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最終更新日 2008年 1月 9日 (since 2003.4.1) |
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252「ブログ開設のお知らせ」(1月 9日)**********************************************
今日はお知らせです。ちょうど1ヶ月前の先月9日に掲載した『言わせて頂戴』の記事「ブ
ログを始めてみたくなったけど・・・」以後予告していましたブログですが、このたび無事開設
しました。ブログが軌道に乗るまで様子を見たかったので、今まで公表を差し控えておりまし
たが、本年の元日から記事の投稿を始めました。今後は『日記とお知らせ』に掲載すべき記
事は全てブログに掲載しますので、よろしくお願いします。なお、ブログのタイトルは『かたつ
むりな日々』となっています。また文中では、筆者である私は「麻衣まい」になっています。
もちろん「菅ちゃん」と同一人物ですが、「菅ちゃん」とは書きませんのでご注意下さい。この
事情につきましてはブログ内の1月2日・1月3日の記事に説明してあります。また、『菅ちゃ
んの呟き』内にあるバナーにつきましては『日記とお知らせ』をクリックしますと「2007年以
前」と「2008年以後」に分かれています。前者は昨年末までに掲載した過去の記事を読む
ことができます。後者をクリックしますと直接『かたつむりな日々』に移動します。
251「年頭につきご挨拶申し上げます」(2008年1月 2日)*******************************
新年明けましておめでとうございます。旧年中は『菅ちゃんの呟き』にアクセスしてご愛読
下さいましてありがとうございました。年頭に当たり簡単ではございますが、各コーナーにつ
いて今年の予定をお知らせします。
『教えて頂戴』『言わせて頂戴』
旧年中はおかげさまでそれぞれ50回更新し、現時点で250回に達しました。本年も基本
的に毎週1回の更新ペースを維持し、年内には300回の大台に乗せる予定です。
『日記とお知らせ』
近日中に新規に開設するブログへ移行いたします。詳しくは『日記とお知らせ』にて後日
連絡します。また、ブログの開設後、皆様に告知を要する新たな「お知らせ」に関しまして
も、新設のブログの記事に書く予定でおります。ブログでは単に一週間に起きた出来事を
毎週1回ずつ書くのではなく、『言わせて頂戴』のミニチュア版ともいえる、まさに『菅ちゃん
の呟き』の「呟き」にぴったりするような極めて私的な記事も随時掲載します。なお、『菅ち
ゃんの呟き』内にあるバナーそのものには変更はありません。ブログを開設した時点で、
『日記とお知らせ』のバナーをクリックした瞬間に新設のブログへジャンプする設定にしま
すので、お読みになる際は従来どおり『日記とお知らせ』のバナーをクリックしてお入り下
さい。
『こてんこてん』
主として今年は問題集の執筆を進めてまいりましたが、個々の文法事項についての出
題は昨年12月26日掲載分(第45回 感動詞・連体詞・接続詞)をもちまして終りました。
来年の更新になる第46回からはいわゆる総合問題にし、まとまりのある文章を題材に
出題します。なお、第50回をもちまして最終とします。従って、3月末には完成します。そ
の後は既述事項の加除訂正を若干行ない擱筆とする予定です。ご期待下さい。
本年も『菅ちゃんの呟き』をよろしくお願い申し上げます。
250「一年の最後に生徒からのクリスマスプレゼント」(12月26日)************************
試験も成績処理も終り、冬季休業に入って間もない12月23日、吹奏楽部がクリスマスコ
ンサートを催してくれた。天気は前日とうってかわって晴れはしたものの、最低気温が5℃と
いう非常に寒い日であった。おまけに会場は体育館である。暖房がなければ、寒くて聴いて
いられないだろう。しかし、それにもかかわらず大勢のお客さんが訪れ、用意した座席はす
べて埋まるという盛況ぶりであった。在校生や職員ももちろん聴きに来てはいたが、外部か
らの来校者が圧倒的に多く、本校の吹奏楽部に対する知名度の高さに驚かずにはいられ
ない。
演奏もすばらしかった。オープニング曲は1年生の部員のみによる演奏(指揮者も1年生
部員)、2曲目以降は全部員による演奏である。難易度が高い曲にもかかわらず次々と聴
かせてくれた。日頃職員室で仕事をしていると、次回のコンサートに向けて練習する楽曲
が聞こえてくるのだが、今回はあまり聞かなかった。だから「いつ練習したのだろう」と思っ
たくらいである。最後の第3部ではクリスマスにちなんで体育館の舞台を使っての寸劇を交
えながらクリスマスに関係のある曲目を披露してくれた。部員は全員サンタクロースの赤い
服を纏って現れ、最後には客席の一人ひとりに飴をプレゼントするという、なかなか粋な企
画であった。会場には小中学生も少なからずいたから喜んでいただけたことだろう。休憩
時間を含めて開演から2時間30分。私も本当に素晴らしい時空を過ごすことができた。2
日ほど早かったものの生徒からの最高のクリスマスプレゼントをいただいた気分である。
249「ブログの開設準備中」(12月19日)**********************************************
後期中間試験の成績処理が終わって、とりあえず多忙な日々からは解放された。年度末
に実施される次の試験に向けての授業は勿論始まっている。だが冬休みの課題を用意す
ることを除くと、差しあたって年内はこれといった仕事がない。何となく緊張感がなくなり、今
までの疲れがどっと出たのだろう、ひどく倦怠感に襲われたので先週は火曜日・金曜日だ
け出勤し他の3日は休みをとった。だから数日は家でごろごろしていたのだが、その間に
エクスメディアという出版社から出された『超図解ビギナーズ・ブログを作ろう』を買って読
んだ。
教え子の開設したブログを読み始めたのを契機に「自分もブログを開設しよう!」と俄に
思い立ったのだが、はっきり言うと、ブログが”Web Log”の略で「日記」に相当するという
訳語以外、ブログの実際は何もかもわかっていなかった。だから最初は”Comment”もわ
からなかった。何かの事件に関して有名な評論家のコメントが載っているのかなと思ったぐ
らいである。何が書いてあるのだろうと恐る恐るクリックしたら、そのブログの作成者の友
人が書いたものと思われる文章が書かれてあって、「ああ、生徒が言っていたのはこれの
ことか」と思ったぐらいである。こんな有様だったから”Trackback”もわからない。トラック
が戻ってくる?それでは意味不明だ。ましてや「アフィリエイト」に至ってはなおさらわからな
い。話によると企業から報酬がもらえるらしいが、そのお金は勝手に口座に振り込まれる
のだろうか。それとも社員が現金を持って家までやって来るのだろうか?でも、これは副業
を禁止した地方公務員法に抵触するのでは?書店に陳列してあるブログの解説本には「ブ
ログは誰でも今すぐ始められます」と謳っているが、中身を立ち読みすればするほどなまじ
っかな知識で手を出すと痛い目に遭いそうな気がしたので、開設する前に一冊買ってしっか
り勉強することにしたのだ。というわけで、今は一人前の管理人になれる日が来ることを夢
見てブログの開設に必要な知識を仕入れているところだ。さて、いつになったら開設できる
かな?
248「自作問題の無失策記録が途絶えた」(12月12日)*********************************
いやぁ〜悔しい!悔やんでも悔やみきれないほど悔しい!野球で喩えると9回2死までこ
ぎつけて初めてヒットを打たれて完全試合を逃したくらいに悔しい。先週行なわれた後期中
間試験でのこと。いつものように、試験問題の作成者である私は、試験中の各教室へ訪れ
て生徒の質問などに応じる。実を言うと、この瞬間が最も心臓がドキドキする。自分では「絶
対に問題作成上のミスがないはずだ」と思っていても、じつはあったりするからだ。それでも
今までは試験監督の先生に問題用紙を渡すまでの間に、ミスを発見して対処してきた。紙
がムダになるのもお構いなく、わざわざ印刷をし直した事もあったが、とにかく事前に対処し
たので開始後に各教室を巡回して加除訂正をお詫びした経験はなかった。自分から言うの
も気が引けるが、全教科の中で最も出題ミスの件数が高いといわれる国語科という教科の
特性を考えると、これは誇るべき快挙といってもいいだろう。とにかく、初めて教壇に立った
年から試験の開始後に気づいたミスは一度たりともなかったのである。
しかし、今回ついにその無失策記録が途絶えてしまったのだ。4者択一の問題で選択肢
の記号を「ア」「イ」「ウ」「エ」としたつもりが、「ア」「イ」「イ」「エ」、なんと「イ」が2つもあるでは
ないか!しかも正解は正規の「イ」、つまり「ア」の左隣にある選択肢だ。まさか、こんなくだ
らんミスを犯しているとは夢にも思っていなかったから、試験中に指摘された私はすっかり
気が動転してしまった。「すみません、あの〜四の問13ですが、選択肢の中に『イ』が2つ
並んでいるので、後の方の『イ』を『ウ』に訂正して下さい。お願いします。」と言って各教室
を巡回し、その場はなんとか凌いだのだが、もはや時既に遅し。回収された答案用紙を見
ると、ほとんどの人が「イ」と解答していた。これでは「正解は正規の『イ』だ」と判断して「イ」
を記入したのか、それとも本来なら「ウ」になる選択肢を正解と判断して「イ」と記入したのか
がわからない。しかし、どちらにしろその思考過程を証明することはできないから、結局、す
べて正解にせざるを得ない。ああ・・・・・・。ついに生徒にはっきりわかる形で出題ミスを犯
してしまった。教員1年目から無失策記録が続いていたのに〜。悔しい!
247「ブログは私を眠らせない」(12月 5日)*******************************************
先週は全ての日で就寝時刻が午前3時を過ぎてしまった。平日の起床時刻は5時50分
だから、なんと月曜の夜から金曜の朝までの4日間で11時間程度しか寝ていないという、
不健康なこと極まりない1週間になってしまった。既に試験の問題もできているし、目下、早
急に処理しなければならない仕事など何一つない。試験が済めば今度は採点業務に追わ
れる。試験の準備に追われて疲れた身体を休めるには今しかない。そんなことは百も承知
だが、とても眠る気にはなれなかったのである。その理由はブログである。
先々週のある日、現在担当しているクラスの生徒の一人が自分の開設しているブログを
紹介し、「先生のことも書いたから見に来てね」と言ってくれたのである。その生徒とは帰り
の電車の中でも一緒になることもあり、他の生徒以上に会話をする機会が多い。次に会っ
たときには間違いなくブログの記事に関する話題が出るだろう。そう思ったので寝る前(通
常の就寝時刻は午前1時)にアクセスして読み始めてみたのである。目を通すこと数分も
経たずして自分のことが書かれている記事を発見した。実名ではなく「古典のS先生」(私
のイニシャルはS。今年は全ての担当クラスで古典を指導している。)となっていたが、これ
が私自身だということは文章の内容ですぐにわかった。自分のことが書かれてあると、なん
か背筋がぞくっとするものだ。さらに、この記事を読んだと思われる人がコメントを書き残し
ている。見るとそこにも「S先生」の文字が・・・。
この有様では、この生徒のブログ以外にもきっと自分のことが話題になっているに違いな
い。そこで私は、そのブログと相互リンクになっている他のブログへアクセスしてみた。もし
かしたら、どこかに「古典の先生、最悪!」などと書かれているかもしれない。まあ全ての生
徒から高く評価されるのは、あくまでもテレビドラマの『金八先生』の話。現実にはそんなこ
とはありえないわけで、「最悪」と批評されても仕方ないのだろうが、それでも自分のことが
どう評価されているのかは気になってしかたがなかった。これは個々人の性格だろう。「何
を書かれてもかまわない」と開き直れる人もいるが、「読まないと気になって夜も眠れない」
という人もいるのである。私は性格的に後者のタイプだ。
ブログの筆者はすべてハンドルネームになっているから、まずはどこのクラスの誰かを特
定しなければらない。そこで文化祭(これでクラスが判る)や部活動(これが筆者を特定で
きる資料になる)のことを書いた記事を読んで推理する。後者はともかく前者だけははっき
りさせないと、古典の授業の話題が出ていても自分のことを指しているのか他の古典担当
教員を指しているのかがわからなくなるからだ。だからまず何年何組の生徒かを特定する。
自分の担当クラスだとわかった後は、目を血眼のようにして「古」とか「S」とか「先」の字を
探す。だいたいテストの前後になると授業・試験や教員に関する記事が増えるという傾向
がわかったので、その辺の記事を中心に読み漁る。そうして何時間か経過すると「あー、も
う目が疲れてこれ以上は見ていられない。」という限界が訪れる。それが午前3時過ぎだっ
たのである。今のところ他の教員についての痛烈な批判は何件か目にしたものの、幸い自
分については妙なことは書かれていなかったので、とりあえずは安心した。しかし、その安
心と引き換えにしたのが睡眠不足。週の後半はいつぶっ倒れてもわからないほど身体が
ふらふらしていた。これでは今週はきっと風邪ひくだろうなぁ・・・。
246「世間は3連休だったが」(11月28日)********************************************
先週の金曜日が勤労感謝の日という祝日だった関係で、世間は3連休となった。しかし、
私は特にどこへも行かなかった。正確に言うとすべて出勤して仕事していたので遊びには
行けなかったのだ。理由は後期中間試験問題の作成に費やしたからである。読者のみな
さんは『それだけのために3日も要するのか』と思われるだろうが、以前、『言わせて頂戴』
の196〜199「テストを行なう負担は国語科が最大」でも記したが、たかだか50分の
試験問題ひとつ作るだけでも、国語は非常に時間がかかるものである。理由は『言わせて
頂戴』に詳述したのでここでは繰り返さないが、とにかく他のどの教科よりも緻密さを要求
される、大変な仕事であることだけは間違いない。そんなわけで前期の場合は中間試験を
5月のゴールデンウィーク中に、期末試験を夏季休業期間中に、後期の中間試験をだいた
い11月のこの時期に、たっぷり時間をかけて取り掛かる。だから、必然的にこれらの時期
にはどこへも行けないのだ。まあこの職業を続けていく限りは仕方ないのだろうが、3日間
とも絶好の行楽日和だっただけに、恨めしく思われてならななかった。まあ他人よりも早く
印刷も袋詰めを済ませて、今週は少しでもラクに過ごせるようにできたので、余裕ができた
だけマシといえばマシだが・・・・・・。
245「渋谷でネズミを見た」(11月21日)***********************************************
ある日の夕方のことである。いつもより早めに学校の勤務を終えて、私はかねてから欲し
かった国語学の専門書を入手するため東京の神保町に行った。神保町といえば古書街だ
が、そこまで足を伸ばすのは私の求める本が既に絶版になっていて通常の書店では手に
入らないためである。東急東横線で渋谷へ出て、そこから地下鉄半蔵門線で行くルートに
したのだが、乗換駅となった地下鉄の渋谷駅で生まれて初めてネズミを肉眼で見た。最初
はネズミだとは全く思わなかった。線路に黒っぽいものが見えたのでゴミが落ちているもの
と思っていた。しかし、それがちょろちょろと動いているではないか。さらに、それと同じよう
