「冒険とはなんやろか」  





 森高様のこの「海」と「風」そしてひたすらに「ヨット」を愛される生き方!


 もう一度「冒険とはなんやろか」考察してみました。

                        このスキーヤはn.k氏です



『冒 険 論』
「私の人生に”冒険”は無し。101歳現役スキーヤ 三浦敬三

私は日本におけるスキーの黎明期からスキーをはじめて、八甲田という大自然に育まれてきましたから、「スキーの草分け」と呼ばれることがあります。
 また、60歳を過ぎてからヨーロッパに出かけアルプスを滑るようになりまた・


62歳で雄一郎の富士山直滑降に同行し70歳でヒマラヤ、シャングリ氷河での滑降も実現し
77歳の時キリマンジャロ登頂とスキー滑降を成功させたりもしました。

其の後も

 88歳ヨーロッパアルプスのオートルート(ツエルマット〜ザースアジュマジェロ間も路破しています。
こうして並べてみると
なんだかいつもとてつもなく大きなことに挑戦している冒険者のようですが
、実は私にとって冒険というものではないのです.

後略「101歳の少年」実業の日本社発行





海は移り気で情け容赦のない婦人である。


何人も彼女の胸に安らぎを見いだすことはない。


そしてもし彼女を征服しようとするならば、


人はその持てる力を全て注がねばならない。
  


詠み人知らず


「ホーン岬への航海」ハル・ロス著 野本謙作訳 より


*冒険とは「崇高な理念と、科学的根拠と、周到な準備、そして蛮勇に近い行動力」。
多くの人に与える感動。
(OP便り編者)

*冒険論その一。
 *「ヨットの単独太平洋横断はリンドバーグの大西洋初飛行に相当すると思いますがいかがでしょう。
太平洋の初横断飛行はハードンとパングボーンの二人でした。
 それにしてもアメリカでの評価と日本での評価がかなり違っているのは残念です。
帰ってくれば一騒ぎあると思われますが新聞は論説で取り上げてもいいくらいだと考えます。
あれが内の息子だったら今晩死んでも悔いなしと、女房にいっています。」加納一郎。
評論家、南極と北極の紹介で知られる。

 「人類の将来に大きな寄与をする点では、宇宙開発計画などの意義は絶大だが、他方、個人の冒険心が人間活動の支えとなっていることは何時の時代にも通じていよう。{南極のスコット}を今日なお敬愛しつずける英国人の間には、つねに純粋な形のアドベンチュアが尊ばれているように思われる。」、後略。
1962年8月15日朝日新聞夕刊「今日の話題」  本田勝一「冒険論」より抜粋。。 
 *堀江謙一の太平洋横断成功に関する評より。無謀か冒険か。1962年二つの冒険航海。





冒険論その2。
  「山があるから」。
なぜ、あなたは航海するのですか、「其処に海があるから。」とあなたは答えますか。

イギリスの登山家マロリー(1886年から1924年)は第一回エベレスト遠征に参加し第三回遠征(1924年)の際。第6キャンプを出発したまま行方不明なった。

以下冒険論、序論。
 「彼が第2回遠征から帰って後、アメリカのフィラデルフィアで講演会をしたことがある。
終わって演壇を去ろうとしたとき、聴衆の中から一人の婦人が質問をした。
「なぜ(それほどにも)あなたはエベレストに登りたいんでしょうか」
その時、質問者を哀れむようにして、いらいらしながら答えた彼の”放言”が、
「存在するから」(because it is there )なのだ。
 すなわち、世界最高峰としての「エベレスト」に登る理由に対して答えたのであって、「山に」登る理由を説明したのではない。
もっと正確に言おう。彼は「処女峰エベレスト」に登る理由を説明したのであって、4度目や5度目のエベレスト登頂を、ねらうための弁明では断じてない。
 マロリーのあの言葉は、従ってエベレストがヒラリーらによって初登頂された1953年5月29日をもって化石となったのだ。
「冒険論」。本多勝一著より抜粋。

言葉の定義
「冒険」ーーー危険を冒すこと。成功の確かでないことをあえてすること。(広辞苑)より。
こりゃいったい何のこと?

