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半年ごとにまとめた表紙 前半は1月号〜6月号、後半は7月号〜12月号
1.大正期全般 2.昭和4.5年 3.昭和5年後半
1.大正期 2.昭和4.5年 3.昭和5年後半
4.昭和6年前半 5.昭和6年後半 6.昭和7年前半 7.昭和7年後半
4.昭和6年前半 5.昭和6年後半 6.昭和7年前半 7.昭和7年後半
8.昭和8年前半 9.昭和8年後半 10.昭和9年前半 11.昭和9年後半
8.昭和8年前半 9.昭和8年後半 10.昭和9年前半 11.昭和9年後半
12.昭和10年前半 13.昭和10年後半 14.昭和11年前半 15.昭和11年後半
12.昭和10年前半 13.昭和10年後半 14.昭和11年前半 15.昭和11年後半
16.昭和12年前半 17.昭和12年後半 昭和13年前半 18.昭和13年後半
16.昭和12年前半 17.昭和12年後半
資料欠
資料欠
18.昭和13年後半
19.昭和14年前半 20.昭和14年後半 21.昭和15年前半 22.昭和15年後半
19.昭和14年前半 20.昭和14年後半 21.昭和15年前半 22.昭和15年後半
23.昭和16年前半 24.昭和16年後半 25.昭和17年前半 26.昭和17年後半
23.昭和16年前半 24.昭和16年後半 25.昭和17年前半 26.昭和17年後半
27.昭和18年前半 28.昭和18年後半 29.昭和19年全体 30.敗戦から戦後
27.昭和18年前半 28.昭和18年後半 29.昭和19年全体 30.敗戦から戦後
解説
 「少年倶楽部」は、少年雑誌の草分け的な存在であり、創刊は大正3年10月まで遡ります。そして、昭和37年12月の終刊まで、実に半世紀に渡り発行され続けました。発行元は、大日本雄弁会講談社です。
 あの「のらくろ」の田河水泡を始め、サトウ・ハチロー、江戸川乱歩、加藤武雄、井伏鱒二など、各界の著名人が執筆にあたりました。戦争が始まると時の総理である東条英機が寄稿し(表紙にも登場しました)、また軍人による「戦地からの報告」も、量を増してゆくようになります。良くも悪くも時代の影響を受けた雑誌でありました。
 しかし、言論の自由が保証された今の視点から、一方的に批判するのは、いかがなものかと思われます。なぜなら当時は、都合の悪い箇所が伏せ字にされたり、発禁処分などに見られる言論統制があったからです。そして、戦争激化に伴い、紙が統制されるようになると、むしろ時局に協力しないと、発行する紙を確保できないという事情がありました。

  「少年倶楽部」は、映画「少年時代」を始め、この時代が背景のドラマや演劇において、何かと登場することが多いようです。ところが、これほど知名度が高いにも関わらず、我々が普段お目にすることは、まずありません。一般の市立図書館・学校図書館などで、貸し出しされているのを聞いたことがありませんし、稀に収集されている所があるかと思えば、それは「本」としてではなく、ガラスケースの中の「展示物」としての扱いです。おそらく子ども向けの雑誌ゆえに、その多くは捨てられてしまい、このようなことになったのでしょう。(なお、大阪府立国際児童文学館では、閲覧が可能のようです。)
 ところで、「少年倶楽部」の附録の中には、小冊子や大きな絵(今で言うポスター)以外に、紙製の大型模型という豪華なものがつけられた号もありました。それらは、購買意欲をそそったことでしょう。しかし、少年向け雑誌とは言え、昭和13年のもので50銭の値段は、決して安い買い物ではありませんでした。昭和10年当時、キャラメル1箱が5銭、映画が50銭だったことを考えてみてください。ですから、運よく手に入れた本を、仲間で回し読みするのは、当然でした。
 なお、対象年齢ですが、「幼年倶楽部」を小学校低学年までとすると、その後の小学校中学年から高学年まで(小学校3〜6年生)が、その読者層であったと推定されます。もっと上の層(高等小学校や中学生)が読んでもおかしくはありませんが、昭和14年4月号の記事によると「少年倶楽部を卒業したらキング!」「小学校を卒業したらキング!」とあり、出版社の大日本雄弁会講談社としては、読者層を絞っていたことが伺われます。
 ちなみに、キングの目的は「皆さんの中には、上の学校へゆく人もありませう。すぐ世の中へ出て働く人もありませう。どちらの人も、これからが本当の勉強時代なのです。将来よくなるのもならぬのも、これからの心がけ一つです。先生や、目上の教をよくまもり、いきた学問をしてゆくことが大事です。キングは、それを心がける人のために出してゐる雑誌です。」(同号)とあり、キングの目的がよく分かります。
 一方、幼年倶楽部に掲載されている「少年倶楽部・少女倶楽部」の宣伝記事によると、「どちらにもうつくしいえ(絵)、ゆくわいなまんぐわ、ものしりになるはなし、たのしいはなしなどいろいろあります。大きいにいさんやねえさんにおしらせください。」(幼年倶楽部・昭和14年10月号)とあります。子ども向けの宣伝ということもあって、その説明は、幼年倶楽部の編集方針である「やさしくて、飛上る程面白くて、それでためになるもの・・・(当HP幼年倶楽部のページを参照)」の延長程度に留められています。
 また、少年倶楽部の発行部数ですが、講談社2004年2月発行「のどかで懐かしい『少年倶楽部』の笑い話」に、詳細なデーターが掲載されておりました。これによりますと「創刊当時2万部ほどだったものが、大正9年に8万部、昭和2年30万部、昭和3年45万部、昭和4年50万部、以下、昭和6年67万部、8年70万部と驚異的に増えつづけ、11年新年号で75万部の最高記録に達しています。」とあります。まさに、少年倶楽部は、昭和初期におけるの雑誌の大ベストセラーでした。
 当資料室では、この貴重な「少年倶楽部」を、大正5年4月号から昭和22年4月号まで、約180冊を所蔵しております。詳しくは、表紙の一覧をご参照ください。ちなみに大正のものは、約10冊の所蔵。昭和に入っても、昭和4年9月号までの本はありません。昭和4年10月号以降のものでも欠けている号がありますので、直接、当資料室にお越しくださる方は、あらかじめご了承ください。
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