なものがホーム壁面の隙間から新たに数匹ほど線路に現れたので「何やろ?」思って眼を
凝らしたらネズミであった。色は濃灰色で体長15cm程度だった。ちゃんと長い尻尾がつい
ている。どうやらネズミたちは線路沿いにある排水溝に流れている水を求めているようだ。
ここは渋谷駅だから地上に出れば見渡す限り建築物はすべて鉄筋コンクリートのビルばか
り。そして建物が建っていない場所はアスファルトしかない。まさしくコンクリートの街としか
表現できない都心の駅だが、そんなところにもネズミが生息していることに少し驚いた。
244「手作りの映画がDVDになった」(11月14日)*************************************
237「映画のエキストラを体験」で書いたとおり、私はあるクラスの文化祭の出し物で、あ
る映画に出演したのだが、その映画がこのほどDVDになり、クラスの生徒と出演者の全員
に配布された。私は教室でいつも通りに授業をした後、映画製作では監督を務めた生徒か
ら受け取ったのだが、パッケージを見ただけで感動してしまった。上映したデジタル映像と
音声をDVDに焼くことだけでも大変な作業なのに、ホンモノの業者が制作したものと同じよ
うなパッケージに仕上がっていたからである。これが店頭に並んでいたら誰もが一流の映
画制作会社の作品と思うに違いない。早速持ち帰って自宅のパソコンで再生してみたのだ
が、映像も音声もクォリティの高いのには驚いた。一昔前のビデオでは決して視聴すること
のできないクォリティだ。これも一流の業者に勝るとも劣らないだろう。私は文化祭当日に
上映された映画も見たのだが、そのときには気づかなかった小さな物音までじつによく入っ
ている。その上映から1ヶ月半が経過し、改めて作品を見た。本編は34分と私が想像した
以上に短いのだが、DVDには特典映像として出演者のインタビューとNG集が入っていて、
まるで特典映像が主なのかと思われるほど盛りだくさんであった。そういえば文化祭の後
に生徒が職員室を訪れてインタビューを受けた。塾長の海外出張の関係でHPが休みに
入る少し前の出来事だったので『日記とお知らせ』には書かなかったのだが、そのとき「こ
の作品で最も感動したシーン」「今度はどんな役で出たいか」といった質問をされて私はカ
メラが回る前で話した。それも含めて今回DVDになったのである。生徒は脚本づくり・収
録・編集と何から何まで本当によく取り組み、最高の作品に仕上げてくれた。この場で改
めてそれを高く評価したい。そして何よりも、お金では買うことのできない一生の記念品を
受け取ることができて、心底から「この職業に就いて素晴らしい生徒と出会うことができて
良かった」と思った。
243「いよいよ冬支度」(11月 7日)**************************************************
しばらくご無沙汰している間に、関東地方では冬の始まりを思わせるような気温にまで下
がってきた。勤務先の学校ではまだストーブを使用していないのだが、仕事していて寒さを
感じることは多々あるので、職員室の自分の机の下に小型の電気ストーブを忍ばせて、先
月の下旬から使用を開始している。隣席の同僚が暑がりな人なので「俺のいるときはやめ
てくれ」と冗談まじりに言われることもあるのだが、寒いのは我慢できない。同時に、自宅の
部屋にも床いっぱいにカーペットを敷いた。冬季以外はベッドで寝ているのだが、11月か
ら3月末までの5ヶ月間はベッドは使用しない。カーペットに直接寝転び、その上から掛け
布団をかけ、電源を入れたまま寝る。これが最も暖かく一夜を過ごせるのだ。そして、通勤
時にスーツの上に着る冬用のコート・マフラー・手袋を洋服箪笥から出す。さらに電球とライ
ター(どちらも冷えた手指をすぐに暖めたいときに使う)を買い揃える。これらも冬に欠かせ
ないアイテムだ。
242「秋のバラが満開」(10月17日)*************************************************
昨年も同じ事を書いたが、今年も我が家のバラが満開になった。夏の終わりに全ての枝
を剪定したので、どの枝からも蕾を作って花を咲かせている。朝早くに出勤して夜は21時
過ぎに帰宅する日々なので、折角咲いていても出勤前の水やりのときにしか花を見る機会
がないのだが、それでも世話をしただけの甲斐はある。今年は2年目だけあってだいぶ幹
が太くしっかりしてきた。株の根元から新しい枝も2・3本ほど伸びてかなり背丈が高くなっ
た。もちろん翌年の1月には全体の2/3以上を剪定して思いっきり丈を短くするのだが、
それでも夏にはぐんぐんと伸び、200枚以上の葉を茂らせる。植物の生命力はたいしたも
のだ。
241「今年も温暖化を考える文化祭を見学」(10月10日)********************************
10月6日から3連休を利用して今年もパシフィコ横浜で開催された「モーニング娘。”熱っ
ちい地球を冷ますんだっ”文化祭2007」を見学した。昨年も187「地球環境を考える文化
祭に行きました」に記した通り見学したので、今回で2度目である。(ちなみに文化祭の開催
は4度目となる)人間の産業活動によって二酸化炭素・メタン・フロンといった温室効果ガス
が大気中に増加したため、本来なら大気圏外に放出されるはずの地表の熱が放出されな
くなり、結果として海面の上昇や異常気象・干ばつ・生態系の異変など、さまざまな被害をも
たらしている――これが地球温暖化現象であるが、それを小学生の来場者にもわかりやす
く解説している。これを改善するには事業者や市民がどのような取り組みをすれば良いかも
展示されているのだが、その一方で、会場内にあるモーニング娘。らが出演するステージに
は白熱灯やハロゲンによるものすごい照明が使われていて、同行者は「どこが温暖化防止
やねん」と突っ込んでいた。会場から一歩外へ出ればものすごい交通量、あちこちでなされ
ている建造物のライトアップ、不必要なまでの冷房や照明など、京都議定書で「チーム−6
%」と二酸化炭素の削減目標が定められたにもかかわらず、この国の温暖化防止への取
り組みはまだまだであることを痛感させられる。本気でやるなら平安・鎌倉時代の文化水準
にまで戻すしかないと私は授業で言っているのだが、21世紀になって、今さら紫式部や吉
田兼好のような生活は誰も送れないだろう。
240「のんびりと秋休み」(10月 3日)************************************************
文化祭の代休の関係で先週の水曜日から5連休となった。天気が良ければどこかの山
を登ったり小旅行にでも出ようかなと思っていたのだが、あいにく曇りや雨の日ばかりで
天候には恵まれなかったので、久しぶりに地元の図書館に行ってみたり東京の神保町に
ある古書街へ行って国文学の書物を見に行ったりした。後期の授業で扱う内容の教材研
究も今のうちにかなり先の授業の分まで進めておいた。毎週更新しているホームページ
の原稿もゆっくり作成することができた。一昔前なら9月1日に2学期の始業式を迎えると
冬休みとなる12月25日までの3ヶ月3週間の間は休日以外に休みはなく、2学期は最も
授業日数の長い学期でもあった。だが、夏休み明けの授業が再開されてちょうど1ヶ月が
経ったところで、こういう秋休みがあるというのはなかなかありがたい。とかく賛否両論が
出る「2期制」だが、秋休みは2期制ならではのメリットともいえよう。
239「今年も文化祭」(9月26日)****************************************************
3連休を利用して今年も自分の勤務する高校で文化祭が行なわれた。この『日記とお知
らせ』の237「映画のエキストラを体験」にも書いたとおり、今年はあるクラスの生徒が制
作した映画に自分自身が出演したので、「私が演じたシーンが果たしてどんな感じに仕上
がっているんやろか」と興味津々であった。文化祭前日までに試写会をしたのだろうが私
は忙しかったので当日まで作品を見たことがなかった。だから初日の一般公開開始と同
時に、他のクラスの出し物を見ずに、このクラスの制作した映画を見た。最初は自分が出
演した場面だけを確認するつもりでいたのだが、いつの間にか作品にすっかりのめりこん
でしまった。それだけ、非常に素晴らしい作品に仕上がっていたと高く評価してよいだろう。
ストーリーの良さは言うに及ばず、出演者の演技力・音声・カメラアングル・編集など、すべ
てがうまくできていた。もちろん2度3度と繰り返してみれば粗が見つかるかも知れないが、
少なくとも1度見ただけでは全く欠点を見出せなかった。中学や高校の文化祭で「映画」と
いうと、既に世に出ている何かの作品を使って生徒が個々の役を演じたり、どこかから名
画を借りてそのまま上映したりするのが常だが、このクラスの映画は違う。構想から全て
が生徒のオリジナルである。そして鉄道の駅構内などの公共の場では撮影許可を取って
撮影した。「最近は『文化祭』といっても、『文化』的なものはほとんどなく『祭』ばかりだ。」
と、とかく揶揄されがちだが、何から何まで生徒だけによる手作りの映画制作は、まさに
文化祭と呼ぶにふさわしい「文化」的な活動といえるだろう。
238「生まれて初めてもらった号外」(9月19日)****************************************
先週の水曜日の夜のことだ。私の退勤途中の乗換駅でもあるJRの駅のコンコースで数
人の男が「号外!」「号外!」「号外!」と大声で怒鳴って通行人に配っている。私も自然と
受け取った。号外の中身は、言うまでもなく安倍首相の辞任表明のニュースである。街頭
で号外を配っている映像はテレビのニュース番組で何度か見たことがあるが、自分自身が
号外を受け取ったのは生まれて初めてである。号外を見て初めてわかったことがいくつか
あった。普通の一般紙は朝刊で35〜40ページぐらいはある分厚いものだが、号外は1枚
しかない。それも通常の新聞紙の半分の大きさしかない。そして広告がどこにも印刷され
ていないことにも驚かされた。普通の新聞だとどのページにも必ず広告が掲載されている。
ひどい場合は見開き2ページがまるまる広告だったりする。広告掲載料が新聞社の貴重な
収入源になっているのだから、それが当然なのだが、号外にはなぜか全くなかった。紙面
の大部分はもちろん安倍首相の辞任の記事で占められている。あとは隅のほうに秋田県
で起きた連続児童殺害事件で逮捕された畠山鈴香容疑者の裁判が載っているだけで、
他は何もなかった。また通常の新聞は月極めの購読料を支払って契約するか、駅の売店
やコンビニなどで130円程度を支払って買うものだが、号外は無料である。これにも驚い
た。広告料も入らず読者からの代金も入らないのだから、号外は完全に赤字ではないか。
それとも社会に対する慈善事業でやっているのだろうか。そんなことを考えながら電車を
待つ間に私は号外の記事を隅から隅まで読んだ。そして、生まれて始めてもらった号外な
ので私はしまっておくことにした。
237「映画のエキストラを体験!」(9月13日)******************************************
先週のことである。職員室でお茶を飲みながら同僚と雑談しているところへ今年授業で
指導しているクラスの生徒が入って来て、「先生、ちょっとエキストラで映画に出てください」
と急に頼まれた。文化祭で、あるクラスが学園ドラマを作るのだそうだ。私が出演するのは、
長い会議が終って会議室から廊下に出るシーン。エキストラだからただ黙って退室するだ
けかなと思ったが、一応台詞も一言だけあった。一人の先生が「疲れましたね」と私に訴え
るので、私が「長かったからなぁ」と返事するのだそうだ。簡単なカットだったので1度練習
して本番は2回でOK(NGになった1回目は私が原因ではない)となった。自分がカメラに
写っているのは時間にして3秒あるかないかといった短さだが、それでも本番の撮影を行
なう合間の時間が結構長く、撮影現場となった会議室で他の生徒と写真を撮ったり雑談し
たりして過ごした。『ホンモノの俳優もこうしてロケに臨んでいるのだろうなぁ』と想像しなが
ら、しばしは学校の職員であることを忘れて俳優気分に浸った。ちなみにこの日は台風の
通過で東京・神奈川の都県境を流れる多摩川が増水し、列車の運行ができなくなったた
め、私が2時間25分遅刻して出勤した日であった。当日は前期期末試験、それも私の作
成した試験が予定されていて、答案回収後は直ちに採点に取り掛かることになっていた。
せっかく出勤したのに肝心の試験がなしになってしまい「これでは来た意味ないやんけ〜」
と落胆したが、思わぬ依頼を受けて楽しい思い出ができて出勤した甲斐があった一日にな
った。
236「夏休みがあけると・・・」(9月 6日)**********************************************
恐怖の健康診断も何とか終り、それと同時に私が勤務する高校でも授業が再開された。
今日でちょうど1週間だ。どこの学校でもそうだが、休業期間が明けて授業が始まると途端
に忙しくなる。まず、夏休みの課題を提出させて点検しなければならない。それから前期期
末試験前になるので、ノートも提出させている。これは数学などではあまり見かけないが、
私は今までの授業における学習活動の足跡を見るという目的で行なっている。試験が迫っ
ているので速やかに返却しなければならない。それでも短いながらも一人ひとりにコメント
を書いて私は返却している。それと期末試験問題の準備。私は夏季休業期間中に印刷を
済ませて袋詰めはしたのだが、だからといって試験当日の朝まで中身を点検しないわけに
はいかない。そんなこんなで前期期末試験を採点・返却し成績処理が済むまでは、なんと
も慌しいものである。
235「多摩川の花火大会」(8月22日)************************************************
先週は夏期講習のため13日の月曜日からずっと出勤して5日連続で毎日3コマの授業
を行なったが、それが無事に終った翌土曜日、私は多摩川の河川敷で行なわれた世田谷
区と川崎市の合同花火大会を見に行った。東急田園都市線の二子玉川駅から数分も歩
くと、多摩川の河川敷に出る。後ろが樹木になっている場所を選び、花火の打ち上げ開始
時刻の3時間前に場所を確保して、その後はずっと二人でお喋りしながら時間を過ごした。
関東地方は8月に入ってからずっと酷暑であったが、前日までの暑さが嘘のように、この日
だけは朝から曇っていて気温が上がらなかったのが幸いした。炎天下で3時間も待たされ
ずに済んだからである。やがて日もすっかり暮れて19時になり、いよいよ打ち上げが始ま
った。自分がいる場所から下流方向で川崎市の花火が、逆の上流方向で世田谷区の花火
が同時に打ちあがる。2つの打ち上げ場所は私の見ている場所からいずれも1kmほどの
距離だろうか、まさに2つの地方公共団体による「花火の競演」であった。時間をずらしてく
れれば全部見ることができるのだが、左右両方で打ちあがるから顔が1つでは見切れない。
打ち上げる量は明らかに川崎市の花火の方が上だったのと、若干川崎市の打ち上げ場所
に近いところに陣取ったので、私たちは主に川崎市の花火を見ていた。世田谷区の方は本
数は少ないものの、図柄は顔だったりハートだったりスイカだったりと、結構趣向を凝らした
花火が多かった。終了の10分前くらいから聞き覚えのあるクラシックが流れ、川崎市も世
田谷区も打ち上げのペースがさらに激しくなる。あっという間の1時間だったが、楽しい夏の
思い出になった。
234「東北の旅(Part3)」(8月17日)************************************************
