北野武「超思考」

2011年6月30日



先日、北野武さんの「超思考」を読みました。彼の作品を見ていつも思うのは・・・物事の捉え方、切り口が実にユニークで面白いという事です。ここでは彼の斬新な思考の一部をご紹介します。






(本文:第五考 暗闇の老後をどう走り抜けるか)



歳をとっても元気なうちはいい。第二の人生だなんて言って、趣味でも何でもやればいい。けれど、自分で自分の始末が出来なくなった途端に慌てることになる。生きる苦しみが、テレビの向こう側から、こっち側にやってくるのだ。



・・・つまり、現代の老人問題は、老人の世話を金で解決しようとしているがゆえの問題であるとも言える。昔は年金も、介護制度もなにもなかったのだ。世の中は今よりもずっと貧乏だったのに、老人問題なんてものは問題にもならなかった。大家族で、みんなが貧乏で、人と人とが肩を寄せ合わなければ生きられない時代には、若い者が年寄りの世話をするのが当たり前だった。



・・・苦しいからこそ、人と人は本心から助け合う。お涙頂戴のエンターテイメントとはまったくの別物だ。何しろ他人の話ではなく、自分のことなのだ。誰もがそういう覚悟をして生きていた。人生が苦しみに満ちたものだということを誰もが知っていた。年寄りも、若い者も、その覚悟がまったくできていないということが、現代の老人問題の本質なんだと思う。人生浮かれて生きるのもいいけれど、人は老いて、死ぬものだということから目を逸らしたら、いつか大きなしっぺ返しを受けるに決まっている。


以上




私自身も昨年父が脳内出血で倒れ未だ全身麻痺が残っている状況にいます。父には預金どころか多額の借金しか残っておらず、保険にも入っていなかったので「介護」という意味では最悪のシナリオを経験しています。この時、夫婦で”覚悟”したのを今でもはっきりと覚えています。



父は病院に運ばれる前に一度心停止している状態から蘇生されました。きっと「意味」があって今も生きているのだと思います。この1年はとても苦しかったですが・・・父の介護を通じて自分の生き方や考え方を見つめなおすいい機会になりました。また何より妻と2人でこの難局を乗り越えることで今まで以上の絆を確認することが出来ました。父はきっと私達にそういう時間をくれたのだと思い、今は感謝しています。






(本文:第十五考 師弟関係)



師弟として何か教えたとすれば、礼儀くらいのものだ。礼儀だけは厳しく躾けた。たとえば俺が誰かと話していたら、その話をしている人は全部お前らの師匠だと思ってやってくれ。俺よりも年上の人だったら、俺よりも偉い人だと思って接してくれなきゃ困る。



・・・礼儀を躾けるのは、それがこの社会で生きていく必要最小限の道具だからだ。社会を構成しているのは人間で、どんな仕事であろうとその人間関係の中でするしかない。何をするにしても、結局は、石垣のようにがっしりと組み上がった社会の石の隙間に指先をねじ込み、一歩一歩登っていかなければ上にはいけない。



その石垣をどういうルートで登るかを教えてやることなんてできはしないのだから、せめて指の掛け方は叩き込んでやろうと思っている。



子供の為を思うなら、バラ色の未来を吹き込むなんてバカなことはさっさとやめて、人の世で生きるための礼儀を躾けるべきだ。ネットに悪口を書くだけで満足して、自分は何もしようとしない子供にしたいのなら話は別だけど。



以上



私はアメリカに住んでいた20代に1年先輩の友人の隠れた苦労を知ったときに目上の人に対する考え方が変わりました。1年多く生きているということがどういうことなのか痛感させられることがありました。人は歳をとれば必ず経験を積むわけではありません。しかし、その歳にならないとわからないこともたくさんあります。礼儀を知らないと大切な出会いを無駄にしてしまったり・・・人生で大きな損をしてしまいます。



礼節を重んじないと一瞬で人生の宝を失うことにもなるということも肝に命じています。




お薦めの一冊です。




SILVERFOX



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