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 サービス残業代請求訴訟で和解が成立

 2002/07/10 大阪高裁で
 昨年(2001年)6月12日の労基オンブズマンの結成総会に参加され、その後会社に対する時間外手当請求訴訟を起こし、また、2001年9月7日に一斉告訴・告発を行った高橋映美さんの事件で、7月10日午前10時からの民事訴訟控訴審の法廷(大阪高裁)で、完全勝利和解が成立しました。
 主な和解内容は、
 1 時間外手当の不払いとこれについての対応に問題があったことを認め、謝罪する。
 2 高橋さんが請求する未払時間外手当の元本全額と、一審判決の認めた未払時間外手当の元本に対する遅延損害金、一審判決の認めた付加金の元本の合計約250万円を支払う。
 3 会社は、今後は本件のような事態が起こることのないよう、労働基準法の趣旨に沿い、必要な制度と運用の改善を行うことを約束する。
 というものです。
 勝訴判決以上の画期的なものです。

  関連新聞記事(リンク:大阪過労死問題連絡会)

サービス残業代請求訴訟について 原告 高橋 映美

 私は昨年(平成13年)8月に、未払い賃金による労基法違反で広告出版会社Sを大阪地裁に訴えました。
 未払い賃金による労基法違反というのは、いわゆる「サービス残業」のことです。

 2年前まで私が勤めていました広告出版会社Sでは、日常的に長時間のサービス残業が行われていました。被告会社では雑誌を発行しており、私は雑誌に掲載する広告営業と編集を任せられていました。たくさんの仕事を少ない社員で短期間でこなさなければならず、毎日締め切りに追われていました。そして仕方なく夜遅くまで残業をしたり、休日出勤をしたりしていました。私たち現場の社員は皆必死で仕事をしていました。締め切りまでに自分の仕事を完成させなければ、雑誌は発行できません。たった一人のミスは全員の努力を無にしてしまいます。
 責任の重さから逃げたくても逃げられず、とにかく頑張るしかないという環境でした。
 体調を壊したり、精神的に疲れ果てた者から順番に会社を辞めていくという状況でした。
 就職難で職を探している若者はあふれています。欠員が出れば、新しい社員を入れれば済む。私にはそんな会社のやり方が、社員の使い捨てに見えました。
 そもそも被告会社では残業代は一切支払われていませんでした。
 就業規則にある就業時間は午前10時から午後6時までです。でも私たちはその後も働き続けて、午後11時を過ぎて終電で帰ることもしばしばでした。この場合、5時間はサービス残業です。
 私のサービス残業時間は約一年間で700時間くらいになりました。会社は私たち社員が毎日どれくらい残業をしているのか知っていました。それでも減らす努力もせずに、売上を伸ばすためにさらに仕事を与えていました。残業しても残業代は支払わないで済む、ならば出来る限りたくさん働いてもらった方が会社は儲かる。こんな非常識な考え方が、被告会社ではまかり通っていたと思います。
 やりきれなさと共に、このような会社に対して怒りを感じた私は、こんなことは間違えているのではないですか、と何度も上司に訴えました。しかし、上司は「会社は間違っていない。今のやり方が嫌ならばお前が辞めろ。」と言いました。
 状況は少しも改善されないまま時が過ぎ、すっかり疲れ果ててしまった私は2年前の9月に会社を辞めました。
 私が会社を辞める時、上司に「この先、会社の制度は改善されないのですか?」と聞きますと、上司は「これ以上悪くなる事はあっても、良くなる事はないだろう。」と言いました。さらに私が「私たち部下は皆必死で、無理をして働いています。もっと部下のことを考えてください。」と言うと、上司は「俺も会社に対してはお前よりも多く不満を持っている。でも俺は自分が出世さえ出来ればそれでいい。それだけだ。」と言いました。
 私が辞めた後も制度は改善される事なく、同僚の話によると朝方まで徹夜して働いて始発で帰宅するということも行われていたようです。

