].刑法編纂に表われた鶴田皓の思考

 「日本刑法草案会議筆記」(早稲田大学出版部)および「刑法質問録」(茨木県警察本部)の二つの資料を中心に、刑法編纂の過程で表われた鶴田皓の思考を以下にまとめた。

(1)罪刑法定主義

 刑法は国と人民の約定であり、約定なく罰を科するのは不正不理であるとの西洋法の原則を説明しつつ、左傳・襄公二十六にある「不經に失せよ」との古語を引いて、
東洋にも無実の者を殺すよりは、寧ろ罪ある者を誤って見逃す方が良い、と云う考えがあって、矛盾しないと説明している。実際に明治維新後、律を基本に実施された新律綱領・改定律例は、詳細に場合を挙げて刑を規定しており、「律的罪刑法定主義」(「法と秩序」日本近代思想体系、岩波書店)と評されるほど厳密な規定と運用がおこなわれていた。

(2)自首減軽
 犯罪が発覚する前に自首すれば、必ず刑を減軽する、という規定。ボアソナードが西洋より
良法である、とした。旧律は未発自首は(損害が回復される限り)その罪を全免したが、刑法では一等減とした。
その理由を、心からの悔悟を重視する日本の伝統的考えによる甲説と社会の危害は回復できないが、政府の探偵糾問の手間を省く乙説の折衷と説明している。乙説がボアソナードである。た、謀殺および故殺は、旧律並びに支那律に於いても免罪を得られないこと、その理由は、このような犯罪は、自首しても危害を回復できないだけでなく、多くは意趣遺恨等より起るものだから、減軽を許すときは復讐等をすることが多くなるような弊害もあるので、減軽を許さない、と説明している。

(3)数罪倶発
 西洋では概ね各々刑を科するが、日本では重罪・軽罪と違警罪とを分け、重罪・軽罪をともに犯した場合は重い方の刑を科し、違警罪を重ねて犯した場合は各々その刑を科すことにした。その理由は、本来刑は各々について科すべきであるが、死刑・無期などの重刑は重ねて科しても実行できないので重い方に随い、量刑で調整するようにした。違警罪は刑が軽いので各々科しても差し支えないとした。鶴田皓は、刑を過酷にしても犯罪人は減らず、警察力の強化など、予防的な措置が重要と考えていた。(日本刑法草案会議筆記T、佐々木高行「保古飛呂比」)

(4)博徒ヲ招結シタル者
 地方官の要請に基づいて、現行犯でなくても、証があれば罪を問えることとした。これは、後述の共謀共同正犯理論に発展していく。


(5)内乱に関する罪
 ボアソナード原案では、佐賀の乱のような政府を転覆するような行為も、地租改正に反対して農民が竹槍を持って役所に強訴する行為も、同じように内乱罪に含まれていた。鶴田皓は、後者については、「一己の私願を達せんとする目的に出たるもので、政事上の真の国事犯と同じとするのは過酷である」とし、ボアソナードも同意して、国の「静謐を害する罪」のなかの「官吏の職務を行うを妨害する罪」に入れることにした。

(6)国事犯
 国事犯を死刑にしないことにつき、鶴田は、西郷の西南の役、熊本神風連の乱、前原一誠萩の乱を例に上げ、大きい反乱の首謀者が国事犯として流罪になったり、小さい反乱の首謀者が付帯して起きた放火・殺人事件の責任で死刑になったりするのでは権衡を欠く、と死刑を規定することを主張した。しかし各国の刑法がすべて廃止したとボアソナードは譲らず、止むをえず従った。審査会では、冒頭に死刑を規定することが定められた。

(7)「天皇」と「国家」の順序
 章立ての順序として、鶴田は、国家がなければ天皇もない、として、国家を先にする考えを示した。
ボワソナードは、日本の国体から当然天皇が先に来ると考えていたので驚いた。「先進各国の通例」ということで、結論はボアソナードの意見に従った。

(8)「黒奴(黒人奴隷)売買の罪」
 鶴田は、「人身売買の罪」として規定すべきとしたが、ボアソナードが独立設置を主張して譲らず、止むをえず従った。これは、明治十年中に刑法草案を上申せよと厳命されており、期限に遅れることを避けたのである。一般にボアソナードは自己の主張をなかなか譲らなかったが、鶴田も負けずに粘り強く応酬している。本条は審査会で削除される。「海賊の罪」も同様であった。

