津久井郷土資料室>随想録>「のどかで懐かしい『少年倶楽部』の笑い話」の出版
| ここでは、気になる道具や思い出の品、本などを、文章にまとめてみました。随時、補充していきたいと思っています。 第3回は、「のどかで懐かしい『少年倶楽部』の笑い話」の出版に関する話題です。 |
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| 「のどかで懐かしい『少年倶楽部』の笑い話」の出版 (04.4.4) | ||||
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| 去る2004年3月14日の朝日新聞に、作家・嵐山光三郎氏による短い書評が掲載されました。今春、出版された「のどかで懐かしい『少年倶楽部』の笑い話」(選・解説 杉山 亮 )に関する話題です。少年倶楽部については、これまで少年雑誌ということで軽んじられ、ほとんど評価されることなく今に至っています。ここで、本家本元の講談社から、このような検証が行われたことは、評価されてしかるべきものでしょう。 ところで、素朴な疑問があります。ここで、少年倶楽部の核とも言える連載小説を扱わずに、どちらかと言えば雑誌の脇役とも言える「笑い話」を、なぜ取り上げたのでしょうか。一つには、ただでさえ長い連載小説を、それも半世紀600号にも及ぶ膨大な量から抜き出すには、紙面が足りないという事情があったのかもしれません。しかし、それ以上に「昭和7年から毎号載るようになった笑い話は、戦争をはさんでも途切れることなく掲載され続けてきた」ことを重く見たのでしょう。 「昭和16年には、大正5年から続いてきた「滑稽大学」が消えました。(中略)B29による本土空襲が始まった昭和19年6月には、これも長寿コーナーの「滑稽和歌」が消えました。戦局はますます悪くなり、本土空襲も頻繁になりました。それでもまだ「笑話」のコーナーだけは地味に続いていました。」(同書から) 確かに、全盛期に400ページあった少年倶楽部が、敗戦間近いわら半紙版の合併号では、わずか32ページまでそぎ落とされました。その時でさえ、笑い話は掲載されたのは、注目に値します。ちなみに、その時(8・9月合併号)に掲載されたのは 次のような内容でした。 飛行機と鳥(昭和20年8・9月合併号) 兄さんが弟に、飛行機は鳥から思ひついて発明されたことを話した後、 「三郎、でも 飛行機は鳥に及ばないところがあるね。第一、墜落するね。それから・・・・。」 三郎は元気よく「木にとまることができない」(同書から) また、前掲の嵐山光三郎氏も指摘している通り、笑い話に、その時代の出来事を背景にした内容が、盛り込まれていました。特に、次のような笑い話は、戦時下を象徴したものです。 「一億火の玉」(昭和19年4月号) 甲「今年はストーブがないので、職場や学校は寒いだろうね」 乙「寒くはないよ」 甲「なぜ」 乙「だって一億火の玉じゃないか」(同書から) 一方、戦後にも、時代背景を思わせる笑い話が登場します。例えば、ロケット打ち上げ競争の時代を迎え、大きなものを打ち上げたと威張るソ連の子どもに、日本の子どもが「ぼくの国はてんぷらをあげた」と返す話(昭和37年8月号)や、ビキニ環礁の水爆実験を扱ったもの。また、野球の川上選手やプロレスラーの力道山が、登場するものもありました。 ただ、誤解の無いように付け加えると、少年倶楽部掲載のすべての笑い話が、このようなニュースや出来事で埋められていたわけではありません。むしろ、数としては、先生と生徒の掛け合い、もしくは友だち同士の会話という学校ネタが、少年が投稿するだけあって、とても多く見受けられます。つまり、題材のヒントは、身近なところにあったということでしょう。 「おかしな算数」(昭和35年5月号) 先生「8を2でわるといくつですか」 太郎「先生。たてですか。よこですか。」 先生「どうしてかね。」 太郎「はい。たてにわれば3。よこにわれば0です。」(同書から) 少年倶楽部に対する切り込み方には、様々な方法がありますが、この本では、笑い話という「変わらない企画」に絞り、その上で内容を比較する手法を取っています。そのため、間口そのものは狭い(笑い話)ものの、あれこれ幅広い内容に触れたものよりも、かえってピントがずれずに、この時代の子どもたちの姿を浮かび上がらせるのに成功していると思われます。 私も含めて、とかく戦前・戦後に線を引き、内容の違いに注目しがちなのですが(事実、このホームページの構成はそうなっています)この本では「笑いの流れは、戦争によってさえ断たれませんでした」とあり、むしろ変化を少年倶楽部終刊の昭和37年に求めています。 昭和37年。それは、高度経済成長のまっただ中であり、小説というよりも漫画誌が流行していた時代です。そして、少年倶楽部も講談社の「週刊少年マガジン」に吸収合併される形で終刊を迎えたのでした。また、テレビの受信契約が初めて一千万軒を突破したのもこの年で、その後に迎える軽薄短小の風潮へ、一歩ずつ進んでいった時代と言えるでしょう。戦争によっても断たれなかった少年倶楽部の笑い話が、土台から消えて無くなる。それは、受け入れられる笑いの質が変化したことでもあると編者は言いたいのでしょう。 この本を初めて読む人は、ページを広げて、わら半紙のような質感に、改めて驚くことでしょう。今時、なぜ、こんな紙を使う必要があったのでしょうか。しかし、分かる人は、すぐに気づくはずです。これは、あえて少年倶楽部「笑い話」のコーナーに使われていた紙と、同じような質感にしたのだと。そんな、こだわりも、ぜひ見てください。 この本の意義は、編者の言葉の「あまりに身近なゆえに、なかなか顧みられなかった笑い話の世界に光を当てる」ことに集約された感があります。が、講談社と編者は、これに満足することなく、ぜひ、また少年倶楽部にスポットを当てて、第2・第3弾の特集を、組んでほしいものです。 |
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