三嶋湯
休業後そのまま廃業

東山区渋谷通東大路東入3丁目上馬町536  営業時間:16:00〜24:00 定休日:月・金曜日
市バス「上馬町」下車 徒歩1分 

 

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入湯日:2003/02/19 22:00

 東大路の馬町から渋谷街道をず〜と上がって行き、京女の建物の前にあるお風呂屋さんです。京都では珍しく丈の短い暖簾が掛かっています。暖簾の先のサッシを開けると、横長の玄関スペースなんですが、ちょうど正面、番台の後ろに当たる位置にモザイクのタイル絵があります。それほど大きなものではありませんが、富士山に松、帆掛け船の構図です。タイル絵は結構いろんなお風呂屋さんにありますが、玄関スペースにあるのはここ三島湯さんで初めて見ました。
 玄関スペースから引き戸を開けて入る脱衣場もなかなか味があります。まず、天井が白の格天井です。ややくすんでいますが全部白で塗られています。次に脱衣籠ですが、枠が竹で作られた柳行李です。他にも番台の上には末廣大神と書かれた提灯の掛かる立派な神棚や、男女仕切の上には、大黒様の置物、福助人形などがありお風呂屋さんムードをかき立ててくれます。冷蔵庫の横には、富士と書かれた黄色い木箱もありました。この木箱、昔の牛乳屋さんが自転車の後ろにくくり付けてたやつです。ひとつ分からなかったのは、男女仕切に掛かっていた電話帳を半分に切って隅を綴じてある代物です。これなんの為に掛けてあるんでしょ?(追記:ポマードのついた櫛を拭くためのものです)
 浴室はあまり広くなく、シンプルで奥に深風呂、浅風呂の2漕と脱衣場側に小さな水風呂、両側にカランが並んでいる形です。こういう浴槽の構成の時は、結構湯温が高いことが多くその予感がしたんですが、やはりちょっと熱めでした。以前ならなかなか熱いお湯には入れなかったんですが、この半年でだいぶ熱いお湯にも慣れました(笑)。浅風呂の方にはジェットが2カ所付いていて、浴槽の底が余りよく見えないのですが、タイルの鯉が4匹懐かしいタイル使いの中を泳いでいます。また、ちょっと出っ張った柱の影には、使われていませんでしたがリスが木の実を持った水吐きが置かれています。水風呂の方にも、お決まりのライオンが付いていますし、壁にはガラスブロックが埋め込まれていたり、こちらもちょっと懐かしい感じの浴槽です。
 お客さんは、入れ替わり立ち替わりで浴室に2人ずつといった感じでしたが、結構若いお客さんが多いのが意外でした。この辺りは京女文化圏と思っていたのですが、男の若者もいるようです。外観は地味ですが、玄関にタイル絵があったり、格天井だったりとなかなか味のある三島湯さんでした。


 廃業情報を聞き、入りに行ってきました。
 表にも24時までと書かれているのですが、到着した23時過ぎには暖簾が下ろされていましたが、「まだいけますか?」と聞いたら大丈夫とのことで入れてもらいました。相客は2名で既に風呂上がり、女湯の脱衣場の電気はすでに消えていて、最後まで貸し切りで入りました。
 久しぶりの入浴でしたが、本当にこぢんまりとしたお風呂屋さんで、浴室奥に浴槽があるのは、既に廃業された神宮道の若松湯さんと印象が似通っています(若松湯に水風呂はありませんでしたが)。
 改めて観察すると、鏡広告が寄せ集めです。物集女街道の麺処や、山科の散髪屋、果ては大津市長等の婦人服のお店まであります。まあ、国道1号線繋がりといえばそうですけどね。
 風呂上がりに少しご主人にお話しを伺うと、昭和36年にお風呂を引き継がれたのだとか。建物自体は昭和初期のもののようです。近所に京都女子大があるので、改装時に男女の仕切壁を男湯側にずらしたそうで、なるほど脱衣場の壁と1メートル弱ずれています。それでも昔はカランが空くのを待つ学生で溢れたそうで「昔はなあ」とちょっと寂しそうに話されていました。
 こちらのお風呂屋さんは京都では珍しく井戸がないそうで、水道使用とのこと。前の経営者が井戸を掘ったそうですが失敗したそうで、引き継がれたご主人はそのまま水道での営業を選ばれたそうです。
 今回の閉店は配管の水漏れがひどくなってきたことと、高齢でやめるタイミングを探っておられた結果のようです。しかしながら、配管の漏れは、一旦閉めたあと設備会社に見てもらって簡単に直せるようであれば直そうと思っている、ともおっしゃっていましたので、再開の気持ちも現段階ではお持ちのようでした。(2010.10.28追記)

 このお風呂屋さんの名前「三嶋湯」は、三嶋湯からちょっと坂を下ったところにある交番の向かいに三嶋神社があったからだと思うのですが、今ではそこにマンションが建っています。三嶋神社の歴史は古く、1160年後白河上皇の命により平重盛が建立した神社で、安産や子授けの神様として信仰を集めていました。また、毎年5月と10月には、この神社の神様のお使いがうなぎであることから「うなぎ放生会」が営まれていました。
 ところが、神社の移転に山科の方に土地を買われていたのですが、造成許可が下りず負債をかかえ、この渋谷街道の土地を手放す結果となりました。一時はご神体も東福寺駅近くの瀧尾神社内に仮住まいでしたが、マンション会社の厚意により、現在はマンションの裏手に小さな祠が建っています。ちょっと数奇な運命を辿った神社です。
 数奇といえば、三嶋湯を下っていった馬町も京都では珍しい場所で、京都の中で数少ない空襲があった場所です。一般的に京都は第二次世界大戦の際、空襲がなかった様にいわれていますが、西陣と馬町は空襲があったそうです。さあ、いろんな歴史を想いながら、渋谷街道の坂を登っていきましょう。

 

