大正湯

南区西九条院町22  営業時間:15:30〜23:00 定休日:水曜日
JR・地下鉄「京都」下車 八条口より徒歩6分

 

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入湯日:2003/03/21 16:00

 京都駅八条口にある新都ホテルの東側の道を、南に行ったところにある大正湯さんです。外観はきれいに改装されていますが、瓦屋根が昔の面影を留めています。
 脱衣場もきれいに改装されていて、お風呂屋さんらしきアイテムも男女仕切の上に、紐で首輪のように柱に結ばれている白磁の招き猫がいるくらいです。飲み物も自販機が置かれ、冷蔵庫はありませんでした。洗面台の裏の所に、備え付けの洗面器置き場があるのがちょっとユニークです。
 浴室の方も全面改装されています。奥に6人ほど入れるスチームサウナと、壺の水吐きが付いた水風呂。男女壁側にふくらはぎ&足裏刺激付き腰掛け型ジェット、ジェット一カ所付の浅風呂と深風呂、脱衣場側に泡風呂の酵素風呂がある構成です。男女壁にレリーフ風のタイルが使われているのがアクセントになっています。
 私の行ったのは祝日の夕方で、お客さんはおじいちゃんがほとんどでしたが、その中に男の子と女の子のお孫さんを連れて来ている方がいました。子供達は小学校の低学年ぐらいでしたが、おじいちゃんと一緒のお風呂に入って楽しそうでしたし、何よりおじいちゃんの嬉しそうな顔と言ったら思い出すだけでニヤリとしてしまいます。子供達のおじいちゃんの記憶の中にも、お風呂の風景が思い浮かぶんでしょうね。
 お風呂上がりに、番台のおっちゃんに大正湯という屋号の由来を聞くと、ここは元々別の方がやっておられた銭湯だったそうです。今の経営者のお父さんは元々京都駅の現在は近鉄名店街になっている辺りで別の銭湯を大家さんから借りてやっておられたそうです。それが昭和20年の強制疎開で立ち退きになり、同じ大家さんが持っておられた現在の大正湯に移って来られたそうです。近鉄名店街付近で、先代のご主人が銭湯を始められたのが昭和4年で、大正湯はそれよりも古いという話でしたので、屋号の由来はやはり大正時代に始まった銭湯というところにあるようです。また戦後、銭湯業界では農地解放で地主から小作人に土地が渡されたように、大家さんから実際に働いている人にGHQの指導で権利が渡されたという話も聞かせてくださいました。
 人に歴史あり、銭湯に歴史ありです。おっちゃんは話し好きで次から次へと昔話が出てきますので、みなさんもどうぞおっちゃんに話を聞いてみてください。

 八条口を西に行くと油小路通の手前に
PHP研究所の京都本部があります。PHPは月刊PHPやその他出版で有名ですが、元々は昭和21年に松下電器の創業者松下幸之助氏が、「物心ともに豊かな真の繁栄を実現していくことによって、人びとの上に真の平和と幸福をもたらそう」という趣旨で設立した研究所です。ちなみにPHPとは、Peace and Happiness through Prosperityという英語の頭文字をとったもので、“繁栄によって平和と幸福を”という意味のことばです。現在では民間シンクタンクとして、国際問題や国家経営、地域政策などの研究も行っておられます。
 私が面白いなと思うのは、松下幸之助がこの研究所の拠点を京都に置いたということです。松下は大阪で産声を上げた会社ですが、このいわば哲学的な研究所を設立して、その拠点を京都に置いたという点に松下幸之助の京都観があるような気がするんですけど、いかがなもんでしょ?

 

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弁慶湯
2015.6休業
2016.8廃業確認

南区西九条東島町31の8  営業時間:14:00〜25:00(日9:00〜) 定休日:金曜日
近鉄「東寺」下車 徒歩4分

 

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入湯日:2003/07/30 23:00

 昨年(2002)に拡張された油小路通を九条から南に行くと、東側にあるお風呂屋さんです。現在は油小路に面していますが、この道路は東側を拡張したので以前は多分奥まったところにあったのではないかと思います。道路の拡張工事に伴って建て替えられたのか、建物はきれいなビル型銭湯で一階に女湯、2階に男湯という造りになっています。
 玄関の自動ドアを入ると、まず正面に4席イスの置かれたカウンターがあり、左手にテレビやソファーが置かれたロビーになっています。カウンターでは、ビールのつまみにおでんや枝豆、他にソフトクリームも販売されています。カウンター内の棚の上には、金色と白の招き猫が一匹ずつ、また大黒さんと戎さんの顔が付いたざるが飾られています。一応カウンターがフロントも兼ねているのですが、端っこにお金を置く皿があるぐらいで、フロントという感じではあまりありません。カウンターの天井部分は2階までの吹き抜けになっていて天井扇が回っています。
 男湯へは階段を2階に上がるのですが、上がったところに2畳ほどの小部屋があり、なんとこれが将棋部屋です。ちゃんと四つ足の付いた将棋盤が2台と座布団が用意されています。そして驚くことに2階にもロビーがあり、6,7人掛けられるソファーとテレビがあります。2階のロビーには源湯から贈られた打出の小槌が付いた「益々繁盛」の額が掛かっていました。このロビーの奥が脱衣場です。
 脱衣場は、新しいビル型銭湯って感じですが、ここにもベンチがあり全体的に非常にゆったりとした造りになっています。
 浴室の方もゆったりした感じで、10人以上入れるテレビ付き遠赤サウナと、打たせ水付の大きな水風呂があります。お湯の浴槽は一辺が3.5mぐらいのほぼ正方形をした浴槽がドーンとあり、間仕切りは基本的に泡風呂になった宝寿湯の薬湯だけで、他の広い部分は電気風呂、足裏刺激付の腰掛けジェット2カ所を備えた広々とした複合浴槽になっています。個人的にお風呂屋さんの醍醐味のひとつは大きな浴槽にあると思うので、これはなかなか良い作戦だなと思いました。
 風呂上がりは、まず2階のロビーにあるテレビでスポーツニュースをしばし見た後、1階のロビーに移動。飲み物を飲みながら一階の造りを観察してきました。滞在時間的に、風呂上がりの時間が非常に長かったのですが、これはそれだけ居心地がいいという証拠。日曜日は朝風呂もありますし、のんびりと訪れたい一軒です。


