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 「奇怪」クリスマス・イベントの花盛り

斎藤吉久

Saito Yoshihisa

 昨年の暮れもまた、全国各地の公共施設や商業施設、高級住宅街などで、まばゆいばかりに色鮮やかな電飾に飾られた、華やかなクリスマス・イベントが、私たちの目を楽しませてくれました。

 東京・丸の内には、数百メートルの公道に「光の回廊」TOKYOミレナリオが出現し、のべ200万人ともいわれる来場者に感激を与えました。新宿駅南口のタイムズスクエアでは、数十万個の電飾で飾られた豪華なイルミネーションが恋人たちを誘いました。

 これらのイベントは、明確に「クリスマス」と銘打ったものも少なくありません。クリスマスはもともと「キリストのミサ」を意味します。イエス・キリストの降誕を祝うキリスト教の祝祭であることはいうまでもありません。キリスト者が175万人余り(文化庁編「宗教年鑑」平成12年版)しかいない非キリスト教国で、これほど盛大に、ほとんど国民をあげてお祝いするような国は、おそらく日本のほかにはないでしょう。いったいこれは何でしょう。キリスト教文化の習俗化でしょうか。キリスト教が土着化したと理解すべきなのでしょうか。

 しかも他方では、日本伝統の習俗である、新年の門出をことほぐ門松を、公共の場ではめったに見かけなってしまいました。これは伝統的宗教心の衰退なのでしょうか。日本社会がキリスト教化したということなのでしょうか。

☆主催者もキリスト者も「クリスマスではない」★

 興味深いことに、クリスマス・イベントの主催者たちは、イベントの宗教性を真っ向から否定します。

 たとえば、埼玉県が所有する「さいたま新都心」の「けやき広場」に設置された「クリスマス・イルミネーション」−−。高さ9メートルのクリスマス・ツリーも登場し、イブをはさんでアカペラ・コンサートがツリーを囲んで開催されました。

 これは宗教的なクリスマス行事以外のなにものでもない、と思われるのですが、イベントの主催者側は、「あまりおカネをかけられない状況で、少しでも集客率を高めたいと考えました。一般客を商業施設に呼び込もうというのが趣旨です」と説明しています。「宗教的な意味合いはまったくない」というのです。shintoshin6

 キリスト教本来の「クリスマス」とは似て非なるものと考えるのは、キリスト者たちも同様です。

 日本のプロテスタント界の有力者として知られる、ある牧師は、「キリスト者にとって、クリスマスはもっとも重要な宗教行事です」と前置きしたうえで、こうした現象は「クリスマスの商品化」だ、ときっぱりと批判しています。

 「クリスマスが商品化され、商業主義に流されている傾向は、日本だけでなく、世界的に見られますが、われわれは、商業化されたお祭り騒ぎにくみせず、信仰の原点を守ろう、と信徒たちに呼びかけています。キリスト教は本来的に信仰告白的な信仰であって、信仰告白が伴わなければ、キリスト教の信仰とはいえません」

 主催者も、キリスト者たちも、「クリスマス・イベント」は「クリスマス」ではない、といい切っているのです。

 だとすれば、「クリスマス」期間中に開かれ、「クリスマス」の名前を冠し、「クリスマス・ツリー」を飾り、「クリスマス・キャロル」が歌われ、ときには聖職者さえ登場する「クリスマス・イベント」とは、いったい何なのでしょうか。

☆クリスマスの由来は古代ヨーロッパの冬至祭★

 クリスマスは、古代ヨーロッパの冬至の祭りに由来する、といわれます。

 早稲田大学名誉教授・植田重雄氏(宗教現象学)の『ヨーロッパの祭と伝承』によると、キリスト教徒がキリストの誕生を祝うようになったのはだいぶ後のことだそうです。イエス・キリストの生誕は紀元前4年といわれますが、キリストの死後、初期キリスト教団が成立し、彼らが迫害のなかで祝ったのは「キリスト復活の日曜日」であって、キリスト生誕が祝われることはなかったのです。

 第一、キリストの誕生が「12月25日」であるとは、聖書のどこにも書かれていません。しかし、教勢が拡大し、キリスト教徒がキリスト誕生を祝うようになると、創世記に人間(アダムとエバ)の創造が「第6日目」と記述してあることから、「1月6日」が「新しいアダム」すなはちキリスト(救世主)の誕生日と認められました。現在でもギリシャ正教会では「1月6日」がキリスト生誕の日とされているそうです。

 「1月6日」から「12月25日」に変更されたのは、ローマの反教皇派ヒポリュトス・スキスマが猛反対したのがきっかけでした。スキスマは万神殿をも建てた、当時の国家宗教の祭日に対抗しようとして、217年12月25日にキリスト誕生の祭りを祝ったのです。

shintoshin7 「12月25日」は、ローマの古い暦によれば「冬至の日」であり、そのころローマ帝国内で大きな教勢を誇っていたミトラ宗教の神で、太陽神であるミトラの誕生を祝う重要な祭日でした。ミトラはもともとは古代インドの光の神だったのですが、イラン、パレスチナ、メソポタミアへと急速に広がり、ローマの国家宗教にまでのし上がろうという勢ひでした。

