季刊・労働者の権利Vol.252(2003.10) p.36-40

◆「労働基準オンブズマン」活動報告◆

 サービス残業代請求訴訟の取り組み

   しもかわかずお
 弁護士 下川 和男
 下川和男法律事務所
  1994年弁護士登録


 1 はじめに

 2001年6月、「労働基準オンブズマン」は、大阪で結成された。学者、弁護士、過労死した労働者の遺族、現役労働者などを中心に。「過労死110番」に寄せられる「今にも死にそうだ」という深刻な相談に何とか対応できないものかと思案のあげく設立に漕ぎつけた。過労死が発生した職場から再び過労被害を生じさせないという遺族の願い、長時間労働が何とかならないかという現役労働者の叫び、このまま働き続けると過労死してしまうのではという家族の思いを受けとめた活動を構想していたとき、過労死が発生した事業所が労働基準法違反で告発され、刑事制裁を科された。これがいけるのではと初めて開く労働基準法の罰則規定を見て、これだと「1人でもできる」活動が可能だと労働基準オンブズマン構想は一気に具体化した。折しも、厚生労働省は、過労死の労災認定基準について蓄積疲労を考慮する方向で改訂する旨の報告を行い、加えて「労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置に関する基準」(厚生労働省平成13年4月6日基発339号)を発し、長時間労働への対策を打ち始めようとした時であった。

 2 労働基準オンプズマンの設立の意義

 労働基準オンブズマンは、過労死の根絶にむけて、その原因となる長時間・過密労働、その温床となっている「サービス残業(ただ働き)」をなくすため、労働基準法違反について労働基準監督署へ告訴、告発、申告、「通告」という手続を行うものである。過労死予防に向けた活動である。過労死によって親族を亡くした遺族にとって2度と同じことが起こってはいけないという気持ちは強く、「労働基準オンブズマン」活動はその遺族からも大歓迎を受けた。マスコミの注目度も高く、「サービス残業」という言葉は一気に市民権を得た。各地の労働局を中心に「サービス残業」の対策を行い、競って残業代を支払わせた額を公表するようになった。「サービス残業(ただ働き)は犯罪」ということを大きく印象づけ、何とか改善できるということを知らしめた社会的意義は大きい。

 具体的に「労働基準オンブズマン」に寄せられる相談に応え、相談者とともに労働基準監督署を訪れ、何とか会社の労働条件の是正をすすめるようよう申し入れたり、サービス残業代請求訴訟を提訴するなど具体的な解決をも図ってきた。

 また、残業についての法律知識を広めるため「しない・させないサービス残業」をいち早く出版し、労働者1人が立ち上がれば労働条件を改善'できることを支援してきた。

 3 相談システムとその特徴

 「労働基準オンブズマン」への相談は、所定の相談申込書に必要事項を記載して送付することから始まる(相談申込書は「労働基準オンブズマン」ホームページからも入手できる)。ホームページを作成してからは、郵送・手書きによる相談から電子メールによる相談が一気に増えた。電子メールによる相談は、その約半数が東京、神奈川など首都圏である。全体で見ても、大阪、兵庫、京都など関西圏に限らず、北海道から九州・大分まで各都道府県に広がっている。労働者本人からの相談は、すでに退職した人が元の職場でのサービス残業を請求・告発するといったものが多く、また4分の1は、妻、父母からの相談で労働者本人には内緒で相談申込書を送付してくるケースである。大阪近辺であれば、「オンブズマン」所属の弁護士が直接相談することは可能であるが、遠方は電子メールのやり取り、資料の郵送が主になり、直接お願いできる弁護士を個人的つてで頼って相談を受けてもらっている。
 ただいずれの法的手続をとるにしても労働時間を裏付ける資料が重要となるが、設立から2003年9月30日までに(2年半)送付された230件の相談申込書の内、相談者が労働時間についての資料としてタイムカードなど客観的な資料を準備できるとしているものは、わずかに51件しかない。労働者がタイムカードなどを入手できないこともあるが、ほとんどは
「タイムカード」がないという職場である。平成13年12月12日の過労死労災認定基準が改訂され、過労死労災認定において労働時間の把握が極めて重要になったが、職場の現状は、労働時間を客観的に把握するシステムがない職場が圧倒的に多いということを痛感する。使用者の立場からすれば従業員の労働時間を把握すること、労働者からすれば自らの労働時間に関心を払い目覚することは極めて重要である。労働時間の資料がない相談については、まず1ヶ月毎日出退勤時間をメモすることをアドバイスしている。中には、家族の働き方を心配して、カレンダーに帰宅時間をメモしている母からの相談、自ら毎日手帳に労働時間、業務内容を詳細に記載していた労働者もいた。

