「イセヒカリは間違いなく新品種です」

斎藤吉久

Saitoh Yoshihisa

イセヒカリの稔り 「イセヒカリが新品種であることは間違いない。強く主張していいと思います」
 そう断言するのは、静岡大学農学部の佐藤洋一郎助教授だ。

 佐藤氏は日本稲の「南北二元説」で注目される、現代の日本を代表する新進気鋭の植物遺伝学者である。
 日本の稲には遺伝的に「熱帯ジャポニカ」と「温帯ジャポニカ」の二系統がある。熱帯ジャポニカは東南アジア島嶼(とうしょ)地域から伝播した陸稲的な稲で、一方、温帯ジャポニカは中国・長江流域が起源の水稲だが、いずれも日本列島で栽培すると晩稲(おくて)となり、秋冷の早い北国では実を結ばない。ところが、両系統の稲が日本列島で自然交雑し、早稲が生まれた。そのため稲作はまたたく間に北進した−−というのが佐藤氏の説で、稲の起源を研究テーマとする作物学者や考古学者、文化人類学者から注目されるようになった。

 その佐藤氏が、いまイセヒカリのDNA分析を続けている。伊勢の大神から授かった神秘の稲が本格的な遺伝子分析の対象となるのはもちろん初めて。半年間の研究の結果、「新品種」の太鼓判が押されたのだ。平成11年の秋、カンボジアから帰国したばかりのところを取材した。

 平成元年秋、伊勢神宮神田で生まれたイセヒカリは、大神からの授かりものにふさわしく、発生時から謎のベールに包まれてきた。「突然変異で生まれたのか、それとも自然交雑なのか」「新種なのか、もしかして従来の品種なのではないのか」という疑いさえかけられた。
 筆者が神宮神田を取材した8年3月、発見者である当時の神田管理責任者・森晋(もりすすむ)氏はこう語った。「2度の台風で、西八号田のコシヒカリはべったりと倒伏してしまったが、中央に2株、直立する稲があった」。それが、誠実な人柄で、1日3回の見回りを欠かしたことがない森氏による、イセヒカリ発見の瞬間であった。

 翌平成2年春には試験栽培が始まるのだが、森氏のいう「2株」がやがて思わぬ波紋を呼ぶことになる。「イセヒカリはコシヒカリの突然変異で生まれた」といわれてきたが、もし「2株」なら「突然変異」とはふつうには考えられないからだ。
 平成元年秋に稲株として姿を現したイセヒカリは、種子の段階では前年の昭和63年秋に実を結んだことになる。突然変異だとすれば、この年の夏、ある稲株のひとつの花に何らかの理由で変異が生じ、種となり、翌平成元年春、神田に苗として植えられ、秋に目に見える姿となって現れたと考えられる。イセヒカリとコシヒカリ
 しかしその場合、1粒の種子は1株の稲にしかならないはずで、「2株」にはなり得ない。発生から5年以上が過ぎ、はっきりした記憶が薄れてしまっているのであろうか。あるいは同時期に同じ神田で「古代赤米」にも新種が発生していることから、記憶に混乱が生じたのか。発見者は「育種を勉強していれば、克明に記録を取っていたのだが……」と悔やんでいる。
 ともかく「2株」問題は「コシヒカリの突然変異といえるのか。ひょっとして他品種の種が混じったのではないか」という疑いを募らせることになった。(右の写真は平成10年に台風一過の長野県で撮影されたものです。手前はコシヒカリで、べったりと倒伏しています。向こう側で平然と直立しているのがイセヒカリです。まだ青々としています=財団法人オイスカ提供)