 この「ミトラ誕生の祭日」を、キリスト教徒が「キリスト誕生の祭日」と定め直すことによって、両者の宗教紛争が火を噴きます。その後、キリスト教がミトラ宗教を制してローマ国教の地位を掌握し、キリストは「世の光」「義の太陽」として宣言されるようになるのです。

 古代において、冬至の日は暦のなかでとくに重要な、一年の起点となる日でした。光を弱めた太陽が、この日を境に、ふたたび生命力を回復させていく神秘に、古代人は神を感得し、「無敵の太陽」を称える太陽崇拝が地中海文明に広がっていたのですが、古代キリスト教の指導者は、この冬至の日を、「キリスト生誕を祝うのにもっともふさわしい日」と考えました。クリスマスが「12月25日」に定められたのは、381年のコンスタンチノープル第二公会議でのことだといわれます。

 植田氏の『ヨーロッパの神と祭』によれば、中部ヨーロッパで祝われるクリスマスのミサでは、キリストの誕生と救いの喜びが、ロウソクの火で闇を照らす、という光の演出によって表現されるといいます。

 「天使の告知ミサ」が24日夜11時、「羊飼いのミサ」が翌25日朝6時、もっとも盛大な「荘厳ミサ」が25日午前10時に執り行われます。讃美歌やグロリアが歌われ、「ハレルヤの叫び」が教会堂に鳴り響きます。ツリーや燭台のロウソクが次々に点火され、信徒のロウソクにも火が移されます。光が会堂を埋め尽くすと、信徒は互いに手を握り合い、「クリスマスおめでとう」「良いクリスマスを」と言葉を交わします。コーラス隊の合唱はいちだんと高く教会堂に響き渡るのです。

 このようにロウソクに火をともし、闇に光を与えて、幼子の誕生を祝うクリスマスのミサは、まさに「火と光の祭り」なのです。それはイメージとして、間違いなく古代の冬至の祭りと重なっています。

☆日欧のイベントの共通性−−罪穢を祓う日本の冬至祭り★

 植田氏が書いているように、キリスト教の教会暦では、「12月25日」は新年の最初の日とされています。太陽が生まれ変わる冬至が、「年の初め」、年初と考えられたからです。

 冬至の日を年が改まる節目と考えるヨーロッパ人の感性は、私たち日本人の自然観と共通しています。実際、ヨーロッパの祭りと類似する火と光をモチーフとした冬至の祭りが日本にもあります。

 たとえば、クリスマス・イベントが開かれる「さいたま新都心」にほど近い一山神社(さいたま市本町東)では、冬至の日に「柚子祭り」と称される、有名な火祭りが斎行される。yuzu_matsuri1

 祭り当日の午後、ボクが訪ねたとき、境内は近郷近在から集まった200人もの崇敬者で立錐の余地もありませんでした。

 社殿での神事が終わり、火渡りが始まりました。斎場には、松薪や檜葉などがうずたかく積み上げられ、大幣が立てられています。宮司が神前から移した神火をともすと、あっという間にもうもうたる煙があたりを覆い尽くし、視界がまったく利かなくなります。

 次の瞬間、目前に数メートルの火柱が現れました。その周りを、竹の大麻を手にした十数人の「祓う人」が、祓い清めながら何度も周囲をめぐります。やがて火勢が衰えると、塩をまいて火を鎮め、おき火の上を宮司を先頭に、崇敬者が無病息災などを願いながら次々に火渡りをします。

 そのあと神社の焼き印が押された柚子や神札などを受け取って、参詣者たちは家路につきました。

 新藤英明宮司はこう語ります。

 「宣伝をしているわけでもありませんが、たくさんの人が厄祓いにと来てくれます。消防署も協力的で、どんどん燃してくれ、というんです。『祓う人』も熱心で、きちんと作法を覚えてくれる」

 人々はなぜ、それほどまでに冬至の祭りに熱心なのでしょうか。

 新藤氏は、祭りの意義について、「一年の罪穢を祓う意味がある」と説明します。冬至を一年の区切りと考え、太陽の生と死のサイクルに合わせて、人間の生命の再生を祈願する宗教的感性が火祭りとして息づいているのです。

 とすれば、もしかして目と鼻の先の新都心でのクリスマス・イベントは、現代の日本人にとって、精神の深層のレベルでは、キリスト教のクリスマスではなく、冬至の祭りとして意識されているのではないでしょうか。