翌3日はまず東北本線を野辺地まで東京方向に戻ってから大湊線に乗った。下北半島
は陸奥湾の東側に位置しているので、列車は陸奥湾を左に見ながら北端をめざす。陸奥
湾は内海なので波は穏やかであった。そのはるか向こうには津軽半島が見渡せる。線路
はほとんど直線で、駅の付近を除くと集落らしきものもほとんど見当たらない。駅間距離が
長いのにも驚いた。終点が近づくにつれて霊場として有名な恐山が迫ってきた。その玄関
口は終着の1つ前の下北という駅である。八戸でもそうだったが、青森・岩手・秋田の3県
では今夏「北東北ディスティネーションキャンペーン」をやっている。下北の駅前でも特産
物の販売などをしていて、観光客相手に商人の掛け声が賑やかだった。再び青森に戻り、
昼過ぎからは津軽線で三厩へ行った。こちらは陸奥湾の西側に伸びる津軽半島の北端
の駅だ。台風5号が山口県を抜けて日本海に出たらしい。夜半には秋田県沖にも接近し
てくるという予報だったが、この時点ではまだ天気の崩れはなかったので予定通り行くこと
にした。今度は陸奥湾を右に見ながら進む。海の向こうには午前中に乗った大湊線のあ
る下北半島が見えた。途中の中小国までは青函トンネルをくぐって函館へ行く列車が多数
走るが、そこから先は純然たるローカル線で一日5本しか走らない。列車は2両編成のデ
ィーゼルカー。もちろんワンマンカーであった。終点まで乗っていた乗客は自分を含めて3
人であった。
さて、普通ならここで宿泊して翌日帰るところだが、私は北海道へ行くことにした。北海道
の鉄道線は既に乗っているので、今回は鉄道が目的ではない。私の持っている切符はJR
東日本と北海道の普通・快速列車が乗り放題で、この中には青森と札幌を結ぶ急行も乗
れる特典がついていたので、旅館代わりに札幌まで往復することにしたのである。青森で
投宿すればまたホテル代がかかってしまう。今夜札幌へ行く夜行列車に乗り、翌日の夜に
青森へ行く夜行列車に乗れば、1日だけだが北海道にも遊びに行けて、かつ宿泊代を払
わずに旅を楽しむことができる。ということで、三厩からは青森駅に戻り夕食をとってから
ホームの乗車口に並んだ。車内はわりと混んでいたが発車の1時間30分前から並んでい
たおかげでうまく窓側の座席を取ることができた。いつものように座席をリクライニングさせ
てすぐに眠ってしまった。
4日の朝に札幌に着いた。この日は札幌の駅ビルやすすきの近辺の商店街で時間を過
ごした。札幌駅から大通り公園までの道路がアスファルトではなく鉄板になっている。道路
の真下を掘って地下街を作っているのだ。大通公園からすすきのまでは既にポールタウン
という名称の地下街ができているが、それを札幌駅まで伸ばす工事をしているのだ。完成
は平成21年だという。
さて、台風も過ぎ去った5日の朝に青森に着き、来た道を戻るように東北本線を南下した。
往路と同様に八戸・盛岡・一ノ関で乗り換えた。青森から乗った列車も、八戸から乗った列
車も2両編成であったが、一ノ関から乗った仙台行きの列車は途中の小牛田で2両を連結
して4両編成になった。5日の旅は仙台まで。予約したホテルに荷物を置いて3年前と同様
に仙台七夕祭りの前夜祭にあたる花火大会を見に行った。翌6日は仙台の七夕祭りの初
日になる。私は午前中に七夕の飾りを見て回り、昼過ぎから列車を乗り継いで22時に神
奈川の自宅に帰って来た。
233「東北の旅(Part2)」(8月16日)************************************************
翌2日は青森をめざしてひたすら東北本線を北上した。途中、福島・一ノ関・盛岡・八戸の
4箇所で列車を乗り継いでの旅である。ただし郡山から福島までは乗り継ぎのロスタイムを
なくすために新幹線にした。福島から乗る予定の快速に接続する都合の良い普通列車が
なかったためである。始発は東京なので座席は期待できないが、どうせ座れなくても14分
なのでどうということはない。しかし自由席の車内に入ったところうまいことに座ることがで
きた。だが郡山で8時23分発、東京を7時に出ている列車なのにもかかわらず、どの車両
もほぼ満席だ。さすがは新幹線である。さて、福島からは在来線の快速に乗り換える。列
車は一ノ関行きだ。とはいっても快速運転をするのは途中の仙台までで、以北は各駅に停
車する。列車は4両。がらがらなので適当な車両に入り座っていたら「終点の一ノ関まで行
くのは前の2両だけです」という車内放送が流れ、あわてて移動した。
列車は福島を9時に発車。車内は半分程度の座席が埋まった程度でまだまだ空いてい
る。これが新幹線と在来線の差かと思わずにはいられない。列車は白石まではわりと山間
を走る。だが白石を過ぎると急に平野が広がり宮城米の産地を実感する景色になる。若草
色の絨毯を一面に敷き詰めたような景色で、じつに見事だ。仙台が近づくにつれて車内は
どんどん混んでくる。その仙台で大部分の乗客が降りた。列車はここで約30分停車した後
に一ノ関へ向けて発車した。仙台を出るとしばらくは市街地を走るが、やがて山の中に入る。
海岸まで山地が迫っている地形だからだ。石巻へ向かう仙石線と一時的に並行すると、や
がて松島の海をちらりと右手に眺めることができる。その後は少しずつ平野が開けて水田
が増えて、小牛田に到着する。ここで後ろの2両を切り離し、列車は2両編成で一ノ関をめ
ざす。外は広大な田園が広がっている。線路際に灌漑用水路がどこまでも続いていたり、
広い水田の中を耕運機が動いていたりで、いかにも東北らしい風景になる。
一ノ関からは岩手県だ。ここからは盛岡行きの普通列車に乗り継ぐ。これもやはり2両編
成だ。一ノ関を出発するときの車内は混んでいたが、2駅目の平泉で降車客があり空いて
しまう。『奥の細道』の作者松尾芭蕉の句碑を訪れる観光客だろうか。列車は北上川の開
いた平野を突き進んでいるので車窓は相変わらず水田が広がっている。稲穂の緑がじつ
に目映かった。水沢あたりから車内が混雑しはじめた。北上・花巻でもさらに増え、盛岡に
着くころには満員になった。いつもこうなのかと思ったら、そうではない。今日は盛岡でさん
さ踊りがあるからだ。盛岡に着くと同時に「お帰りの切符は今のうちにお求め下さい」という
案内放送がしきりに流れていた。時計の針は14時である。ここからは青森県の八戸へ行
く列車に乗り換える。東北新幹線の八戸開業と同時に、盛岡〜八戸の在来線はJRから第
3セクターの鉄道会社線に移管された。それも途中の目時を境に「いわて銀河鉄道」と「青
い森鉄道」の2社に分離されている。東北本線もこの辺までくると沿線人口が極端に少なく
なるためにJRとしても在来線での存続はできないのであろう。それはそれで仕方がないの
だが、盛岡では改札口がJRと分離されて乗り換えに相当に長い距離を歩かされることに
なったのには閉口した。いくら盛岡以北が他社の鉄道線になったとはいえ、もう少し便利に
乗り換えられるようにすべきであろう。
列車は八戸をめざして出発した。東北本線はとうの昔に全線電化されているが、少し前ま
ではこの辺の普通列車は電気機関車が客車をのんびりと牽引して走っていた。それが今
では首都圏を走る通勤電車と似たような車両がスピーディーに走っている。電気機関車と
は違いあっという間に100km/hに達するから、まさに隔世の感があるが、昔の方が旅を
しているという実感が湧く。盛岡を出るとまもなく岩手山が左側に見える。石川啄木の故郷
である渋民を過ぎ、花輪線の乗換駅である好摩を過ぎると、乗客は寂しいくらいに減ってし
まった。沼宮内まで来ると一ノ関からずっと寄り添ってきた北上川もぐっと細くなり、いよい
よ山間に入る。ここから標高450mまで峠を上ってから一戸へ向かって下る。しかし、その
峠が岩手と青森との県境になっているわけではない。また一戸・二戸・三戸と、八戸へ向け
て数字が増えていくのだが、二戸までは岩手県なのに三戸から青森県というのも興味深い。
そんなことを考えながら列車はいつの間に峠を越えて八戸に着いた。東北新幹線が開業し
てからこの駅舎も立派に生まれ変わった。東口の1階に八戸市立図書館がある。「館内の
本はどなたでも自由に閲覧できます。列車の待ち合わせにご利用下さい」という心温かい
掲示もある。16時過ぎに着いたが次の列車まで1時間ほど間があいていので図書館を訪
れてみた。入館すると市民でもない旅人の私にさえも職員が挨拶してくれる。蔵書数はさほ
どでもなかったが、なかなか感じの良い図書館であった。
ここから本日最後の列車に乗り換える。乗り換えて青森まで1時間30分。朝から列車を
乗り継ぎ、18時44分に青森に着いたのだが、着く頃には本当に陸奥(みちのく)、まさに
陸地の果てまでたどり着いたという感じがした。列車も八戸を出たときはさらりと座席が埋
まる程度であったが、列車が青森に近づくにつれてまた混んできた。はねとの格好をした
人が乗り込んできたからだ。青森はこの日からねぶた祭りが始まっている。私は3年前に
も見に行ったのだが、あの迫力をもう一度味わいたかったので、夜の街へ繰り出してねぶ
たを見に行った。秋田の竿灯祭り、青森と弘前のねぶた祭り、仙台の七夕祭り、盛岡のさ
んさ踊り、夏の東北はどこも祭りで盛り上がっている。
232「東北の旅(Part1)」(8月15日)************************************************
8月1日の11時、私は上野を出発した。北海道へ行くときは上野を夜に出発する列車に
乗ることが多いのだが、今回の目的地は東北であり目的地までの道中の景色も見たいの
で昼前から東京を発つ旅程にしたのである。さて、上野から仙台へは東北本線経由と常磐
線経由の2通りがある。前者は東京を出ると荒川を渡り埼玉・栃木の両県を縦断して東北
に入る。ルートは内陸になるから福島県内は中通りになる。これに対して後者は江戸川で
東京から千葉県に入り、利根川を渡り茨城県を縦断して東北に入る。太平洋沿いに進むル
ートなので福島県内は浜通りになる。道路で言うと前者は国道4号線、後者は6号線。昔の
日光街道と水戸街道で、前者は白河、後者は勿来が、それぞれ関東と東北とを隔てる関所
となる。私は東北本線も常磐線も過去に乗ったことはあるのだが、じつはこの両線を結ぶロ
ーカル線には乗っていない。具体的には友部から小山を結ぶ小山線、水戸から郡山を結ぶ
水郡線、そしていわきから郡山を結ぶ磐越東線である。そこで今回はいわきまでを常磐線
経由、ここから磐越東線に乗って東北本線に出るルートにした。
11時過ぎに上野を出発すると水戸で1度乗り換えて15時過ぎにいわきに着く。磐越東線
乗り場へ行くと、まだ発車の30分以上も前だというのに郡山行きのディーゼルカーがもう待
機している。ここから出る磐越東線の列車は一日にわずか8本。それだけ乗客が少ないと
いうことだろう。だから列車もてっきり1両か2両だと思っていたが、なんと4両もつないでい
る。これは意外だった。しかし車内はやはりがらがらだ。2両もあれば充分に運べる乗客数
である。列車はいわきを発車すると何分も走らないうちに山間部に入る。それもぐいぐいと
山の斜面を登っていく。やがて車窓には夏井川が現れ列車は何度もこの川を渡りながら山
を登っていく。東北というとどこまでも広がる水田をイメージしがちだが、いわきの近辺はそ
うではないようだ。川の名前がそのまま駅名になった夏井を過ぎると、ようやく周囲の視界
が開けてきた。その次の小野新町ではかなりの客が乗った。ここからは郡山へ向かうのが
土地の人の流れになっているのだろう。少し行くと菅谷に着く。「標高462m」と書いた看板
を見て驚いた。道理でぐいぐいと山を登ってきたわけだ。いわきは標高11m、郡山は226
mだから215m登ればよいことになるが、現実はそんな単純な地形ではない。浜通りと中
通りとの間には阿武隈山地が聳えているからだ。磐越東線はいわきから一気に標高462
mまで上り、ここから郡山の盆地へ下るのである。その菅谷を過ぎ船引を過ぎると再び山
間の景色になる。日も西に傾きはじめ時刻も17時を過ぎた。間もなく郡山に着く時刻だが、
一向に街らしきものが車窓に現れない。そう、磐越東線は終点郡山の1つ前の舞木までは
山の中を走っていたのだ。17時17分。定刻に郡山に到着。今夜はここで投宿した。
231「東北へ旅行します」(8月 1日)*************************************************
先週、この『日記とお知らせ』で記したとおり、ここ1週間ほどは夏休み明けの業務に備え
て「夏休みの課題」の「解答と解説」づくりをせっせと進めていたが、それも含めて大方の仕
事が片付いたので、この夏もまたのんびりと旅に出ることにした。今回は東北である。今ま
でと同様に遠い場所から優先する方針なので青森県を訪れることにした。東北・奥羽の両
幹線と、秋田県の東能代から日本海沿いに走り弘前へ至る五能線は既に乗っているので、
今回は津軽半島の北端である三厩(みんまや)へ伸びる津軽線と下北半島の北端である
大湊へ伸びる大湊線、そして八戸から岩手県の久慈へ向かって南下する八戸線に乗るつ
もりでいる。また旅館代わりに夜行列車に乗る関係で1日だけだが北海道にも入る。台風
5号が発生しているというので陸奥の天候も気にはなるが・・・。
230「夏休みの課題を解いています」(7月25日)***************************************
今月21日から生徒は夏休みに入った。教員は単に授業やHRがないというだけで、夏休
みだからといって勤務を要しない日になるわけではないが、それでも学期中の慌しさからは
解放されてしばらくはのんびりと過ごすことができる。私にとってもそうだ。夏休みが明けて
間もなく始まる前期期末試験の作成や後期の授業の準備もこの夏休み中にある程度は進
めておかなければならないが、それでも夏休みに入ってからは朝は遅めに起きてゆったり
と過ごしている。この数日間は生徒に出した「夏休みの課題」の「解答と解説」づくりに没頭
した。私は夏休み前に「毎日取り組む古典文法」と銘打って、現代語訳や文法事項を考え
て記入してもらう課題を全員の生徒に出してある。9月になると生徒は一斉に提出してくる
ので、こちらは「解答と解説」を添付して返却しなければならない。そこで今のうちに「解答
と解説」の原稿を作成しておくことにしたのである。問題文を読み、古語辞典を引いては意
味を確認し、古典文法のテキストを見ながら生徒と同じように問題を解いて解答用紙に記
入している。数学の教員も同じようにして、この時期に「夏休みの課題」の問題を解いてい
るのだろうか。
229「最後の大仕事」(7月18日)****************************************************
どこの学校でも夏休みが目前に迫ってきた。生徒は球技大会その他で授業が短縮されて
いたりで余裕だが、教員はこの時期も結構忙しいものである。先週末から台風4号が日本
列島を縦断した3連休になってしまったが、仮に行楽日和だったとしても私は連休を楽しむ
どころではなかった。というのは夏休みの課題作りや夏期講習の教材づくりに追われていた
からだ。沖縄地方が暴風域に入った14日の土曜日も出勤したし、台風が関東地方を通過
した15日は自宅でひたすら仕事をしていた。夏休み前に生徒に渡しておかなければならな
いプリント類もある一方、逆に返却しておかなければならないものもあるからだ。ここのとこ
ろ『こてんこてん』と『言わせて頂戴』の更新日が逆になっている週が多くなってしまっている
のだが、それはここ数週間の多忙が主因だ。土曜日に出勤しているために、『言わせて頂
戴』の原稿が書けないのである。夏休み前の最後の授業は今月20日の金曜日だが、それ
が終れば夏期講習の始まる8月中旬までの20日間はわずかな出勤日を除けば、のんびり
過ごすことができる。そのときを楽しみに、今は最後の授業の日に向けてラストスパートとい
