神宮神田

伊勢神宮「神田」で誕生した

「驚異の稲」イセヒカリ

斎藤吉久

Saito Yoshihisa

 日本最古の歴史書である『日本書紀』は、皇室の祖神・天照大神(あまてらすおおかみ)が天孫降臨に際して、
 「わが高天原にある斎庭(ゆにわ)の稲穂をわが子に与えなさい」
 と命じられた、と書いている。天孫降臨はわが国の稲作の始まりでもある。
 この「斎庭の稲穂の神勅(しんちょく)」さながらに、平成の御代替わりと時を合わせて、天照大神をまつる伊勢神宮(三重県伊勢市)の神田(しんでん)で「驚異の稲」が「突然変異」で誕生した。味がコシヒカリ以上に抜群で、反収は何と10俵を超えるというから、ただごとではない。

 平成元年の秋、伊勢地方を台風が二度も襲った。神田のコシヒカリは無惨にもべったりと倒伏した。倒れやすいのがコシヒカリの最大の欠点である。
 ところが、水田中央に直立する稲株があった。稈(かん)が太く短い。しかも成熟するにしたがって、見事な黄金色になった。コシヒカリのくすんだ色とは違う。神田の管理責任者・森晋氏(当時、写真左下)は次年度から試験栽培を試みる。
 「驚異の稲」であることを知るのは、山口県農業試験場の元場長・岩瀬平氏との出会いからである。岩瀬氏は2年春、学徒出陣以来という伊勢参宮のおりに神田に足を運ぶ。育ての親同士の運命の出会いであった。

 6年秋、岩瀬氏の自宅に大きな段ボール箱が送られてきた。根つきの稲株5株と玄米、それに森氏の手紙が添えられていた。
 「評価をお願いしたい」
 後輩の内田敏夫・元農試場長がやってきた。
 「この稲は見事に作られていますな」
 県内随一の稲の専門家は感嘆の声をあげた。穂長が20.9センチ、第一節間長の半分以上もあった。森晋氏
 詳しい検査のため、内田氏は1株を持ち帰った。予想もしない結果が現れた。ニレコ食味計は食味値79を示したのだ。70以上が県の奨励品種だから、はるかに高い。何度計り直しても同じ値が出た。1穂あたり籾数は109、玄米千粒重は21.3グラム。反収を推算すると、軽く10俵を超える。
 内田氏も岩瀬氏も、そして森氏も驚いた。とくに森氏にとって、食味の良さは「神田でとれる米は、神様に差し上げる米なので、食べることができない」から衝撃であった。

 翌7年、岩瀬氏らは圃場栽培を試みる。長門一の宮・住吉神社(下関市)の御田植祭の苗づくりを30年以上、奉仕してきた宮本孟氏(長門市)ほか3人の米作り名人が選ばれた。
 植え付けてみて驚いた。コシヒカリより10日以上も遅い中生(なかて)だった。水が落とされ、コシヒカリが刈り取られたあとも成熟し切らない。かたや水が落とされていない水田では、30センチもある稲穂が重く頭を垂れる。「栽培法をぜんぶ誤った」のに、1穂籾数は125。「100以下がふつう」というから、すごい。反収換算では籾で1トン、玄米で800キロ、じつに13俵に相当する。
 しかも食味値は、最高で87を記録した。
 「食味値が80以上になると人間には判別がつかない。食味は十分に保証できる」
 と岩瀬氏は太鼓判を押す。
 「絶対に倒れないから、機械化に対応する。この年はヤマホウシ、ヤマヒカリにイモチ病が発生したが、病気はでなかった。耐病性もありそうだ」