 4 告訴・告発

 告訴・告発は、企業の刑事責任を問うものである。サービス残業についていえぱ、「36協定」が締結されていないのに残業をさせた、協定を上回る残業をさせた、残業をさせたのに賃金が支払われないという内容である。「労働基準オンブズマン」設立後、「サービス残業110番」を行い、寄せられた相談等から7つの案件を取り上げて、2001年9月、大阪労働局に告訴・告発を行った。また労働基準法には記載はないが弁護士名で労働基準法違反を申告するという手続も行っている(児童虐待防止法の医師、弁護士などの「申告」を参考にした)。大阪労働局でも厚生労働省がサービス残業への対策を進めていることから、極めて丁寧な対応を受けた。告訴・告発事案は、すでに退職しているケース、「申告」事案は現役労働者のケースと分かれるのが現状で、現役労働者が顕名で告訴・告発をする事例は少ない。提出後、労働局とのやり取りの中で気づいたことをまとめると、@違法な残業を「させた」という犯罪は、1日1罪であり、長期間にわたる違法残業を「させた」という告訴・告発は、一度に多くの犯罪を告訴することになること、A従って、違法残業を「させた」という告訴・告発は、1日ごとに誰が、どのような業務内容の指示をしたのかを証明する必要があること、Bそうした作業は、未だ「司法警察職員」としては経験不足の労働基準監督官には荷が重いこと、C違法残業を「させた」という犯罪は、本来は企業の刑事責任を問うべきところ中間にいる直接指揮者が罰せられることになる可能性が高いこと、D一方、残業代を支払わないという犯罪は、証明もしやすく、労働基準監督署・労働局としても捜査しやすいこと、E労働基準監督署・労働局としては刑事責任追及するよりもむしろ改善指導する方がすぐに取り組めるということなどである。2001年9月に告訴・告発をした事例からは、長期の捜査の結果、労働基準監督署が検察庁に送検し、企業に略式罰金が科された事例もある。検察庁に送検されなくても労働基準監督署段階で、企業に調査がなされ改善が図られている。

 5 告訴して、残業代請求訴訟を提起した事例

 2001年9月に告訴・告発をした7つの事例のうちには、告訴に加えて残業代請求訴訟を提訴しているケースも2件ある。
 その一つは、情報誌の広告営業・編集を担当していた女性労働者の事案である。その職場は、勤務時間10時から18時となっていたが、実際には18時頃まで営業活動を行い、帰社した後21時頃まで編集作業を行っていた。遅いときは午前0時近くなることもあった。残業を行っても残業手当は一切支払われていなかった。タイムカードなどを元に計算した約700時間分の未払残業代について、金116万円を請求する訴訟を提起するとともに、残業手当の未払について社長及び支社長を告訴した。残業手当請求訴訟については、請求額の9割を認容する第1審判決後、双方控訴の上、控訴審において請求金額満額を認める和解が成立した。金銭の支払いにと.どまらず会社は女性労働者への謝罪と制度の改善を約束した。和解直前までには、告訴を受けた労働基準監督署の捜査が進み、社長及び支店長が書類送検され、刑事処分間近という段階にさしかかっていた。
 もう一つは、医療法人職員の事案である。勤務時間は9時から17時であるが、実際には早朝7時から21時近くまで仕事をしていた。職場にはタイムカードはないが、当該労働者は、手帳に克明に毎日の業務内容と始業・終業時刻をメモしていた。その手帳を元に計算した約600時間分の未払残業手当について、金129万円を請求する訴訟を提起するとともに残業手当の未払及び違法残業をさせた(36協定違反)ことについて医療法人理事長を告訴した。第1審において、医療法人は、社会保険労務士などと相談し、労働条件の改善を進めるとともにそうした資料を証拠として提出した。そうした改善などを考慮し、請求金額の9割を超える金額で和解解決をした。告訴を受け労働基準監督署は、数回にわたり事情聴取を行っていた。
 いずれも、刑事告訴自体は不起訴処分となっているが、職場の労働条件が改善され、請求額満額またはそれに近い支払がなされるという解決に至っている。