 「黄金晴(こがねばれ)によく似ている」という指摘もあった。黄金晴は中部、近畿、高知、北部九州で栽培される品種だが、「草状や耐倒伏性、出穂期、成熟期、収量性などが似ている」というのだ。気の早い人は「イセヒカリは新種と考えるのは誤りではないか。黄金晴の混入ではないか」と疑った。
 しかし、平成9年に神宮から種籾が各地の神社に下賜され、全国展開することになって以後、現在では栽培面積が把握できないほど広がっているというのに、「あの稲は黄金晴ではないか」というような農家からの指摘は聞かれない。それどころか、「長門一の宮」住吉神社(山口県下関市)の御田植祭の苗づくりを長年、奉仕してきた山口県長門市の宮本孟氏などは「いままでで一番いい品種」と折り紙をつける。従来にない画期的な品種であることを「米作り名人」たちは素直に認めているのだ。
 黄金晴とイセヒカリは形態的にも生理学的にも明確に違う。栽培者によれば、「黄金晴は茎が粗剛で太い」のだが、「イセヒカリは女性的でしなやか。全体的には小振り」である。また黄金晴は秋になると、葉が白く変色するけれども、イセヒカリの葉はいつまでも青々としていて、しかも穂が見事な黄金色になる。さらに黄金晴には白葉枯れが出るが、イセヒカリは違う。
 アミロースの含量も異なる。米のデンプンにはブドウ糖分子が直線状につながったアミロースと枝状につながったアミロペクチンの2種類があり、前者はパサパサ感、後者はモチのネバネバ感のもとになっているのだが、イセヒカリはアミロース含量の高い硬質米である。黄金晴とイセヒカリのアミロース含量の有意差は田んぼの違いぐらいでは揺るがないという。
イセヒカリと黄金晴 神宮神田では、両品種が隣り合わせで植えられていたこともある。「栽培のプロ」が同一の品種を別品種として何年間も作り続けるなどということは到底あり得ない。(左は平成8年夏に、ある県の農業試験場で撮影された写真です。中央やや手前がイセヒカリ、その奥が黄金晴です。色が違うのが分かります=森晋氏提供。また冒頭の写真は収穫期のイセヒカリですが、農家の人たちを魅了するほど穂は見事な黄金色で十分、熟しているのに、なおかつ葉がまだ青々として、旺盛な生命力を保っているのがお分かりいただけるかと思います。黄金晴ではこうはならないのです。明らかに別品種であることが理解できます。)

 そうはいっても、公的な育種機関の選抜によらず、「民間」で「偶然」に生まれ、品種登録もされないイセヒカリを公的機関などが一顧だにしないという厳しい現実のなかで、謎は謎のまま放置されてきた。
 こうして佐藤氏のDNA分析は、イセヒカリ発生の謎に迫ることにもなった。

 「美味しいお米ですね
 電話の向こうから聞こえてきた佐藤氏の感に入ったような嘆声を、筆者は忘れることができない。
 「新しいお米をいただくと生卵をかけて食べてみるんです。これが一番よく分かる。軟質米のある品種などはベチャっとして食べられない。イセヒカリはシャキっとしている。あんな変わった米、はじめて見ました」
 「大神の稲」の美味が研究者の探求心を揺り動かしたのであろうか。DNA分析は平成11年春に始まった。イセヒカリはコシヒカリの突然変異なのか、栽培環境の違いで見かけ上、異なる品種のように見えるのかどうかの確認が当面の目的である。

 まず、サンプルとなる品種の種籾を発芽させ、苗が作られた。次に各品種の葉を乳鉢ですりつぶし、特殊な試薬を加え、DNAが抽出される。
 稲の細胞には、遺伝形質を伝える染色体(DNA)が12対ある。DNAは4種類の塩基(化合物)が結合したもので、二重らせん状にからまり合っている。この塩基の配列が遺伝現象の核心で、各DNAが鋳型となってコピーを作り、遺伝情報を次世代に伝えていくのである。
 試薬を加えるとDNAの配列パターンが増幅され、何千、何万通りものパターンが所・番地で表示されて比較できるようになる。

 佐藤氏の分析では、「一番地(RM1)」のDNAパターンが抽出され、比較されることになった。
 板状の寒天の上に並べられた「一番地」のDNAに100ボルトの電気を30分かける。すると、DNAが板の上をゆっくりと移動していく。そのあと特殊な方法で寒天の板を着色し、下から紫外線を当てると、バーコードのような文様がピンク色に浮かび上がる。電気泳動写真
 「電気泳動」とよばれるこの方法で実験した結果が右の写真(佐藤洋一郎氏提供)である。左から2番目がイセヒカリ、4番目がコシヒカリだが、実験結果を見て、佐藤氏は思わず、「ああ、違う、違う」と声をあげたという。

 電気をかけられたDNAのパターンは上から下へと移動するのだが、配列パターンの長さ、つまりパターンを構成している塩基の数の多少によって、移動速度が微妙に異なる。同じ「一番地」ながらコシヒカリの方が大きく、移動速度は遅い。そのためイセヒカリより少し上の方にとどまっているのが分かる。
 「一番地」のDNAパターンは稲のDNA全体の何十万分の一という、ごく一部分でしかない。したがって、もしイセヒカリがコシヒカリの突然変異だとして、この「一番地」という特定のDNAパターンだけが変化したとすれば、その確率は何十万分の一であって、「ほとんど無視していい確率」ということになる。
 イセヒカリはコシヒカリとは別の品種であり、新しい品種であることがこうして証明されたのである。