 拡張された油小路通りの西側は、ほとんどがきれいに建て替えられた建物が多いのですが、注意してみると昔からの建物も混じっています。そんな家には歩道側に以前あった家の屋根の形が残っていたりして、何も知らない方が見ると不思議な感じに見えるでしょう。
 さて周辺案内は、弁慶湯から北に行き、九条通りに出て東に行ったところにある日光社です。ちょうど市バスの九条車庫のななめ向かいぐらいになります。ここは大正時代に創業した京都では老舗の輸入自動車を扱うディーラーで、京都駅周辺の丁字湯で紹介した富士ラビットの建物は元日光社の社屋でした。現在はこちらで営業されています。
 ただの自動車ディーラーなら取り立てて紹介することはないんですが、ここの特徴はショールームの中に喫茶を併設されているんです。もちろん車の購入の商談や修理をしに来た方も利用されますが、普通に街の喫茶店としても利用可能なんです。喫茶コーナーは、簡単な仕切があるだけで、すぐ目と鼻の先には高級車が並んでいます。普段はあまり縁のない高級車も間近で見られます。車好きの方はもちろん、そうでない方も一風変わった感じですので一度どうですか?

 

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九重湯
2014.7.19廃業

南区東九条南山王町28  営業時間:15:30〜22:00 定休日:日曜日
JR・地下鉄「京都」下車 八条口より徒歩6分

 

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入湯日:2003/05/16 22:00

 京都駅八条口のホテル京阪から、竹田街道を100mほど南に行った所にある派出所を、東に入ったところにあるお風呂屋さんです。「お風呂屋さん」と書かれた看板が目印です。隣に普通なら散髪屋という感じですが、ここは中国式整体のお店があります。でも新しいお店で、何となく建物は散髪屋の匂いがします。以前は散髪屋だったんでしょうか?
 このお風呂屋さん、前まで行くとポンポンとポンプの音が響いています。後で女将さんに聞くと、井戸水をくみ上げるポンプの音だということでした。なんでも地下100mからくみ上げているそうです。
 お風呂屋さん自体は、こぢんまりした昔ながらの感じで、暖簾をくぐると土間に番台があるタイプです。お風呂ドリンクの揃った富士商事の冷蔵庫や、番台上の神棚などの定番アイテムに加え、ロッカー上に飾られた「客が鈴なり」の「鈴」の部分に本物の鈴が3個付いている額はなかなかお風呂屋さんらしくて目を楽しませてくれます。また、浴室側に造られた庇に、造花の鉢と白熱球の傘が赤黄2つぶら下がっているのはいかにもお風呂屋さんといった感じです。
 脱衣場に珍しく警備員や土木作業員の広告が出ている辺り、このお風呂屋さんが地域密着銭湯であることを物語っています。
 浴室の方もカランが計13カ所とこぢんまりした造りで、男女壁に沿って浅風呂、ジェットが2カ所付いた浅風呂、深風呂があり、後は脱衣場側に張り出す形で黄色のネオン付人間洗濯機があるだけというシンプルな構成です。絶滅危惧装置といってもいい人間洗濯機ですが、ここのは真ん中が泡風呂になっていて、回転する水流自体はあまり強くありません。例えるなら手洗いバージョンとでも言いましょうか、そんな感じです。人間洗濯機の壁に、効能書きが掛かっているのですが、これをまことしやかに書いているのが日本超音波医学研究会という怪しい研究所です。でもこういう胡散臭いの大好きです(笑)。
 絶滅危惧装置といえば、ここのお風呂屋さんにもマイルドウオーター(地下水を長時間電気分解した物)のカランが3カ所だけあるのですが、ボタンを押しても水は出てきませんでした。最近このマイルドウオーターの設備があるお風呂屋さんで、しっかりマイルドウオーターのでるお風呂屋さんに出くわしません。最後にマイルドウオーターで顔を洗ったのはいつだろう?思い出せません。
 あとこの浴室で興味を引いたのは、一番奥にある湯口で、細かいタイル使いの水槽の様なところから、お湯が溢れるようになっているのですが、中央に噴水があり、水中に沈められた2個のライトが噴水に当たる様になっていました。残念ながらその仕掛け自体は壊れているようで、私の行った時は真ん中の噴水から、勢いの弱いお湯が出ているだけでライトは消えていました。湯口はもうひとつ、深風呂の所に、たまに見掛ける女性の膝の上に置かれた瓶からお湯が出る物が付いています。
 こういう懐かし系のお風呂屋さんの風呂上がりの楽しみは、やはりお風呂ドリンクです。羽車の瓶に入ったローヤルサニーを飲んでほっこりして来ました。

