鮎起源探訪
 鮎 の語源


アユ・鮎の語源・起源は諸説あり、いろいろ纏めて列記しました
和名・学名
和 名:鮎(アユ)・「キュウリウオ目・アユ科・アユ属」
鮎の学名   :Plecoglossus altivelis altivelis
琉球鮎の学名:Plecoglossus altivelis ryukyuensis
アユの語源
鮎と言う魚をアユまたはアイと呼ぶ説は様々あるが、いつから、どんな理由で呼び名が付けられたかは明らかではな
い。

「古事記」(712年)ではすでにアユ(年魚)と呼ばれていた様である。アユは地方名ではアイとも呼ぶ。他にアー、ヤー、
エー、アエ、アヨなどとも呼び、奄美大島では「ヤジ」と呼ぶ。
アユの語源諸説
 1.古来、神殿に供え(饗・アへ)をしたことから饗(アへ)るから「アエ」・「ア イ」になり「アユ」になったとされる・・「日本
  古代大辞典」。  鮎は古くから朝廷への献上品であった
  <垂仁天皇(656年)の伊勢国度会に倭姫命はアユを献上させ供したとある>
 2.「アユる」は「落ちる」の古語で産卵鮎が川を落ちる(下る)ことから「アユる」が「アユ」になったとされる・・「日本釈   名」(1699年)
 3.「アユる」は脆(もろ)く死ぬる意味で産卵後、鮎が死ぬことから「アユる」が「アユ」になったとされる・・「大言海」    (1932年)
 4.「ア」は小、「ユ」は白、から小さく白い魚の意味で「アユ」になった・・「東雅」(1719年)
 5.アイ(愛)すべき魚(可愛之魚)から「アイ」「アユ」になった・「和訓栞・鋸屑譚」(1776年)
 6.アユは古い大和言葉(やまとことば)で「ア」は賛歎の語で「ユ」はウヲ・イヲ(魚)の短促音とあり、佳(よ)い魚ある   いは美しい魚の意味とある。・・「鮎考(あゆよい)」(1936年)
 7.鮎が矢の様な素早い動きからアイヌ語で矢を意味するアイ「ay」から「アユ」になった・・「衣食住語源辞典」
 8.酢酒塩とアへ(エ)て食べてヨキウヲのことからアエて美味しい魚「アユ」になった・・「和句解」
 9.アアヨ(呼々吉)から「アユ」になった・・「言元梯」
10.アオユルミ(青緩)から「アユ」になった・・「名言通」
11.イハヨルの反語から「アユ」になった・・「名語記」
漢字(鮎)の語源
日本の漢字は時代と共に中国各地から伝わり、アユに漢字があてられる様になるが、アユは初め中国と同じ「年魚(アユ)」が使われていたが同音の漢字やアユの形態から時代と共に数多くの当て字や誤字・混用が使われ表記されている。アユを意味する漢字は中国では鯰(ナマズ)や鮠(ハヤ)を意味する漢字とも混同され使われている。