 「斎藤さんと同じことを考えていました」と語るのは、国学院大学日本文化研究所助教授の茂木栄氏(民俗学)です。

 茂木氏はとくに住宅街でのイルミネーションに注目します。

 「これはバブル期にはなかった現象です。長引く不況で、少しでも身の回りを明るくしたい、という気持ちがあるのではないでしょうか。
 うちの近所でも、以前は安売りのランプを町内で配りました。クリスマスをきっかけに、住宅街を飾り、明るくしようという意識が現れているように思います。地域の連帯も生まれています。
 それと、チカチカさせていると、よその人が見に来るんです。クリスマスといえば、以前は家の中での行事でしたが、いまは外に見せるようになりました。アメリカ的っていうんでしょうか」yuzu_matsuri2

 そのうえで、茂木氏は「商業主義」といふ見方を否定します。

 「商業施設だけでなく住宅街でも盛んなのだから、商業主義とは必ずしもいえません。
 無意識のうちに、冬至の祭りの宗教的感性が現れているのかも知れませんね。出羽三山神社など、全国各地で行われる修験の湯立て神事は、生命の再生を願う冬至の祭りなんです」

 クリスマス・イベントが催された「さいたま新都心」の「けやき広場」では、クリスマスの翌日にはツリーが撤去され、代はって小さな紙に印刷された門松がそこかしこに飾られていました。

 イルミネーションの華やかさに比べて、紙の印刷とは何とも味気ないことですが、クリスマスと日本の伝統の年越しが完全に連続しているのは確かです。

追伸 この記事は、「神社新報」平成13年1月15日号に掲載された拙文「世紀越えのイベントを考える」に若干の修正を加えたものです。

 それにしても、最近のクリスマス・イベント大流行は、とくに公的機関が関わる場合は、ちとやりすぎといえませんか。

 文中に登場する「けやき広場」は、さいたま新都心の中心施設「さいたまスーパーアリーナ」と同様に、埼玉県が所有する県の施設です。公共の施設を会場にして、本来、キリスト教の宗教行事である「クリスマス・イベント」を開催することは、憲法が定める「政教分離原則」に抵触しないのでしょうか。

 愛媛県が靖国神社の例大祭に玉串料として公費(合計で16万6000円)を支出したことなどの合法性が争われた「愛媛玉串料訴訟」の場合、「公金支出行為などにおける国家と宗教との関わり合いが相当限度を超える」と判断され、県側は敗訴となりました。

 それなら、さいたま新都心のクリスマス・イベントはどうでしょうか。

 「けやき広場」でのイベントの支出については「公表」されていませんが、「広場」を管理運営する株式会社さいたまアリーナの資本金は4億9500万円で、うち埼玉県、浦和市、大宮市、与野市(三市は昨年合併し、「さいたま市」となった)が36%を出資し、残りは民間企業14社が出資しています。株式会社とはいえ、公共性の強い企業体が「宗教行事」を行っているのです。

yuzu_matsuri3 政教分離問題に厳しい態度を示してきたのはほかならぬキリスト者ですが、この「さいたま新都心」でのケースのやうに、公共施設で半官半民の組織がキリスト教の宗教行事を催すことについて、どう考えているのでしょうか。「信教の自由」「政教分離」の原則を侵すことにはならないのか、「クリスマス・イベントはクリスマスではない」と突っぱねればすむ、というものではないでしょう。日本のクリスマスといえば、従来はキリストのいない、もっぱらサンタクロースが主役のクリスマスでしたが、最近は堂々と聖職者が登場しています。確実に「宗教性」を増しているのです。

 こうした疑問に対して、本文にも登場したプロテスタントの牧師は、こう答えています。

 「キリスト者が問題にしてきたのは、靖国神社や護国神社と国家との関わりであり、実際、裁判でも争ってきました。けれども、逆にクリスマス・イベントなどキリスト教と国家との関わりについて議論したことはありません。ひょっとしたら曖昧にしてきたのかも知れません。ただ、違法性が問われるやうなケースについては、具体的事例のなかで考えなければなりません」

 この牧師はあくまで「少数者の宗教的権利の保護」を訴えるのですが、皆さんはどうお考えですか。「さいたま新都心」では、クリスマス・イルミネーションの華やかさに対して、紙に印刷された門松はまことにおどろくほど貧相です。この落差をどうお考えになりますか。他者の批判はするが、みずからの反省はない、というようなキリスト者の態度は、やはり問題だといわざるを得ないのではないでしょうか。

 最後になりましたが、文中に登場する一山神社の新藤宮司さんは昨年、鬼籍の人となりました。
 じつに温厚な、いい方でした。取材のときに聞いた「お宮は村のものです」という宮司さんの言葉が、ボクにはとくに印象的でした。古来、地域共同体の共有物であったはずの神社やお寺が、戦後の宗教法人法によってかえってねじ曲げられ、ときには「宗教法人の役員」というような一部の人たちによって私物化されている、というきびしい批判も聞かれる昨今の実態を思うとき、宮司さんの素直な、素朴な感慨は新鮮に心にしみるのでした。
 あらためてご冥福をお祈り申し上げます。

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