(9)「教唆犯」
 教唆犯を正犯とした(仏法は従犯で、刑は同じ)。
第百五条 人ヲ教唆シテ重罪・軽罪ヲ犯サシメタル者ハ、亦正犯ト為ス。「共謀共同正犯理論」すなわち、実質的に犯罪を命じた背後の黒幕も、「犯罪意思の共謀」に重点を置いて同じく正犯にするという考え方は、新律綱領・改定律例の時すでに成文化されていた。ボアソナードの案は、「実行行為」に重点を置き、教唆を罰する西欧の考え方で作られており、刑法もその形を取っているが、立案過程で教唆者を正犯とする趣旨の確認は十分なされていた。その後の判例の積み重ねおよび学説で、次第に「共謀共同正犯理論」が定着しつつある。これは、新律綱領・改定律例の立法が、西欧法に対して学問的意義を持つ、価値ある活動であったことを示している(日本近代思想体系「法と秩序」岩波書店)。また、正犯の身分による刑の過重を他に及ぼさないことは仏法より寛にして且つ簡なり、とボアソナードが認めている(日本刑法草案会議筆記第T分冊)。第百六条 正犯ノ身分ニ因リ別ニ刑ヲ過重ス可キ時ハ、他ノ正犯従犯及ビ教唆者ニ及ボスコトヲ得ズ。  

(10)「不論罪」及び「宥恕減軽」
 第七十七条第三項 罪本重カル可クシテ犯ストキ知ラザル者ハ、其重キニ従テ論ズルコトヲ得ズ。
この条は唐律から新律綱領を経て取り入れられた(高柳真三「法典の成立」)。仏法には明文がない。(例えば、強盗に誘われた共犯が、主犯がもともと殺人を目的としていることを知らなかった場合、殺人罪ではなく、強盗の罪とする)

(11)「量刑」
 ボアソナードの案では、日本の実状には罰が過酷に過ぎると、鶴田が主張していることが多く、
修正された場合がある(森林盗伐の罪など)。ただし、刑法は酷に失するよりは、むしろ寛に失するに如かず、という基本的態度では、鶴田とボアソナードは一致していた。

(12)「妊娠中の女子の死刑延期」
 ボワソナードは、医師二名の診断で妊娠がないと認められれば、執行して可としたが、鶴田は妊娠の如何を問わず、執行を十ヵ月待つとした。理由は、医療の行き届かない僻地での誤診を恐れ、万一妊娠が続いて、際限がなくなろうとも、誤って妊婦を殺すよりは良いとした。ただし、法文には定めず、獄則に定めることにした。法文は以下のとおり。
第十五条 死刑ノ宣告ヲ受ケタル婦女懐胎ナル時ハ、其執行ヲ停メ、分娩後一百日ヲ経ルニ非ザレバ刑ヲ行ハズ。

(13)「法文の構成・用語」
 ボアソナードの原案は、段階と場合を細かく分けて立案してあり、意味の説明も含まれて冗長だった。これは仏法自体の方法によるものだった。鶴田は、条文と用語を整理・選別し、簡明・的確な文体と用語を確立した。これは、その後の日本の法文のスタイルを決定した創造的な仕事であり、鶴田皓の文章・語彙についての深い教養と荻生徂來につながる古文辞の文体の理解の表われだったと考えられる。完成した刑法は、原案よりはもとより、新律綱領・改定律例・讒謗律など先行する実定法より、はるかにすっきりした明快な表現になっている。

(14)「寛刑」
 当時の要路には、厳罰によって犯罪が抑止できると考える人が多く、
  @ 凶悪犯に対する刑罰が一般に寛大にすぎる。
  A 未成年による犯罪の刑一等減は軽すぎる。

   B 博徒の結党を取り締まらないのは不十分である。
 などの反対意見があった。鶴田は厳罰により犯罪は抑止できず、警察力の強化が必要で、
 警察力の不足を厳罰で補おうとするのはよくないと考えており、その考えも理があると、
 山田司法卿からは支持されていた。


(15)「倫理」と「刑罰」
 日本固有の倫理道徳」の反映が不十分で、例えば、親が子に危害を加えようとする時、
子に正当防衛の権利があるという規定は、我国の倫理に反する、という改正意見があった。
鶴田は倫理と刑罰は原則として区別する考えで、西欧近代法を納得して受け入れていた。

(16)「皇室に対する罪」と「内乱に対する罪」の分離
 「皇室に対する罪」と「内乱に対する罪」が別々になっていることに対する反対意見が
あった。
すなわち、我国の「国体」から見ると、政府と皇室は不可分であるから、政府転覆と
皇室干犯はおなじ罪にするべきだという。鶴田は、皇室と政府は区別するべきであると考えていた。

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