 京都駅南口のランドマークといえば、アバンティです。九重湯に京都駅から行く場合も、避けて通れません。地下鉄開通3年後の昭和59年春に、京都市が開発した再開発ビルで、地下3階地上9階建ての商業棟(イズミヤ、マリアージュ、アバンティホール)と地下3階地上13階のホテル京阪で構成されています。
 ここの6階にあるのがアバンティブックセンターという本屋で、ワンフロア500坪という売り場面積を持ち、在庫50万冊という永年京都で一番大きい本屋さんでした。最初に行ったときにその広さに驚いたのを覚えています。
 では現在京都で一番売り場面積の広い本屋はどこかというと、京都駅の北側にある近鉄プラッツ5階の旭屋書店で、なんとワンフロアで1090坪という広さです。ちなみに四条にあるジュンク堂京都店が、4フロアで435坪、丸善京都店が文具や衣料などを含め7フロア677坪という広さです。
 現在では京都で一番の売り場面積の座を、旭屋書店に譲り渡してしまったアバンティブックセンターですが、情報収集には力強い味方になると思います。九重湯と合わせてどうぞ。

売り場面積の情報は、「
ナイスな書店へGo!Go!Go!」というサイトを参照させて頂きました。

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菊湯
2009.3.31廃業

南区東九条東岩本町32の7  営業時間:16:00〜23:00 定休日:金曜日
市バス「九条河原町」下車 徒歩3分

 

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入湯日:2003/05/08 22:00

 河原町九条から200mほど北に行き、東に入ったところにある路地の中にあるお風呂屋さんです。ここも菊湯の看板が挙がっていません。でも、ロッカーの鍵の札にマジックで菊湯と書いてありましたので間違いありません。(笑)
 ここのお風呂屋さんで驚くのは料金です。私は百円玉を4枚出し、お釣りをもらおうとしたら、番台のおっちゃんに「ちょっと待って、うちは余所より60円安いんや」と言われ、110円返ってきました。値上げ前の340円で営業されていた店は何軒かありましたが、大人290円とは!ちなみに中人は120円(通常140円)と安いのですが、小人は60円で余所と同じです。後から聞いた話では、近くにある崇仁地区の市営浴場との兼ね合いで、京都市と地区の自治会、お風呂屋さんが話し合いこの値段設定になっているそうです。
 お風呂屋さん自体は、昔ながらの表の戸を開けると土間の部分に番台があり、いきなり脱衣場の古い造りです。脱衣場には、イスが3脚と按摩機、富士のマークが入った冷蔵庫、小型の体重計以外これと言った装飾品や小物はなく、さっぱりした感じです。
 浴室の方もシンプルで、奥の壁側に深風呂と泡風呂付き寝風呂が一カ所とジェットが2カ所付いた浅風呂があるだけという基本的には2漕のみの浴槽です。あとは入口に立ちシャワーのコーナーがあるだけです。洗い場は合計13カ所で、内11カ所はシャワー付きといった感じの小規模なお風呂屋さんで、しかも至ってシンプルです。
 かといって浴室はちゃんと改装してあり、壁のタイルはきれいですし、シャワーの出もすこぶるいいお風呂屋さんでした。
 時間帯にも依るんでしょうが、私の行った十時頃には男湯のお客さんは一人だけで、その方も程なく上がられ、ほとんど貸し切り状態でした。
 女湯の方には、幼稚園ぐらいの女の子を連れたお母さんが入っておられたようで、その女の子がなかなか笑わせてくれました。関西の方なら横山ホットブラザーズはみなさんご存じでしょう。のこぎりを叩きながら言うあの台詞、「おまえはあほか〜」を、節もまねして大声で歌っていました。関西っちゅう土地柄は、ほとんど笑いの英才教育ですね。まあ、おかあさんに「うるさい!」と怒られてましたけど。この女の子、お風呂から上がるときは、番台のおっちゃんに怒られてました。「ちゃんと体拭いて出なあかん!」と怒られていたのですが、これは大人が子供にマナーを教えてる訳ですから、聞いていてなかなか気持ちのいいやりとりでした。
 そんなこんなの菊湯でしたが、最後はおっちゃんの「また来てや〜」の声に見送ってもらいました。

 京都案内として書いていいか迷うところですが、この辺りは俗に言うところの同和地区です。菊湯の料金が安いのも、京都市の同和政策により、いくらか補助金が出ている為だと思います。この辺りの北側に広がる崇仁地区に、市営浴場が3カ所も固まっているいるのもそういう背景があります。
 こういうエリアには、独特の街の雰囲気を感じます。ここもご多分に漏れず、路上駐車が多かったり、ハングル文字の看板が目に付きます。また、空き地が非常に目立つのですが、聞いた話だと、京都市の都市整備計画の対象地区になっていて、不動産の売買が規制されているそうです。
 同和については、歴史や利権、治安、政策などについて公正に語られる必要があると思いますので、ここでは抜きにして、周辺を回った感想を書いておきます。
 正直いって、時代に取り残されたような街なんですが、視点を変えると昭和30年代、40年代頃の雰囲気が残っているように思います。タイル張りのたばこ屋の軒先で雑貨が売られ、軍手がぶら下がっていたり、商店には裸電球がぶら下がっていたり、公園ではたくさんの子供達が走り回っていたりとタイムスリップしたような感覚です。
 読んで頂いてる方にもどうぞとはいいませんが、そんな感じの所です。今回はこれにて。

 

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松湯

南区東九条宇賀辺町60 営業時間:15:00〜24:00 定休日:無休
市バス「九条河原町」下車 徒歩3分

 