 「冒険は、本質的に無謀なものでなければならない。無謀とは、生命の危険を、大なり小なり含むということであって、100%安全な冒険,即ち「無謀でない冒険」は、形容矛盾のナンセンスである。
 ただし、100%危険な、確実に死ぬような行為は、「自殺」と呼んで冒険とは区別している。
それでは「無謀でない冒険」、つまり安全な冒険とは何か。これが「冒険ごっこ」なのだ。スリルがあってカッコいい場合もあるが、少しも危険でない。世間には、冒険と思われながら実は冒険ごっこに過ぎない「行動」、がよくある。 「冒険論」本多勝一著より。



*2月25日
 最近の日本経済新聞文化欄にこんな記事が
「米冒険家 鎖国下の決死行」
#江戸時代、鎖国の日本に単身上陸した米国の冒険家がいた。ラナルド・マクドナルド(1824〜94年)
ペリーより5年前に日本を訪れ、中略 マクドナルドの父は毛皮商社の幹部。母はアメリカ先住民の族長の
娘だった。アメリカ先住民は日本人とつながりがあると信じて日本行きを決意。
 1848年7月、乗っていた捕鯨船プリマス号から別れて単身ボートに乗り、漂着を装って北海道の利尻島に上陸した。
 その後長崎に移送されて拘留生活を送り、翌49年米国の軍艦に拾われて出国した。
後、回想記に「ボートを転覆させて漂流者のように見せかけた」とあるのは、故意に入国すれば処刑されるかも知れないという、鎖国時代の日本事情を理解していたことを物語る。
 
*
どれぐらいの距離を単身で漂着したのかはこの文章では判らないけれど、
 崇高な理念、科学的根拠、周到な準備、そして蛮勇に近い行動力、人に与える感動。
 このマクドナルドの行動は「冒険」そのものといえるのではないでしょうか。

2月20日

「夜、ほこりっぽい心の奥底で夢を見る人は、
昼に目覚めると空しさを覚える。
だが昼に夢を見る人はとても危険だ。
目を開けたまま夢のとうりやってしまうかも知れないからだ」
        
                         T・E ローレンス 「7人の賢者の寝言」のおし殺した序章より


*OPヨットの図書室にはかなりの数の海洋小説、ノンフィクションが蔵書されています。
 その中に、文研出版社、1973年発刊の「ヨットとかもめ」、堀江謙一、栗原景太郎。牛島龍介、
石浜恒夫共著がある。1962年5月12日に号19フィートのJ,O,G[マーメイド号」で西宮を出帆し、
太平洋単独横断に成功した堀江氏、その氏がシングルハンド無寄港世界一周の冒険を企て1972年11月11日に淡輪を出帆、
14日にデスマスト、20日に巡視船「かみしま」に救助された、その2世号の事が語られています。
 冒険とはなんやろかを考察するにはとても興味深い事が書かれています。
彼は今また新しい航海を続け、海の上にいます。
以下
1 「わが冒険への視点」

 先人の奇跡をたどるだけ?

 冒険時代は、もう終わりを告げたのだろうかーーーー世界の山は、ほとんど征服されてしまった。
海で行くとしても、先人の跡をなぞらえるくらいしか残っていない。
「じゃあ、何も残っていないのか」と云えば、そうでもない。想像力をめぐらせば、やってみたいことは、
まだまだ残っている。
 高校1年から始めたヨット、私にとってヨットはスポーツであり、またとない話し相手である。
海は限りない冒険心をかきたたせる世界である。マーメイドで太平洋を横断して10年、つぎに胸をときめかせるものを求めてきた。中略。
 シングルハンド無寄港世界一周、いつの日かという希望が急激にふくれ上がり、「絶対やってみよう」と
思いたった。

 「どうだね、チャートを持たず、でっかい地球儀を一個ほうり込んでおくというのは?どうせどこにも立ち寄らないのだからチャートは不必要といえば不必要だよ」

 「ほほうそれも面白いね。でもキミはすでに地球が丸いということを知っているのだし、太平洋を南下し、南緯55度59分、チリの南端にはホーン岬があり、それを抜けると大西洋ということを知っているのだから、
全然白紙だったコロンブスやドレークとは違うぜ」

 「太平洋とかホーン岬とか、あれは海の聖地、むやみやたらと人間が征服してはいけないところだ。あんなところへ一人で行っちゃうバカ(堀江)がいるから夢がなくなってしまうんだよ」

 「でも行くとすれば最終ホーンあたりに尽きるね。気が狂うというのなら、狂うか狂わないか、試してみる価値は充分あるよ」

 一周すれば、あとは夢がなくなるからそのつぎは二周でもやろうか。淡輪を出て淡輪着。帰ってくるのが目的だから、出発時にはすでに目的地におるわけだ、考えてみればおかしいね」
 ヨット仲間とおもしろ半分、まじめ半分のやりとりである。もちろん装備は万全を尽くした。チャートも全部そろえたしロランも積み込んだ。

Thursday, 10 February, 2005 13:16:38
続く。

*そして堀江氏は第二章にこう続ける。


 出発二日後にアクシデント

 「やりたいという夢をえがいているときは白紙で、いろいろ絵が描けて楽しい、やろうと踏み出した段階でも、まだあれこれ欲の味付けができて楽しいが、成功とか失敗とか、答えの方はあまり楽しいもではない。
 むろん成功したときは”やった”という充実感があり、裏目に出たときはさくばくたるもの、大変な違いだが、
それ以前の楽しさと天秤にかけてみると、どっちが、どっちともいえない。