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春日湯

東山区大和大路通五条下ル2丁目上棟梁町110  営業時間:15:35〜23:15 定休日:月曜日
市バス「五条大和大路」下車 徒歩2分 

 

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入湯日:2002/12/24 22:00
    2004/04/09 22:30

 五条通の大和大路にある東山郵便局を南に行ったところにある春日湯の紹介です。春日湯は夜行くと、目立った看板もなく、見落としてしまいそうになるぐらい夜の町並みに溶け込んでいます。
 左右に男女分かれた暖簾をくぐると、下駄箱で男女仕切られた玄関があり、もう一枚引き戸を開けると番台です。番台の向かい側には神棚、男女仕切壁の上には金の招き猫、番台上には辻商店というお店から贈られた大入り額、その向かい側の浴室側の上にも若松湯から贈られた招き猫付き大入り額と、お風呂屋さんムードを盛り上げてくれます。また、天井は白地にパステルグリーンの格子がついた格天井です。この色使いは、北区の等持院駅前にある花の湯と同じ組み合わせです。さらにその格天井からは、3枚羽のナショナルの吊り下げ型扇風機が付いています。さらに、浴室前の洗面所の横には、小さいながらも森の中を流れる渓流を描いたタイル絵があります。この洗面台に描かれているタイル絵は、平安神宮近くの若松湯や中京の明治湯などでも同じ場所に見られます。
 浴室内は、シンプルな造りで浴槽は奥にジェットが2カ所と、一部が泡風呂になっている大きな浅湯があるのと、男女壁に沿って深風呂があるのみです。浴室内の壁は改装されクリーム色系のタイルに張り替えられていますが、奥の壁だけ白タイルのままで、縦4枚横6枚分のタイル絵が残っていました。モチーフは、朝焼けか夕焼けかで赤く染まった白雪の山をバックにした湖で、畔には教会が建っている景色です。
 この浴室で一番印象的なのは、浅風呂と深風呂の間に立つ高さ40センチぐらいのペンギンです。くちばしから横向けにお湯が飛び出る湯口になっており、お湯は弧を描いて水面に落ちていっています。この湯口はかなり珍しい一品です。またなかなかラブリーです。
 私が脱衣場で服を脱いでいるとき、入れ違いに上がってこられたお客さんが、番台に「今日はちょっとぬるいなあ」とおっしゃっていたのですが、なにがなにがしっかり熱いお湯でした。風呂上がりには、フジのマークの冷蔵庫にあった城南鉱泉のサクラサイダーでほっこりしてきました。目立たない外観ながらも、タイル絵や、湯口、装飾に味のある春日湯さんでした。
 おまけですが、東山区では
ボランティアグループ湯・友・YOUさんほか、東山区の社会福祉協議会などいくつかの団体が障害児者デイ銭湯事業実行委員会を作られ、春日湯さんと協力して「障害児者デイ銭湯」という取り組みを毎月第4土曜日の午前中にやっておられます。またこの取り組みと連動して東山区のお風呂屋さんを網羅した「湯マップ」という地図を作っておられます。コンビニやトイレの場所、鴨川への降り口なども書き込まれています。東大路五条下るの東山区社会福祉協議会に行けば無料で分けていただけますので、近くに行かれたときに寄ってみてください。(←湯マップから抜粋)

 春日湯の向かいには、音羽屋というお菓子屋さんがあり、とあるガイドブックには、よもぎ餡餅がおいしいと書いてありましたが、私の行ったときにはありませんでした。代わりにお正月用の鏡餅が並んでいました。
 音羽屋から、少し北に行った四つ辻に立ち東を向くと、坂の上に鮮やかなレンガ造りの建物が見えます。現在は、関西テーラーという会社の建物ですが、元々は村井兄弟商会という日本初の国産両切り紙巻きたばこ「サンライズ」を製造販売していた会社の工場だった建物です。明治32年(1899)、この地に工場が建てられますが、明治37(1904)年にたばこが国の専売となり工場は専売公社の京都工場となります。村井兄弟商会の村井吉兵衛氏は、当時たばこ王と称されていましたが、その後実業家として村井銀行などの会社を設立します。村井銀行は明治37年創立の中堅銀行で東京に本店を置き、その他関西にも合わせて20ほどの支店があったそうです。村井銀行は、その後の関東大震災、昭和2年の金融恐慌で休業に追い込まれ翌年には解散となりますが、現在の京都市内に村井銀行や村井吉兵衛氏の遺産が残っています。一番有名なのは、円山公園内にある「長楽館」です。現在は、ホテルとレストランとして営業していますが、元は村井氏が私設迎賓館として建てたものです。また、長楽館の名は伊藤博文が名付け親だそうです。他にも村井銀行の祇園支店が、四条花見小路西入に「閻魔」というブティックとして、五条支店が、川端五条東入に「京都中央信用金庫東五条支店」として、七条支店が、七条東中筋に「SECOND HOUSE」という喫茶店として現在も残っています。どの建物も重厚感のある立派な建物で、建てられてから百年近いものもありますが、立派に現役です。全てメジャーな観光地や駅に近い物ばかりですので、明治のたばこ王を偲ぶルートを散策するのも面白いかも知れません。SECOND HOUSEのケーキもおいしいですしね(笑)。

 

