「菱垣廻船のこと」
「菱垣廻船 浪華丸」の実験航海記(中井 正弘先生)を転載しています。
和船時代の和名の艤装、リギン、ハリヤードなど等興味の尽きない航海記です。
*この竜骨(キール)との連結部分から舳先(ステムライン)の部分です。
「みよし」と呼びます。
大阪湾を実帆走『浪華丸』 「下がりが揺れています」。
写真提供 中井正弘 1991.07.25

『菱垣廻船 浪華丸」
野本謙作名誉教授の遺された「菱垣廻船—浪華丸」物語。そのー2 [ちょっと気になるヨット紹介]
梅雨明けの七月二十五日朝八時三十分、快晴なれど風雨弱し。船尾の艫屋倉には、「浪華丸」と白地に黒で染め抜かれた、のぼり旗が高く翻る。/
実は昨年十二月に建造中の見学会に参加したり、七月十二日の進水式にも愛艇「おとひめ」から見守らせていただき、思いを寄せてきた。何よりも長年ヨットを愛好し、大阪市の様式帆船「あこがれ」の体験航海なども経験してきたが、それらとは全く異なる船体構造と巨大な一枚帆の大型和式帆船(弁才船)が実際どうなっているのか、どうやって走らせるのか、その要領や性能は興味尽きないからであった。又、三月末まで勤めていた堺市博物館には菱垣廻船運行が盛んだった元禄期に作られ船体部分の古い模型が保存され、開館時にかなりの精巧さで制作した全体模型も展示している。大阪市港湾局からも参考に来館いただいた記憶もあった。
菱垣廻船「浪華丸」実験航海記 そのー2
出航前に甲板上で、乗組員全員に奥田忠道船長から乗り組み上の注意があった。堺臨海工業地帯にある日立造船堺工場の専用岸壁から、前後二隻の大阪市のタグボートに引かれ、調査船のヨット「レインボウ」を従え、午前八時三十分によっくりと離岸。乗船してみると、進水式の時に海から眺めた以上に三十メートル(九十八尺六寸)の全長、帆柱二十七メートルの船体は随分大きく感じられた。船体はケヤキ(水押化粧板、結び、ちり)、檜(垣立、菱垣)、中国松(航、注磧と読む、根棚、船梁)、杉(帆柱、帆桁)、カシ(舵身木、舵柄)などを用いた木造船で有るが、至る所の部材が巨木、大木をふんだんに用いられており、日頃見る木製品の類とは全く異なって圧倒される。
手で各所を撫で回してみても、ニスやワックスなど人工の塗料はまったく塗っていないし、手触りがなんともいい。檜などの木の香りも広がり、海上にいながら潮の香りと共に森林の中にいるような気がする。部材をを打ち付けた頂部の黒いタールのさび止めがアクセントになっている。同伴のかざり、船首の「水押」(注、みよしと読む泉州の木造漁船はこの見事なみよしを持つ)先端に下げた髪(注、かもじと読む)様な黒色の「さがり」がゆれる。そしてせり上がった船尾の太い青竹に通されたみおつくしの大阪市章と「浪華丸」と大きく染め抜いた幟旗がひらめいていて、大型帆船の印象的なスタイルが眼前にある。160年以上前の江戸時代にタイムスリップした感である。
続く。09/08/01 野崎転記 (大阪春秋 1999年 99号より)
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2009-08-01 11:10 nice!(0) コメント(0)
野本謙作大阪大学名誉教授の遺してくださった「菱垣廻船 浪華丸」 [ちょっと気になるヨット紹介]
2009/07/28
野本謙作名誉教授の遺された「菱垣廻船—浪華丸」物語。
堺市地域史史研究家の中井正弘氏が執筆し「大阪春秋」96号1999年刊に掲載された{菱垣廻船「浪華丸」実験航海記}を紹介させて戴き野本謙作先生が遺された沢山の業績のうちの一つをご紹介し先生を偲びたく思います。全6回に分けて掲載いたします。
菱垣廻船「浪華丸」実験航海記 中井正弘
大阪市海洋博物館に展示予定の復元建造船

大阪市が咲洲に来年(注2000年)夏にオープン予定の海洋博物館「なにわの海の時空館」のメイン展示にするため、日立造船堺工場で復元建造されていた戦国積級菱垣廻船「浪華丸」(全長30メートル)が、去る七月十二日(注1999年)に進水した。
菱垣廻船は元和五年(1619年)、堺の商人が紀州の船を借りて、大阪から酒、酢、醤油、木綿などの生活品を江戸へ送ったのが始まりで、五年後の1624年には大阪商人によって大坂〜江戸間の定期輸送船となった。西国の産物を集めて江戸へ送る大坂の問屋とその荷物を買い取る江戸の商人とが扱う貨物輸送を一手に引き受け、江戸の生活と商都、大坂の繁栄を支えた。最盛期の元禄年間(1688年〜1704年)には260隻もの菱垣廻船が太平洋を航行。後にライバルとなる樽廻船と共に代表的な運行システムで、それに使われる弁才船の舷側の垣立の下半分を菱垣格子に組んで、トレードマークにしていたことで有名である。
菱垣廻船の運行が廃止されてすでに約百六十年ぶりの新造船である。すでに当時の技術を継承する船大工はおらず、設計図も国立国会図書館に残されていた{千石積菱垣廻船二十分の一図}は正確であるが、簡潔なため種々の資料を取り寄せ研究を重ねたという。
復元監修には造船学専門の野本謙作 大阪大学名誉教授らがあたり、造船棟梁ほか船大工十五人を集め、当時の工法を用いて、昨年四月から一年三ヶ月かかって建造した。当時と全く同じ船を造るため、ケヤキ、杉、檜、松、樫などの大木を奈良県東吉野村などに求め、国内でもはや手に入らないものは、中国まで行って調達。使用木材の総量は150トン、建造費10億円の半分を費やした。
復元船の仕様及び建造プロジェクト実務体制
続く。!!