ったところである。
228「湘南平塚七夕に行きました」(7月11日)*****************************************
先週末は平塚市で開催された「湘南平塚七夕まつり」を見に行った。昨夏は北海道への
旅行の帰路に仙台の七夕を見て感動したのだが、平塚の七夕は神奈川県内に住んでい
ながら今まで行かなかった。東海道本線の平塚駅北口から左折して西に向かって伸びる
目抜き通りが500mほど歩行者天国になっていて、そこにさまざまな装飾物が施されて訪
れた観光客の目を楽しませてくれているだが、七夕の会場の規模は仙台のそれと比べて
狭い。しかし、それぞれの飾りは仙台のものよりもかなり工夫を凝らしているという印象を
受けた。毎年同じものでは芸がないから、いろいろと考案して出展するのだろう。最も驚い
たのは上部が箱状になっていて、箱の中の飾りがくるくると回っているものがあったことだ。
電気が通っているのかそれとも電池なのか、とにかく、からくり時計のようにくるくると動く
仕掛けになっている。こういうものは仙台では見なかった。
私は比較的空いている午前中に行ったのだが、好天に恵まれたこともあって、会場は大
勢の人でいっぱいだった。関東地方で「七夕」というと平塚しかないから仕方がないのだが、
駅の改札口や電車が大勢の客で混雑するのは閉口した。それと会場を歩くとすぐ人とぶつ
かるのも、七夕の欠点だ。観光客は飾りを見るためにみんな上を仰ぎ見たまま歩いていく。
つまり誰も前を見て歩いてはいないのだ。だからすぐ人とぶつかるのだが、中にはソフトク
リームやカキ氷などを持ったまま歩く人もいるから、私もよほど注意していないと服を汚され
たりする。織姫と彦星が1年に1度会う日を気持ちよく楽しむのも、なかなか大変だなと思っ
た。
227「松尾芭蕉と同じ心境かも」(7月 4日)*******************************************
いよいよ暦は7月に入り、学校では夏休みが近づいてきた。この1週間、私は夏期講習
の事前準備や夏休みの課題づくりに専念できた。そして、プライベートでは何といっても旅
の準備である。松尾芭蕉は『奥の細道』で次のように述べている。
予もいづれの年よりか、片雲の風に誘はれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、
去年の秋江上の破屋に蜘の古巣を払ひて、やや年も暮れ、春立てる霞の空に、白河
の関越えんと、そぞろ神の物に憑きて心を狂はせ、道祖神の招きにあひて取るもの手
につかず。
この文の意味は次のようなものである。
私もいつの頃からか、ちぎれ雲が風に誘われてなびくのを見ては、旅に出てあちらこ
ちらをさまよい歩きたいという気持ちが抑えられなくなり、海岸を放浪し、去年の秋に隅
田川のほとりのあばら屋に戻って蜘蛛の古巣を取り払ってしばらく住んでいるうちに、や
がてその年も暮れ、霞が立ち込める春の空を見ると、今度は白河の関を越えようと思う
ようになり、人の心をそわそわさせる神にでも取り憑かれたかのように心も落ち着かず、
旅の神である道祖神に招かれているような気持がしてじっとしていられない。
今の私がそんな心境だ。今年はあそこへ行って見たい、ここを訪れてみたいという気持ち
がつのり、暇さえあれば時刻表を眺めて旅の行程を練っている日々だ。しかも、白河の関
を越えよという気持ちも松尾芭蕉と一緒である。私も東北地方へ行くことを考えている。
226「声が出ないよ〜」(6月27日)**************************************************
今月23日の朝から急に声が出なくなった。前日の金曜日に補習も含めて5コマの授業
をして声を使い過ぎたのか、それとも風邪でもひいたのか、とにかく22日の午後の授業か
ら声が枯れてきたので、何となく喉の異変は感じていたのだが、まさか全く声が出なくなる
とは思いもしなかった。こんなことは生まれて初めてのことだったのでびっくりした。23日は
土曜日だったので助かった。学校の授業がないからである。25日から平日になるが学校
行事の関係で28日まで授業がない。まさに不幸中の幸いである。翌24日も含めてこの2
日間はおとなしく自宅で過ごした。しかし、囁き声すら出ないので、隣の部屋にいる家族に
何か言うときもその都度メールに書いて送信していた。もし、電子メールという通信手段の
ない昔なら、いちいち紙に書いて直接渡さなければなるまい。25日は一応普通の会話が
できる程度にまで回復したので出勤した。授業はなく、放課後に2人の生徒を相手に補習
をしただけだが、2人に語りかける程度の声を出すのがやっとだった。それにしても声が出
ないということは結構不自由なのだということがよくわかった。
225「前任校の文化祭に行きました」(6月20日)***************************************
私が現在勤めている高校の文化祭はずっと先なのだが、先週の日曜日は以前勤めてい
た高校の文化祭を見学した。職員は勿論のこと、卒業生にも会うことができた。また、今春
に私の現任校からそこへ異動した職員にも会うことができた。吹奏楽部の演奏をはじめス
テージの出し物を中心に見たが、どれも素晴らしくとても盛り上がっていた。また好天に恵
まれたこともあいまって大勢の来場者で賑わっていた。ただ残念だったのは私が文化祭の
2日目に行ってしまったことだった。初日、つまり前日の土曜日に行っていれば終了後に職
員と一緒に『北京』(詳細は012「焼肉パーティー」参照)へ行って焼肉を堪能することがで
きたのだが生憎その日は自分の学校の仕事があって行けなかった。う〜ん、久しく『北京』
では焼肉を食べていなかったから食べたかったなぁ。
224「試験を利用して6連休」(6月13日)**********************************************
この1週間は非常にラクだった。なぜなら今月の1日に自分の試験があったため、さっさ
と採点して4日から7日まで4日間を年休をとってゆっくり休むことができたからである。2日
・3日の土日曜をあわせると、6日連続で休んだことになる。採点した答案は、8日に返却。
そして次の単元に進むのは11日以後なので、6月2日からは5月のゴールデンウィークと
まではいかなかったが、自分にとってはちょっとした連休を過ごすことができた。その連休
に私は東京に出て買い物を楽しんだり、自宅の裏山に登って山頂からボケーっと景色を眺
めたりと、好きなことをして気分転換を図った。そして睡眠も久々に取った。日頃は平日で
4時間前後しか寝ていないので、この休みを利用して午前中いっぱい眠ったりした。
223「住民税にびっくり仰天」(6月 6日)**********************************************
今月に入ってすぐ住民税の納付書が郵送されてきた。いわゆる市町村・都道府県民税で
ある。年4回に分割して支払う方式になっているのは例年と同じだが、中身を見てびっくりし
てしまった。「これは印字ミスではないか」と疑いたくなるほど高額だったからである。確かに
今年から住民税が高くなるとテレビの報道番組で聞いてはいたが、私は値上がるといって
もたいしたことはないだろうと高をくくっていたのである。学校以外の収入はないからおよそ
高額所得とはいえない年収だし、一昨年も昨年も総所得額にさほどの変動がなかったから
である。それなのに住民税は前年の3.5倍にも跳ね上がっている。これは年間の納付総
額は私の1ヶ月の収入にも匹敵する額だ。「こりゃあ、えらいこっちゃ」というのが率直な感
想だった。これから毎年こんなに徴収されるのではたまったものではない。納付書に同封
されていたパンフレットには「所得税が減額された分を住民税に回しただけなので、支払う
税額の総和はさほど変わりません。」と書かれてあったが、果たして本当だろうか?
222「バラ観賞会に行ってみました」(5月30日)****************************************
少し前になるが、今月20日バラの観賞会に行ってみた。といってもバラ園に行ったので
はない。会場は日本フルハーフという会社の工場である。この会社はトラックの荷台部分
を生産している。敷地内は無味乾燥な作業棟が何棟も建ち並び、およそバラとは無縁の
世界のはずだが、その工場の敷地に社員の有志がバラを植えて栽培しているのだ。それ
が見事に花を咲かせたので、一般の来場者を招いて5月20日に観賞会を催すことにした
とのこと。今年で20回目にもなるそうである。自宅からもそう遠くないので私も早速行って
みることにした。中は何十もの品種のバラでじつに色とりどりだ。何百本植えられているの
か想像もつかないほどの数である。自分の栽培している品種と同じものもあった。花だけ
でなく葉も茎も幹もよく観察したが、虫がついて食い荒らしている様子は全くなかった。病
気に侵されているものもなかった。よほど土壌が良いのか、それとも施肥や剪定などの手
入れが良いのかのどちらかだろう。バラ園ならスタッフが終日花の手入れに専念できるが、
ここは工場だからそうはいかない。社員は工場内で作業をしているのであり、バラの手入
れは勤務時間外の片手間でしかできない。それにもかかわらずどれも見事に咲いていた
ので、私はただただ感心するばかりであった。
221「ダイヤ乱れが続いた一週間」(5月23日)*****************************************
前々回、5月11日分の『教えて頂戴』を掲載してからの一週間は通勤に利用している鉄
道の列車ダイヤが連日乱れた。11日は強風、14日は人身事故、15日は転落事故、16
日は車両故障、17日は人身事故で、11日からの1週間でみると平日はすべてダイヤどお
りには運転できなかったという有様。このうち2日は始業時刻までに生徒が登校できず学
校側は授業開始時刻を繰り下げて対応した。この場合放課の時間を通常通りにした関係
で午前中の授業が短縮される。だから、授業をやる側としてはこの日に教科書のここまで
進ませるかという計画そのものが崩されてしまう。前期中間試験まであと2週間に迫ったこ
の時期に授業計画を崩されるのはつらい。鉄道で自殺を遂げようと考える者がいる限り人
身事故は防ぎようがないと思うが、事故後の対応は鉄道会社で努力できる部分がまだまだ
あると思う。ダイヤの乱れによる乗客の被害を最小限に食い止めるために、事故現場以外
の区間では直ちに折り返し運転を開始し、現場から離れた区間では列車の運休や遅延を
なくす。その程度の措置は講じてもらいたいものである。
220「警察から電話がかかってきた」(5月16日)***************************************
生まれて初めてのことだったが、神奈川県警から唐突に電話がかかってきた。駐車違反
やスピード違反をした覚えもないし、ましてや警察の厄介になるような刑事事件を起こした
覚えは全くない。また、ある事件の目撃者や被害者になっているわけでもないので、最初
は「何でやねん?」と思った。用件は紛失した通勤定期券を預かっているとのこと。じつは
自宅から最寄駅まで利用しているバスの定期券だけ連休直後から行方不明になっていた。
そのことはわかっていたのだが、私はてっきり勤務先の高校に置き忘れたものと思い込ん
でいた。職員室の自席は勿論のこと、印刷室や国語科の教科研究室など校舎内で自分が
ここ数日間に出入りした場所を探せばきっと見つかるはずだと思っていた。だから定期券
のことはほとんど気にしていなかった。校舎内、それも職員しか出入りしない場所で落とし
たのなら同僚のどなたかが拾ってくれる可能性も高いし、高校の所在地とは全然離れた場
所の通勤定期券だから拾われて悪用される恐れもないからである。
そんな思い込みもあって警察が預かっているとは考えもしなかった。ただちに身分証明書
と印鑑を持参して連絡してくださった警察署へ受け取りに行った。それも私の通勤ルート途
中にある署ではない。拾得の状況を伺ったら、私の通勤ルートとは逆方向の駅で見つかっ
たという。いったいどうなっていのだろうか?唯一考えられるのは電車の車内で落とし、私が
それに気づかずに下車した後に誰かに拾われて、最寄の駅に届け出たということなのだが
・・・・・・。
219「今年も我が家のバラが開花」(5月 9日)*****************************************
一昨年の暮れに鉢植えしたバラであるが、2年目の今年も順調に伸びて今月に入ってか
ら大きな蕾をつけた。神奈川県では桜がすっかり散った後も真冬を思わせるような気温の
低い日や冷たい雨の降る日、さらには新枝が折れそうなほど強い風の吹く日が続き、一時
はどうなることかと思ったが、何とか開花にこぎつけることができて一安心した。それにして
も植物の生命力はすごいものだ。私は、今年の正月にすべての枝に鋏を入れ、土の表面
から25cm程度の高さまで剪定した。昨年つけた葉や側枝もすべて切り落とし、文字通り
丸坊主の状態にしたのだが、3月の上旬からみるみるうちに発芽して、あっという間に主幹
は60cmもの高さに伸びた。今では100枚以上の葉をつけ、側枝の先端に7個の蕾をつけ
ている。この文章が掲載される頃にはきっと咲いていることだろう。
218「連休といえども何もせず」(5月 2日)********************************************
世間では今年のゴールデンウイークは9連休だが、私のような公立学校の職員にとって
は無関係だ。理由は谷間となる5月1日・2日に授業があり、9日間を丸々休めるわけでは
ないからである。だから私にとっては、先月28日から30日までの3連休がゴールデンウィ
ークの前半になる。この3日間は神奈川県の全域で非常によく晴れて行楽日和であったが、
私はどこへも行かなかった。年度当初の緊張による疲れが一気に出るので、この時期にど
こかへ遠出しようという気にはならない。だから行くにしても自宅から10km程度の距離だ。
いつもの休日と同様に、この『菅ちゃんの呟き』ホームページの原稿を作成したり、買った
きりまだ見ていないDVDを見たり、近くの図書館へ教材研究をしたりする程度だ。それに
連休が済むと1ヶ月も経たないうちに前期中間試験があるので、この連休を利用して試験
問題をじっくり考えて作成する。国語は「作問に1時間」というわけにはいかないからだ。
217「久々に自分の授業を見せる」(4月25日)*****************************************
今年度着任した2人の同僚から「今度、先生の授業を見学させてください。」と頼まれた。
過去に教育実習生から依頼されたことは何度もあったが、同僚からは一度もなかったので
一瞬「え!」と思った。だが、その2人の同僚はまだ教壇経験の浅い若輩である。私の授業
を見たところで果たしてどれだけ彼らにとって勉強になるかはわからないが若いうちにいろ
いろな教員の授業を積極的に見学することは非常に良いことだと思うので、私は、「どうぞ。
私はいつでもええから都合のつく時に見に来てください。」と快諾した。だが、そうは応じたも
のの、授業を一部始終見られることは緊張するだろうなぁと思った。数学科の教員が授業
中に例題を解いて解説する際に計算ミスが許されないのと同じように、国語科の場合は日
本語に関しては他教科以上の厳しさを求められる。生徒に説明する際の言葉遣いも正しい
日本語で話すことができて当たり前だし、黒板の文字にしても正確に書くことができて当然
と見なされる。だから少しでも落ち度があれば批判されるし、完璧にできても褒められるこ
とは決してありえない、そういう厳しさが求められる。
さて、見学の当日。火曜日に一人、木曜日に一人、どちらも見学を依頼した2人の同僚に