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入湯日:2003/07/26 22:30

 河原町九条から南へ行き、スーパー大国屋の一筋南を東に入ると看板が見えます。路地の奥で建物全体は見渡せませんが、脱衣場の2階に部屋の無い造りです。玄関スペースは珍しく中央に男女を分けるように下駄箱が置かれていました。
 脱衣場は結構あっさり目で、目立った装飾品類はありません。テレビはなく有線の演歌がまったりと流れています。冷蔵庫が珍しく雪印のものでしたが、牛乳関係は明治乳業の製品でした。ここにも雪印事件の余波があったんでしょうか。
 この脱衣場で目が釘付けになったものがひとつあります。ロッカーの並びに高さ1m、縦横60Bぐらいの機械があり、上面にはボタンやらメーター類が付いています。しかもボタンなどがいたずらされないよう上には透明な蓋がついていて、南京錠で厳重に施錠されています。最近テレビニュースでよく見る北朝鮮の核関連施設にあるようないかつい機械を想像してもらえれば解るでしょうか。よく見ると機械上面に「ラドン・森林浴発生装置」と書かれていました。機械の中が気になるところです。そして機械の置かれた壁には、「世界のラドン温泉I」と書かれた写真パネルがあり、オーストリアのバッドガスタインという温泉場の様子が写っています。写真の内容はですねえ・・・洞窟の中で水着で横になってる写真とか、プールのようなところで科学者っぽい人と談笑してるところとか・・・ラドン発生装置の神秘を感じるような写真です(笑)。でも機械が動いている様子は無かったので、現在は使われてないのかも知れません。
 浴室の方はそこそこ広く、右手奥に狭いながらもドライサウナとスチームサウナの両方があります。私が行った時ドライサウナは残念ながら故障中でした。スチームサウナは5人ほど入れる広さで壁にはラドン浴の効能書きがありました。このサウナがまた曲者でイスに座ると、イスの下から蒸気が出てるので熱くて耐えられません。東寺近くの日の出湯同様、上に体育座りです。 
 浴槽は男女壁に沿って奥からバスフレンドの福寿効が入った薬湯、電気風呂、浅風呂、深風呂が並び、脱衣場側に竹炭の袋が沈められたジェットと泡風呂の浴槽、逆サイドにライオンの水吐き付水風呂という構成です。
 浅風呂の底にはタイルの錦鯉が3匹、深風呂と浅風呂の間には高さ60Bぐらいの裸婦像の湯口が付いています。
 この浴室は何回かに分けて改装されたようで、壁のタイル使いが様々です。まずカラン側と奥はほとんど白タイルで、奥の男女壁周辺だけいろいろな色の細長いタイルを組み合わせてあります。男女壁は奥1/3ほどが雪の結晶を象ったような模様があり、手前2/3ほどはレンガ調になっていました。
 私の行った10時半頃はお客さんも常に4,5人といった感じで結構まったりムード。演歌を聴きながらフルーツ牛乳でまったりムードに身を任せてきました。


 松湯の辺りのランドマークといえば、松湯から河原町通りをもう少し南に行ったところにある都市整備公団の松の木団地だと思うのですが、ここの一階にあるショッピングセンターは近くにスーパーが出来たせいでしょうか、シャッターを閉めている店もあり、ちょっと寂しい感じです。
 京都駅より南の竹田街道より東側の地区は、韓国料理や焼肉店が多いエリアなんですが、松湯あたりにも結構目立ちます。そしてなによりこの辺りは、昭和30〜40年代ぐらいの街の風景が各所に残っています。松湯に行く角をずっと東に行くと駄菓子屋の様なパン屋がありますし、その向いでは天ぷら屋でかき氷を売っていたりします。そして私が極めつけだと思ったのは、写真のお好み焼き屋さんです。木造平屋建ての外観に平べったい磨りガラスの入った窓を押し開けてある姿はまさに昭和の匂いです。中には入っていませんが、じゃりん子チエちゃんが接客してくれそうな雰囲気です。松湯と合わせてどうぞ。

 

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九条湯
2007.8.27廃業確認

南区東九条中御霊町65 営業時間:15:00〜23:00 定休日:木曜日
地下鉄烏丸線「九条」下車 徒歩6分 または 市バス「大石道」下車 徒歩4分

 