 6 「通告」した事例

 過労死労災認定基準は、簡単にいうと月時間外労働が80時間を超えるといつ過労死してもおかしくないというものである。しかしながら月時間外労働時間を100時間を優に超える相談も少なくない。大半は、妻や父母が夫・子を心配してのものである。そうしたケースは労働者本人に内緒にしていることが多い。厚生労働大臣は国会で「妻など親族からの申告も受理する」との答弁を行っている。ただ「申告」は労働基準法上の制度であり、申告者を明らかにしなければいけない。労働者本人に内緒で、健康を心配(さらにいえば、このままの状態で働き続けると死んでしまうという心配)して相談を寄せる事例は、労働者本人が会社で立場が悪くなること、退職を迫られることなどを心配して、労働基準監督署に氏名が明らかになることを恐れる。誰が申告したかわからないように調査を進めるとしても絶対という保証はない。
 「労働基準オンプズマン」としても、「絶対にわかりませんか」と聞かれれば、「絶対とはいえない」と応えざるを得ない。そこで、弁護士の立場で、違法な労働実態を法律の専門家として労働基準監督署に知らせるのである。児童虐待防止法を参考にした「通告」である。
 相談は、医療関連メーカーで働く夫を持つ妻から寄せられた。その職場では、正社員はほとんどが毎月100時間を超える時間外労働を行っていた。夫の同僚社員は過労から交通事故を起こしていた(幸い人身事故ではなかった)。過労は相談を寄せた妻の夫だけでなく同僚社員に広がっていた。妻との相談の結果、「労働基準オンブズマン」の弁護士名で労働基準監督署に実態を知らせる、通告書には相談者夫妻の氏名は一切記載しないことを説明し、ただ労働基準監督署を理解させるために労働実態を示す資料を作成できないかを依頼した。相談者の妻は夫に相談し、労働実態のメモ(時間を示すもの)と会社にある資料の種類・名称などを聴き取ってきた。それらを元に「通告書」を作成し、厚生労働省が過労死ラインとして設定した月時間外労働80時間を超える実態を是正するように求め、事業所を管轄する労働基準監督署を訪問した。
 労災申請においても感じることであるが、サービス残業のことではより一層、労働者やその家族が直接労働基準監督署に相談に行くと、「資料はあるのか」「労働者本人がこなければダメ」などとい.って相談者を帰してしまうということもまだまだ見受けられる。このような場面では、「弁護士」という資格は大きな力を発揮する。一度労働基準監督署に相談に行った人が、弁護士と一緒に再度労働基準監督署に行くと職員の対応の違いに驚いて話してくれるという経験は本当によくある。当該「通告」事例は、通告書と資料を持参して、労働基準監督署に行き事情説明すると、通常の定期調査として事業場を訪問すること、秘密を守ることを約束してくれた。現在調査をしている。当該事例では指導勧告に至らなくても、労働基準監督署が調査の連絡をしたり、実際に立入調査をすることで労働実態は改善されている。

 7 残業代請求訴訟は、職場改善につながる

 毎月10通近くの相談申込書が寄せられる。しかしながら法的手続へと進むケースは多くない。現役労働者及びその家族からの相談は、「相談したこと自体絶対にわからないか」という柳があり、すでに退職した労働者は元の職場における自らの労働時間についての資料を持ち合わせていないことが多い。それでも退職した労働者は、現役の人に比べ取り組みやすいようである。そうした中で、残業代請求訴訟を提起し、現在も準備している。大手消費者金融に対する残業代請求訴訟は、巨額の未払残業代を支払わせるという和解を成立させ、マスコミにも大きく取り上げられた。しかしながら、残業代請求訴訟は裁判件数は決して多くはない。資料収集の困難性もあるが、請求額が少額であること(多くは簡裁管轄事件である)ことから弁護士がなかなか取り組まないのかも知れない。労働時間については、労働者本人の記憶を前提に請求を組み立て、「労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置に関する基準」(厚生労働省平成13年4月6日基発339号)の解説パンフレット(労働基準監督署で無料でもらえる)を証拠として提出して、裁判所から会社にある出退勤時間の資料を提出させ、併せて就業規則・「36協定」などを提出を命じてもらうことが可能である。少額訴訟でも裁判を提起すれば、会社に代理人が選任され、訴訟の過程でそれまでなかった就業規則が作成され、36協定が締結され、時間管理が客観的にされるようになるケースも多い。その意味では、残業代請求訴訟は、残業代を支払わせるというだけでなく、過労死をなくす労働条件の改善の第一歩として大きな社会的意義を有している。

 8 「労働基準オンブズマン」の意義

 最近、企業内では「コンプライアンス」という言葉がはやっているようである。最近多く報道される企業不祥事を受けてのことである。弁護士の著書でもこの点をアドバイスするものも多く出版されている。しかしながら残念なことだが、サービス残業をなくすという点での出版物は見あたらない。サービス残業は、犯罪であり、場合によっては使用者が身体拘束を受けることもある。「うちの会社は、労働基準法に加盟していない」とバカげたことを公言する使用者をなくすために、「労働基準オンブズマン」の活動は、まだまだ重要である。
 一方、労働者にとっては、サービス残業は、労働力のダンピングにほかならない。自らの労働力の価値を守るためには、労働者も勉強して、「賢く」ならなければならない。金融機関などでは、夜に向かっての残業だけでなく早朝の残業が行われている。「早起き」して仕事をすることを勧める書籍もよく見かける。圧倒的な情報は、使用者から流される使用者の理論であることが多く、労働者が自らの命と健康を守るための情報はまだまだ少ない。「労働基準オンブズマン」の果たす役割は大きいと考えている。