は授業の最初から最後までずっと後ろで見てもらった。短い時間なら過去にもあったが、ず
っと見てもらったのは私自身の教育実習以来であった。しかし、見学されても私は全く緊張
しなかった。なぜなら見学しに来た同僚の存在は完全に無視すれば良いということがわか
ったからだ。授業はあくまでも生徒に対してやるのであって、参観しに来た人のためにする
のではない。だから学校長が参観しようが、教育委員会の指導主事だろうが、はたまた保
護者だろうが、そういう人へは視線すら送らず、生徒の顔だけを見ることに徹して授業をす
れば良い。それが普段どおりの授業をするコツだと思った。このことを発見できたという意
味でも、今回後輩に授業を見てもらったことは私にとっても良い体験になった。
216「生徒も悲喜こもごも」(4月18日)************************************************
「先生、どうして私を見捨てたんですか〜?」新年度早々穏やかではない言葉が職員室
の私に浴びせられた。今週から授業がスタートして5日間。どこのクラスでもすべての授業
が1回以上あった。昨年度までは私の授業を、今年度から新しい教科担当の授業を受け
た生徒が、新年度早々に文句を言いに訪ねてきたのである。別に私が見捨てたわけでは
ない。どのクラスの教科担当になるかはクラスのメンバーを決める前に機械的に決める。
だから私が自ら指導したい生徒を意図的に選別することはできないのだ。しかし生徒はそ
ういう内情は知らないから、教科担当を外れた瞬間に「見捨てられた」と感じるのだろう。
4月を迎えると毎年新しい環境に適応するのに大変だと私はいつも愚痴をこぼしている
が、それは生徒も同じようだ。在校生はクラス替えをするから、その結果ほとんどの教科
で授業担当の教員が昨年度と替わるということもありうる。美術や音楽などの芸術科と家
庭科は、どこの高校でも教員が1名ないし2名だから替わりようがないのだが、国語や数
学などは職員の数が多いから新年度から違う教員になることが多い。だから、毎年この時
期になると「今度の先生、とてもいいよ。」とか「前の先生の方が良かったなぁ。」といった生
徒の声が聞こえてくる。まさに悲喜こもごもだ。問題はそれまでの教員とは一変した指導に
戸惑う生徒が少なからずいるということだ。特に国語科の場合、その人の個性がそのまま
授業に投影されがちな教科なので、指導のスタイルも十人十色で各教員が独特な授業を
展開している。別に教員間で指導の良し悪しや指導力の差異はないはずなのだが、生徒
は戸惑うようだ。
A先生にはA先生のやり方が、B先生にはB先生のやり方がある。方法は違えど、生徒
の実力の向上をめざして創意工夫を凝らしていることには変わりがないわけだし、それぞ
れの教員が生徒にとって良かれと思って日々の授業に臨んでいる。早くその指導の意図
を理解し、新しい教科担当の指導に従って授業を受けて学習活動に励んでもらいたいも
のだが・・・。
215「やはり今年もつらい」(4月11日)************************************************
毎年のことだが、今年も私にとって魔の4月がやってきてしまった。4月を心身とも快調に
過ごせたためしは一度もないので、最近は桜の開花の声を聞くだけで憂鬱になる。真新し
い制服に袖を通した新入生が母親と一緒に歩いている光景を見ると、「ああ、今年も新年
度が始まってしまったのか」という気分になる。4月の何がどうつらいのかは、以前に『言わ
せて頂戴』の043「4月はつらい」に書いたが、一言で言えば環境の変化と未知なることへ
の不安がストレスとなるのである。
そして、この時期はいろんな不安で頭がいっぱいになるから、注意力が散漫になる。この
春も自治会の定期総会が8日に開かれて私が議長だったのたが、目覚まし時計を設定し
ておいたのにもかかわらず当日の朝に起きられなくて、10時の開会時刻ぎりぎりの到着に
なってしまった。普段の私ならそんなうっかりしたミスは絶対といってよいほどしないのだが、
この時期は桁外れに多い。過去の経験で最悪だったのは職員室の自席の鍵を忘れたた
め、出勤しても机の中の物を全く取り出せなかったことだった。他にも物品を紛失したり、期
限の決まった仕事を忘れていたりといろいろあった。そうした経験を何度も繰り返したため、
今では毎年それが予期不安となって現れる。すなわち、今年も何か失敗を犯すのではない
かという不安だ。また、入念に準備しても果たしてこれで準備万端整っているだろうかという
不安もある。
心だけではない。ストレスは体調にも直截に現れる。通勤途中の電車に乗り物酔いするこ
とも多くなるし、腹痛が起きて学校の職員用トイレの世話になる回数も極めて多くなる。(恐
らく全職員中で最多であろう。)また、授業のチャイムが鳴る時刻になるときまってトイレに行
きたくなるという症状にも悩まされるのも、4月ならではの現象だ。授業も普段ならわくわくし
ながら行けるのに、年度当初のクラスは生徒の人となりがわからないから不安と孤独と緊
張が交錯し、まるで敵地へ一人で乗り込むかのような感じがする。午前中の勤務が終わっ
て昼食の時刻になっても食欲がない日も多い。午後に年休を取って早めに帰宅するように
しているのだが、それでもどっと疲れが出てくる。半日しかいなかったのに1週間以上休ま
ず勤務し続けたような疲れだ。就寝しても眠りが浅いせいだろう、普段は4時間程度の睡眠
で充分なのに、この時期は倍の8時間寝ても眠い。
そんなこんなで新しい環境に適応するまでは大変な思いをさせられるのだ。毎年4月の第
1週から2週にかけては定期券売場に長蛇の列ができるが、私はこの時期に買ったことが
ない。混雑を避けるために買わないのではない。私は買いに行く勇気がもてないのだ。もし
この新しい環境に適応できずに辞職することになったら購入した定期券がムダになるから
である。だから新年度がスタートしてもしばらくは切符で通勤している。定期券を購入するの
は新しい環境にすっかりなじんで「この分なら1年間やっていけそうだ」という自信がついて
からである。
214「山陽旅行の帰りに」(4月 4日)************************************************
先週は山陽地方の旅行記を書いたが、その帰りに関西の支線をめぐる旅をしてみた。今
回訪れたのはJR東海の名松線である。紀勢本線の松阪を起点に伊勢奥津までのローカ
ル線で、地理的には三重県の中央を走る。この路線は、もともと松阪(三重県)と名張(奈
良県)とを結ぶ線として建設されたが、戦時中に途中の伊勢奥津まで建設した時点で中断
されたまま現在に至っている。そして国鉄からJR東海に引き継がれたのだが、同社の在来
線の中でも恐らく累積赤字額はトップクラスであろう。だからとっくに廃止されていてもおかし
くはなかったのだが、沿線にはバスが通行できる幅員がある道路がないという理由でJR東
海が廃止申請を取り下げたという経緯がある。何しろ沿線の大部分はスギとヒノキの林野
なのだ。
例によって1両だけのディーゼルカーに十数人ほどの客を乗せて昼下がりの松阪を発車
した。しばらくは平野と家並みが続き近鉄の線路が並行している。駅名は「伊勢大井」「伊
勢川口」「伊勢鎌倉」など、他県にある地名に「伊勢」を冠したものが多い。だから旧国名を
知っていれば自分が三重県にいることがおのずとわかる。唯一駅係員が常駐している家城
で上り電車と行き違いをすると、列車は山の中に入り雲出川の渓流とともに上っていく。車
両は2・3年前から投入されはじめた新車である。だから馬力はあるはずなのだが、急カー
ブと勾配が連続しているから今にも止まりそうなほどの低速でしか走れない。沿線に人家は
ほとんどなくなり一方は渓谷、反対側は杉林だ。そのスギが林立する様は見事な景観であ
る。松阪から1時間15分ほどで終点の伊勢奥津に着いた。しかし降りたのは鉄道ファンと
おぼしき人が4人と地元の人が2人だけであった。しかし駅舎だけは総檜作りで立派だった。
まだ完成して間もないのだろうか、木の香りがプンプンしている。こんな無人駅にもったいな
い駅舎だと思ったが、外へ出てみると建物全体が美杉村の施設になっていて、その一角が
駅舎になっていることがわかった。列車の待合室には数冊ほどのノートが置かれている。ぱ
らぱらとめくると「ついにこの伊勢奥津に私たちも来ました。きれいな駅にびっくりです。」など
という文章が目に入った。訪れた鉄道ファンや観光客がノートに書き残していたのだ。誰が
管理しているわけでもないのだろうが、ノートは真新しいラックに整然と置かれていた。私も
記念に一筆書いて自分が乗った折り返しの列車でこの駅をあとにした。
帰りもわずかな客を乗せて発車したが、下校時刻にさしかかったため沿線にある学校の
生徒が途中の駅から乗り込んできて、車内はそれなりに賑やかになった。このとき私が不
思議に思ったのは、地元の乗客で花粉対策のマスクを着用している人が全くいなかったこ
とだ。スギやヒノキといえば我々人間が花粉で苦しめられている樹木の代表である。沿線
にはあれだけスギが自生しているのだから、相当量の花粉が飛散しているはずだ。だから
四日市や川崎の喘息のように、地元の人は当然みんな花粉症を患っているはずだと私は
思っていた。しかし、中学生も高校生も平気な顔をして乗っている。これには意外だった。
213「山陽地方の旅(Part2)」(3月31日)********************************************
岡山からは山陽本線に乗り換える。まず、福山行きの快速に乗った。列車は4両編成。
山陽本線は東海道本線と並ぶ太平洋ベルト地帯を結ぶ幹線に位置づけられてはいるが、
輸送量は東海道本線のそれとは格段に落ちる。だから4両編成でも乗客は座席定員の
半分も乗っていない。車内は東京・名古屋・大阪では信じられないほど閑散としている。そ
れも途中停車駅である倉敷・新倉敷・笠岡でどんどん下車するから、終着の福山まで乗っ
ていた客は数えるほどしかいない。まあ岡山から福山に移動するのなら山陽新幹線を利
用するはずだから当然といわれれば当然だが、それを差し引いても乗客の数は少ない。
新幹線が開業するとどうしても在来線は凋落するものだが、まさにそれを裏書きしたよう
な光景であった。福山城を右手に見ながら普通列車に乗り換える。朝からここまでは快晴
であったが、尾道の手前から急に雲が広がり三原ではすっかり曇天になってしまった。前
回、広島の宮島口まで快晴だったのにわずか20km西の岩国で雲がいっぱいに広がって
しまったので、錦川鉄道に乗るのを断念した。今回も三たび断念せざるを得ないかなと思
っていたが、幸い西条から晴れだして広島も岩国もすっかり晴れていた。これで一安心。こ
こまで来て雨だったら目も当てられない。
岩国駅前には錦帯橋の模型が飾られている。これは山梨県の猿橋とともに日本三奇橋
の一つとして知られている。(残り一つの奇橋は諸説があり定かではない。)まずはその模
型を記念に撮影して列車に乗る。ご多分に漏れず、ここも1両のディーゼルカーでワンマン
運転だ。昼下がりの14時11分、列車は定刻に発車した。本物の錦帯橋は列車に乗って
一つ目の西岩国を出てから間もなく渡る錦川の橋梁上から見えた。さらにその後ろに聳え
る山の頂には岩国城の天守閣が見えた。次の川西を過ぎてトンネルをくぐると、徳山へ向
かう岩徳線と分岐して錦川鉄道線に入る。錦町を結ぶ列車はすべて岩国発着だが、正確
には錦川鉄道線は川西の先から始まっているのである。さて、川西を出てほどなくして頭
上に山陽新幹線の橋脚と駅が現れて御庄駅に着く。その新幹線の駅は新岩国でこちらの
御庄駅とは徒歩数分で結ばれている。だが、下車して新幹線に乗り換える客は全くいなか
った。次の南河内駅からは錦川が右手に現れる。ここからはこの川が終着までずっと線路
に寄り添う。南河内ではまだ平野が広がっていたが、列車が進むにつれてあっという間に
山間に入り、錦川は次第に渓流の趣を呈する。左側は崖になり川床には大きな岩が目立
つようになる。途中の北河内で上り列車と行き違いをする。車両はすべて異なる色に塗装
され、川にちなんだ愛称がつけられている。
岩国からは距離にして37km、出発して1時間余りで終着の錦町に着いた。ここに錦川
鉄道の本社と車庫がある。本社を兼ねる純白の駅舎が午後の穏やかな陽光を浴びて美
しかった。降りた客はわずかに6人。折り返しの列車までの時間を利用して街を歩いてみ
た。今まで車窓を楽しませてくれた錦川も駅のすぐそばを流れているので、まずは川へ行
ってみた。間近で見てもじつにきれいで川床までしっかり見える。鯉がたくさん泳いでいる。
数十匹はいるだろう。日本で最もきれいな河川と言うと四国の四万十川が有名だが、この
錦川も劣らずきれいだ。もうひとつこの街を歩いて感心したのは、すれちがう地元の人が
見ず知らずの私に笑顔で「こんにちは」と声をかけていることだ。不審者対策の一つとして、
警察が地元の人に対して他所者には積極的に声をかけるよう指導した結果だとしたらじつ
に情けない話だが、誰にでも自然に挨拶を交わす習慣が昔からあったのだとすると、これ
は素晴らしいことだと思う。歩いているうちに小学校が目に入った。見ると「山口県岩国市
立」とある。岩国から1時間以上も乗っているのだから当然「岩国市」とは異なる地方公共
団体の行政区域だと思っていたのだが、この錦町も岩国市だとは意外だった。平成の市
町村大合併でそうなったのか、それとももともと錦町が岩国市だったのかは定かでないが、
それにしても列車に1時間以上も乗って同じ市内にいるのだから、岩国市は広い市である。
さて、夕方の4時になり、再び駅に戻り岩国へ向けて列車に乗った。岩国に着いたのは午
後5時過ぎである。錦川の美しい流れを見下ろしながらの旅はとても良い思い出になった。
212「山陽地方の旅(Part1)」(3月28日)********************************************
今年度の最後の授業を無事に終えた翌日である3月21日の朝、私は岡山に着いた。前
日の勤務後に東京を出発する夜行列車に乗ったからである。読者のみなさんは「あれ?」
と思ったことだろう。3週間前の『日記とお知らせ』で、私は未踏の地である山形県内をこの
春に旅行する旨を書いたからだ。岡山では方角がまるで違うではないか。そう、じつは直前
になってから急遽行き先を変更したのである。当初は山形を訪れるつもりで私も旅の準備
を進めていたのだが、今月に入ってから上空には次々と寒波がやって来たため北陸から北
海道地方にかけては連日のように豪雪となっている。そこで、今春の旅行は見合わせること
にしたのである。現地に入ってから雪で列車が遅延すれば旅行計画そのものを変更せざる
を得ないし、ましてや雪崩などの災害にでも遭遇したら何のために出かけたのかわからなく
なる。そこで今回は山陽地方に変更し、前回列車転覆事故で乗ることができなかった津山
線と、元国鉄の岩日線であった錦川鉄道を試乗することにしたのである。
この日の旅程は岡山から津山までを往復してから山陽本線を岩国まで西進し、そこから
錦川を往復した後に小倉に行くというコースである。岡山に着いたのが早朝の6時27分な
ので、津山までの列車の車中ではとりあえず眠ることにした。景色なら復路でも見ることが
できるし、沿線の風景を撮影するにしても日が高い時間の方が有利だからだ。それに睡眠
時間を確保したかった。前夜の夜行列車でもよく眠れたのだが、普段の生活では4時間前
後しか寝ていないから旅に出たときぐらいはたっぷり眠りたかった。8時少し前に津山に着
き、前回宿泊したホテルへ朝食をとるだけの目的で行く。そして8時44分発の普通に乗っ
て岡山へ向かった。列車は2両編成のディーゼルカーだ。JR西日本がローカル線専用に
発注した車両で、都市部を走る電車よりも車体長は短く定員も少ない。乗降扉は路線バス