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入湯日:2003/07/25 22:00

 竹田街道を九条から南へ行き、辻湯の温泉マークが見えてきたら左を向いてください。路地の奥に九条湯があります(笑)。この2軒もかなり距離が近いです。推定200mといったところです。
 車がやっと入れるほどの路地ですが、九条湯の建物は唐破風のあるなかなか立派な建物です。ご主人に依ると昭和6年建造だそうです。玄関スペースは後から増築されていますが、下駄箱の横には、下駄箱を小さくしたような傘入れもありレトロな雰囲気です。
 脱衣場がまた見事です。天井は折上げの格天井でいい飴色になっており、そこから吊り下げ式の扇風機がぶら下がり、ゆるい風を送っています。正面奥には宝船の柄の大入り額、番台側にはちょっと埃をかぶった招き猫が鎮座しています。この招き猫の背中と男女仕切に沿ってもう一本柱が立っているのですが、五寸角はある立派な柱です。道路側はベット型のマッサージ器とベンチなどが置かれた休憩スペースになっているのですが、その外は池のある坪庭になっていて、池には鯉も泳いでいます。なんて雰囲気のある脱衣場なんでしょう。そして浴室入口の上部には、モザイクのタイル絵。男湯側は、嵐山をモチーフにしてあるそうで左手に柳の木と舞妓さんの後ろ姿、対岸には五重塔があります。女湯側は、一転海に浮かぶ帆船とヨットが描かれていました。取り付け時期について聞いたところ、20年程前ということでしたが、20年前といえば昭和60年頃。個人的にはもう少し古い様な気がするんですけど・・・。
 他にもこの脱衣場には、宝飲料マークの冷蔵庫(お風呂屋さんドリンクはなし)、大丸というあまり見ないメーカーの体重計などがありました。
 浴室の方も、中央に浅深2漕の主浴槽があり、壁はほとんど白タイルで懐かしい感じです。奥には、ジェット2カ所と泡風呂がついた浅風呂、電気風呂、泡風呂付きのサンパルコ酵素風呂が並び、脱衣場側にライオンの水吐きが付いた水風呂、奥左手にせり出す形で6,7人サイズのスチームサウナがあります。
 酵素風呂はたまに見る黄緑色の酵素風呂ですが、説明書きに「酵素と呼ばれる神秘的な物質」という下りがあり、酵素パワーを感じさせます(笑)。超音波風呂の方は、日東超音波医学研究会が効能書きを書いています。もうなんでもありです!そうそう、表の看板ではスチームサウナの表記が「スティームサウナ」になっています。お風呂屋さんにはこういう日本人離れした表記がたまにあるんですよね。
 浴室の配置として両サイドにカランが並んでいるのですが、女湯の方は浴室の右手に三連のアーチ状になった部分があり、その奥にも浴槽があるようでちょっと配置が違うようでした。
 お風呂上がりは、コーヒー牛乳を選択。何故か私はこういう古風なお風呂屋さんでは、コーヒー牛乳を飲んでしまいます。密かにここ東九条は、マニア受けするお風呂屋さんが固まっています。自覚症状のある方も、無い方もとりあえず九条湯へどうぞ。


 九条湯の少し北側、竹田街道と九条通の交差点は「大石橋」という交差点です。でも橋と言っても九条通りの鴨川に架かる橋は東山橋ですし、他に川は流れていません。不思議に思い調べてみると、昔は竹田街道と平行に藍染川という川が流れていたそうです。そしてちょうど九条通りのところでさらに分流の渠に別れていたそうで、そこに架かっていたのが大きな欄干のある石橋で通称大石橋と呼ばれていたのが、この交差点の名前として残った様です。この地区にある陶化小学校の「陶化校100年の歩み」という本で調べたんですが、残念ながら肝心のいつまでその橋があったかという事はかかれていませんでした。でも電車と平行して流れ、鴨川に合流していたとありますので、戦後すぐぐらいまではあったと思われます。
 橋つながりでもうひとつ。先ほども書きましたが、九条通の鴨川を越える橋が東山橋です。この橋は、鴨川だけでなく琵琶湖疎水、JR奈良線、京阪電車も跨ぐので非常に長く400mぐらいあります。非常に個人的な話ですが、この橋を車で渡るのが私はあまり好きでありません。何故かと言いますと、路面が上下していてなんか落ちそうな気がするんですよね(笑)。極端にいうと路面がM字型になっているんです、それも2カ所ぐらいで。でもこの橋には見所というか、懐かしい物が残っているんでちょっと注目してみて下さい。橋の両側に鉄柱が立っているんですが、これは市電の架線を支えていた鉄柱です。支柱だけ撤去されずに残っているんです。西側には一カ所だけ、完全な形で残っているところもありますので、わたる際にはちょっと鉄柱に注目です。(→波打つ路面と鉄柱の立つ東山橋)

 

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辻湯
2014.2廃業確認

南区東九条中札ノ辻町24  営業時間:15:00〜23:00 定休日:火曜日
地下鉄「九条」下車 徒歩7分 または 市バス「札の辻」下車 徒歩0分

 

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入湯日:2003/07/18 22:00

 竹田街道を京都駅から南へ、九条通を越えしばらく行った東側にあるお風呂屋さんです。建物は、竹田街道に対し横向きに建っているのですが、これは釜場の関係でしょう。ちょっと脇道に入ったところに暖簾が掛かっているのですが、珍しく一枚タイプのものでした。懐かしいタイル使いの玄関スペースには、祇園祭の長刀鉾のちまきが掛かっています。
 昔ながらのお風呂屋さんですが、脱衣場の籐筵は新しく、結構明るい感じです。男女仕切の上には、大小の招き猫。正面突き当たりには、大入り額と戎さんの熊手が飾られ、地味に天狗とお多福さんの飾り物もありました。
 この脱衣場でおっ!と思わすものが2点ありました。ひとつは阪神タイガースの檜山選手のサインです。サインの横には「辻湯さんへ」とも書き添えられています。檜山選手は平安高校の出身。この辺りが地元かなと思い女将さんに聞くと、檜山選手の高校時代の野球部の監督のお父さんがこの近くにお住まいなんだそうです。えらい遠い関係です(笑)。でも直筆と信じておきましょう!
 もう一つは、篠山紀信のヌードカレンダーです。いままで結構な数のお風呂屋さんを回りましたが、ヌードカレンダーは初です。間違っても女湯にはないアイテムですね。
 浴室の方は、懐かしい感じの浴室で男女壁から奥の壁に沿って、深風呂、ジェットが2カ所ついた浅風呂、泡風呂付きの薬湯が並び、脱衣場側にライオンの水吐きが付いた水風呂という構成です。薬湯は、じっこうよりやや赤み掛かったようなお湯でした。また、水風呂の浴槽は不揃いのタイルの中に、蟹や貝の形のタイルを散らした細工がされていました。
 このお風呂で珍しいのは、男女壁に沿ってある深風呂の底近くに20B四方ぐらいの穴があり、お湯を女湯の深風呂と共有しています。古いお風呂屋さんで、石鹸などをやりとりする穴があるのを写真で見たことがありますが、ここはお湯の中に穴があり、お湯を共有しているという珍しい造りです。
 タイル使いは所々に細かいタイルが使われ、また壁のほとんどは昔ながらの白タイル。床やカラン周りは緑系で統一されていました。
 あとこのお風呂屋さんのお湯は、たまにあるミネラル湯浴泉です。効能書きが、浴室に掛かっているのですが、これの製造元が「東洋ミネラル科学研究所」となっています。東洋と名乗るところも、科学研究所と名乗る辺りもただ者ではありません。まことしやかに効能が語られています。
 お風呂上がりは、富士商事(地場メーカー)の冷蔵庫を覗きコーヒー牛乳を選択。ベンチに座りながら、テレビのスポーツニュースを見る王道コースです。しかし、ここのテレビは冷蔵庫の上のガラスケースの上にあるという不安定さが気になります。地震が来る前に、置き換えましょう、女将さん。