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正面湯
休業後そのまま廃業

東山区正面通鞘町西入正面町310  営業時間:14:30〜25:00(日11:00〜) 定休日:火曜日
京阪「七条」下車 徒歩6分 

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入湯日:2002/12/07 16:00

 本町通り正面西入にある正面湯の紹介です。このお風呂屋さんも人気の高い有名なお風呂屋さんです。階段を数段下りて入口を入ると、いきなり目の前にセブンティーンアイスの自動販売機のある下駄箱スペースで下駄箱スペースを抜けるとフロントがあり、右手が男湯、左手が女湯になっています。
 ここの1階は脱衣場のみで、2,3階が浴室になるのですが、脱衣場にエレベータの入口が普通にあり、みんな普通に真っ裸でエレベータに乗っています。脱衣場は、広いですが整然とした感じで、端の方にマッサージイスやテレビのあるスペースがあります。大型のハンガー式のロッカーもありましたのでスーツで来られる方には便利かも知れません。
 エレベータを降りた2階は、洗面スペースがあり、ガラスのドアを開けると広い浴室です。入ってすぐのサウナは10人ぐらい入れるテレビ付きのゆったりした造りで、水風呂も2×5メートルぐらいありプールのようです。2階にはこのほか、腰掛けタイプのジェットが3カ所付いた広い深風呂、小振りな電気風呂、一部が泡風呂の寝湯になったこれまた広い浅風呂、シャワービックス、洗い場も20カ所以上ありこれだけでも十分完結しています。
 しかしこの上の3階がさらに充実しているのです。まず驚くのが休憩スペース。広いカーペット敷きのスペースで、テレビがあり、ベンチあり、飲み物の自販機あり、雑誌ありと思いのままに過ごせます。ただみんな裸なのがちょっと笑えますが、上級者になればここで飲み物を飲みながら一服できます。お風呂の方も、肩にジャストポイントで当たる2連の打たせ湯が2カ所とスポーツクラブのプールサイドにある円いジャグジーの様な浴槽の薬湯、洗い場数カ所が、温室のようなガラス張りの中にあり、その外に出ると岩風呂風の露天風呂があります。この露天風呂は、空を遮る物は何もない気持ちいい露天風呂です。私が行ったときは小雨でしたが、それもまた気持ちよかったです。好みは別れると思いますが、露天風呂にはBGMで演歌が流れていました。
 ここのお風呂屋さんで面白いと思ったのは、2階の天井がコンクリートの梁むき出し、配管むき出しになっているところです。無駄なところにはお金を掛けないって事でしょうか、ちょっと大阪チックなのかも知れません。駐車場も前に13台分ありますし、日曜は朝9時から朝風呂もありますし、お風呂もうわさに違わぬ正面湯でした。

 正面湯の向かいには、創業寛永年間(1624-1644)の老舗料亭「道楽」があります。平成14年の春に正面通りに面したところに「道楽楼侘屋」というカウンターのお店をオープンされました。お昼は5千円から夜は1万円からコースがあるそうです。入ったことがありませんので、これ以上の説明は書けませんが、なかなか人気があるようです。
 正面通りは、今では東の突き当たりに豊国神社がありますが、もともとは豊臣秀吉が奈良の大仏に似せ作らせた方広寺の大仏殿に対して名付けられた通り名です。良くも悪くもこの辺りには豊臣秀吉に関する史跡が残っています。正面湯の方から行きますと、まず通りが広くなった先の南側に耳塚があります。秀吉は朝鮮出兵の際、その戦功の印として朝鮮軍民の耳や鼻をそぎ落とし塩漬けにして持ち帰らせたのですが、それらをこの地に埋め供養させたという場所です。ふと思い立ち私が使っていた高校の日本史の教科書を見てみましたが、この秀吉の朝鮮出兵については、文禄・慶長の役についてページ半分ほどが割かれているのみでした。京都には教科書以上の史跡が残っているものです。正面通りをさらに東に行くと突き当たりが豊国神社です。京都では「ほうこくさん」で親しまれています。豊臣秀吉を祀るこの神社は、徳川家康により一度取り壊され現在の建物は明治13年に再建されたものです。参道の唐門は伏見城の城門が移築された物で、国宝に指定されています。豊国神社の北側にひっそりとあるのが方広寺です。方広寺は天正14年(1586)に豊臣秀吉が造営を始めたのがはじまりで、文禄4年(1595)には、高さ6丈(約18メートル)の木製座像が安置されますが、翌年の大地震で大破してしまいます。秀吉の没後、秀頼が再建し慶長17年(1612)銅製の大仏が完成し、大仏と大仏殿は豊臣家滅亡後も残されますが、寛政10年(1798)落雷により焼失してしまいます。その後もとの大仏の1/10の木像が寄進されましたが、こちらも昭和48年の火災で焼失してしまいます。いまでは、境内に家康から因縁をつけられ豊臣家滅亡に突き進む大阪冬の陣へのきっかけを作った「国家安康君臣豊楽」(家康の名を別れさせ、豊臣が君主として国を治める意があると因縁をつけた)の銘が刻まれた銅鐘がひっそりと残っているのみです。豊臣家の栄枯盛衰を物語る正面湯周辺です。

 