 それならばイセヒカリはどのようにして生まれたのか。
 佐藤氏の推理では、「コシヒカリが他家受粉して生まれた」とする。コシヒカリの雌しべに他品種の花粉が飛んできて受粉し、実を結んだのではないかというのだ。
 母親はコシヒカリだとして、父親となった品種は何か。佐藤氏の関心は「父親探し」に移っている。

 母親のコシヒカリと父親の品種が他家受粉するためには、出穂・開花の時期が重なっていなければならない。ひとつの品種の開花期は約1週間。したがって自然交雑するには前後2週間の幅があれば十分可能だ。
 また稲の花粉は数百メートル飛ぶことが分かっている。数百メート離れた水田で作られていた品種も、開花期が重なれば、「父親候補」の可能性がある。
 となると、昭和63年の夏、神田に植えられていた日本晴、ヤマヒカリ、チヨニシキなど10品種あまりのうち、ほとんどすべてが父親となり得るが、注目されるのは「イセヒカリには熱帯ジャポニカの遺伝子が確実に含まれている」という佐藤氏の指摘である。それはイセヒカリの味に端的に現れている。

 美味しいお米には2種類がある。ひとつはコシヒカリに代表される低アミロース米で、モチモチとした柔らかさが特徴である。もうひとつは淡泊で歯ごたえのある大粒の米で、かつては旭、日の丸などの品種が知られていたという。
 このふたつの嗜好には地域性があるのが面白いところで、前者は東日本で好まれ、後者はおもに西日本で好まれてきた。後者をいまほとんど見かけなくなったのは「ササ・コシ」神話であり、「国策」らしい。育種から種子生産、販売までを公的機関が握り、画一化された農業政策のなかで駆逐されてしまったのだ。
子供たちの稲刈り この失われた幻の味覚ががイセヒカリの美味であり、熱帯ジャポニカの遺伝子によるものだという。

 神宮神田で植えられている熱帯ジャポニカの遺伝子をもつ品種、それこそがイセヒカリの父親候補ということになるのだが、それは何だろう。あまりにも恐ろしいことで、軽々にいうべきことではないのだが、有力候補のひとつとして浮かび上がってくるのは瑞垣(みずがき)である。
 瑞垣は、昭和天皇の御即位の直後で、第58回式年遷宮の翌年、昭和5年秋に伊勢神宮の瑞垣内で発見された「霊稲」である。20年に一度の大神様のお引っ越しが終わった旧御正殿の軒下、こぶし大の白石が幾重にも敷き詰められた神域に1茎の稲が発生し、いまにも30粒ほどの籾が稔ろうとしていたという。ふつうにはあり得ないことで、古来、「お蔭詣りの年」とされる遷宮の翌年に現れた「聖代の瑞兆」だというので、「瑞垣」と命名され、神宮の広報誌の名前の由来ともなっている。以来、今日まで「門外不出の稲」として、御饌料田だけで大切に育てられてきた。
 昭和の御代替わりに生まれたこの瑞垣を父親として、今度は平成の御代替わりにイセヒカリが生まれたのだとしたら、そこに示された大神のくすしき神業にはまったく絶句せざるをえないのだが……。

追伸 この記事は神社界の専門紙「神社新報」平成11年12月6日号に掲載された拙文「『イセヒカリは間違いなく新品種です』−−遺伝学者佐藤洋一郎が迫る『発生の神秘』」に若干の修正を加えたものです。
 記事のなかで「突然変異だとすれば、昭和63年に変異が発生し、秋に種となり、翌平成元年に苗として植えられ、秋に姿を現した」と書きましたが、「昭和62年に変異が発生したことも考えられるのではないか」という指摘もあります。「昭和62年に変異が発生し、翌63年に植えられたが、遺伝の法則に従って同年秋の段階では新品種としての形質は現れず、翌平成元年になって目に見える形となって現れた」という見方です。この推理からすれば、「2株」でも何ら不思議でない、ということになります。しかし、「平成2年に試験栽培を試みたとき、一粒ずつ種を蒔いて苗を作り、本田に1本植えで苗を移植したとき、100株、2列分になった」という森氏の証言からすると、最初に発生したイセヒカリは「2株」ではなく「1株」だったのではないかと考えるのが妥当であり、何かが起こったのは昭和63年から平成元年、まさに平成の御代替わりである、と見て間違いないのではないかと思います。
 けれども、イセヒカリが新品種であるにしても、また突然変異ではないとして、神宮神田でいったい何が起きたのか、「驚異の稲」イセヒカリ発生に関する謎はまだ謎のままです。佐藤先生の遺伝子分析に期待したいと思います。


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