余談:鮎以外にも多くの魚やその他の名称でも、様々な漢字が使われ転用・誤用により和名と漢名(中国)の意味が違う表記がされている。
アユの漢字は「古事記」(712年)には「年魚」、「日本書紀」(720年)には「阿喩」、「正倉院文書」(721年)には「阿由」の字が使われていて、「鮎」の漢字が初めて現れるのは承和二年「類聚三代格」(835年)に地名として「鮎河」の「鮎」の字が使われている。「侍中群要」(911年)には「鮎魚」や「鮎」の字が使われ、「鮎」の字が固定化して使われる様になるのは970年以降であるが、これ以降も数多くの当て字が使われている。明治以降から「鮎」の字が常用として使われる様になる。
鮎は誤字・転用?
古く中国の「食経」(620年頃)にはアユは春生まれ、夏長じ、秋衰え、冬死ぬ生涯から1年魚の意味で「年魚」と書かれていた。年魚の読みから鮎の字を転用したとされていて、「東雅」(1719年)では鮎の字を呉(ご)音で「ネン」と読み、「年魚(アユ)」の「年(ネン)」と同じ読み方から鮎(ネン)の字を転用し「鮎魚(アユ)」としたとあり、「鮎魚」から鮎(アユ)になったとある。「日本書記通証」(1748年)や「倭訓栞」(1777年)では鮎(アユ)と読むのは「倭名類聚抄」
(931年)が元となったとあり「鮎は鯰であるが神功皇后の年魚で占ったとの故事に基づいた」とある。年魚に転用された鮎の字は中国で鯰(ナマズ)を意味するとはわからず転用した様であり、鮎の字を転用したことで中国で鯰を表す他の字とも鮎として漢字が使われていて、また同じ川にいる鮠(ハヤ)を意味する漢字とも混用・誤用されて鮎として表記されている。年魚は鮎の他にC(サケ・鮭・左計)をも意味している
余談:鮭(サケ)の字は中国では河豚(フグ)の意味である
鮎の字以外の表記
当字名:香魚、細鱗魚、年魚、王魚、安由、阿由、阿喩、黄頬魚、銀口魚、氷魚、国栖魚、渓鰮魚etc
混用名:魚偏(へん)に夷(魚夷)・占(魚占)・是(魚是)・帝(魚帝)は中国では鯰を意味 し、魚偏に條(魚條)は鮠(ハヤ)を意味するが、これらの漢字の後ろに「魚」を付けた表記(例 鮎魚etc)で鮎として混同されて使われている。
・・「本朝食鑑」(元禄十年1697年)
魚偏の字が変換できませんでしたので分けて表示しました
「アユ」を意味する当て字は他にもまだまだ数多くある
鮎の字は中国では「鯰(ナマズ)」であり鯰は住みかを占有することから中国では鮎の字を使うとされる・・「語源辞典」
鮎の字は縄張りを占有する魚から「魚」と「占」の合わせ文字の「鮎」の字になったとある・・「和名抄」
「新撰字鏡」(900年頃)にはナマズを「鯰」や「奈万豆」と書かれていて、「十巻本和名抄」
(934頃)には「鯰」や「奈未豆」と書かれているとある・・「魚の手帖」
伝来音
呉音:中国・南北朝時代の揚子江下流、呉(ご)地方の音で百済(くだら)音とも言い、五世紀から六世紀にかけて伝えられた
漢音:中国・随・唐の時代に長安から遣唐使などにより七世紀に伝えられた
唐音:宋音とも言い中国・宋の時代、禅僧などにより鎌倉・室町時代に伝えられた 
日本書紀・古事記・肥前風土記
「日本書紀」・「古事記」・「風土記」などの記述から魚での占い(魚占)にアユが関係しているとの当て字から鮎(アユ)の字になったとされる。
○ 神武天皇が九月上旬に「吾(われ)今(いま)瓶(かめ)を丹生(にふ)の川に沈めるに大小の魚、酔いて木の葉のごとく浮き流るるならばこの国を治むることができる」との占いをしたところ川に酔った大小の魚が浮かび上がったとある・・「日本書記(720年)・神武記」
  <丹生は奈良県吉野川上流付近説と宇陀郡丹生神社付近説がある>
○ 神功皇后が4月上旬に筑紫・玉島の里の小河で食事をした後、年魚(アユ)釣りをした。
  釣り糸は御裳の糸を抜き取り、飯粒を餌としたとある・・古事記(712年)
○ 女人の裳の糸を抜き、粒を餌として年魚を釣るとある・・古事記
○ 神功皇后が4月上旬に松浦・玉島の里の小河で食事をしその後「西の方、財(たから)の国を求む(新羅征伐の意味)」と釣り占いをしたところ「希見(めずら)しき物、細鱗魚(アユ)が釣れた。針を曲げて鉤(はり)をつくり飯粒を餌とし裳の糸を抜き取り釣りをした」とある・・日本書記(720年)・肥前(佐賀県)風土記(712〜730年頃)
「日本書紀」・「古事記」:歴代天皇の歴史や神話・物語が書かれている。
記述の歴代天皇の年表と実在の年代が違う様で、記述では初代(神武)天皇は紀元前となっているが実際は紀元2世紀か3世紀頃の様であるが歴代天皇の実在や年代等は研究者により様々で今だ解明されていない。
「風土記」:地名の成り立ちが書かれている。