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大黒湯

東山区本町新6丁目220  営業時間:15:30〜24:00 定休日:土曜日
京阪「七条」下車 徒歩2分 

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入湯日:2002/11/25 23:00

 京阪七条近くの大黒湯の紹介です。大黒湯は七条通りに面しているのにもかかわらず、奥まっているのと、前のコロッケ屋に目を奪われて見落としがちですが、入口に空豆地蔵というお地蔵さんがあってなかなかムードのあるお風呂屋さんです。
 お地蔵さんの奥に女湯、男湯と右から書かれた札が下がっていて、引き戸を開けると靴を脱ぐ前にお金を払うタイプの番台です。入口の造りから、もっと大きいかと思いましたが、脱衣場、浴室共こぢんまりした感じです。籠は籐籠なのですが、直方体に近く積み上げられない形で最初からロッカーに入っていました。この脱衣場で目を引くのは、浴室入口の上部にモザイクのタイル絵です。モチーフは男湯側が富士山に手前が湖、帆掛け船が浮かんでいて左に松が1本、女湯側はアルプスらしき山並みに手前に湖、右に藁葺き屋根の水車小屋があります。脱衣場の狭さ故、タイル絵は男湯側、女湯側幅2メートルずつぐらいのものです。
 浴室に入るとき、引き戸に「半自動」と書かれていて何かと思いましたが、閉まる時は勝手に閉まる引き戸でした。浴室も横幅は狭く3メートルぐらいでしょうか、縦長の構造です。女湯との壁に沿って奥からジェット2カ所付きの浅風呂、深風呂、泡風呂になっている薬湯と並んでいて、入口の所にライオンの水吐きがついた水風呂があります。浴室は改装されていてきれいで、各カランにはマイルドウォーターのカランもついています。体感ですが、珍しく薬湯が一番湯温が高くなっていました。浴槽に浸かりながら鏡広告を見ていると、「花嫁センター」という広告があり何かと思ったら、貸衣装屋さんでした。鏡広告の定番といえば飲食店か病院などですが、大黒湯近くのさくらゆには葬儀屋の広告がありました。広告の効果ってあるんでしょうかね?話は大黒湯に戻って、大黒湯の鏡広告ですが、広告が鏡の上部に入っています。スーパーで目線やや下の棚はゴールデンゾーンですが、まさにその位置に広告が入っているのです。普通は鏡の下の方に入っているので気にならないのですが、ちょうど顔が見えるところに広告が来るので、宣伝効果は上がるかも知れませんが、やや不便でした。
 風呂上がりに表のお地蔵さんについて女将さんに聞いたら、歯のお地蔵さんとのことで縁起については、その手の本に出ているそうです。気になって帰ってからHPで検索してみると
奈良の歯医者さんのページに載っていました。縁起としては、親猿が十粒程の空豆をお地蔵さんに供え、その内の一粒を小猿に与えているのを見た町の人が、我が子が歯痛で悩むときに同じように願をかけたところ歯痛が治ったという言い伝えがあるそうです。同じ空豆地蔵というお地蔵さんが、滋賀県の近江八幡にもあるようでこちらも歯痛平癒のお地蔵さんのようです。次に歯痛になったら、空豆もって大黒湯に行きましょうかね。風呂上がりにビールのあてになってそうですけど(笑)。ちなみに大黒湯さんの営業時間外は、入口のシャッターが閉まっているため空豆地蔵にもお参りできません。

 川端七条から七条通りの北側の歩道を歩いてみると、大黒湯の手前にマニアックな店が2軒並んでいます。一軒は、靴屋さんで「京都製靴工業」というお店で、店先に革靴を並べて売っているのですが、奥の町工場風の作業場で実際におっちゃんが靴を作っておられます。これぞ製造直販といった感じで値段は3500円からありました。もう一軒は、そのお隣で「遠藤バネ」というお店。看板には、ただ「スプリング」とのみ書いてあります。そのまんまバネ屋さんなのですが、表から見えるところに高さ7,80センチはあろうかというバネが見えます。店内は、籠に大小様々なバネがありバネを専門に売られているようです。その2軒を越えるとすぐ大黒湯です。そのままもう少し行くと、うぞうすいで有名なわらじやさん、三十三間堂前の交差点には七條甘春堂さんの本店があります。甘春堂さんの前には、加茂七石を使った生け垣がありますので、運良く信号待ちで引っかかったときは小川の流れる生け垣で楽しめます。

 

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さくらゆ

東山区本町8丁目70  営業時間:14:00〜 24:00  定休日:無休
京阪「七条」下車 徒歩5分 または 市バス「塩小路橋」下車 徒歩2分

 

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入湯日:2002/11/23 23:00

 本町通塩小路の角にある「さくらゆ」さんの紹介です。マンションの1階がお風呂屋さんになっている建物で看板には「スパッションさくらゆ」と書いてありますけど、スパッションってなんでしょ?不明です。(ぼたにーさんが女将さんに聞いて下さったところによると、人が集まる場所ということで「ステーション」と「スパ」を合わせた造語だそうです)
 このお風呂屋さん、特徴的なのはバリアフリーで入口から浴室まで段差がありません。入口もマットがあるだけで、それより先が土足厳禁になっています。夜11時頃に行きましたが、下駄箱の下の段や、玄関マットの上は靴でいっぱいでなかなかの混雑ぶりです。入ってすぐがフロントで、それに続いて飲み物や軽食を販売するカウンターがあり、その前がラウンジスペースになっています。猫が遊んでいたりして、なかなかほんわかムードです。ラウンジの奥が脱衣場の入口になっています。
 脱衣場は、あまり広くなく風呂上がりにのんびりする方はラウンジでといった感じでした。面白いのは、床がユニット畳ならぬ30センチ角ぐらいのユニット籐筵になっていて目の向きを交互に組み合わせてあります。また、ロッカーは普通の大きさに加え、スーツや大きい荷物も入る縦長のものや、普通のよりやや小型のロッカーもあります。浴室もそんなに大きくはありません。奥に大きな浴槽があり、浅い部分、トルネードがついた深い部分、深い部分より5センチぐらい高い位置に腰掛け型のジェットバスが2カ所ある部分がひとつの浴槽になっています。浴室まではバリアフリーなのですが、浴槽内までは、バリアフリーじゃないのでした・・・。浴槽内は3段になっていてトルネードやジェットの泡で段差が見えないので注意です。私は踏み外しかけました。
 他は大きな浴槽の横に、小さな電気風呂、浴室入口の所に泡風呂になった薬湯、掛かり湯用の小さなお湯溜め、浴室奥右手に6人ぐらい入れるテレビ付き遠赤サウナ、そして浴室右奥のドアから通じる打たせ水付き水風呂と露天風呂という構成です。水風呂と露天風呂のスペースは、浴室の1/3ぐらいのスペースがありゆっくり作ってあり、ガーデンチェアも4つあり休憩できます。ただ残念なのが景色で、立地上マンションの廊下が見えたり、目隠し兼雨よけ用の白いアクリル板で空間の1/3ぐらい被われたりしていて空はあまり見えません。このお風呂屋さんで面白いなと思ったのは、カランのついている壁や浴槽の壁のタイル使いが、豆タイルを使っていてちょっと懐かしムードを出しているのと、ビル型銭湯なのですが天井が、男湯女湯で独立したゆるやかな蒲鉾型天井になっています。ビル型銭湯にしたときに、お風呂屋さんムードを残す工夫をされたのでしょう。そういったものと、男女壁上部はガラスで間接照明にしたり、工夫の跡が感じられます。また、サービスでボディーシャンプーと、リンスインシャンプーが常備されています。このサービスを見たのは、三条京阪近くの孫橋湯に続き2軒目です。また風呂イスが大きいのも嬉しいところです。
 なかなかの繁盛ぶりのさくら湯でしたが、常連さん向けサービスでスタンプカードを発行されていて10回入ると1回無料という企画をされていました。昼も1時からやってられますし、年中無休。使い勝手のあるお風呂屋さんかもしれません。