 8年1月、「驚異の稲」は「聖寿無窮を祈念し、皇大神宮御鎮座2000年を記念」して、伊勢神宮少宮司・酒井逸雄氏によって「イセヒカリ」と命名された。
 神宮ではこの年の秋の神嘗祭(かんなめさい)から神前に供され、逆にコシヒカリは神田から姿を消すことになった。
 同年4月、イセヒカリは宗教専門紙や一般全国紙に取り上げられ、一躍、脚光を浴びる。全国から問い合わせが殺到し、神宮は「門外不出」としてきた先例を改め、種籾の下賜(かし)を認めた。
 この年、神宮からは鹽竃(しおがま)神社(宮城県)、多賀大社(滋賀県)、鹿児島神宮(鹿児島県)など30県101社の神社に、山口県神社庁から県内69件、県外11件の種籾頒布(はんぷ)が行われた。
 岩瀬氏に真っ先に電話がかかってきたのは埼玉県秩父市の石原儀助氏からという。
 「お伊勢さんのお米を1粒でもいいから分けてほしい」
 翌9年の早春、神社庁から種籾が分譲されると、
 「神様にお仕えするつもりで作らせていただきます」
 その秋、氏神の聖神社に奉納されたのを食した総代一同はその美味に驚嘆した。それもそのはず、埼玉県農試が調べた食味値は県内最高の88を示していたという。
 米の食味を研究する山口農試の吉松敬祐氏は「神々しいお米」と評する。米所のコシヒカリを食べ慣れた消費者は、「炊きあがったとき、香り、艶、腰、甘みがある。こんな美味しい米は食べたことがない」「おかずが要らないお米」と絶賛する。農家は続々と自家用米をイセヒカリに切り替えている。

イセヒカリ田植え 岩瀬氏がまとめた9年度産のデータでは、反収500キロ以上が7割を超え、最高は福岡県赤池町の太田欣平氏の720キロ。食味値は80以上が4割、75以上が7割を超え、最高は山口市の兼村晴定氏の96であった。
 「コシヒカリ並に施肥を抑え気味にすれば、収量は平均反収そこそこだが、味はコシヒカリをしのぎ、施肥を増やせば味は日本晴並に下がるが、反収700キロが実現できる」ことも分かった。
 つまり、味を重視する稲作に対応できるばかりではなく、近い将来に予想される食糧危機にも対応できる。岩瀬氏は「いかようにも作れるスケールの大きい米」と表現する。
 9年はイモチ病が蔓延し、10年はウンカが大発生した。ところがイセヒカリはいずれにも強いことが証明された。栽培農家は無農薬で、防除らしい防除もせずに乗り越えている。
 10年産は9割が食味値80を超えた。最高は鹿児島県大口市の森山善友氏、何と103を示した。台風の被害に見舞われた関東では、コシヒカリやキヌヒカリは売り物にならないほど軒並み倒れたが、イセヒカリは王者のごとく直立して、不気味なほどだった」(埼玉県熊谷市、吉野森男氏)。

 11年2月中旬、山口県神社庁で開かれたイセヒカリ栽培者の交流研究会で、元山口農試次長の森野収氏は、「現状では最高の米」と折り紙をつけた。
 「休耕田にコーヒー滓(かす)を敷き入れ、翌年、イセヒカリを植えれば、無肥料で14俵がとれる」
 また、「直播きで反収9俵、食味値90を達成した」という福岡県赤池町の太田五郎氏の発表もあり、省力化が実現できることも知らされた。

 しかし、イセヒカリが公の市場に流通する見通しはない。登録品種でも奨励品種でもないため、原種の保存も種籾の生産も公的機関はいっさい関与しない。農協も正規には扱わない、公的には作れない、売れない、買えない「幻の米」なのである。
 西日本のある農業試験場では、栽培試験で驚くべき高い評価が現れたとも伝え聞かれるが、県は「さわらぬ神に……」で「見ざる、聞かざる、言わざる」を決め込んでいるという。

 それでも、イセヒカリは各地の神社の神饌田(しんせんでん)と篤農家を核にして、いまでは栽培農家の数が把握できないほど、着実に広がっている。イセヒカリの稲刈り
 三重県JA伊勢は10年秋、ついに店頭売りをはじめた。価格は無名の銘柄ながらコシヒカリ並の10キロ5200円。山口県内でも「扱わせてもらえないか」という小売業者が現れた。
 岩瀬氏は「タンパク含量が低いから酒米に適している。何とも端麗ないい酒ができる。ワラ重が多いのは、めったに口にできないが、飼料米としての用途利用も考えられ、将来の生産調整に対応できる」と語り、さらにこう断言する。
 「政府は米の関税化を決めたが、“売るべき米”を持たない山口県の稲作は7年後、関税が50円下がれば、アメリカ米に対抗できなくなる。そのとき生き残れるのは、いまは売れないイセヒカリだけだ」
 日本の稲作の危機の時代に、稲作信仰の中心である伊勢神宮で生まれたイセヒカリ−−。伊勢の大神は日本民族に何を語りかけようとしているのか。

追伸 この記事は、総合情報誌「選択」(選択出版)平成11年3月号に掲載された拙文「伊勢神宮『神田』で『驚異の稲』誕生−−コシヒカリまっ青だから出まわらない」を若干、修正したものです。


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