2002年5月1日
水の都 ベネチア

(写真をクリックすると拡大表示します)
私の積年の望みの1つに
「水没してしまう前にベネチアに行きたい」
という希望がありました。別に夫にしつこくせがんだつもりはありませんが、知らず知らずのうちに、事あるごとに口走っていたようです。今年の春は、夫の方から
「イタリアのベネチアに行く?」
という申し出があり、めでたく水没する前にこの目で生ベネチアを目にすることが出来たのです!

私たちはパッケージツアーに参加したため、名所に行く時はいつも送迎付きでした。
ベネチアにはモーターボートを使ってアクセスしたので、最初にサンマルコ広場前の船着場に到着しました。サンマルコ広場横にはドゥカーレ宮殿という9世紀に建てられたベネチア共和国政庁の建物があります。右写真左側のベージュの建物です。右側のグレーの建物が牢獄。
ドゥカーレ宮殿で有罪判決を受けた政治犯がため息をつきながら隣の建物へ移動したため、この2つの建物を渡す橋は「ため息橋」とか「嘆きの橋」(Ponte dei Sospiri)と呼ばれています。

まず最初にドゥカーレ宮殿の見学に行きました。
ベネチアは世界各国と交易をしていたので色んな文化がミックスされていて興味深いです。
丸屋根の宮殿は、地中海を隔てたイスラム諸国のモスクの影響を受けています。
建物の大理石は白、オレンジ、ピンク、緑、紫...と色も模様も様々で、贅を尽くした豪華なつくりで見事です。


ドゥカーレ宮殿内は、現地ガイドのモニカさんという日本語堪能で頭のよいイタリアン美女に案内してもらいました。宮殿の階段の天井は躍動感ある大理石彫刻がびっしり彫られていてとても見事だったのですが、写真撮影禁止だったので手元には宮殿の中庭から外へ出る通路の写真しか残っていないのが残念です。

ドゥカーレ宮殿は、ベネチアの帆船造りの技能を活かして、屋根を軽くする建築技法があるため、巨大な大広間に1本も柱がありません。そこにある世界最大級の油絵「天国」(Paradiso)も、しっかとこの目で見てきました。「天国」は7*22mの大きさで、モニカ節によると「日本でいうところの30坪の大きさ!」という、私達夫妻の住処より大きな絵なのでした。

また、ドゥカーレ宮殿は政治の間だったため、秘密の抜け道のようなものが沢山あるそうで、巨大なカラクリ屋敷になっているそうです。秘密の抜け道ではありませんが、私達は幅が狭く天井が低い通路を通ってため息橋を渡って、隣の牢獄の博物館も案内してもらいました。当時の武器や拷問道具などちょっとグロ系の展示物がある中で、モニカさんが「これはこの博物館で最も珍しい展示物です」と紹介してくれたのは、トゲトゲのいっぱいついた女性用の貞操帯でした。凄かった!
ドゥカーレ宮殿で写真がとれなかったので、仕方なくサンマルコ寺院入り口の豪華な金箔画を撮りました。

時間があまりなかったので、楽しいモニカさんと別れて、すぐにゴンドラに乗りました。
ゴンドラに乗って細い水路を漂うのが私の長く思い描いていた憧れの情景だったため、自然と私の顔がほころんでいたようです。
「嬉しそうだね」と夫が言いました。
私はワクワクしていたのです。


サンマルコ広場前の船着場から出て、ため息橋の下をくぐり、その後何本もの小さい橋をくぐりました。橋にはすぐに手が届きます。脇の建物は水路に面した階段を備えて、水路用の勝手口があるものもありました。その日は天気がよかったためベネチアは観光客が沢山いて、くぐり抜けた橋の上の外国人に写真を撮られました。


ベネチアに到着する前、アリタリア便の中で慌ててゲーテの『イタリア紀行』を読みました。
驚いたことに、ゲーテの書いたベネチアの情景と私が見たゴンドラから見た世界は、ほとんど変わりないものでした。また、イタリア紀行の中に出てくる当時の噂話に「ベネチアはあと200年もしたら沈んでしまうだろう」というものがあり、笑ってしまいました。