(2013.1追記)
営業時間が14時〜24時に変更になっています。また日曜の朝風呂はなくなりました。
さくらゆさんは、浴場組合に加盟されていないため共通入浴券は使用できません。代わりにさくらゆのみ使える回数券(10枚3900円(共通回数券と同価格を販売されています。
記事中のスタンプカードは廃止されました。


 さくらゆのある本町通りと塩小路の交差点南東角には以前パチンコ屋があり今はデイサービスセンターになっているのですが、2階は昔のまま本町館という成人映画の映画館です。この組み合わせってどうだかなあという感じです。そこから少し南に行くと、京阪電車がちょうど地下に入るところや、JRと新幹線の線路をまたぐ歩道橋があったりして、大人になると騒音を感じるようになるんでしょうけど、子供の頃こんな所に住んでいたら楽しいだろうなという環境です。本町通りを北に行き、七条通りの手前東側には、創業元禄12年、宮内庁御用達の漬物屋「赤尾屋」があります。店先では、旧伏見街道戌亥の水を無料で汲めるようになっています。また試食もいろいろとさせてくださるようです。私は、ここでこの冬の初物として千枚漬(赤尾屋さんでは、舞扇漬の名で販売)を買いました。パックの中に昆布が一緒に入っており、千枚漬特有の粘りもしっかりありましたし、味もかぶらの味がしっかりしてなかなかお勧めの味でした。赤尾屋さんの営業時間は9:00〜18:00で木曜日が定休ですが、12月は休まず営業されるそうです。

 

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新有馬湯
廃業

東山区今熊野南日吉町102 定休日:水+土曜日
営業時間:16:00頃〜 22:00頃(2005年情報として16:20〜20:30頃で閉まるようです) 
市バス「今熊野」下車 徒歩10分

 

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入湯日:2003/05/13 19:00

 このお風呂屋さんには、過去に一度嫌われています。組合のホームページによると、営業時間は4時〜11時なのですが、その時私が行った9時45分ぐらいには既に暖簾が下げられ閉まっていました。向かいにある陶芸教室に灯りが点いていたので、そこのご主人に聞くと一通り常連さんが終わると閉めておられるみたいというお話でした。今回二回目のチャレンジで入湯です。
 このお風呂屋はいうなれば、カタカナの「レ」の字のような形の敷地に建っていて、三面が道路に囲まれています。さらに「レ」の字の鋭角の部分には不動産屋さんがあり、その隣にあるお風呂の入口は、暖簾もドアの内側に掛けられ、ほんとに地味に開いています。暖簾をくぐると、正面にステンドグラス風の壁があり、それを挟んで右側に男湯の引き戸、左側に女湯の引き戸があるのですが、左手には第三の扉、不動産屋さんの事務所に繋がるドアがあります。同じ経営なんでしょうかね。
 靴はそのままでステンドグラス横の引き戸を入ると番台があるのですが、番台前は冷蔵庫や番台用のテレビが置かれ、脱衣場はさらに奥まった所になっています。この脱衣場がまた脱衣場らしくないというか、半分は絨毯が敷かれテーブルとイスが置いてありますし、カーテンや衝立で端の方は物置になっています。目を引くのは中央に積まれた籐製の丸籠で常連さんはみなさんその籠を使っておられました。横手に横三列だけの小さなロッカーもあり、その中には普通の四角い籐籠も入っていました。
 お風呂屋さんらしいといえば、浴室側の壁に縦1m、横1.5mぐらいの裸婦をモチーフにした抽象画が掛かっています。女湯側は、菖蒲を題材にしたものでした。また味のある品々として、男女仕切側に置かれた木製ベンチや、休憩スペースに置かれた手あぶりサイズの火鉢などは使い込まれた一品です。
 脱衣場の壁に営業時間の張り紙がありました。「午後四時頃ヨリ午後十時頃マデ」。この「頃」って言うのがポイントですね。前回私が来たのは9時45分。「十時頃マデ」に引っかかった訳です。行かれるときは早めに行きましょう!
 さて、浴室の方ですがこれは京都で一番古い雰囲気を残している浴室ではないでしょうか。中央に浴槽が一漕あるのみです。しかもこの浴槽は、多分古い浴槽の上をステンレスで覆われたんだと思いますが、内側と縁はすべてステンレス製の浴槽です。そしてステンレスの上に木製のスノコが全面沈めてあります。中央に深くなっている部分があり、その両脇にパイプが通してありますが、一漕は一漕です。奥側の水面すれすれぐらいの所にお湯が勢いよく出ているパイプが取り付けてあるのですが、これをジェットと言っていいものか・・・空気は混じっておらず、お湯が勢いよく出ているだけです。
 浴槽がそういうことなら、カランもそういうことなんです。配管は全てむき出しです。お湯と水の配管二本とシャワーの配管の計三本が、壁沿いに設置されていて、そこにカランが取り付けられています。使用可能なカランが11カ所、シャワーは6カ所です。
 洗い場の鏡の辺りだけ、マジョリカタイルを茶色単色で描いたような柄のタイル張りになっているんですが、これはなかなか味わい深いタイルでした。
 風呂上がりに服を着ている時、浴室入口の横にシャワールームがあるのに初めて気付きました。電気が消えていて、初めての人間がシャワールームだと気付くのは至難の業です。
 いやいや、いろいろ書きましたが、ここは行っとくしかないでしょう。このお風呂屋さんが、京都の中でも「際物」であることだけは確かです。

