけるcomme il fautの用例についてちよつと調べてみたのですが、これが何といつたらいいか、

 
・プーシキン『エヴゲーニイ・オネーギン』
 ・トルストイ『青年時代』
 ・チェホフ『かもめ』


 ……国籍に随分と偏りがある気が致しますね。
 なぜこんなふうになるかといふと、そら勿論

 ・フランス文学に出てくるフランス語は日本語に翻訳されるが、ロシア文学に御丁寧にもラテン文字で出てくるフランス語は日本語に翻訳されない
 ・ロシア人といふのは日本人と同じくらゐ田舎者で、田舎者の常として翻訳不能な外国語を「原文のママ」で書くのが大好きである

 からであります。
 まあ、従つてロシアの田舎者がこの複雑微妙な語をどんなふうに使つてゐるかを知ることは、我々日本の田舎者にとつてもいろんな意味で役立つに違ひないのであります。
 では実例に参りませう。


○『エヴゲーニイ・オネーギン』(プーシキン作、池田健太郎訳)

彼女は急ぐでもなく悠然として、冷やかでもおしやべりのやうでもなく、誰に高慢な眼差を向けるでもなく、成功をてらふでもなく、気取つた身振り一つ見せるでも、身に付かない趣向をこらすでもなかつた。……すべてが物静かで、ありのままで、comme il faut(フランス語、作法通りといふほどの意味)の正確きはまる写真と見えた。……(いや、シシコフ閣下、ひらにご勘弁を。この外国語をどう翻訳すべきか、私はわからないのです。)

 かつてごく若い娘だつた女主人公タチアーナが、大人になつて再登場する場面、この女性を描写するのにプーシキンは結局comme il fautといふ外国語を用ゐてゐます。多分プーシキンさんがここを書くときには「わがロシア語は何と貧しい言語だらう!」とか何とか言つたに違ひないのであります。
 その点「冷やかでもおしやべりのやうでもなく、誰に高慢な眼差を向けるでもなく、成功をてらふでもなく、気取つた身振り一つ見せるでも、身に付かない趣向をこらすでもなかつた」といふ部分は全くのロシア語でありまして、ここらへんを読むとプーシキンの俗物嫌ひやらヘソマガリやらが見えてくるやうな気がいたします(2004年現在少女マンガ誌『Flowers』に載つてゐるマンガのプーシキンが、まさにさういふ感じに描かれてをりますね)。
 シシコフ閣下といふのは当時の海軍提督、文部大臣。『ロシア語愛好者談話会』といふ会を作つて、外来語の多用に反対し国語の純潔を守れと主張した人であります。


○『青年時代』(トルストイ作、原卓也訳)

当時のわたしの好きだつた主要な人間の分類は、comme il faut(品のよい人間)とcomme il ne faut pas(品のよくない人間)であつた。……わたしのいふcomme il fautの第一の主要な点は、上手なフランス語と、特に発音だつた。……第二の条件は、よく磨いた長い清潔な爪だつた。第三は、おじぎや、ダンスや、会話の才だつた。第四の非常に重要な条件は、あらゆるものに対する無関心と、ある種の洗練された、人を見下すやうな倦怠の表情を常に浮かべてゐることだつた。
 ……今でもおぼえてゐるが、ある日、爪をきれいにしようと必死にむなしい努力を重ねたあと、おどろくほど爪のきれいなドゥブコフに、ずつと前からさういふ爪なのか、どういふふうにして仕上げたのかと、きいてみたことがあつた。ドゥブコフは答へた。「ものごころついて以来、爪をかういふふうにするために、一度として何一つしたことはない」……この返事はひどくわたしを悲しませた。comme il fautを身につけるための苦労を包み隠しておくことが、すなはちcomme il fautの主要な条件の一つであることを、当時のわたしはまだ知らなかつたのである。