 辻湯のある竹田街道は、淀川を三十石船が往来していた頃、伏見南浜と京都を結ぶ道として開けた街道で、明治末には日本で最初の電車が走った道です。今でも街道沿いには、古い民家がぽつりぽつりと残っており、古い街道筋の面影を伝えています。
 辻湯のすぐ近くにある札の辻の交差点脇には、宇賀神社参道と書かれた一本の石碑が建っています。説明書きを読みますと、この辺りの産土神で、起源は古く藤原鎌足の時代にまで遡るようです。古くは宇賀塚として知られていたようで、藤原鎌足がこの辺りで猟をしていた際、金印を手に入れ(どういう経緯かは書かれていない)、後世この辺りに都が遷され子孫が繁栄することを予知し、金印を埋めたのが宇賀塚の由来だそうです。その後、予知通りに都は遷され、藤原家が栄えたのは、歴史上の事実です。
 現在の宇賀神社は、集会所として使われている建物の他はひっそりとした感じの神社で、あまり人影もありません。しかし、人影はありませんが、なんとニワトリがいました。集会所から出てきたおばちゃんの話では、別に飼っているわけでもないのに住み着いているようです。朝にはコケコッコーと元気な声も聞けるみたいです。こんな町中に放し飼い(野生?)のニワトリがいるなんて・・・。辻湯の帰りにでもどうぞ。

 

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別府湯

南区東九条石田町25の1 営業時間:15:00〜23:00 定休日:土曜日
地下鉄烏丸線「十条」下車 徒歩5分 または 市バス「札の辻」下車 徒歩2分

 

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入湯日:2003/07/22 22:00

 竹田街道沿いにある辻湯からさらに南へ、点滅信号を西に入ったところにあるお風呂屋さんです。外観はなかなか立派です。残念ながら唐破風は傷みが激しいようで、トタンで覆われよく見ないとそれと分かりませんが、2階部分の欄干などなかなか味のある建物です。後から増築された玄関スペースには、下駄箱と並んで傘の木製ロッカーもあり、脱衣場への入口には扇形の板に「男」「女」と書かれた看板が掛かっています。
 脱衣場は、ややさっぱり目ですが、入口の上には男女一枚づつの大入り額がかかり、浴室寄りには金の招き猫が置かれています。道路側が板の間になり、ベンチが置かれていて休憩スペースになっているのが特徴的です。読み物系は、週間のマンガ雑誌に加え、週刊新潮、週間文春が置かれていました。
 浴室では、まず目にはいるのが奥の壁にあるモザイクタイルです。縦1.5m、横3.5mぐらいの大きさで、縁は細かい深緑の長方形のタイルで縁取られています。モチーフは、海の中の様子で右手に海女さんが、サザエか何かを拾っている姿が描かれています。このタイル絵の珍しいのは、モチーフもそうですが、クラッシュタイル(乱形タイル)である点です。京都市内190軒ほどを回りましたが、クラッシュタイルのモザイクは初めて見ました。後で女将さんに聞くと、女湯側は海女さんの姿がない代わりに、魚が多く描かれているそうです。昭和36年に経営を引き継がれたそうで、残念ながらタイル絵については当時からあったものという事しか分かりませんでした。
 浴槽の方は、奥に泡風呂とジェット2カ所を備えた広い浅風呂、男女壁側に深風呂と電気風呂、脱衣場側にライオンの水吐きが付いた水風呂という構成です。深風呂には、女性の膝に置かれた瓶からお湯が出る湯口があります。浴室自体は、シャワー付カラン8カ所+カランタワーなど6カ所とこぢんまりした感じです。
 男女壁に超音波風呂(ジェット)の効能書きがあるのですが、これを書いているのが「日東超音波医学研究会」。まことしやかで、たいへんよろしい。
 風呂上がりに、建物の事についても女将さんに聞くと、昭和の初め頃の建物だという事でした。脱衣場の2階部分は住居スペースになっているのですが、中央に廊下があり、道路側は襖で仕切られた部屋が続いていることから、元は休憩所として利用されていたのかもしれないというお話でした。
 大変珍しいクラッシュタイルのモザイクに出会い、またひとつ新しい発見のあった別府湯さん。別府湯という名前についても、以前の経営者が使っていたものをそのまま引き継いだと言うことで、由来については分かりませんでしたが、その謎がまた魅力的に思えてくるお風呂屋さんでした。
 駐車場は東隣に2台分あります。