 最初に来たとき、私が路頭に迷い掛けたのを救ってくださったのは、向かいにある陶芸教室のご主人でしたが、この辺りは清水焼の窯元や陶器の会社がたくさんあるエリアです。私は煙突を見ると、「おっ!風呂屋か!」と反応してしまいますが、この辺りには窯元の煙突が結構建っていて、私のセンサーは反応しまくりです(笑)。
 向かいのご主人に親切にしてもらったお礼に、その陶芸教室を紹介しておきましょう。この陶芸教室は、秀峰窯という窯元がやっておられるもので、案内のパンフレットが教室の入口にありました。それによりますと、毎週火曜日の午後6:30〜8:30に教室を開いておられるようです。入会金は5千円で、作陶道具は一式プレゼントして下さるそうです。あとは1回3千円の受講料(初回は無料)で、材料費や焼成費は含まれているそうなので、結構良心的な教室のような気がします。電話075(531)5527です。興味のある方はどうぞ。
 余談ですが、新有馬湯に行くには東大路通りのBirdというパン屋が角にある信号を東に入っていけばいいんですが、このパン屋で私はカレードーナツなる商品を買いました。見た目は普通のカレーパンだったのですが、かじってびっくり!中にカレー味のソーセージが入ってました。期待を裏切られたような、ちょっと嬉しいような・・・。どーでもいい話でした。(←うわさのパン屋)

 

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錦生湯
2014.3.31廃業

東山区今熊野南日吉町8  営業時間:15:30〜23:00 定休日:月曜日
市バス「今熊野」下車 徒歩8分

 

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入湯日:2003/05/03 21:00

 東大路通りの今熊野の信号を、山手にぐいぐい500mほど登ったところにあるお風呂屋さんです。坂の下の方は結構商店がありますが、お風呂屋さん近くまでいくとほとんど住宅なので、夜行くと看板が光っていてすぐ分かります。
 外観は地味目のこぢんまりしたお風呂屋さんです。傾斜地に建っていて、玄関スペースは道路から一段下がった所になっています。玄関スペースの中央には、古木の置物が飾られており目を引きました。私が暖簾をくぐった時、ちょうど番台のおばちゃんが玄関先まで出ておられ、なんか玄関先まで迎えに来てもらったような感じでした。このおばちゃん、なかなか話好きで、服を脱ぎ始めた私に「初めてですなあ。場所よう分からはりましたなあ。この辺の方ですか?」と矢継ぎ早に質問されました。結構東大路からだと登ってこなくてはいけないので、地元の顔見知りのお客さんで占められてるようです。
 脱衣場は懐かしい感じの空間で、男女仕切の上には小ぶりな招き猫が座布団の上にちょこんと座り、いい味を出しています。道路側の休憩スペースには、寺岡の貫匁表示の体重計、番台の前には、コカコーラの古い冷蔵庫と置かれているものも、それぞれ年輪を感じます。そんな雰囲気に呑まれてか、男女仕切に掛けてある富士山の絵までよく見えてくるのは、私だけでしょうかね。
 浴室もこぢんまりした、懐かしい感じの浴室です。奥に三人ほど入れるサウナがあり、サウナの前にライオンの水吐きが付いた水風呂と電気風呂、男女壁に沿って泡風呂とジェットが2カ所付いた浅風呂と深風呂、脱衣場側に泡風呂付きパリスバンの酵素風呂という構成です。
 奥の壁の一番男女壁側の所には、高さ1.5mほどの所から2段になってお湯が流れ出る湯口が付いています。また、男女壁の上にスポット照明が付いていて、その滝のような湯口を照らすようになっていましたが、残念ながら電気は点いていませんでした。
 壁は、ほとんど白地に花柄をデフォルメしたタイルですが、奥に後から造られた3人ほど入れるサウナがあり、そこの壁面はレンガ調のタイルになっていました。また脱衣場との間の上の方が、ステンドグラスのようなガラスになっているのが、特徴的です。
 浴室の入口に節水の張り紙がありましたが、このお風呂屋さんは全部水道でまかなっておられるそうです。京都府のお風呂屋さんは8割方井戸水を使っておられるそうなので、ここは少数派ですね。
 お風呂の中でずっと考えていたことがあります。表の看板に「ゼット」と書いてあったので、それが何かずっと考えていたんです。サウナ、電気、酵素、気泡ときてゼットと考えればすぐ分かったかもしれませんが、妙にゼットだけが印象深かったのです。「ゼットゼットゼット・・・どこかなと」。だいぶ考えて分かりました。「ジェット」です。ゼットゼットゼットゼェットゼェットジェット。バンザーイ!(←問題の看板)
 気を取り直しお風呂上がりは、脱衣場の中央にあるベンチに腰掛けてコーヒー牛乳を飲みました。するとちょうど頭上にある4枚羽の古い扇風機から、なま暖かい風がぶ〜んと来て、これがなんともいえず気怠く、いい感じです。
 ちょっと空き具合に不安を感じる錦生湯さんでしたが、なかなか味のある私好みのお風呂屋さんでした。

