今日ののの(2003年7月)

7月14日(月)
 パリ祭=フランス革命、正確にはバスチーユに白旗が立った日?=オスカルの命日=劇団四季創立記念日。
 四季は今年で50周年。で、記者会見やら何やらあり、主にセリフ劇上演のための劇場「四季劇場<自由>」の建設を発表。 詳細は公式サイトにあるけど、ラインナップも発表されている。ああ、『思い出を売る男』もやるんだぁ。『ひばり』も。

 一昨年亡くなった父が生きていたら、喜んだだろうなぁ。セリフ劇も大好きだったから。『ハムレット』を観た帰りの車の中で、 「シェイクスピアの喜劇も観たいなぁ。」なんて楽しげに話していたことを思い出す。

7月13日(日)
 昨日は暑かったが、今日は涼しい。これじゃ体がついてかないよ。冷房のせいもあって肩こりがひどい。泣きそう。おまけに教会で 朝から牧師に「パソコンがおかしいから見て。」と言われ、「わかる範囲で。」と引き受けたところ、OSがWindows2000!先月だったか、 常務のネットワークプリンター設定を変えるのに、「○○くん(後輩男子)に頼んどいて。」と言われ、「私でも出来ると思います。」と 開いてみたはいいが、95、98、XPと遍歴を重ねている私には見たことのない画面が。結局、2000の場合はシステムを呼ばなくてはダメ、と 知った。
 あれってNTがベースなんですってねぇ。以前、SEをやってる友達に「NTって98とどう違うの?」と訊いて、「長くなるけどいいですか?」 との返答に「じゃ、いいや。」と話を終わらせた。ま、私が使っている一連のシリーズよりマニア向け、と言うことは確かでしょうな。

 で、今日もwin2000は私にはお手上げでした。
 

7月11日(金)
 一昨日から担当している常務が香港に出張しているので、朝はのんびりと出勤している。席に着くと、前の席のおぢから「秘書室に 電話お願いします。」のメモを渡された。もっと早くに電話をもらっていたらしい。コールバックすると、「今夜の会食、副社長は 6時15分に車で出るので常務が同乗するならその時間に玄関へ。」という内容だった。今夜、関係会社の役員と副社長と 会食の場が持たれることは常務から聞いていた。しかしその時、「香港帰りでみんな嫌がるだろうから、僕は欠席するつもり。」と言って いたのだ。 
 「え?今日まで香港出張で、SARSのことがあって皆さん嫌がるだろうから欠席するって言ってましたけど、ご存知ありませんか?」
 「聞いてない。」
 「え゛。」

 香港便は往復とも朝発、夕方発がある。これが夕方発なら日本着は夜8時以降なので明らかに会食には参加しないだろう。が、香港を 朝発ち、3時ごろ成田着というフライトである。念のため関係会社の役員に問い合わせてみたが、「聞いてないよ。連絡取れたら、SARSは 気にせんから来るように言うて。」

 午後になり3時半過ぎに携帯に電話をしてみた。つながるけど出ない。通りかかった専務曰く「あいつは携帯に出ることないぞ。 それに海外じゃ通じんから家に置いてあるんじゃないか?」げ。携帯も×じゃもうどうしようもないよ。出張前日に会食の件も最終確認を しようと思いながら、ま、いっかと実行しなかったことを悔やんだ。最近こういうこと多いんだよなぁ。プライベートでも。何でもきちんと 確認した方がいいんだよね。当たり前だけど。それに出発後も現地の社員と何度かメールや電話でやりとりをしてるんだから、チャンスは あったはずなのに。

 あきらめた頃に常務から電話が来て「出席」と聞いて一件落着。SARSも収束しつつあるので気が変わったらしい。 それにしても秘書の仕事はマニュアル通りに行かないことが多い。 現在担当する役員は3人、内ひとりは今月から関係会社に常駐しているので、これからはお世話をする機会はそうそうないが、今は臨時で 上記の専務の用事も手伝う。それぞれ性格も行動パターンも異なる。基本的な仕事の進め方は一緒でも、細かいことはどのやり方が役員に とって心地よいのかを探り、合わせていかなくてはいけない。今回出張した常務は、この6月から担当しているので、まだまだ手探り中。
 それにしても最近はクセのある人が役員になることがなくなった気がする。私が入社した頃はいかにもエラそうな人ばかり。もしかしたら 私が図々しくなって慣れちゃっただけかもしれないけど。でも社会の変化とともに、会社も変わってきているとは思う。新入社員のころ、 「お嬢ちゃん」と離れたところから呼ばれたときは、若かった私は聞こえないフリをした。今、そんなことがあればおぢたちか、言われた 女性が「それはセクハラになりますよ。」とやんわりと言うか雰囲気だが、当時は大変。「○○さん、××取締役が呼んでるよ!」と 大慌てで伝えてきた。
 