 さて、シシコフ閣下の努力も空しく、十九世紀ロシアの「貴族の巣」ではフランス語が大流行しました。『青年時代』は、そんな大流行の中に育つた貴族トルストイが、自分とよく似た境遇の一青年を描いた自伝「的」作品であります(トルストイはこれを本物の自伝と混同せぬやう何度も念を押してゐるのですが)。
 この作品の一章が、まさにその章題をcomme il fautと申しまして、語り手の青年が十六歳のころ落込んでゐた最悪の迷妄としてcomme il fautの概念を取り上げてをります。青年は後にこれを思ひ返して
 「教育と社会によつて植ゑ付けられた、わたしの人生におけるもつとも悪影響のある誤つた概念の一つ」
 と呼び、人類全体の為にならない瑣末な事で時間の無駄だと言ふのであります。尤もな主張であること間違ひありませんし、本気であることはもつと間違ひありません。それはさうと、ここに引いた部分の後半は、comme il fautを愛する者にとつても素敵なスケッチと言ひ得るのではないでせうか。


○『かもめ』(チェホフ作、湯浅芳子訳)

あたしはイギリス人のやうに行儀正しいのよ。あたしはあなた、いはゆるピンと弦を張つて身を持つてゐますよ。だからいつも身なりだつて髪だつてcomme il faut(ちやんとしてゐる)よ。ほらこの通り庭に出るんだつて、部屋着のままだつたり髪も結はないで家から出て来るやうなことをするでせうか? いいえけつして。

 老いた大女優アルカーヂナが、とりまき連を前にして語る台詞。大体チェホフ劇といふのは俳優に極度の演技力を要求する代物でありまして、多分この場面でアルカーヂナ役の女優はこれだけの台詞の中に自分の頑固やら矜持やら老の自覚やらを全部表現してのけねばならないのであります。因みに初演の際の評判はまさにさんざんだつたさうであります。さもあらん。
 「イギリス人のやうに」行儀正しいと言ふアルカーヂナが大事な言葉にフランス語を使ふのは、このフランス語はイギリスでも好んで使はれたからであります。結局十九世紀の洒落た風儀といふのはフランス起源でウィーンを経由してドイツの片田舎に流れて行つたり、イギリスを経由してあつちこつちに流れて行つたりしたのでありませう。


○結語
 ざつとこのやうなものであります。
 ここからわかるのは、十九世紀ロシアにおいて、少なくとも十九世紀ロシアで書かれた三冊の本の中において、comme il fautといふ語は多分に翻訳不可能かつ鹿鳴館的の語として使はれてゐるといふことであります。「何やら玄妙不思議な社交界的美徳」と申しませうか。
 さて、ゲームのプレイヤー乃至ホストたる我々は、『キャッスル・ファルケンシュタイン』において以上の知識をいかやうに演繹し活用し得るか。勿論方法は色々ありませう。しかし一番簡単なのは、ペテルブルグ或はミュンヘンにおいて、成り上りのロシア貴族またはドイツ貴族が、事あるごとにcomme il fautなる語を口にのぼせ、何やら上品さうな物を見る度に「全くcomme il fautだ」と言ひ、さうしてその語の意味を聞かれるとドモり乍ら「それは説明するがほどのものはありません」と言ふ、てな演出ではないでせうか。comme il ne faut pas.

イラスト:速水螺旋人

『蒸気時代の嗜み』トップ(非フレーム対応)に戻る




本ページは、TRPG『キャッスル・ファルケンシュタイン』の、有志による情報コーナーです。
日本語版翻訳者である桂令夫さん等、製品版に関わる方のご協力も得て作成されていますが、
本コーナーの作成は、個人の責任において行なわれているものであります。
当コーナーの内容について、制作元などに問い合わせる等の行為はしないでください。
サイトのこのコーナー(アドレス「/cfs」以下の階層)のコンテンツの、テキストや画像のいっさいの無断転載を禁じます。

『キャッスル・ファルケンシュタイン』は、米国のR・タルソリアン・ゲームズで出版されたTRPGで、
日本語版は、国際通信社にて発売されております。

→藤浪智之のホームページへ