 錦生湯さんの斜め前の路地を、北に行くと今熊野小学校があります。この小学校にはなんと木造校舎が残っています。それも黒い板壁のかなり懐かし目の外観です。校長室や職員室の入る管理棟として使用されているようでしたが、現役で頑張る木造校舎がまだ京都市内にあったのは、ちょっと驚きでした。
 錦生湯さんの前の道は、醍醐道または滑石街道と呼ばれる山科に抜ける道ですが、この登り口が今熊野の交差点で、ここから東大路沿いに今熊野商店街のアーケードが始まっています。アーケードの看板に、2頭の熊が万歳しているマスコットが付いていてなかなかいい味を醸し出しています。
 この商店街も気安い感じの生活密着商店街ですが、その中に新熊野神社があります。交差点は「今熊野」ですが、神社は「新熊野」と書いて「いまくまの」と読みます。京都市の説明板によりますと、後白河上皇が紀州熊野権現を深く信仰され、永暦元年(1160)熊野三山(本宮・新宮・那智宮)をこの地にあった仙洞御所法住寺殿の内に勧請して創立したのが始まりだそうです。境内には後白河上皇お手植えと伝えられる、周囲約6mもある京都市の天然記念物に指定されている樟の木や、現皇太子様が二十歳の時に記念植樹された梛の木などもあります。また創建当時は紀州熊野の土砂材木をわざわざこの地まで運ばせ社域を造成し、社殿を造営したそうで、往時を偲び熊野三山から奉納された御土を囲ってある一角もあります。さらに、この地は能楽の大成者世阿弥がまだ藤若丸と称していた文中3年(1374)、父観世清次と共に猿楽の勧進興行を行っていたところ、見物していた時の将軍足利義満がその芸に感激し、父子に観阿弥、世阿弥と名乗らせた機縁の地でもあるそうです。商店街の神社で、エプロン姿のおばちゃん達がお参りに立ち寄るスポットですが、なかなか見所も多く、歴史も感じる新熊野神社です。お風呂の帰りにでもどうぞ。
(↑新熊野神社の大樟の木と商店街のアーケード)

 

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泉湯

東山区本町10丁目192  営業時間:15:00〜24:00 定休日:金曜日
JR奈良線・京阪電車「東福寺」下車 徒歩3分

 

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入湯日:2003/05/19 23:00

 JR・京阪の東福寺駅から本町通りを200mほど北に行ったところにあるお風呂屋さんです。新しく改装されていますが、建物の奥にはなかなか重厚感のある煙突が見えます。
 入口の自動ドアを入ると正面に下駄箱、右手にフロントがあり、フロントの奥には6人掛けのソファーとテーブルがふたつ、テレビ、冷蔵庫などがあるロビーになっています。フロントは大きなカウンターになっていて、生ビールのサーバーもありました。なかなかゆったりとした間取りのロビーです。
 表にゆとりのあるロビーを取られているのに、脱衣場も広々としています。真ん中と端にベンチがあり、ここでも風呂上がりにゆったり出来ます。私が行ったときには、中央のベンチの所に常連さんの輪が出来ていました。装飾品はこれといってないのですが、唯一でっかい招き猫が男女仕切の上で座布団に座っています。これは改装前からの住人でしょうね。
 浴室の方も広々です。奥に6,7人入れる雛壇式のテレビ付き遠赤サウナと水風呂のコーナーがあり、中央に一部が泡風呂になった浅風呂と半分ぐらい電気風呂になった深風呂があります。浅風呂は結構広めです。そして脱衣場側にせり出すように、七種のハーブが入った泡風呂、そして壁際にトルネード1カ所と足裏ふくらはぎ刺激付腰掛け型ジェットが2カ所ある浴槽という構成です。腰掛けジェットとトルネードは、ボタン式の省エネ型で、さらに腰掛けジェットは2カ所に対してボタンは1個でした。この腰掛けジェットには、冷たい冷水管枕が付いています。でも腰掛け型なので、普通に座ると健康骨の辺りに冷水管枕が来ます(笑)。ちょっとだらしなく姿勢を崩すと、枕はベストポジションです。でもそうするとふくらはぎの刺激は楽しめないんだなあ・・・どちらを取るか悩むところです(笑)。
 先ほどロビーも、脱衣場もゆったりしていると書きましたが、浴室の方も普通のお風呂屋さんのカランの間隔より、ちょっと広めにスペースを取っておられました。隣に人がいてもあまり気にならないので、混んでいるときなどはありがたい作り方です。私の行ったときも、サウナは結構混んでおり、結構な人数が浴室内にいましたが、それほど窮屈に感じない浴室です。

 風呂上がりはロビーで牛乳を飲んでほっこり。その時のテレビのチャンネルが何故か教育テレビになっていました。こんな時間に誰が見てたんでしょう。語学番組の再放送をやっていました。
 駐車場も前に3台分ありますし、なかなかゆったり、ほっこり出来る泉湯さんでした。

 泉湯さんの南隣は、三十三間堂周辺「三島湯」で紹介した三島神社が仮住まいされていた瀧尾神社です。現在も三島神社の社務所は、こちらにあります。瀧尾神社の案内板によりますと、「京都の豪商下村家は当社を崇敬すること篤く、元文3年(1738)以降、数度にわたって社殿の修復を行ってきた。」とあります。下村家と言えば、大丸百貨店の基となる豪商です。境内にあるテントには、しっかり大丸の文字が入っていました。またこちらの本殿は、貴船奥院御社の旧殿を移築、一部改築されてあるそうで、規模こそ小さいですが細部に施された彫刻などはなかなか見事です。ちょっと立ち寄って見ましょう。

 もう一つ。泉湯さんのすぐ北側の交差点に一橋小学校という小学校があり、この学校の校庭の隅に「伏水街道第一」と書かれた橋の欄干が保存されています。泉湯さんの前の通りは、本町通と呼ばれる旧伏水街道ですが、この街道には東山から流れてくる川に、北の方から「一の橋」「二の橋」と順番に「四の橋」まで掛かっていたそうです。そしてこの学校のすぐ近くに昭和25年まで掛かっていたのが「一の橋」で学校の校名の由来にもなってます。現在も「三の橋」は、本町通を泉湯さんから800m程南に行ったところに、一橋小学校にある欄干と同じ形の物が、現役で掛かっています。この「三の橋」の掛かる川はその名も「三の橋川」。有名な東福寺の「通天橋」が跨いでいる川です。「三の橋」を見てから、東福寺にお参りするのもいいコースです。

 

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寿湯
2006.10.15廃業

東山区本町20丁目444  営業時間:16:00〜23:00 定休日:日曜日
京阪電車「鳥羽街道」下車 徒歩1分

 