と同じ折戸で、乗降口には運賃箱・整理券発行機・運賃掲示板がある。この3点セットはワ
ンマン運転に必須のアイテムになっている。車内は自動放送がひっきりなしに流れている
から、これで轍の音がなければ路線バスに乗っているような感じがする。
8時44分、10人程度の客を乗せて発車した。津山を出ると線路は国道53号線とぴった
りくっつくようにして進んでいる。どこのローカル線でもそうだが、列車よりもクルマの方が速
いのを見ると情けなくなる。列車は車両こそ新しくなってはいるが、線路や路盤などは開業
以来の施設のままだから、スピードもそこそこしか出ない。それに対して道路は拡幅された
りバイパスが新設されたりして、移動しやすい環境が年々整備されている。おまけにこうい
う地方都市では人口が少ないから渋滞もないし、信号もほとんどない。だからクルマはすい
すいと走っている。これでは1時間に1本あるかないかのローカル線など見向きもされなくな
るだろう。さて沿線の風景だが、しばらくは津山の市街地だがすぐに農村風景になり、やが
ては幅の狭い川とともに山林に入る。列車は瀬戸内海側へ向かっているのに車窓の川の
流れは逆になっている。前回、三次から広島へ向かって乗った芸備線のときもそうだった
が、まっすぐ瀬戸内の平野に向かって下るのではなく、途中までは上り勾配になっているの
である。津山線の場合はまず吉井川の支流とともに上っていく。小原駅が津山線の最高標
高地点で、ここから岡山平野に下っていくのである。
この沿線には由緒ある駅名が多い。津山を出て2つ目の佐良山は古今和歌集に詠まれ
ている。歌そのものは国語の教科書に採録されるほど有名なものではないが、巻20「神
遊びのうた」に「美作や久米の佐良山さらさらにわが名は立てじ万代までに」という和歌が
収録されている。ここで和歌の解説をするのも場違いだが、「佐良山」と「さらさらに」が同
音を利用した技巧で下の句にかかっている。その佐良山の次は亀甲駅だが、これは石の
御神体である亀甲岩があることから命名されている。その亀甲岩も駅に着く少し手前で車
窓から確認できる。駅舎はまさに亀そのものだ。屋根全体が亀の甲羅になっており、頭部
が津山に向かって伸びている。小原の次の誕生寺駅は、浄土宗の開祖である法然上人の
生誕地だ。駅の手前に寺への参道が、さらにその向こうには本堂を見ることができた。また
誕生寺池と呼ばれる池もこの駅の手前で見えた。これは灌漑用の溜池で17世紀に作られ
たという。その誕生寺の次は川柳の街として知られている弓削駅。そこを過ぎると、誕生寺
川が車窓に現れる。何度となく川を渡りながら福渡駅に着くと、今度は誕生寺川の本流で
ある旭川がゆったりとした川幅で線路に寄り添うようにして流れる。車窓は相変わらず国道
53号線と河川、そして山地の手前に広がるわずかな集落が続いているが、野々口を過ぎ
ると国道53号線も集落も見えなくなる。その代わりに両側に山が迫り、今度は旭川が渓谷
のような姿になって現れる。やがて牧山駅を過ぎてまもなくして問題の列車転覆事故の現
場にさしかかる。落石覆いのための分厚いコンクリート壁が作られていたのですぐにそれと
わかった。周りは茶色なのにそのコンクリート壁だけが真っ白だから非常に目立っている。
反対側は旭川が深い谷を刻んで流れている。これがなかなかの眺めなので、昨秋の事故
を知らない人が乗ったら乗客に渓流を見せるためのサービスで徐行運転をしてくれている
のだろうと勘違いするかもしれない。
そんな景色に感動するもわずかな距離で景色は一変し、列車はいつのまにか岡山の市
街地に入る。由緒ある駅の最後は法界院駅。ここには真言宗の古刹である法界院がある。
しかし、その一方で車窓からは岡山大学と岡山理科大学の立派なキャンパスも見えるから、
なんだか古い建物と新しい建物が混在することによる違和感を覚える。その次は終着の岡
山駅だ。列車が右にカーブして山陽本線や新幹線の橋脚が見えると、1時間15分ほどの
津山線の旅は終わりである。さすがに岡山に着く頃には混雑していたが、全線の半分以上
はがらがらだった。津山は岡山県北では最大の都市といわれるが、主たる移動手段はマ
イカーになっているようである。58.6kmを76分かけて走ったのだが、途中駅での停車時
間も含めた表定速度は46km/hでしかない。やはりインフラから整備し直して最速列車が
35分程度(表定速度に換算して100km/h)で結ぶようにしないと、公共交通としての使
命を果たせないと思った。
211「最後の授業」(3月14日)******************************************************
先々週は試験問題の作成、先週は試験答案の採点に忙殺され、今週は成績処理に追
われている。その最中に答案を返却するための授業が特別時間割で組まれているのだ
が、私にとってはそれがそのクラスに対して行なう今年度の最後の授業になる。毎年同じ
ことだが、私は一人ひとりに答案を返しながら「1年間よう頑張ったな。これからも元気で
ね」と声をかける。そのとき「先生ありがとうございました」と頭を下げる生徒もいる。また、
この最後の授業では生徒全員に1年間の授業の感想を無記名のアンケート形式にして書
いてもらっている。これは学校で「生徒による授業評価」を始める前から私が独自にやって
いた。日頃自分では気づかない癖を指摘してもらったり良かれと思ってやっていることが本
当に生徒のためになっているかを検証する絶好の機会なので「生徒による授業評価」を行
なうようになった今もなお、このアンケートを毎年やっている。無記名だから生徒はじつに
赤裸々に書いてくれる。そんな中、「来年も先生に教わりたい」「今まで国語には興味がわ
かなかったけど、先生と出会えて国語が好きになった。」という感想を見ると心から嬉しくな
る。今年も少なからずそういう感想が書かれてあった。誠心誠意指導をすれば必ず評価は
ついてくるものだなと思った。
210「春の旅行計画」(3月 7日)****************************************************
今年度もいよいよ終わりが見えてきたので最近は春休みの旅行計画を立てている。私の
最後の授業は3月12日。この後は4月まで3週間近くが自由になる。とはいえ成績処理や
その後の残務があるので、1週間は出勤し出発は20日の夜にした。以後は終業式も含め
てすべて未消化の年休をまとめて取ることにしたから、4月まで出勤する予定はない。
南九州と北海道の最東端を皮切りに毎年学校の休業期間中に旅行を重ねてきたが、北
海道の全域と西日本の95%以上は、鉄道線から車窓の風景を眺め、中核都市では途中
下車して町並みを一通り散策した。だからほとんどの街は足跡を残したのだが、それでも
未踏の地はまだまだ残っている。特に東北地方はそうだ。青森や仙台など北海道旅行の
帰り道に寄った街を別にすると、東北は知らない所ばかりである。これは東北地方が私の
育った関西とは反対方向になるという理由もあるが、東京発大垣行きの夜行のように特急
券や急行券を買わずに乗れる列車が東北方面には走っていないという不便さが最大の理
由である。ダイヤ改正のたびに北へ向かう快速の夜行列車が新登場することを期待してい
たが、一向に登場はしないところをみると今後も設定されないのだろう。しかしだからといっ
て東北地方だけ行かずにこの世を去るのも心残りの種になりかねないので、この春から東
北地方を積極的に旅することにした。
その皮切りは、山形県に決めた。東京から出発するのなら、山形新幹線で福島から板谷
峠を越えて奥羽本線を米沢→赤湯→山形と進むのが一般的だが、それではあまりにも平
凡である。そこで新潟へ出て羽越本線の坂町から米坂線で小国→今泉→米沢と進むルー
トにした。これは新幹線の走る奥羽本線は堅調な収益を上げているが、豪雪地帯を細々と
走る米坂線は赤字のローカル線で将来廃線される恐れがあるからだ。乗れるうちに乗って
おかないと後悔することになるので、今回は米坂線で東北に入り、山形を拠点にしてローカ
ル線である左沢線・山形鉄道を乗り、山形・米沢・荒砥・左沢の町を歩いてみたいと思う。米
沢の街で駅から歩いても散策できる場所といえば何といっても上杉神社。本当なら、5月の
上杉祭りや2月の雪灯籠祭りに訪れたいものだが、どちらも学期中だから現在の職業を引
退しない限りは行くことができない。だから3月の下旬に行くしかないのだが、それでも見る
価値はありそうな気がする。
山形県といえば蔵王のお釜が代表的な観光名所だろう。国文学関連では斎藤茂吉記念
館もあるし、『奥の細道』にも記された立石寺(JR仙山線山寺駅下車)もある。また天童は
将棋の街として知られている。内陸のみならず日本海側にも酒田・余目・鶴岡といった都
市が点在し、羽越本線の車窓からは出羽三山で知られる月山や鳥海山(山そのものは秋
田県だが)も望める。蔵王温泉・赤湯温泉・上ノ山温泉・あつみ温泉など源泉にも恵まれて
いる。というわけで見たいところはたくさんある。また、同じ場所を訪れても季節が異なれば
趣は変わる。特に夏のそれと冬のそれはまるで違うだろう。これから何回も足を運んでみた
い地だ。
209「短時間では解けない数学の入試」(2月28日)************************************
下の図1のように、1から10までの番号が1つずつ書かれた10個の箱が並べて置いて
あり、10番の箱の中に黒い玉と白い玉が1個ずつ入っている。
|
大、小2つのさいころを同時に1回投げ、出た目の数によって、次の@、Aの操作を行な
うことにする。
@大きいさいころの出た目の数と同じ番号の箱の中に黒い玉を移動する。
A大きいさいころと小さいさいころの出た目の積を求め、その積の一の位の数字と同じ
番号の箱の中に白い玉を移動する。
ただし、一の位の数字が0の場合は、白い玉を移動しないものとする。
例・大きいさいころの出た目が4、小さいさいころの出た目が3のとき、
@4番の箱の中に黒い玉を移動する。
A4と3の積は12であり、その一の位の数字は2であるから、2番の箱の中に白い玉を
移動する。
この結果、黒い玉と白い玉は図2のように入っている。
|
いま、黒い玉と白い玉が図1のように10番の箱の中に入っている状態で、大、小2つの
さいころを同時に1回投げるとき、次の問いに答えなさい。
(ア)白い玉が、8番の箱の中に入っている確率を求めなさい。
(イ)黒い玉と白い玉が同じ番号の箱の中に入っている確率を求めなさい。
これは先週の2月22日に実施された神奈川県立高校の後期選抜における共通入学試
験問題である。冒頭に提示したのは数学の試験問題の問4で、いわゆる確率の問題であ
る。私は今年も入試問題を各教科見たのだが、数学に関しては全ての受験生が制限時間
内に解けるとはとても思えなかった。以下は私が解いた方法である。はたして塾長の言わ
れる「数学的なものの見方・考え方」「表現・技能」がどれだけ評価される解き方かはわか
らないが・・・。
(ア)まず大小2つのさいころを投げたときに出る目の積の一の位を次のように書いてみる。
大きいさいころの目が1のとき→1・2・3・4・5・6
大きいさいころの目が2のとき→2・4・6・8・0・2
大きいさいころの目が3のとき→3・6・9・2・5・8
大きいさいころの目が4のとき→4・8・2・6・0・4
大きいさいころの目が5のとき→5・0・5・0・5・0
大きいさいころの目が6のとき→6・2・8・4・0・6
一の位が8になるのは上図の赤文字の部分、すなわち大きいさいころの目が2で小さい
さいころの目が4のとき、大きいさいころの目が3で小さいさいころの目が6のとき、そして
それぞれの大小が逆になった場合を含めた4通りである。
したがって4/36。約分しないと○にはならないだろうから、答えは1/9だ。
(イ)は
大きいさいころの目が1のとき→1・2・3・4・5・6
大きいさいころの目が2のとき→2・4・6・8・0・2
大きいさいころの目が3のとき→3・6・9・2・5・8
大きいさいころの目が4のとき→4・8・2・6・0・4
大きいさいころの目が5のとき→5・0・5・0・5・0
大きいさいころの目が6のとき→6・2・8・4・0・6
同じ箱に黒白2つの玉が入るのは上図の赤文字の部分になるから、11/36が答えに
なる。
上の数字を書き並べながら、『小さいさいころの目が1のときは同じ箱に黒い玉と白い玉
が入るんやなぁ・・・。』と思わず感心!しかし、この問4だけで13分も費やしてしまった。次
の問5に目を転じてみる。
右の図1のように1辺の長さが16cmの正方形で1目もりが縦、横ともに1cmの等しい間
隔で線が引かれている方眼紙がある。

この方眼紙に書かれている1辺の長さが1cmの正方形をます目ということにする。この方
眼紙のます目を1個選び、その中に小石を1個置き、そのます目を含む縦の一列と横の一
列のます目をすべて黒くぬりつぶし、黒い部分の面積を求める。
次に、この方眼紙の黒くぬりつぶしていないます目を1個選び、その中に別の小石を1個
置き、そのます目を含む縦の一列と横の一列のます目をすべて黒くぬりつぶし、黒い部分
すべての面積を求める。さらに、このような操作を続け、この方眼紙のます目がすべて黒く
ぬりつぶされたところでやめる。
例・ 【置いた小石が1個のとき】
図1のます目に1個目の小石を置いたとき、図2のようになる。このときの黒い部
分の面積は31cuとなる。

【置いた小石が2個のとき】
次に、図2の黒くぬりつぶしていないます目に2個目の小石を置いたとき、図3の
ようになる。このときの黒い部分すべての面積は60cuとなる。

このとき、次の問いに答えなさい。
(ア)この方眼紙に置いた小石が3個のとき、黒い部分すべての面積を求めなさい。
(イ)この方眼紙の黒い部分のすべての面積が175cuとなるとき、置いた小石の個数を
求めなさい。
(ア)は比較的短時間でも解ける。幸い問題文中に例示してある【置いた小石が2個のと
き】の解説に図3が載っているので、これに任意の点を選び縦と横をぬりつぶして黒くなっ
たます目が増えた箇所を数えて60に加えれば87cuとわかる。しかし、(イ)はそうもいか
ない。私は図3から任意のます目を選んで小石を4個5個・・・と置き、新たに黒くなったま
す目の数を丹念に数えて加えていった。すると小石が4個のときは87から新たに25増え
て112cu、5個になるとさらに23増えて135cu、6個だと21増えて156cu、7個で19
増えて175cu、つまり答えは7個だったのかとわかる。しかし、この作業はじつに根気が
要る。私は(ア)に3分、(イ)に18分。問5全体で21分。既に問4で13分だから、この2題
だけで34分もかかってしまった。こんな調子では全部解くのに90分はかかりそうな気がす
る。後で考えれば置く小石を1個追加するごとに新たに増える黒います目の数が2ずつ減
るという規則性があることがわかったのだが、解いている最中は夢中になっているからそ
んな事実には気づかない。
一部の進学校では県の教育委員会が作成した共通問題を使わずに当該高校独自の問
題で行なわれたが、上記の問題は「共通」であるから、いわゆる教育課題校や定時制高校
の生徒も受験している。つまり中学校での成績が著しく芳しくない生徒もこれと同じ問題で
受験したのである。そういう生徒にとってはあまりにも時間がなさすぎて全ての問題どころ
か半分の程度の問題にしか手を付けられずに終わってしまったのではなかろうか。私です
ら2題解くのに34分費やしたくらいである。また、この手の文章問題の場合は解く以前に
問題文の意味内容を理解する国語力も同時に問われるから、15歳の生徒ならもっとかか
ったことだろう。今年の入試は解けはするけど時間内に終わらないような問題ばかり揃えた
のではなかろうか。これが私の感想である。
菅ちゃんより、返信を頂きました!