*そして2日後の14日の午前に後部マストに亀裂が入っているのに気付き、その2時間後には「スパッ」ときれてしまう。
 11月20日、北緯33度29分、東経37度53分。02時50分、舵を固定し、巡視船「かみしま」に乗り移りマーメイドは曳航され、わずか八日間の短い航海は終わる。
 

「夢が前より大きくなるかどうか今の私には分からない。他人さまから行けと云われて義務で行ったのではないから、失敗したからといって、名誉挽回に再挑戦しなければならないこということもない。行きたくなったらいく、あくまで自由、但しもっと意欲がわくのを待つだけだ。
 闘志は健在だが、中途半端な気持ちでは出かけたくない。

:第三章に

 無謀でない冒険があるだろうか


 マストが折れて、堀江の冒険は「あれは暴険だ」という人がいる。危険きわまりない無謀な行為というのだろうか。はたで見ていて生命の危険の伴わない、無謀でない冒険が過去一度でもあっただろうか、コロンブスにしてもマゼラン、ドレークにしてもーーー。

この章の後に「マーメイド二世号航海日記」が

 ”無念のリタイヤー” として約10頁の短い航海記が載っている。


 11月20日午後9時、マーメイド二世号は巡視船「かみしま」に曳かれ、小雨の鳥羽港に帰ってきた。
12日、シングルハンド・ノンストップ世界一周の記録に挑戦するため、燃えるような闘志をもって淡輪を出航して八日め。まさに無念の帰港である。
 だが冒険の男は、一度の失敗で決して挫折することはないだろう。彼はまたふたたび、いつの日か海へ出てゆくのだ。中略
 「10年前、ぼくはパスポートなしで出た.こんどは法的にはなんの問題もない。しかし、法律や願望以前のものとして、、ぼくはぼくを取りまく人たちの理解を大切にしたいと思う。
 今回は失敗をした。しかし、ぼくがやる気を失わない限り、必ずふたたび挑戦の機会はめぐってくるだろう。いま、この短い旅をふりかえり、ぼくはそのことを深く心にいいきかせている。

 おそらく彼の最も短い航海記だろう。


 ちなみに1973年には日本人初のケープホナーとして、青木洋氏が「信天翁」(長さ7mのヨット。自作艇)にてケープホーンを帆走回航、している。
 堀江氏はこの挫折の後、1974年「マーメイド三世号」にて276日で無寄港単独世界周航を果たしている。
また、日本人二人目のケープホナーとなる。(資料、「ホーン岬への航海」ハル・ロス著野本謙作訳ホーン岬回航の記録より)

 
 また、2004年「舵社」から再出版された「太平洋ひとりぼっち」(復刻刊)には”1972年の挑戦、そして
挫折”については一行の記載で、こう書かれている。

 「1972年 小型ヨットによる西回り単独無寄港、世界一周 」
 
 編集者の田久保雅巳氏(「舵」誌の編集発行人)は1972年の挑戦を除く、堀江謙一氏の航海の航跡は
全て記載しているのに何故か。
 意識してなのか、または知らなかったのか。


*「冒険とはなんやろか」と問うには、これほど「一面」、において上記のように、明快なわかりやすい言葉もある.

 航海記の後に、堀江謙一、本多勝一、藤木高嶺の座談会の記事がある。
 冒険が成功した際の社会の賞賛、失敗したときの非難等が話され、後者の非難にさらされて,本多氏が
「これらに対して一言ーーー」と問いかけ堀江氏はこう答える。
 
堀江
「あのときああであった、こうであったということはいいわけがましいですからね。やはり本心からいけば、もう一度チャンスがあればーーー。あると思うんですね。こんどはこういうふうなことでうまくいかなかったわけでけど、もう一度チャンスはあると思いますからね。やはり作品とか、そういうもので答えるしか、ぼくはないと思うんです」

本多
「作品ですか」

堀江
「ええ」

本多
「実行することですね」

堀江
「ええ、計画を完成させる、それ以外に、ぼくはないと思うんですけれどもね、終局的には」


このやりとりにはその後の堀江氏の”新しい試み”の”数ある航海”の航跡に大きな暗示が含まれていると思う。

 冒険が
「崇高な理念と、科学的根拠と、周到な準備、そして蛮勇に近い行動力」。多くの人に与える感動。
という定義を仮に持つならば、その後の航海の「作品」は”冒険ごっこ”?か、もしくは”興業航海”?とも近しいものがあるともとれるかもしれない。
 しかしこのことは、これは堀江氏の”航海魂”を傷つけるものでもなんでもない・





艪櫂のヨットで(ヨットに艪櫂をつけて)サンフランシスコからハワイ迄野航海をされた立尾さん。