 うちの会社でさえ変わってきているので自民党の先生方も変わってください。

7月10日(木)
 同僚が「容疑者」と呼ばれる身分になった。月曜日に仕事上のやりとりがあり、ちょっとした世間話をしたばかりなのでかなり驚いた。 新聞地方版での報道によると、かなり前から犯行を重ねていたらしい。犯罪の中でもかなり卑劣なものなので許しがたいが、元ヤンな 風貌の割に私には礼儀正しかったのでちょっと複雑な気分。
 朝から彼と同じグループの人の指示で携帯の利用を停止した。顧客への対応もあるし、グループの人は大変だろうな。それにしても 他のグループの人は知ってるのかな?話題にしている人は見かけなかったけど。そんなことを考えていると、帰宅途中に後輩からメールが 入ってきた。「会社で話しづらかったんですけど、聞きましたか?」と。やはりみんな知っているけど、話さない様子。今はちょっと 生々しさを感じるからみんな静かだけど、そのうち、飲みの席なんかでネタにされることは必至だな。いや、実は既に後輩と「やっぱり カツ丼食べてるのかなぁ?」「ライト当てられたりして。」なんてことは話してるんだけど…。

7月 9日(水)
 教会と言うのは全国的にそういう傾向が強いのだろうが、私が所属する教会も年金受給者と思しき方が非常に多い。大半を占める。 今日の祈り会も、一緒に駅まで帰った3人の女性のうち、ふたりは恐らくそうだろう。異なった世代の方とのコミュニケーションと言うのも なかなか面白いものである。

 Aさん(70代)「最近はスリップを着ないの?」
 私(30代)「いえ、着ますよ。職場の冷房が強いので、着ないと冷えちゃいますから。」
 Aさん「だって最近の若い人は…ね、ね、どうして若い人はおへそを出すの?」
 私「えっ、どうしてって言われても…う〜ん…彼らの価値観ではそれが格好いいんですよ。」
 Aさん「おへそなんて見せるものじゃないわよねぇ。」
 Bさん(50代)「それだけじゃないわよ。わざとパンツ見せたりもするんだから。」
 Aさん「えぇ!?」
 私「そうなんです。それは見せパンって言って、見せてもいいんです。」
 Bさん「見せパン!」(爆笑)
 私「紐をきれいなのに変えたりして、見せブラもあります。」
 Aさん「はぁ…。そうなのぉ。」(半ば呆然)
 Bさん「見せブラねぇ。」
 Aさん「あなたはまともな格好してるからいいけど。」
 私「教会へは変な格好で行かれませんよ〜」
 Aさん「え!普段はおへそ見せてるの!?」
 私「まさか〜」

 冷えが怖くておへそは出せません…。

7月 7日(月)
 雨の中を通勤した。七夕の日は雨、と言うのは、文化の日は晴れ、と同じくらいの確率じゃないかなぁ。そして帰りは傘を差しても無駄な 霧雨。最悪。これなら土砂降りの方がスッキリしていいわ。
 そういえば先週、ボーナスが支給されたが明細を開けていない。通帳記入もしていないのでいくら出たかまだ知らない。勤続14年目の 去年が史上最低支給額だったから、それより若干上向いてるとは言え…はぁ、空しい。出るだけマシ、と毎年100回は唱えてる気がする。 そして「勤務先があるだけマシ」は1年中。今日は株価が11ヶ月ぶりに9700円台をつけたそうで。阪神も強いし、景気は上向くのでしょうか?

 願い事を短冊に書くとしたら…今の気分は「景気回復」、いや、「年金が破綻しませんように」かな。色気なっ。

7月 5日(土)
 同僚、ヨシコちゃんの結婚式で広尾のレストランへ行く。ヨシコちゃんとは今はランチ友達でしかないけど、10年位前は、しょっちゅう 飲みに行っては騒いでた。女の子だけのこともあったし、合コンもあった。今日はもう結婚して退職してしまった、当時の仲間が集まる。 いやぁ、みんな元気かなぁ?楽しみ!なんていうのはウソで、最近どっぷりお疲れ気味のワタシとしては、日頃顔を合わせない人に会うの は億劫だったりする。ま、意を決して飛び込んでしまえば、それなりに楽しかったんだけど。
 それにしても専業主婦って人の話を聞かない人種なんですかね。披露宴の最中、誰かがスピーチしている間も子どもの話題やら何やら、 しゃべりっぱなし。最近は授業参観でも親が黙っていられないって聞くけど、これがそれですか?結婚願望がある私から見れば彼女たちは 「勝ち組」とも言えるけど、ああはなりたくないぞ。同世代が着実におばさん化してると知って、ショック。通勤電車で必死に座ろうと している私もヤバいけどね。
 ところでヨシコちゃんのダーリンはアメリカ人、パパが英国系、ママがキューバの人らしい。アメリカ人と結婚する友達はふたり目だが、 いやぁ、相互理解は色々と大変だろうけど、何がいいって「ヨシコに僕の全てを捧げる。」なんて言ったって、ちっともいやらしくないし、 本当に聞こえるもの。日本人がこれを言ったらヴァカップルだけど。それにキスしてもサマになるのよねぇ。
 ヴァカップルといえばドラマ「僕の魔法使い」が終わった。弟が来ている時だけ一緒に見ていたが、あまりにハチャメチャな展開に かなり笑った。でも「あたしはみったん(夫)のお母さんじゃないもん。一生ルミたんって呼んでくれなきゃイヤ!」と言う、篠原涼子の セリフには激しく同感。子どもが生まれると「パパ」「ママ」と呼び合う日本人夫婦、家庭の中心は夫婦であって子どもじゃないと思うんだけど。 未婚の私が言っても説得力ないか。

