Column of the History
6.中国の火薬庫、「新疆ウイグル自治区」 (1997.3.31)

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1997年2月25日、北京。中国の偉大な「紅い皇帝」故・小平の追悼大会が行われた同日、北京から2400q離れた中国の西部辺境、新疆ウイグル自治区の区都ウルムチ(烏魯木斉)で、ウイグル族過激派による爆弾テロが発生した。なぜ、ウイグル族は北京政府に反抗するのか? それは北京政府、ひいては漢族に対する激しい怨念の表れに他ならない。

国の西部辺境、新疆ウイグル自治区。この中央アジアの要衝の地は、その名が語る通り、元々はウイグル族等トルコ系民族の土地でした。皆さんはトルコと聞いてまず連想するのが、イスタンブールノアの箱船が漂着したと伝わるアララト山、トルコ行進曲等ではないでしょうか? 確かに現在のトルコはアジアとヨーロッパとの狭間に国土を構えています。しかし、かつてのトルコ(テュルク族)はモンゴルから中央アジアの広大な地域に暮らしていました。現在、「トルキスタン」と呼ばれるこの地域の語源は、その名の通り、「トルコ人の国」を意味しています。そして、トルコ民族の一派、ウイグル族も又、このトルキスタンにかつて国を持っていました。

イグル族が歴史の表舞台に登場するのは、744年。同じくトルコ系の突厥(テュルク)帝国より独立し、ウイグル(九姓回鶻)帝国を建国した事に始まります。翌745年には突厥帝国を滅ぼし、やがて、モンゴルからトルキスタンにかけての広大な地域に覇を唱えます。その後、ウイグル帝国は中国本土の唐が安史の乱鎮圧の為、派兵を要請してきた際、チベットの吐蕃と共に唐の首都長安に派兵し、以後、中国本土に対しても一定の軍事プレゼンスを行使するようになります。しかし、これはウイグル帝国にとっては諸刃の剣でした。東アジアの大国、唐の影響力低下は抑圧されていた周辺諸民族の民族意識を触発し、やがて各地に相次いで独立国を誕生させます。これはソビエト連邦が崩壊し、中央アジアにカザフスタン・キルギスタン・タジキスタン・ウズベキスタン等の独立国を生んだのと状況は同じです。そして、この後、西夏・モンゴルと言った独立国に相次いで従属する事になるのです。

840年、ウイグル帝国は可汗位(帝位)継承問題による王族の内紛と、北方より進入したモンゴル系のキルギス族によってあっけなく崩壊します。この帝国崩壊により四散したウイグル族の内、十万余人は唐や新興国・契丹に服属・吸収されました。一方、ウイグル帝国王家のエディズ氏に率いられた一派は、トルキスタンの要衝、ビシュバリクを首都にトルファン盆地を領有し王国を再興します。これを「西州ウイグル」(高昌回鶻・天山回鶻・西回鶻共言う)と言います。又、ウイグル帝国初期の王家だったヤグラカル氏に率いられた一派は、中国の辺境・伊州に亡命します。やがて、彼らは甘州・沙州をも占領し、「甘沙州ウイグル」(河西回鶻・新回鶻共言う)を建国します。こうして、ウイグル族は東トルキスタンの東西に二つの王国を再興し並立する事になったのです。

うして再び国を持ったウイグル族に対し、新たな脅威が現れます。その名はタングート(党項)族。チベット系の勇猛な遊牧民族のタングート族は、唐の崩壊による混乱の中、実力をつけ、1002年には中国本土を再統一した宋王朝から独立し「西夏」を建国します。そして、内陸の新興国・西夏は1026年、甘沙州ウイグルを滅ぼします。そして、ウイグル族に更に追い打ちをかけたのが、チンギス・ハン(ジンギスカン)によって統一されたモンゴル帝国でした。モンゴル帝国の圧倒的な軍事力の前に、残ったもう一つのウイグル族の国、西州ウイグルが選んだ結論は、モンゴル帝国への帰属でした。独立国としての「名」を捨てる事で、民族の滅亡だけは避けようと言う「実」を採った結果でした。そして、ある意味ではこの選択は正しかったと言えます。モンゴル帝国に帰属したウイグルに対して、チンギス・ハンは寛容でした。これとは反対に最後までモンゴル帝国への編入を拒んだ西夏は、国土を蹂躙され、首都を攻略され、その国民であるタングート族自体も徹底的に滅ぼされてしまいました。

ンゴル帝国滅亡後の東トルキスタンは、エルート(衛拉特)部・その後身のジュンガル(準部)帝国ホシュート(和碩特)部と言ったモンゴル系の王国によって相次いで支配されました。そんな中、ウイグル族は「黄頭ウイグル」の名で清代初頭迄、東トルキスタンの地に遊牧しますが、清朝の乾隆帝によって東トルキスタンが征服されると、「新疆」(「新たなる領土」の意味)と名付けられ、ウイグル族も又、清朝に帰属する事になったのです。

して、1912年、辛亥革命によって満州族の王朝、清朝が崩壊すると、崩壊前夜から反抗的だった「新疆」のウイグル族(イスラム教徒)達は再び、国を持とうと立ち上がります。そして、1933年には「東トルキスタン・イスラム共和国」を、1944年には「東トルキスタン共和国」を相次いで建国します。しかし、国共内戦を勝ち抜いた中国共産党が「中華人民共和国」を建国すると、清朝時代の領土を回復しようと、満州を、内蒙古を、チベットを、そして、ウイグル族の住む「新疆」をも併合し、「新疆ウイグル自治区」と改称します。こうして、満州族から「解放」されたウイグル族は、今度は漢族によって再び支配されたのです。

在、「新疆ウイグル自治区」のウイグル族は危機的状況にあります。新中国への併合後、この地には漢族が大量に移住し、ウイグル族から職を奪っているのです。更に、ウイグル族はその民族としての「純血」性も漢族との通婚等で次第に失われ、今や「民族」は滅亡の危機に瀕しています。その様な危機的状況に対し、ウイグル人過激派や亡命ウイグル人組織は、北京の中央政府との全面対決の時期を模索しています。彼等ウイグル人はトルコ人やカザフ人とは、言葉の壁がほとんどありません。日本で言えば、東京・大阪・神戸間の「方言」程の違いしかないのです。この事に北京の中央政府は脅威を感じています。「新疆ウイグル自治区」には膨大な石油資源が埋蔵されています。又、ロプノールには地下核実験場を抱えています。更にこの地は東西交易路・軍事上の要衝で、決して手放そう等と考える筈がありません。しかし、ウイグル族がトルコやカザフスタンと言った中央アジア諸国と連携したら・・・と考えると、背後にナイフを突き付けられた様なもので、対処を一つでも間違えれば、「火薬庫」に火が付きかねません。ロシアは「チェチェン」と言う「火薬庫」で武力による解決を棚上げにしました。かたや、中国は「ウイグル」と言う「火薬庫」で今だ武力による解決を捨ててはいません。これがウイグル族にとって、吉と出るか、凶と出るかは、北京政府の出方次第に掛かっていると言えます。


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