本当に「模範解答」なんですか?「数学的なものの見方・考え方」も本当に素晴らしかった
のでしょうか?私としては「数学的なものの見方・考え方はまるでなっていません。」という手
厳しいコメントになるのだろうと覚悟していたのですが・・・。しかし、コメントの文中には「表
現・技能」には言及していないので、たぶん「数学的なものの見方・考え方」は良くても「表
現・技能」はたぶんダメなのでしょうね。まあ18分も要するくらいですから、当然といわれれ
ば当然でしょうが・・・。
208「光通信の契約をしました」(2月21日)********************************************
今月10日からの3連休に私はVDSL方式による高速インターネットサービスの新規契約
をした。いわゆる光通信だが、神奈川県でも私の住む地域はローカルなので今で光は設置
されていなかった。それが今春から開通するのである。そのためにNTTの職員が私の住む
建物にまで営業に来て個別相談会を開いてくれるということなので、私はそれに参加しBフ
レッツの契約を済ませた。これで通信環境は現在のADSLより向上することだろう。また現
在パソコンは2台あるのでこれを機に無線LANカードを購入し、ワイヤレスでネット通信が
できる環境にするつもりでいる。今回の契約ではインターネット料金だけではなく電話料金
も安くなる。従来の固定電話の月額基本料金は1785円だが、ひかり電話にするとこれが
997円50銭になり、さらに通話料金も国内は一律3分で8円40銭になるという。特に私の
家は自分が育った関西をはじめとする西日本に親族や友人が多いため、どうしても県外の
遠距離電話代がかさむ傾向にある。だから国内どこでも同じ料金でかけられるというのは
非常にありがたい話だ。そこでひかり電話も契約しておいた。というわけで何かと憂鬱にな
りがちな春だが、今年だけは楽しみが一つ増えた。
207「トルコ料理を堪能しました」(2月14日)*******************************************
3学年の授業がすべて終わった先月31日、勤務先の高校の国語科教員だけで新年会
を催した。時節柄、ふつうは温かい鍋料理になりがちだが、今回暖簾をくぐった店は趣向
を変えてトルコ料理店である。同僚の一人がトルコに何度も旅行しているので、トルコの生
活や食文化を中心にいろいろと説明を聞いたりしながら料理を味わった。日本で食べる機
会に恵まれた外国料理といえば、まず中華料理・イタリア料理・フランス料理であろう。果た
してトルコ料理を食べさせる店など学校の近くにあるのだろうかと思っていたら、じつはあっ
たのである。さすがは横浜だけに何でもある。JR根岸線の関内駅から山下埠頭へ向かう
大通りがあるのだが、その通りから少し入ったところに小さな店が建っている。横浜スタジ
アムからも歩いてすぐのところだ。しかし店は街に溶け込んでいて全く目立たない。トルコの
ビールで乾杯すると、前菜とともにトルコで主食となっているパンが出てきた。しかし、パン
は今まで見たことのないようなものだ。「どんなものだった?」と言われても、他のどの食品
にも似ていないので言葉で表現できない。強いて言えば手打ちうどんを引き伸ばして平たく
したときに見られる白くて薄い生地を、直径20cm程度にした円盤状のものである。とにか
くイギリスパンやフランスパンなど街中のパン屋で見られるパンとは似ても似つかない。表
面もこんがり焼けている色でもなく、見た目にもあまりおいしそうにはみえなかった。しかし
食べてみるとしっかり焼けていて味もなかなかおいしいのには驚いた。それも薄いように見
えてじつは中が袋状になっていて、そこにジャム(これも日本のそれとはだいぶ違うが)など
をつけて好みの味をつけられるようになっている。その後主菜としてミートボールのような肉
料理を食べた。トマトケチャップをベースにした味作りでこれもおいしかった。一人分とは思
えぬほどの量がかなりあってこれだけでも充分満腹になる。私は飲まなかったがアルコー
ルもトルコの酒である。同僚は45度という非常に強いアルコールも注文して試飲していた。
料理を作っている人もトルコの男性だ。言葉もトルコ語である。どうやら日本語は話せない
ようだ。同僚がトルコ語で語りかけて彼の返事を我々に通訳して料理の内容などを知るこ
とができたからである。最後にアイスクリームが出てきた。しかしヨーグルトに近い感じで、
これも日頃食べているアイスクリームとはほど遠い。前菜からデザートまで何もかも違う味
を堪能して、まさに異国文化の一端に触れた一夜であった。
206「笑えぬ誤解」(2月 7日)******************************************************
先月29日のことである。私は別に怪我も病気もしていないのだが、出勤すると「先生、も
う治ったんですか?」「大丈夫だったんですか?」と異口同音に同僚から言われた。あまり
に唐突な質問で返答にも唖然とするばかりだが、「興奮して、飛び跳ねていたんだってね」
「新聞には重症って書いてあったけど」という言葉でやっと状況が呑みこめた。じつは1月
27日に私がたびたび話題にするモーニング娘。の所属するハロープロジェクトのコンサー
トが催されたのである。その開演直後の午後6時15分頃に35歳の男性客が3階の客席
から2階の通路に転落して重症を負うという事故が起きたのだが、冒頭の質問をした同僚
はその転落した観客は私だと思っていたのであった。「そうですねん。頭から逆さまに落ち
たさかい、首が痛うて死にそうになりましたわって何でやねん!」と思わずツッコミ入れてし
まった。「私は常識的な普通のファン。そんな興奮して階下に転落するほどアホなハロプロ
オタクやないで〜」と何度も言って聞かせたのだが・・・・・・。
205「犬吠岬で濡れ煎餅を食べました」(1月31日)*************************************
前回まで山陽地方の旅日記を書いたが、その旅からは正月4日の朝に帰った。そして4
日・5日と授業の準備を兼ねて出勤したが、6日からは土・日・成人の日で3連休である。
かねてからこの3連休中に晴天なら近場である関東地方を旅することに決めていたので、
7日に私は日帰りの旅に出た。目的地は千葉県銚子市の犬吠岬である。今回ここを選ん
だのは理由がある。JRの銚子から銚子半島を半周するように外川までの路線を有する銚
子電鉄が今春限りで廃止されることになったからだ。
朝を早めに起きて千葉から銚子行きの総武本線の普通に乗った。佐倉からは成東を経
由する総武本線ルートと成田を経由する成田線ルートがあるが、行きは成東経由にした。
このほうが早く銚子に行けるからという理由もあるが、まだ新年明けて間もないので成田
経由だと成田山新勝寺への初詣客と一緒になり電車が混む。それを敬遠したかったので
ある。千葉を出るときはそこそこの乗客であったが、佐倉・成東と銚子へ向かうにつれてど
んどん乗客は少なくなっていった。車窓はほとんどが畑で変化に乏しい。これといった山も
見えないし大河もない。千葉は落花生の産地で有名だから、車窓の畑はそれなのかもしれ
ない。千葉から約2時間で銚子に着いた。ちょうどお昼の時間だ。ここから銚子電鉄乗り場
に行く。といってもJRから離れた改札口やホームに移動するのではなくJRのホームの先
に簡素な仕切りがあってそのまま銚子電鉄のホームになっているだけである。そのホーム
にはこげ茶色と赤のツートンカラーを纏った列車が既に停まっている。床面がリノリウムで
はなく板張りで、戦前から走っていたと思われるほどの年代物の車両である。どんな走りを
するのかと興味津々であった。車内は明らかに地元の人ではないと思われる観光客や鉄
道ファンで満員である。2年前の春に能登鉄道を訪れたときもそうだったが、それまでは閑
古鳥だったのに「なくなる」と公表されると全国各地から観光客が集まって活況を呈するの
は不思議なものだ。
さて、銚子を出た電車はのんびりと民家の軒先をかすめながら走りだした。しかしスピード
はじつに遅い。私が自転車、それもママチャリをこいでも競争できるのではないかと思われ
るほどの低速である。時刻表を見ると銚子から外川までのたった6.5kmを19分もかけて
いる。距離を所要時間で除した表定速度は20km/hしかない。よくもまあ今まで営業を続
けることができたものだと思わずにはいられない、そんな走りである。会社は少しでも乗客
を集めようと、銚子名産の濡れ煎餅を1枚タダで食べられる券がついた一日乗車券「弧回
り手形」を発券するなどユニークな経営戦略をあれこれと打ち出しているようだが、いかん
せんこんなに遅いのでは地元の人も観光客も速くて便利なクルマやバスに乗るだろう。銚
子電鉄の終点は外川であるが、その一駅手前が犬吠である。天気は雲ひとつない快晴だ
ったので私はここで降りて犬吠岬へ行ってみた。電車からは全く海が見えなかったが、岬
へは駅から歩いて数分の距離である。行ってみると展望レストランなどに「地球が丸く見え
る」と大書した看板が目立つ。かつて北海道の地球岬や釧路湿原を訪れたときもそうだっ
たが、360度の視界が利く場所や果てしない大平原を望める観光地にはどこもそういう看
板を立てている。まあ地球の直径から考えればどうみても地平線や水平線が丸く見えるは
ずはないのだが・・・・・。
岬の突端まで歩いて立ってみるとさすがに風が強い。帽子が飛ばされるほどの強さであ
る。眼下の海も外海だけあって波しぶきがすさまじい。北海道の襟裳岬でもそうだったが、
たぶんここも四季や天候を問わずいつも強風が吹くのだろう。写真を撮ったりボケーっと
海を眺めているうちにどんどん海の色が変わってきた。上空を見上げるともう西から雲が
広がっている。それももう今日は2度と晴れないのではないかと思われるほどの厚い雲だ。
それがみるみるうちに頭上へやってきてあっという間に太陽を隠してしまった。天気という
ものはじつにわからないものだ。あと30分遅く着ていれば青い海を眺めることはできなか
ったのかと思うと、とても幸運に恵まれた気がした。太陽が隠れたためか一気に風が冷た
く感じられ寒くなってきたので、ここで犬吠岬をあとにすることにした。帰りの電車が来るま
での時間に例の一日乗車券「弧回り手形」を提示して名物の濡れ煎餅をもらった。食べて
みるとまさに「濡れ」た「煎餅」だ。普通に焼き上げた醤油煎餅をうっかり水の入った洗面
器の中に入れてしまったときに食べる味がした。だから当然のことながら煎餅らしいパリ
パリとした食感は得られない。これこそがこの「濡れ煎餅」の特長なのだろうが、またぜひ
買いに行って食べたいという気はしなかった。やはり煎餅はパリパリと食べるものが良い。
銚子からの帰りは成田経由にした。行きとは違い車窓の風景はなかなか良かった。成
田の手前までは帯状になっている利根川がすぐ近くを平行し、そのはるかむこうには筑波
山がはっきりと見えた。犬吠岬を出るときには曇りだった天気もいつのまにかすっかり晴れ
ている。夕陽で赤く染まった空と平野がじつに美しかった。今度は成田の先の鹿島から大
洗海岸・水戸を経由して、栃木県の小山へ出るのもおもしろそうだ。鹿島灘の青い海と筑
波山を間近で眺められることだろう。いつもは北海道や九州など遠いところを中心に出か
けていたが、近場の日帰り旅行もなかなか楽しいものである。
204「山陽地方の旅(Part3)」(1月24日)********************************************
三次に泊まった翌朝7時に起きたが、窓の外は真っ白である。前夜の天気予報で「明日
は晴れのち曇り」と予報していただけに「朝から曇りやないかい!」と思ったが、正体は霧
であった。視界が数十メートルしか利かないのである。きのう三次に着いたときは全く気づ
かなかったが、今朝ホームに立って列車を待っていると「ようこそ霧の街三次へ」という看
板があることに気づいた。夏の釧路が霧で有名なのは知っていたが、釧路とは全く気象条
件の異なる広島県三次も霧の街とは知らなかった。今日はここからまず芸備線に乗り広島
へ向かったが、普通列車にはせず急行列車にした。JR各社は料金不要の列車として普通
・快速を、料金を徴収する列車として急行・特急を走らせているが、急行は増収対策として
特急に格上げされたり、あるいは逆に快速に格下げされたりして、特にここ10年間でどん
どん少なくなってしまった。急行列車は今となっては全国的に希少価値である。
さて、三次を発車してもしばらくはやはり霧の中である。すぐそばに川が流れているはず
だが、その流れさえも眺めることさえできない。しかし列車が広島に向かうにつれて、どん
どん晴れて雲ひとつない快晴になった。これにはじつは理由があるのだ。三次が盆地だか
らである。標高158mの三次から広島へは一直線に下るのではなく途中の向原までは上
り勾配である。だから向原までは可愛川という川が見え隠れする。これは日本海に注ぐ江
