1993年春、韓国(その1)

韓国美人
南大門
これが僕の初めての海外旅行でした。
言葉のわからない国へひとり飛び出すのは生まれて初めてで、最初は不安も少しありましたが、現地の心優しき人たちに助けられ、楽しい想い出を胸に抱いて帰ってきました。
この韓国旅行は、その後の私の「旅行観」にも少なからず影響を残しました。


韓国へは下関から釜山行きのフェリーに乗っていきました。
なぜわざわざ時間をかけて船で行ったか?といいますと、「日韓共同きっぷ」という切符の存在があったからです。日本各都市から下関までの新幹線、下関・釜山間フェリー、そして釜山(または慶州)・ソウル間の韓国国鉄「セマウル号」の切符がセットになったものです。

僕は汽車に乗るのが好きで、日本は北海道から九州までJRなどを利用してあちこち旅行していました(国内ではほとんど飛行機に乗ったことがありません)。
しかし、外国となると飛行機に乗らねばならぬ。飛行機の切符ってどうやって買うのだろう?(そんなことさえ僕は知らなかったのです。)
そんな時、「日韓共同きっぷ」の存在を知って、札幌や博多へ行くような気分で韓国へ行けそうだな…という理由で、海外初体験が韓国になったわけです。
日韓共同きっぷ

というわけで、何にも用事はないけれど、汽車のきっぷがあるから韓国へ行ってきました。

ボタン 日韓共同きっぷ・韓国セマウル号券片(JPEG35KB)

で、韓国へ、生まれて初めての海外へ出かけたのは、1993年3月21日。

が「日韓共同きっぷ」のルートでした。

関釜フェリーの様子が随分印象に残りました。
まず、下関港フェリーターミナル。待合室の乗客の大半は韓国人らしく、鮮やかな色の服を着て、互いに韓国語をまくし立てるという様子で、ここはもうすでに韓国であるようでした。
でかいダンボール箱を抱えた、かつぎやの人も多かったです。

韓国の人は結構親切で、赤の他人の僕をジュース自販機の前に連れて行き、
「好きなの買いなさい」
と100円玉を差し出すおばさんもいたりしました。
船内では、2等船室に先に入って、桟敷の一角を確保してもくれました。

船内でも、韓国のおばちゃんとお喋りして、ソウルの娘さんが日本語検定で1等賞をとったことなど、彼女は得意気に話してました。
また、

「韓国でも日本と同じようにすればいいんだよ。
ひとに親切にしてもらったら「ありがとう」って言えばいい…」

という彼女の言葉がずっと記憶に残ってます。
その後他の外国へ出かけるときにも、この言葉は僕の旅のモットーとなってます。

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