 ここのタイル絵は、どうしても写真に納めておきたいと思った一枚でした。今回営業時間前にお邪魔して念願が叶いました。さらに今回ご主人にお話を伺い、このタイル絵が京都で作製された物であることを知りました。このことについては、京都のお風呂屋さんのタイル絵史上かなりの大発見だったので、改めて詳しく書きたいと思います。お楽しみに。
 タイル絵以外のことも書き足しておきますと、ここのお風呂屋さんも女湯の方が1.5倍近く広く造られています。経営を引き継がれた後、昭和42年に改装されたそうですが、その際に女湯側を拡張されたとのこと。女湯側の拡張された場所には、ひき粉(おがくず)小屋があり、改装以降燃料も重油に変更されたということでした。また改装以前は、男湯側の現在ロッカーがある場所には、2階に続く急な階段もあったそうです。
 小ネタとしては、周辺案内で紹介した多田衡器製作所さんが、男湯脱衣場の温度計のスポンサーになられていました。
 なにわともあれ、ここはタイル絵です。是非一度実物を見て下さい。芸術性が光っています。

↑女湯側のタイル絵。

↑男湯側のタイル絵。

↑女湯全景。男湯に比べ広くなっています。

↑海女さん部分のアップ。
 クラッシュタイルで作られているのが見えるでしょうか。

(2004.4.2加筆・写真追加)

 
 

 別府湯のすぐ近くを通る竹田街道ですが、この道は伏見街道や鳥羽街道と比べると比較的新しく開けた道です。新しいといっても江戸時代の話で、高瀬川が掘られ、伏見南浜が大阪との中継港として栄えてからバイパスとして京と伏見を結ぶために開けたようです。伏見南浜に陸揚げされた物資は、高瀬船で川を曳いて上るか、牛車などに積み替えて運ぶしかないのですが、竹田街道を通る牛車を「竹田車」と言う名で呼んでいたようです。
 さて話は現代に戻りまして、別府湯から竹田街道に出ると東側に「多田衡器製作所」というハカリ屋さんがあります。ここの店内をのぞくとお風呂屋さんにあるような体重計がいっぱい並んでいます。そしてそれに「貸秤」と書かれているんですねえこれが。ということは多分これ貸してもらえるんですね。誰がどういう目的で借りるのか私には想像がつかないんですが、ご入り用の方は、どうぞ。(いないか)

 

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明田湯

南区東九条明田町10 営業時間:15:00〜24:00 定休日:金曜日
地下鉄烏丸線「九条」下車 徒歩4分 または 市バス「烏丸札の辻」下車 徒歩1分

 

詳しい地図を見る

入湯日:2003/07/23 22:30

 九条烏丸からさらに南へ、烏丸通りと5mも離れず西側を平行に走る旧烏丸通りの札の辻通りの手前にあるお風呂屋さんです。読み方は明田町(あけたちょう)にあるので、「あけたゆ」が正しいようです。玄関スペースを後から足されているのと、塀を建てられているので分かりにくいですが、唐破風のあるなかなかがっしりした建物です。玄関スペースの正面には、「伏見稲荷初詣」の文字が入った熊手が飾られています。
 脱衣場は、壁が白く、また籐筵も白っぽいこともありかなり明るい感じになっています。装飾品類はあまり無いのですが、男女仕切の上に黒い古い招き猫が座っています。全体的にすっきりした感じなのですが、ロッカーが壁に埋め込まれたようになっているせいかもしれません。ロッカーの上は、普通常連さんの洗面器のキープ場所になっていることが多いのですが、洗面器の棚は別に作られていました。と、その棚の上に珍しいものを発見!コイン式の公衆電話が置かれています。もちろんピンク電話なんかじゃありませんが、黒いヤツでたまに飲食店などで見るタイプのものです。
 冷蔵庫は、宝飲料のものが置かれていますが、お風呂屋さんドリンクの類はありませんでした。
 浴室の方は、脱衣場の方から見た感じは、昔ながらの白タイルが多く使われ、サウナの無い昔ながらの浴室かと思いきや、浴室の左手に出っ張る形で、小さな水風呂とテレビ付きの5,6人入れるサウナがあります。水風呂は、もう一つ浴室の逆サイドにも小さなものがあり、合わせて2つあります。どちらにもライオンの水吐きが付いていて、大きさもどちらも一人サイズ。多分サウナの前の方は、サウナ増設の際にサウナ専用にと作られたのでしょう。
 その他の浴槽の構成は、奥の壁側にじっこうの薬用泡風呂、電気風呂、泡風呂と足裏ふくらはぎ刺激付腰掛けジェット2カ所備えた広い浅風呂という構成です。じっこうの薬湯の効能書きには、天然生薬の文字も。個人的にじっこうは好きなのですが、天然生薬の文字でさらに効いたような気がします。
 このお風呂屋さんに行く前に、いのきんさんの入浴記(
ホモ・ルーデンス「おこしやす京都の銭湯」)を読んでいったのですが、その中に浴槽の中で体をこするおじさんという記述がありました。そして、私の入ったときも同じ光景を目にしたのでした。同じ人でしょうか?私もいのきんさん同様、心の中で抗議してました。
 風呂上がりは、久々に森永Aの白牛乳。どうして京都のお風呂屋さんの牛乳って森永が多いんでしょう。謎は深まります。