川の支流なのだ。ところが向原を過ぎると今度は下り勾配になり川の流れも逆になる。芸
備線の車窓には三篠川という小さな川が沿うようになるが、これは下流で太田川に合流し
て瀬戸内海に注ぐ。向原あたりまでは霧が出ていたため残念ながら可愛川は見ることが
できなかった。しかしその先はきれいな冬の朝の景色を楽しむことができた。広島に近づ
くと列車は太田川の東岸をぴったりとくっついて走るようになる。やがてマンションやビルが
立ち並び大都市を感じさせる車窓になった。
広島からは岩国へ出て錦川鉄道に乗る予定にしていたので普通列車で岩国へ向かった。
広島からもしばらくは快晴だったのだが、岩国ではすっかり曇り空になっていて雨すら降り
そうな気配だ。天気が悪くなるのはじつに早いものだとつくづく思う。ここで錦川鉄道に乗る
かどうかだが、どうせ1度しか乗らない鉄道なら晴れているときに行って絶景を観賞したい。
それに現在不通になっている津山線を訪れるためにいずれこの地方を旅するのだから、錦
川鉄道はそのときにしようと決めた。そこで当初予定していた列車よりも2本早い岩徳線に
乗って徳山に向かうことにした。岩国から徳山まで行く場合、山陽本線を利用するのが普通
だろう。複線で電化された幹線であるし列車も頻繁に走っている。しかし山陽本線は岩国を
出ると柳井港に向かって迂回し瀬戸内海沿いをくねくねと走るため距離は岩徳線より22km
も長くなる。一方、岩徳線は山間部を1両のディーゼルカーで走るローカル線で1時間に1本
程度しかない。しかし距離が短いから足の遅いディーゼルカーであっても所要時間はほとん
ど同じなのだ。ちなみに岩徳線が元々の山陽本線である。ところが瀬戸内海に軍の施設が
できた昭和初期に、柳井を迂回するルートを山陽本線にすることに変更したという歴史があ
る。
さて、発車5分前に列車に乗り込んだが、車内はすでに満員だった。帰省客とおぼしき人
もいるが、大半は地元の人である。途中の川西の手前で有名な錦帯橋が見えた。その背
後にある山の頂上には岩国城の天守閣も見える。その後は併走する国道2号線や新幹線
の橋脚が姿を現すこともあるが、ほとんどはのどかな山村の風景である。地元の人は途中
の駅でどんどん降りてしまったので車内はいつの間にか空いてきた。柱野を過ぎると峠越え
になり長いトンネルをくぐる。そして徳山に向かって緩やかに下っていく。岩国ではどんより
曇っていた天気もまた晴れてきた。これなら予定通り錦川鉄道に乗っても良かったかなと、
ちょっと後悔した。旅をしていていつも思うことだが、観天望気はじつに難しい。しかし今さら
岩国に戻って錦川鉄道に乗りに行くわけにもいかないので、そのまま山陽本線を西進して
九州に入り小倉へ行った。大阪へ戻る夜行の快速列車に乗るためである。のんびり買い物
したり夕食を食べたりして、しばらくは小倉の夜を楽しんだ。22時過ぎ、新大阪行きの夜行
列車がホームに入ってきた。今回の旅はこれで終わりである。あとは関西で除夜の鐘を聞
きに行ったり初詣に行ったりして例年と同じ年末年始を過ごした。
203「山陽地方の旅(Part2)」(1月17日)********************************************
翌日は朝からどんよりと曇っている。前夜の天気予報では「一日中穏やかな晴れ」とのこ
とだったので裏切られた気分がした。しかし上空をよく見渡すと全体の30%は青空だ。だ
から気象用語の定義する「晴れ」にはなっているので、これでも予報通りの天気になったこ
とにはなるのだろう。しかし上空のほとんどは厚い雲に覆われていて日照もないから、私の
ような素人には「晴れた」という感じはとてもしない。やはり気象用語の定義と乖離している
とつくづく思った。さて、そんな中、本当に「晴れ」ることを期待して出発した。今日の目的地
は広島県の三次である。兵庫県の姫路から広島へ列車で移動する場合、誰もが山陽新幹
線を選ぶだろう。もし特急券がもったいなければ在来線である山陽本線に乗るはずだ。だ
が、そのどちらでもない方法で移動できるルートがある。姫路と岡山県新見を結ぶ姫新線
と、新見から広島を結ぶ芸備線である。どちらもローカル線で距離的にも相当な迂回には
なるが、これでも行くことはできるのである。今回は智頭鉄道線に乗る目的があったので
姫路〜津山の姫新線は乗らなかったが、津山からは広島までこのルートで行ってみようと
考えた。
津山を発車した列車はやはり1両のディーゼルカー。きのうの上郡から私が乗った列車
はすべて1両しかないディーゼルカーである。乗車時に整理券を受け取り降車時に車内で
運賃を支払う方式だ。乗務員は運転士のみ。人件費を削減をすべくローカル線では大部
分の駅が無人化され、列車も車掌は乗務しなくなった。目をつぶって音声だけを聞いて乗
っていると、女性の声の自動放送がしきりに流れ、これでレールの継ぎ目や分岐点を通る
ときに聞こえる轍の音がなければまるで路線バスに乗っているみたいだ。合理化とはいえ
公共交通の末路を目の当たりにするのはじつにさびしい限りである。しかしそうなるのも仕
方あるまいと思えるほどの乗客しかいなかった。津山を発車するときでさえ10人程度、し
かも次の駅から数駅以内で大部分が降りてしまい、あとは新見まで数人もいないという状
況であるからだ。車窓もほとんど人家のない山の中で、そこを、きのうの因美線と同様に
ゆっくりした速度で走る。12時過ぎに新見に着いた。ここは倉敷〜米子を結ぶ伯備線との
乗換駅。真昼だが相変わらずどんよりと曇ったままなので夕方のような暗さである。ホーム
には蛍光灯が点いていた。ここも津山とともに岡山県北部の「市」ではあるが、何万人も住
んでいるような市民のざわめきは全く感じられなかった。駅前に立ってもじつに静かで商店
街を歩いても、すれちがう人は数えるほどしかいなかったからである。
その新見から芸備線に乗る。路線名の「芸」は広島県の旧国名である「安芸」、「備」は岡
山県の旧国名である「備中」からきている。きのうの因美線もそうだったが、(「因」は「因幡、
「美」は「美作」を意味する)2つの旧国名の頭文字だけとった路線名が多い。新見からもや
はり1両だけのディーゼルカーでワンマン運転である。発車するとしばらくは複線で架線の
張られた線路を走る。一瞬「まちがって伯備線に乗ったんか?」と思うが、芸備線は途中の
備中神代までは伯備線の線路を走るのである。ここから別れ非電化の単線に入る。途中
の野馳を過ぎてから県境を越えて広島県に入るが、車内を見渡したとき乗客は4人しかい
なかった。こういうローカル線で県境を移動する地元の客は非常に少ないことを思い知らさ
れる。大部分はクルマで移動しているのだろう。
新見から乗った列車は備後落合までである。ここから備後西条までは昨年7月の集中豪
雨による土砂崩れで今もなお不通になっている。距離にして約9km。列車とほぼ同じ時刻
でバス代行輸送が行われている。やがてバスが横付けされた。木次線からの乗客とあわ
せて15人がバスに乗った。河川を間に挟み、バスはほぼ芸備線の線路に沿って走る。だ
いたい山の中の交通路はどこもこうなるものである。谷の両側のわずかな空間にしか鉄道
や道路を建設できないからだ。途中で土砂が崩壊した現場を見る。当然、一日も早い復旧
をめざし作業が盛んに行われているものと思っていたが、土嚢が山のように積まれたまま
放置されていて作業員の姿もない。朝夕のラッシュ時でもバス輸送で事足れりというほどの
乗客しかいないから、復旧への意識も都市のそれとは考え方が全然違うのだ。だから半年
以上も経過しているのに不通のままなのであろう。備後西条からは再び列車に乗る。相変
わらず1両だけのワンマンカーだが、少しずつ山脈が遠ざかり人家のあるところを走るよう
になったので乗客は増えてきた。三次は広島県北部の町。いつの間にか天気もすっかり晴
れている。駅前は2車線の道路が1本通っているだけだが付近には大型家電量販店やショ
ッピングセンターもあり、久しぶりに人の住む町を見たような気がした。
202「山陽地方の旅」(1月10日)****************************************************
天皇誕生日である12月23日の朝、私は山陽本線の上郡駅で電車を降りた。ここは姫路
や相生の郊外で兵庫県の西端にあたる。今回はここから鳥取県智頭まで結んでいる智頭
鉄道に乗るのが目的だ。ここは赤字の国鉄線を引き継いだ第3セクターではなく、全くの新
線である。関西から鳥取に行く場合、昔は京都からなら山陰本線を、大阪からなら福知山
線で、姫路からなら播但線で行くしかなかった。それが今は京都からでも大阪からでも智頭
鉄道線経由で行くのが当たり前になり、京都〜鳥取は在来線の特急で3時間余りで移動で
きるようになった。今回はその智頭鉄道の沿線風景をのんびり見るのが目的である。だか
ら特急ではなく普通に乗った。1両のディーゼルカーに乗客はわずかに9人。学校も会社も
休みである祝日の10時30分に出る下り列車だから仕方ないとはいえ、年の瀬でこの程度
の乗客しかいないのは、あまりにもさびし過ぎる。
しかし、車窓の風景を見ると駅前でも人家が密集しているところはほとんどないことに気づ
いた。特に途中の平福駅で見た看板には「12月16日にクマが出たところ」と書いてあった。
「ここにクマが出た」ということを周知させるための看板なのだが、これでは駅のホームで列
車を待つのも勇気がいるだろう。いつクマに襲われるのかわからないのでは、おいそれとホ
ームにも降りられまい。それほど人里離れた場所を智頭鉄道は貫いているのである。その
平福から2つ先に宮本武蔵という駅がある。ここがかの宮本武蔵の生誕地なので、それを
そのまま駅名にし、それが全国的に有名になった。しかし観光客が大勢降りるような駅では
ない。一日片道で17本の普通しか停まらない小駅で、他の駅と同様に駅前には商店らしき
ものもない。だからこの日も下車した人は地元の人と思われるお年寄り1人だけだった。駅
名が「宮本武蔵」でなければ黙殺されても当然の、ただの無人駅に過ぎない。
上郡から1時間17分、県境を越えて列車は智頭に着いた。山陽から山陰に抜けたので
日本海側の気候になるわけだが、この日は年の瀬にもかかわらず雪もなく良く晴れていた。
こういう日は鳥取へ出て砂丘に行っても青い海が望めそうだ。思わず行ってみたい衝動に
駆られるが、予定は智頭から因美線に乗り岡山県の津山までなので津山行きのディーゼル
カーに乗り換える。ここも1両で乗客は数名しかいない。津山までの途中に土砂崩壊の危険
区域が散在しており、工事をしているわけでもないのに徐行運転を繰り返す。場所によって
は15km/hまで落とす。これでは自転車でも出せる速度である。列車は「走る」のではなく、
まさに「恐る恐る通り抜けている」という形容がぴったりするほどの徐行運転だ。安全のため
とはいえ沿道のクルマには容赦なく追い抜かれている。その影響もあって智頭〜津山41.5
kmを68分もかけて走っている。これではクルマの方が速く移動できるから、列車は見向き
もされなくなるのが頷ける。そんな走りであった。その結果、利用する客がいなくなるから列
車の本数が減らされる。それが列車の本数が少ないからますます客が減るという悪循環を
招き、最後は廃止して鉄路を剥がすということになるのであろう。考えてみれば国鉄末期か
ら今までに廃止された鉄道線の多くは、そういう事情のものばかりである。
智頭から3つ目の駅から「美作滝尾」「美作加茂」「美作河井」といった具合に「美作」(みま
さか)を冠した駅が急に増える。岡山県の旧国名は北部は「美作」、南部は「備前」である。
だからこれで列車が鳥取県から岡山県に入ったことがわかるのだ。先月まで私の授業では
日本全国の旧国名を扱っていたのだが、やはり旧国名を知ることは特に地方を旅したときは
便利である。ところが政府は現在の47都道府県を廃止して日本全国を道州制にするという。
だから津山でも「岡山県がなくなる!みんなで道州制に反対しよう。」という看板や掲示があ
った。地元のテレビ局でもそんなCMを流していた。道州制が導入されると岡山県は中・四国
州になるという。それが地元の人にとってどういうことになるのかは私には実感できない。
201「年頭にあたりご挨拶申し上げます」(2007年1月 3日)*****************************
新年明けましておめでとうございます。
今年も『菅ちゃんの呟き』をよろしくお願いします。基本的に『菅ちゃんの呟き』は昨年と同
様で、『日記とお知らせ』を毎週水曜日に、『教えて頂戴』を毎週金曜日に、そして『言わせ
て頂戴』を毎週日曜日の更新といたします。変更するのは『こてんこてん』で、これまでは毎
週火曜日に出題しその解答を翌週の月曜日としましたが、原稿の作成に要する時間の関
係で、毎週火曜日に問題と解答を交互にお送りする形にいたします。したがって問題・解答
それぞれはともに隔週ごととなります。