ベネチアでは、水路は大切な交通機関ですから、交通標識もあれば交通取り締まりもあるようです。
ゴンドラ標識は可愛くて気に入りました。



ゴンドラ遊覧は大体40分間ぐらいで終わり、その後、ベネチアンガラスの工場見学へ行きました。
熱してオレンジにドロドロになったガラス塊をコテを使って器用に細工しています。ガラス職人になるには長い長い修行期間がいるそうです。
右側の親方っぽい人は伝統的な形状の花瓶をあっという間に作り上げました。Tシャツを着た若手職人は現代的な作品を作っているところです。


そして、このお馬さんが完成品。
オレンジ色だった塊が1分程で冷めてブルーの涼しい作品になります。
でも、まだ粗熱が残ってるので真っ青ではありません。



その後、同じ建物内の直営ショップで色々商品を紹介してもらいました。
店員さんの話では赤いグラスが最上級だそうです。
また、丈夫に出来ていて、デモで30cmぐらいの高さからグラスを落としたり、テーブルを叩いたりと荒っぽい扱いでしたが全然割れませんでした。
とてもよい製品でしたが、あいにく我が家は食器が余り気味なので買いませんでした。


ガラスショップから解放されて、やっと自由行動です。
最初にベネチアの全貌を把握するために、サンマルコ寺院脇の鐘楼に登りました。といってもエレベータだったので登るのは楽でしたが。料金は6ユーロ(日本円で約700円)。
左は鐘楼から見下ろしたサンマルコ広場です。私はこの広場が水浸しになっているAP通信の写真を見て、ベネチア行きの気持ちが早まったものでした。


これは、上から見たベネチア市街。
屋根の色が同系色で統一されていて、景観を壊すような下品な高層ビルがなくて、昔からこんな景色だったのだろうなと想像しました。


ご愛嬌で聖マルコ寺院の屋根も上から写しました。
沢山の人が登っていてウロウロしてます。
本当は聖マルコ寺院内も入りたかったのですが、時間がなくて上と下から眺めるにとどまりました。


鐘楼を降りて、サンマルコ広場を離れて、ベネチアを2分する大運河 Canal Grande上のアカデミア橋を渡ってアカデミア美術館に向かいました。
Oh! My God!! ならぬMama! Mia!!
といったところでしょうか。当日5月1日は、イタリアではMay Dayで祝日だったのです。アカデミア美術館は祝日休館のため、私達は入れませんでした。
そこで、気を取り直して、ベネチアの水上バスであるヴァポレットに乗りました。ヴァポレットは1回券が3ユーロ10セントです。夫が50ユーロ札で「2 single tickets」と券を買おうとしたら券売機のおばちゃんに「釣銭がない」と言われて断られました。慌てて1ユーロコインを足して事なきを得ました。ちなみにイタリアでは英語はあまり通じませんでした。英語で通じるのは、数字とあいさつ程度です。


ヴァポレットに乗るのもひと苦労で、運河の上りと下りで乗り場が違うので間違えてはいけません。場所によっては河の対岸まで橋で渡らなくてはなりません。
私達は乗り場は間違えなかったのですが、乗る船の便を間違えたらしく(どうやら各駅と快速があるらしい)、目的の船着場をひとつ越して、ベネチア中心部にあるリアルト橋にたどり着いてしまいました。

それで、リアルト橋をの上に行き、土産物をみて写真をとって、次の目的地のサン・ロッコ信者会(Scuola Grande di San Rocco)という教会へ向かいました。
ベネチアは車がなく島全体が歩行者天国です。ゆっくりと映画のシーンのような街路を迷うように進み(実際迷ったのですが)、広場で遊ぶサッカー少年を横目に、本屋で美術書を買ったりしながら、30分程で目的の教会に辿り着きました。
サン・ロッコ信者会では、巨大な天井画(「受胎告知」「嬰児虐殺」「最後の晩餐」といったキリスト教関係の画)を鏡を使って鑑賞、圧倒されました。


