
9月30日に営業を終える「ザウス」。建物を壊す資金はなく、三井不動産が現在、売却先を探している=千葉県船橋市で、本社ヘリ「まなづる」から
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世界最大級の室内スキー場「ららぽーとスキードームSSAWS(ザウス)」(千葉県船橋市)が、惜しまれながら、今月末で閉鎖され、九年三カ月の歴史に終止符を打つ。バブル経済の余韻が残る一九九三年七月にオープンし、首都圏のスキーヤーに「東京湾岸で真夏のスキー」という夢を与え続けてくれたが、長引く不況には勝てなかった。さよなら、常冬の楽園!
「スキーヤーに夢を与えることができました。失敗とは思っていません」。ザウスを運営する三井不動産の広報室は、閉鎖についてこう話す。
閉鎖の理由は利用者数と客単価の減少。開業一年目に百万人、ピークの三年目には百二万人が来場した。しかし、スキーブームが落ち着きを見せ、景気低迷の影響もあって、最近は約七十万人にまで落ち込んでいた。
都会にいながら一年中スキーを楽しみたい−。こんな、とっぴな発想を実現させてしまったのが、バブルという時代。都会の人にとってスキー場は遠(遠い)、混(道が混雑)、煩(荷物が多くて面倒)。ザウスは、その悩みを解決した。
東京駅からJR京葉線で約三十分の南船橋駅。遠くからも目につく巨大な“冷蔵庫”の中に、全長四百九十メートル、最大幅百メートル、最大斜度二十度のゲレンデが広がる。レンタルも充実し、手ぶらでもスキー、スノーボードが楽しめる。
人工降雪、耐震設計、省エネ対策…。ザウスには日本の技術の粋が注がれた。部品の大半は、ザウスのために作られた特注品。総事業費は四百億円を超える。
「そこら辺の山の斜面を利用して、既存の部品を使っていれば、はるかに安くできたんだろうけどね」。あるスキー雑誌の編集者は笑う。
外が三十度を超えようとも、中は、零下三度の常冬の楽園。ザウスの出現は「スキーは冬」という既成概念を打ち破った。
中学、高校のスキー部、社会人の同好会が、夏の合宿で利用。さらにアルベルト・トンバ(イタリア)、ヘルマン・マイヤー(オーストリア)らの五輪金メダリストをはじめとする世界のトップレーサーも、夏にザウスを訪れた。「日本の中でも、これだけ有名選手が多く訪れたスキー場はないでしょう」。ザウス運営課シニアマネジャーの川又寛さん(37)は断言する。
思いがけない効果も生まれた。スキーコーチという職業が通年で成り立つようになり、スキーヤーの要望から、室内雪専用スキーワックスも開発された。メーカーがスキーなどの新製品発表会を夏のザウスで開くことは常識になり、新製品を夏に一度試してから購入できるようになった。
ザウスに通いたい一心で、引っ越してしまった人もいる。
ソニーに勤める大森睦弘さん(44)は、同社スキー部に所属し、国体で活躍する選手だった。オープン前の九三年春、ザウスのそばの市営住宅に空き室があることを知った。神奈川県厚木市内のマンションを購入したばかりだったが、スキー場の目と鼻の先の部屋を見つけ、「とにかく借りちゃおう」と即決した。
土日とノー残業デーの水曜日の計三日間ザウスに通った。「スキー選手にとって、雪上で練習するのと、しないのでは大違い。この環境は素晴らしかった」。この年は、七月から十一月までに約五十日通った。このおかげか、大森さんは九四年二月の国体で優勝した。
今は引退し、船橋市を引き払ったが、「国体優勝はザウスのおかげ。思い入れの強い場所だから、閉鎖は寂しい」と残念がった。
室内スキー場では、雪は管理するものだ。独特の人工雪のため、作り方も、解け方も天然スキー場とは異なる。一日に作ることができる新雪の量は限られ、常に雪の状態を把握しなければいけない。
ゲレンデの管理担当でもある川又さんは、来場者数が多い四月から十一月の週末は必ず、営業終了後三−四時間かけてゲレンデの雪の状態を点検した。「雪の飼育係みたいなものですよ。でも、この仕事のノウハウは、今後に生かせませんよね」と苦笑する。
川又さんは、振り返る。「ザウスは時代が作った施設。後にも先にも、もう現れないでしょう。単なるレジャー施設を超えて、文化的、社会的な意義があったと思いますよ」
建物の売却先は、まだ決まってないという。
文・清水俊介/写真・石川裕子/紙面構成・池田一成
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