解体か再オープンか・9月閉鎖が決まったザウス、着地点見えず

9月閉鎖が決まった屋内スキー場「ザウス

 世界最大級の屋内スキー場「ザウス」(千葉県船橋市)の9月末閉鎖が決まった。この数年は客足が遠のき、赤字続き。持ち主の三井不動産は売却先を探し始めたが、解体費用の負担問題もあり交渉は難航しそう。取り壊しか、再オープンか。巨大レジャー施設の着地点はまだ見えない。

 「スキーとスノーボードの両方ともダメ。正規料金で滑っている客はほとんどいなかった」。三井不動産で商業施設を担当する西原忠昌専務はこう明かす。

 ザウスは1993年7月に開業。地上約100メートルの高さで総工費は約400億円。東京から30分という立地が自慢で、開業3年目までは年間100万人が押し寄せる人気スポットだった。だがその後ブームは一服、最近では70万人まで落ち込んでいた。

 損益分岐点は年間70万人。机上の計算ではトントンになるはずだが、1000円割引や早朝割引、一時間無料キャンペーン、スキーウエア無料貸し出しなど、来場者のほとんどが何らかの割引を使っていた。「1人7000円の単価を予定していたが、実際は2―3割安かった」(西原専務)という。その結果、営業ベースで毎年20億円ほどの赤字を計上していた。

 三井不動産は閉鎖を決めると、すぐに売却準備に取りかかった。2002年3月期にはザウスの耐用年数を短くして減価償却費を再計算し、不足分の約185億円を特別損失に計上する。ザウスの価値の目減りを処理し、いつでも売却できる状態にしたわけだ。新しい帳簿上の価値は建物だけで約70億円。400億円を投じた施設は、わずか9年で6分の1ほどの価値になった。

 ただ70億円でも売却先を見つけるのは難しい。ザウスは複雑な構造の鉄の塊で「将来解体するには数十億円かかる」(関係者)ためだ。交渉相手に将来の負担問題を突かれるのは間違いない。

 今回の会計処理には解体費用は一切盛り込まれていない。売却交渉が不調に終わり、自ら解体することになれば、数十億円の「二次損失」を覚悟しなければならない。

 ザウスの土地は10万平方メートルを超えるが、簿価は5億円強と低い。三井不動産の岩沙弘道社長は「建物と土地を一緒に売りたい。土地の含み益が大きいことを理解してもらい、ザウスの継続活用を考えてほしい」と語る。土地の含み益と解体に伴う損失をにらんだ、厳しい価格交渉が繰り広げられそうだ。

 ザウスには人工的に70センチほどの雪を積もらせている。一度溶かしてしまうと、同じ状態に戻すには3カ月程度が必要。売却相手が見つかるまで保守管理を続けなければならないが、これだけでも年間5億円ほどの費用がかかる。交渉に残された時間は少ない。

 三井不動産には最近、こんな電話がかかってきたという。

 「解体する時は呼んでほしい。鉄骨だけ引き取りたいから」

(関嗣明)

(2002/04/04 日経産業新聞)

 

真夏日もスキー!「夢」よさらば!

ザウス」今月限り


9月30日に営業を終える「ザウス」。建物を壊す資金はなく、三井不動産が現在、売却先を探している=千葉県船橋市で、本社ヘリ「まなづる」から

 世界最大級の室内スキー場「ららぽーとスキードームSSAWS(ザウス)」(千葉県船橋市)が、惜しまれながら、今月末で閉鎖され、九年三カ月の歴史に終止符を打つ。バブル経済の余韻が残る一九九三年七月にオープンし、首都圏のスキーヤーに「東京湾岸で真夏のスキー」という夢を与え続けてくれたが、長引く不況には勝てなかった。さよなら、常冬の楽園!

 「スキーヤーに夢を与えることができました。失敗とは思っていません」。ザウスを運営する三井不動産の広報室は、閉鎖についてこう話す。

 閉鎖の理由は利用者数と客単価の減少。開業一年目に百万人、ピークの三年目には百二万人が来場した。しかし、スキーブームが落ち着きを見せ、景気低迷の影響もあって、最近は約七十万人にまで落ち込んでいた。

 都会にいながら一年中スキーを楽しみたい−。こんな、とっぴな発想を実現させてしまったのが、バブルという時代。都会の人にとってスキー場は遠(遠い)、混(道が混雑)、煩(荷物が多くて面倒)。ザウスは、その悩みを解決した。

 東京駅からJR京葉線で約三十分の南船橋駅。遠くからも目につく巨大な“冷蔵庫”の中に、全長四百九十メートル、最大幅百メートル、最大斜度二十度のゲレンデが広がる。レンタルも充実し、手ぶらでもスキー、スノーボードが楽しめる。

 人工降雪、耐震設計、省エネ対策…。ザウスには日本の技術の粋が注がれた。部品の大半は、ザウスのために作られた特注品。総事業費は四百億円を超える。

 「そこら辺の山の斜面を利用して、既存の部品を使っていれば、はるかに安くできたんだろうけどね」。あるスキー雑誌の編集者は笑う。

 外が三十度を超えようとも、中は、零下三度の常冬の楽園。ザウスの出現は「スキーは冬」という既成概念を打ち破った。

 中学、高校のスキー部、社会人の同好会が、夏の合宿で利用。さらにアルベルト・トンバ(イタリア)、ヘルマン・マイヤー(オーストリア)らの五輪金メダリストをはじめとする世界のトップレーサーも、夏にザウスを訪れた。「日本の中でも、これだけ有名選手が多く訪れたスキー場はないでしょう」。ザウス運営課シニアマネジャーの川又寛さん(37)は断言する。

 思いがけない効果も生まれた。スキーコーチという職業が通年で成り立つようになり、スキーヤーの要望から、室内雪専用スキーワックスも開発された。メーカーがスキーなどの新製品発表会を夏のザウスで開くことは常識になり、新製品を夏に一度試してから購入できるようになった。

 ザウスに通いたい一心で、引っ越してしまった人もいる。

 ソニーに勤める大森睦弘さん(44)は、同社スキー部に所属し、国体で活躍する選手だった。オープン前の九三年春、ザウスのそばの市営住宅に空き室があることを知った。神奈川県厚木市内のマンションを購入したばかりだったが、スキー場の目と鼻の先の部屋を見つけ、「とにかく借りちゃおう」と即決した。

 土日とノー残業デーの水曜日の計三日間ザウスに通った。「スキー選手にとって、雪上で練習するのと、しないのでは大違い。この環境は素晴らしかった」。この年は、七月から十一月までに約五十日通った。このおかげか、大森さんは九四年二月の国体で優勝した。

 今は引退し、船橋市を引き払ったが、「国体優勝はザウスのおかげ。思い入れの強い場所だから、閉鎖は寂しい」と残念がった。

 室内スキー場では、雪は管理するものだ。独特の人工雪のため、作り方も、解け方も天然スキー場とは異なる。一日に作ることができる新雪の量は限られ、常に雪の状態を把握しなければいけない。

 ゲレンデの管理担当でもある川又さんは、来場者数が多い四月から十一月の週末は必ず、営業終了後三−四時間かけてゲレンデの雪の状態を点検した。「雪の飼育係みたいなものですよ。でも、この仕事のノウハウは、今後に生かせませんよね」と苦笑する。

 川又さんは、振り返る。「ザウスは時代が作った施設。後にも先にも、もう現れないでしょう。単なるレジャー施設を超えて、文化的、社会的な意義があったと思いますよ」

 建物の売却先は、まだ決まってないという。

 文・清水俊介/写真・石川裕子/紙面構成・池田一成