教会を出て10分ほど歩き、ベネチア唯一の鉄道駅であるサンタ・ルチア駅に着きました。
すごい人ごみでごった返していました。この時点で夕方5時半なのに、まだまだ日は高い。サマータイムとは言え、ずいぶん日が長いイタリアなのでした。
私達は再びヴァポレットに乗って、サン・マルコ広場へ戻ることにしました。


サンタ・ルチア駅とサン・マルコ広場は、島のほぼ反対外に位置します。
サンタ・ルチア駅は大運河 Canal Grandeの北側の終点、サン・マルコ広場は南側の終点です。ヴァポレットで片道45分ぐらいの道程です。
逆Sの字を描く大運河 Canal Grandeの中間点に位置するのが、途中で立ち寄ったリアルト橋です。

リアルト橋をくぐった後、船上から、名前も分かりませんが美しい建物の並びをずっと眺めていました。


心地よい疲労感に包まれ船に揺られていると
「ファンファンファン・・・」
という音が。
そうです。水上取締りです。パトロールボートが、速度取締りのようなことをやっていました。


パトロールボートの喧騒が覚めやらぬうちに、私の好きなアンドレア・ボツェッリのようなカンツォーネの歌声が!
近くのゴンドラにはアコーディオン弾きのおじさんとカンツォーネおじさんが乗って色々演奏していました。これもゲーテの紀行文に出てくるような一幕です。でも、乗客は日本人ばかりでした。


終着駅のサンマルコ広場が見えてきました。
丸屋根の巨大なモスク、サンマルコ寺院の姿ですぐにそれと分かります。この時点で夜の7時ぐらい。だけど、まだまだ日が高くて夕方のような明るさです。


写真に見えるベージュの塔はサンマルコ広場の鐘楼です。
もう夜になったので、どの博物館も教会もCloseでした。そこで慌ててお買い物に走りました。
旅行に出ると、できるだけ親や友人に絵葉書を出すことにしています。旅の終わりの方は、ついつい疲れて葉書を出しそびれてしまうので、できるだけ早いうち、特に元気な初日に葉書を買い込んでまとめて出しておくのです。そうすると、何かトラブルがあってお土産が買えなかったりしても、気持ちだけは伝えられるので旅の習慣にしています。


サンマルコ広場に面したカフェです。
楽団がイージー・ミュージックを演奏していて、映画の「ローマの休日」の一場面のようでした。
カサノヴァも常連だったという老舗カフェ・フローリアン(Caffe Florian)に私も入りたかったのですが、もう夕食時でお茶だけではしのげそうもないので、入るのはやめました。
後で聞くところによると、とっても素敵だけれど、お値段も相当なお店だそうです。


1日中歩きまわってお腹がすいたので、シャット・クイ・リット(Chat Qui Rit)というセルフサービスの軽食店へ入りました。シャットChatって、Catのことみたいです。
お店のトレー台の脇には陶製の白猫人形が飾ってあり、じっと食べ物を狙っているかのようでした。うまく出来た置物だったのです。左は店の紙ナプキン。


食事をしたら、もうすっかり夜の8時半。
それでもまだ陽が出ていて、時差ボケもぬけなくて、時間間隔が狂います。
街灯が灯っても空はまだ夕方の色。
こんなに素敵な街で、昼間を惜しむように陽が長くて、ずっと夜更かししていたい気分でした。


サンマルコ広場脇の船着場には迎えのボートが着いています。
私達は、ベネチアのシンボルである有翼のライオン像に別れを告げて、ベネチアを後にするのでした。

水浸しになっていない状態のベネチアを訪れることが出来て、私は満足でした。
そして、(もう一度来たい)と、欲を深めて島を去りました。

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