 9 「労働基準オンブズマン」の今後の活動

 告訴・告発・申告・「通告」、残業代請求訴訟に加え、個別の労働現場、論点にスポットを当て、問題提起を行うことを考えている。これまで、第1回にれで患者の命を救えるか、医療現場の労働実態を考える」と題して、過労死した研修医'看護婦の遺族、現役の医師・看護婦などが医療現場の実態を報告した。印象的だっためは、過労死した研修医の父親の「難しいことを求めているのではなく、労働基準法を守ってほしい」という言葉であった。当該シンポジウムを踏まえて、労働基準オンブズマンは、過労死弁護団全国連絡会議等とともに厚生労働省に対して、研修医制度改革についての申し入れを行った。また第2回「本当にないの? サービス残業、金融現場の労働実態を考える」と題して、銀行〜生命保険会社で過労死した労働者の遺族、現役銀行員、現役損害保険会社社員、元消費者金融社員などが自らの経験を語った。印象に残ったのは、「残業」というと午後5時以降夜にかけてというイメージが強いが、今は早朝残業が増えているということであった。またシンポジウム前には、東証1部上場の金融、証券会社など約250社に「サービス残業」についてのアシケートなどを行った。回答は1割にも満たない23社であったが、厚生労働省の通達などを土台としたアンケートであり、通達内容を知らせ、「労働基準オンブズマン」の存在を知らしめることができた。事実アンケートを企業に送付直後から、「ホームページ」へのアクセスが格段に増加した。
 今後も、教育現場(週5日制になって過密労働になっているといわれている)や派遣労働、管理監督者問題(課長など役付きになると残業代をもらえないという誤った理解が広がっている)などを取り上げシンポジウムを行っていく。
 ホームページを通じて、電子メールでの相談が増えていることはすでに述べた。その相談は、サービス残業問題にとどまらず、労災、.解雇問題にも広がっている。電子メールの相談は「返信」することで解決する相談もあり、労働相談についての法的アクセスの不充分さを感じている。労働問題を扱う弁護士団体とも連携して解決を図っていきたい。
 「改正」を重ね様々な抜け道ができたとしても労働基準法を遵守することが労働者の命と健康を守る第一歩となることはいうまでもない。新たに労働者となる者達はそのほとんどが労働基準法など知らないで職場に放り出される。進路指導としての職場紹介はあったとしても、職場に入ってからのことまでは「指導」されないのが現状である。ある教員研修会において○×クイズをした。「1週間の法定労働時間は40時間である」に「×」と回答した教員が数多くいた。直接生徒・学生に労働基準法の知識や命と健康を守る術を伝えに行かなくてはならない。

 10 最後に 「労働基準オンブズマン」の担い手に

 「労働基準オンブズマン」が設立され2年半が経過した。「サービス残業」という言葉が定着し、その問題も多く取り上げられるようになった。全国の労働局及び労働基準監督署は、サービス残業(厚生労働省は「不払残業」という)についての取り組みを進めている。また労働組合においても「サービス残業」をなくす闘いを活動の中心に据えようとするところも生まれている。しかしながら、労働局及び労働基準監督署の人員は限られており、また労働組合が存在する職場も限定されている。一人一人の労働者が、如何に知識を獲得し、「これは、おかしい」と言って立ち上がるかにかかっている。1人が立ち上がれば職場を変えることが出きる活動であり、労働基準オンブズマンは引き続き立ち上がった労働者を援助したいと考えている。
 「労働基準オンブズマン」は大阪を中心とした組織であるが、相談は全国から寄せられる。全国各地で同様の活動が広がることを期待している。岡山、福岡では設立に向けた準備が進められている。また、残業代請求訴訟は、簡易裁判所管轄事件であることが多く、本年度から簡易裁判所訴訟代理権を取得する司法書士との協力も必要である。すでに司法書士・社会保険労務士との勉強会を行い、司法書士を中心とした「サービス残業110番」を実施する(10月10日実施)。寄せられた相談をふまえて一斉提訴する予定である。全国の若い司法書士の人たちは労働問題に大きな関心を寄せ取り組んでいる。全国各地で弁護士と司法書士が協力して「労働基準オンブズマン」の担い手となることを期待している。


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