7月 4日(金)
 相変わらず仕事はヒマだ。今日も午後は網乗りに没頭。同じカンパニーで秘書仲間のミホちゃんが怪我をして入院しているので、 多少は仕事をフォローしたりしてるんだけど、それでも時間が経つのが異様に遅く感じられる毎日。来週からは書庫の整理でも 始めようかな。でもダニがいそうで、考えただけでかゆい。

 夜は母と四季劇場へ『李香蘭』を観にいく。初めて観たのが92年9月の青山劇場での再演、あれから何回観たかなぁ。 東京での上演は必ず観ている。「昭和史の教科書」的作品で、セリフ等説明調が多いし、あまり人気がある演目とは言えないんだけど。 何故、私は毎回観ちゃうのか。

 理由1:小学校3・4年時の担任が、当時終結したベトナム戦争(歳がバレますな)に関する話から始まり、戦争に関する本を色々と 給食の時間に読んでくれた。
 理由2:中学、高校と学んだ学校の創立者であるK先生の教育理念のひとつに「国際的に通用する人間を育てる」があった(らしい。 私が生まれる前に亡くなっているので当然伝え聞いた話。)そして「日本はアジアの一員なのだから、まず、アジアに目を向けるべき。」 とのK先生の言葉を何かで読んだ中学生の私は感動し、「そうだ。外国=西洋(特にアメリカ)と思いがちだけど、もっと近くの アジアと親しくしなくては。」と熱い思いに満たされた。
 理由3:母方の祖父が赤い紙っぺら1枚で南方に送られ、命を落としているから。お墓参りみたいなもの。


 李香蘭はご存知の方も多いと思うが、戦前、日本軍の満州支配、中国全土植民地化のために広告塔として用いられてしまった 映画スターで、本名は山口淑子、日本人、戦後は国会議員も務めた人。中国と日本の架け橋になりたいと願いつつ、軍の野望、戦争という 大きなうねりの中に身をおいてしまった彼女を中心に展開する、上述の通り昭和史のお勉強ミュージカルである。

 初見から11年も経ていれば、上演している方も観ている方も色々と変化してくるわけで。出征していく杉本(初恋の相手と思われる)と の別離の場面から、大勢の兵士による「わだつみの声」朗読の場面へと入っていくのだが、これまではその辺りから、妻と幼い子供3人 (母の末弟は祖父に会ったこともない)を残し、どこで死んだかもわからず、遺骨さえ見つかっていない祖父の死に対する、理不尽な思いで 涙を流していた。
 しかし今年の私はどこかで冷めている。祖父の死は、戦争を憎む大きな理由であることに変わりはないが、個人的な思いに捕らわれるより、 別の問題が頭を離れなかった。先月にも1度観たのだが、たまたまその1週間前に友人から1冊の本を手渡された。「従軍慰安婦のはなし 〜十代のあなたへのメッセージ」(西野瑠美子著、明石書店)、従軍慰安婦の問題には「女性として」興味はあったのだが、関連する書籍を 読んだのは初めてだった。舞台の上で横暴の限りを尽くす日本軍、ここでは描かれていないけれど、そういう問題もあるのだ。あの戦争には。 そして作品の最後、上海軍事裁判所の場面の前に、終戦の混乱の場面がある。満州から逃げる日本人の姿もある。お下げ髪の日本人の 若い女性が中国人男性に捕まり、軍服姿のいやらしい笑みを浮かべた男性(この役、劇団最高齢の松宮五郎さんがやってるから生々しくなく、 ややコミカルに見えるんだけど…)にモンペを引き裂かれ、担がれたまま掃ける。日本軍がアジアで悪行を重ねたから、敗戦国となった時に 日本人女性が被害者になっていい…はずはない。
 
 前回の公演から3年、その間にアメリカの同時多発テロがあり、イラク戦争があった。どんな名目があろうと、「人間として」戦争は イヤ。来月からは『異国の丘』の再演。日本軍のアジア侵略に関しては少しは認識していたけれど、シベリア抑留の話は、これで初めて知った ようなもの。買ったまま読み終えていない「プリンス近衛殺人事件」を読んでおこうかな。今、劇場ロビーで宣伝ビデオが流されているが、 う〜む、やはり主演のまるちゃん、類まれな男前だわ。

 ところで3・4年生で担任だった先生、毎年年賀状に「早く結婚しなさい。」と書くのはやめてくださいw


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