 本当に会社は間違っていないのか?労働者を奴隷のように扱うサービス残業は違法ではないのか?
 疑問だった私は在職中からタイムカードのコピーを取ったりして、いつかするかもしれない裁判の準備をしていました。会社を辞めてからは労働基準監督署で相談したり、いくつか法律相談に行きました。
 しかし、労基署も法律相談で話した弁護士も誰も協力的になってくれる人はいませんでした。大きな会社を相手に裁判をしても勝てる見込みはほとんど無いと言われました。
 それでも、誰かきっと助けてくれるはずだと信じて探し回っていました。そんな時に出会ったのが、ある女性デザイナーの過労死裁判でした。夢と希望に満ちた若い女性が無配慮な会社の責任で過労死に追いやられたという事件です。
 女性のご家族は果敢にも会社と闘っていらっしゃいました。その姿に私はとても勇気付けられ、私も闘わなければならないと強く感じました。
 そしてご家族から昨年6月12日の労働基準オンブズマンの結成を知らせていただき、入会にいたりました。

 その後、昨年9月7日に行われた「労働基準オンブズマンの一斉告訴・告発活動」で私は広告出版会社Sと代表取締役社長と上司(大阪支社長)を労働基準法違反で告訴しました。
 また、労働基準オンブズマンの事務局で前述の過労死裁判弁護団をされていらっしゃった弁護士の先生方お二人と、とても信頼のおける素晴らしい女性弁護士の先生お一人の合わせて3人の弁護士の先生方に高橋映美弁護団を結成していただくことができて、昨年8月には大阪地裁で広告出版会社Sを相手取り民事訴訟を提訴しました。
 弁護団の先生方は勝てる見込みが無い難しい裁判だということを承知の上で、それでも何としてでも勝たなくてはならないという強い正義感を基に訴訟を引き受けてくださいました。「この裁判は世の中で横行するサービス残業に一石を投じ、過労死を防ぐためにも意義のある裁判だ。とことん闘おう!」と。この訴訟が私の「サービス残業代請求訴訟」です。

 今年3月29日にはこの訴訟の第一審判決が大阪地裁で言い渡されました。当初の予想に反して、サービス残業を断罪する画期的な勝訴判決でした。勝てる見込みがないと言われていた私の裁判は、弁護団の先生方と支援者の皆さんのお陰でついに勝つことができました。
 それでも被告会社からサービス残業の撤廃をさせるには不十分な判決でしたので、とことん闘うべくさらに大阪高裁に控訴しました。被告会社も控訴してきました。
 そして、新たな闘いが始まるという7月10日の控訴審第1回期日を目前にして、突然に被告会社から和解の申し出がありました。
 私の請求を全て認めて謝罪し、今後はサービス残業をなくすということを約束すると言ってきました。
 私の裁判の第一の目的は、会社が間違っていることを明らかにして制度の改善をさせることでした。
 労働者に過労を強いて、使い捨てるような会社のやり方は絶対に間違っています。
 そのことに会社が気付き、過去を反省して今後は制度を改善するというのなら、それで私の裁判の目的は達成できます。
 したがって、7月10日には被告会社からの和解の申し出に応じることにしました。
 ここでの和解は完全に私たちの勝利を意味します。
 相手が大きな会社であろうと、私たちは法によって正義を実現できるのです。サービス残業で苦しまれている方は世の中にたくさんいらっしゃると思います。
 悪い事をしている会社ほど自らを正当化して、立場の弱い社員に向かって「会社は間違っていない」などと言います。
 私は会社を辞めてから闘いましたが、会社を辞めなくても会社を変えることはできると思います。
 日本ペイント事件(労働基準オンブズマンニュース第1号参照)では、相談者の方は会社から不利益を受けずに、労働基準オンブズマンの活動によって見事にサービス残業は改善されたそうです。
 本当に素晴らしいですよね。感動しました。
 労働基準オンブズマンは今後も悩める労働者の強い味方となって、精力的に活動を展開してくださると期待しています。
 労働者の皆さん、どうか希望を持ってください。皆さんの手で会社をよりよく変えてください。
 私たち自身のために、私たちの次の世代の人たちのために。
 労働基準オンブズマンの皆様、これまで本当にお世話になりました。感謝いたしております。
 ありがとうございました。


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