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入湯日:2003/05/15 22:00

 京阪電車の鳥羽街道駅からほど近い、本町通十条にあるお風呂屋さんです。このお風呂屋さんの隣や向かい側が更地になっているのですが、現在十条通りが拡張、延伸中でこのお風呂屋さんも、おそらく立ち退き区域に建っていると思います。あと数年で移転もしくは廃業が多分確実でしょう。
 さて、お風呂屋さん自体は、街道沿いに建つかわいいお風呂屋さんで、造りもこぢんまりとしています。入口中央には自販機が置かれ、男女の入口を左右に分けています。暖簾をくぐるとすぐもう一枚目隠し用のカーテンがあり、すぐに番台になっています。こういう造りのお風呂屋さんは、普通番台の横は全面土間になっていることが多いのですが、ここは半分ぐらいはタイル張りになっていて、そこで靴を脱ぐようになっていました。
 外観から想像する通り脱衣場もこぢんまりとしていて、富士マークの冷蔵庫は入口の一段低くなった所に置かれていますし、浴室入口にある洗面台も一人用ぐらいの小さい物です。番台上に外向きに飾られた招き猫も、正面から見るのは至難の業です。男女仕切に沿っても体重計、ベンチ、徳用マッチと灰皿の乗ったテーブルがきちんと並んで収められていました。
 浴室の方もコンパクトです。カランは男女壁側に3カ所、逆側に9カ所の計12カ所ですので、規模としてはかなり小規模の部類です。奥に4人ほど入れるサウナを増設されているのですが、これも苦肉の策で、サウナを中2階に、水風呂を半地下に作っておられます。
 浴槽は男女壁沿いに奥から、ジェットが2カ所付いた浅風呂、じっこうの香りがいい感じの泡風呂、深風呂、浅風呂が並んでいます。薬湯の壁には、パリスバンの酵素風呂と書いてありましたが、お湯はじっこうのお湯でした。個人的にはじっこうの方が好きなので全然OKです。
 このお風呂屋さんには、各カランの横にマイルドウオーターのカランがありました。地下水を電気分解したイオン水で、たまに見掛けるものです。この浴室に付いているマイルドウオーターは、飲用出来ません。でもこのお風呂屋さんには、脱衣場の洗面台に飲用出来るイオン水の蛇口もありました。ここまでしてあるのは、珍しいことです。
 この浴室でいいなと思ったのは、カランを取り付けてある壁のタイルです、形は横長の長方形で何の変哲もないのですが、縁がステッチのように細かい正方形で縁取られ、入れ子の用に中に長方形の枠があります。表面をさわるとステッチの部分や中の枠の部分が盛り上がっているのが分かる手作り感のあるタイルでした。
 都市計画の立ち退き地域にあると思われる寿湯さん。いつまでここで営業できるか分かりません。今の内に行っておきましょう。


いよいよというか、ついにというか2006年10月15日をもって廃業されます。

以下2006.10.7京都新聞より転載です。

『銭湯の代替施設確保』の請願採択 与党3会派割れる 市側「予算ない・・・」困惑

京都高速道路「新十条通」建設に伴い、廃業する京都市東山区の民間銭湯の代替施設の確保を求める請願が、10月6日の市議会本会議で採択された。新十条通建設に伴い、廃業になるのは「寿湯」。この浴場の場所が新十条通予定地にかかり、事業者である阪神高速道路から七月末までに立ち退きを求められている。しかし現在も営業を続けており、9月15日に阪神高速道路が立ち退き訴訟を起こした。寿湯は東山区の高齢者を中心に1日約70人が利用する。(立ち退きを求められてから)地域住民が「風呂がなければ生活できない」と、1997年5月に初めて陳情。2005年2月から、自民党など与党三会派が紹介議員になり、市に対して代替浴場の設置を請願していた。ところが、自民党内でも賛否が分かれ、結局「厳しい財政状況のもとであり、近くに別の銭湯[1]もある。代替の銭湯建設には市民全体の合意(*)が得られていない」などとし、党議拘束をかけて採択に反対した。これに対して、公明党・民主・都みらい[2]、野党の共産党が「公共事業で受けた住民の不利益は、市が責任を持って対応すべき」として賛成する異例の展開を見せ、採択に至った。請願採択に強制力はないものの、市保健衛生推進室部長は「代替施設の建設は難しい(お金がない)。しかし、議会の判断も無視できない」と困惑している。




 延伸中の新十条通りの真上にある寿湯さんですが、まさにリーチが掛かっているような状態です。北隣と向かい側は既に更地ですし、三軒南も更地になっています。さらには東側の高台にある団地も立ち退きが完了しているようで、寿湯さんを含め3軒だけが残っている状態です。
 看板にもあるように、この新十条通の事業は阪神道路公団によるもので、正式には「京都市道高速道路1号線」という道路です。琵琶湖疎水の西側から地下にもぐり、東山をトンネルで貫いて山科の大石神社前まで、将来は油小路通りに出来る「京都市道高速道路2号線」などと京都高速道路の一部として供用される予定です。
 阪神高速道路公団のホームページを見てみますと、何と完成予定が平成16年度(高速道路部分は平成15年)。来年です!おいおい、寿湯はまだやってますよって感じですが、地下では着々と工事が進んでいるようです。詳しい事業内容などは、阪神道路公団のホームページにある
「京都高速道路」のページを見ると、動画やアニメーションで詳しく説明されています。まあいいことばかり書いてありますが、京都市の南部地域の計画がよく分かりますのでご参考に。
 
 もうひとつ寿湯の近くに面白い会社があるので書いておきます。寿湯の東側は鳥羽街道団地という団地ですが、その北側に日本カルタという会社があります。浮世絵柄のトランプなんかを作っている所です。看板にあるトランプには、ウインドミルトランプと書かれていました。スペードのエースがトレードマーク柄になっているようです。家にあるトランプももしかしたらここのものかも知れませんよ。
 ちなみに鳥羽街道駅の西北側には、任天堂の工場があります。密かに鳥羽街道の地場産業はトランプだったりして(笑)。

 

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