 明田湯の前は旧烏丸通りという幅員5〜6mの細い道です。この「旧」とついたのは、地下鉄烏丸線の京都〜竹田間の延伸工事と平行して京都駅以南の烏丸通りが拡幅されたので、その頃の事だと思います。この辺りは旧烏丸通りがやや西に傾きながら走っていたため、旧烏丸から5mほど東側を広い新しい烏丸通りが走るというちょっと変わった形になっています。地下鉄の京都〜竹田間が営業を始めたのは、昭和63年6月ですので、ちょうど15年ほど前になりますが「京都市高速鉄道建設小史(続)」によりますと、この辺りは土地が細かく分割された住宅地が広がり、地権者と住人が異なるケースも多く、買収交渉に苦労した話が書かれていました。
 さて、明田湯から西の方に一筋行き、北に上がると京都市の殿田公園野球場兼運動場というグランドがあります。ここは少年野球のメッカで、休みともなると小学生のチームが練習や試合をしています。そして毎年開かれる全京都学童軟式野球選手権大会では、試合会場のひとつにもなります。この選手権大会は、京都府下にある少年野球チームが200近く集まり6月から8月にかけて約2ヶ月間の長期にわたり行われますが、決勝戦だけはプロ野球も使う西京極球場で行われます。休みに明田湯に行かれたらちょっと寄り道して下さい。小学生が純粋に白いボールを追うのを見るのも、なかなかすがすがしく、微笑ましいものですよ。(↑殿田公園グランドと奥に見えるのは府民総合交流プラザ(京都テルサ))

 

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石田湯

南区東九条南石田町35 営業時間:15:00〜23:00 定休日:日曜日
地下鉄烏丸線「十条」下車 徒歩2分 

 

詳しい地図を見る

入湯日:2003/08/14 22:00

 烏丸十条から東へ、細い道の3本目を南に入っていった所にあるお風呂屋さんです。建物自体は結構古そうなんですが、玄関周りや中はきれいに改装されていて昔の面影は全く残っていません。まるで新築のお風呂のようです。
 まず自動ドアの入口を入ると小さい玄関スペースの正面にフロントがあります。フロントの左側が男湯、右側が女湯なんですが女湯側には4人ほど掛けられるロビーがあり、小さいながらもつくばいやいい枝振りの松の盆栽などが置かれたきれいな庭に面しています。作りつけのイスにも苔の寄せ植えがあり、片隅には花が生けてあるなどなかなか行き届いてるロビーです。雑誌類は少年ジャンプとレタスクラブという異色の2誌が置かれていました。
 脱衣場は、きれいに改装されていてややもするとビル型銭湯の雰囲気です。天井には四角く段をつけた意匠があるのですが、その中はブルーに星がいっぱい散らしてあるかわいい壁紙が用いられていました。装飾品類としてはフロント側に置かれた神棚のほか、ご主人の趣味でしょうか四条界隈のきれいな夜景の写真が3枚飾られていました。
 脱衣場内の配置として特徴的なのは、珍しく男女仕切側にロッカーがあり、逆サイドに鏡があります。また常連さんようの洗面器置き場がロッカーの並びにあるのですが、棚ごとに○○様とシールが貼られ、各自の置き場所が決まってるようでした。
 飲み物類はフロントで牛乳関係やビールを販売されていますが、脱衣場にもポカリスウェットの自販機が置かれています。
 浴室は小振りですが、きれいに改装されていて、昔の面影を残しているのは入口付近のタイル使いのみです。全体的にクリーム色のタイルが使われ、天井も白いので非常に明るい感じの浴室です。
 浴槽は、奥に大きい浴槽を間仕切って電気風呂、浅風呂、深風呂を備えた浴槽があり、脱衣場側に4人ほど入れる有線の掛かるサウナとリスが乗った小枝から水が出る水吐きが付いた水風呂があるという構成です。浅風呂はジェットと泡風呂がついた複合浴槽で、赤と黄の点滅ネオンが付いています。深風呂は久々の高温で熱い湯好きの方にはたまらないお風呂です。
 カランは両サイドにシャワー付が9カ所、他に島カランで4カ所の計13カ所ですので、カラン数から見ても小規模であることが分かってもらえると思います。
 客層は私の行った時間帯は若者が大勢を占めていました。中学生も友達と入りに来ていました。
 駐車場もなく前の道も細いのでちょっと分かりにくいですが、設備は新しく、浴室も明るいので非常に気持ちのいいお風呂です。
 またこのお風呂屋さんは、月1回の福祉入浴をされていることも付け加えておきます。


 石田湯の周りの町並みはちょっとタイムスリップしたような感じです。平屋建ての借家普請の長屋が続いていて高い建物がありません。そのせいかは分かりませんが、石田湯の煙突もかなり低く普通の2階建ての屋根よりちょっと高いぐらいです。
 煙突といえば石田湯のすぐ近くの勧進橋のたもとには、染め物工場の煙突が2本立っていてランドマークになっています。この勧進橋の南詰に竹田街道を走る市電の勧進橋の電停が昭和45年まであり、そこから伏見稲荷まで支線も走っていました(もちろん私は実際に走っているのは知りません)。また勧進橋から伏見稲荷の方へ数百メートル行ったところには、ラグビーの元日本代表監督の平尾誠二さんなどが卒業したスクールウオーズでお馴染みの伏見工業高校もあります。
 さて勧進橋という名前ですが、勧進とは寄付を集めること。ある本で現在の勧進橋より2本下流に架かる竹田橋辺りに、江戸時代寄付金で架けられた勧進橋があったという記述を見つけました。また室町時代には鴨川に架かる五条大橋が清水寺の僧侶の勧進によって架け替え費用を賄っていたことから、勧進橋と呼ばれていたこともあるようです。現在の石田湯近くの勧進橋にどういう由来があるかは分かりませんでしたが、この橋も元はおそらくそういう寄付により造られたものだったのでしょう。まあとりあえず、勧進橋の写真を載っけておきます。

 

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