活動記録2

 


2005年2月25日(日)第19回研究会

 


2005年12月18日(日)第18回研究会

アークシティホテルにおいて、「北海道における金属製の矢尻について」を下野直章氏に、 「チセの構造に関する一考察−千歳市オルイカ2遺跡の調査から」を阿部明義氏に発表いただいた。20名ほどが参加し、いつもの会場と違い、華やか?な雰囲気での研究会となった。研究会後の忘年会も、同ホテルで行われ、会員の就職を祝ったり、近況を語り合ったりと、5周年を飾る楽しい宴となった。

 

16回研究会は、平成17年12月18日に新札幌のアークシティーホテルにて開催されました。これまであたかも会員であるかのように遺跡見学会に参加していましたが、今回はじめて正式な会員となり、研究会に参加させていただきました。

 研究報告は2本で、はじめに下野直章氏による「北海道島における金属製矢尻について」の報告が行われました。東日本での鉄鏃形態に関する研究成果を踏まえ、道内での通時的検討を行った氏の報告は、生産・流通の問題や、北海道独自の展開が垣間見える内容であり、今後多方向へと展開していきそうな非常に興味深いものでした。(個人的には鎬造りの柳葉T型式の系譜を明らかにして欲しいです。)しかし何よりも今まであまり意識していなかったので、道内であんなに鉄鏃が出土していたことに驚きました。

 2本目は阿部明義氏による「チセの構造に関する一考察〜千歳市オルイカ2遺跡の調査から〜」の報告が行われました。遺跡でみつかる柱穴列構成の違いを時間的問題へと発展させることは、その資料的性質上なかなか難しく、現状では氏自身の期待する結論には至らなかったようですが、民族誌に捉われることなく遺跡で実際にみつかった情報から検討しようとする試みこそが、現段階で最も必要なことなのだろうと感じました。窓構造の視点は今後どういう方向に展開するかは別としておもしろい視点だと思いました。厚真の遺跡でも氏の主張を検証できればと思います。

 飲んだら帰れないところに住んでいるため忘年会には参加できませんでしたが、みなさん良いお年をお迎え下さい。(小野哲也)

 


20051015() 第7回巡検

 3名の参加

7回巡見を終えて

1015()午前4時、幌延町「オトンルイ竪穴群」の巡見に出発しました。今回は事前に問い合わせが数名きていたが、日程が合わずにキャンセルになってしまい、当日の参加者は過去最小の3名でした。中止も検討しましたが、今回不参加となった会員からは「ぜひ来年度にもう一度行ってほしい」との要望もあり、事前準備を兼ねての巡見となりました。

この巡見は昨年度に予定していたものの、諸般の事情により事務局で最終的に断念し中止した経緯がありました。個人的には「ぜひとも今年度は遺跡に到達したい」と願っていたため、巡見を行えることができただけでも良かったと思います

待ち合わせ場所で今回の案内を引き受けていただいた、北海道立埋蔵文化財センターの藤井 浩さんと会い、車で遺跡まで先導してもらいました。遺跡の入り口までの道沿いは目印になるような建物もなく同じような景色がつづき、私たちだけでは迷うばかりだったろうと思います。

さて、遺跡の入り口に到着し、着替えをすませました。この時期はたまに鹿狩りのハンターが入林しているそうで、ヒトと識別しやすい服装で入るのがベストとのことでした。また途中は一部湿地となっており、長靴は必携でした。藤井さんはネットのようなもの(ハチよけ)をかぶっていました。ちなみにクマはいないそうです。

遺跡までの道のりは、昔の林道を利用しているため思ったよりも歩きやすく、30分ほどで調査地域に到着しました。天気にも恵まれたため、私は周囲の手付かずの自然の中をちょっとしたハイキング気分で歩いていました。しかし実際のところ、ご案内いただいた藤井さんでも少し道をはずれると自分の位置がわからなくなってしまうため、GPSを携帯しているそうです。また同じような理由から、過去の聞き取り調査で調べた竪穴群も、いまのところ正確な位置や数がわかっていないとのことでした。

今回の調査地域は、遺跡標柱の立っている場所の周辺で、遺跡全体の範囲のなかでは北側の6000(「大曲」地区)と呼んでいる場所でした。すぐそばにはサロベツ川が大きく蛇行しながら流れており、小さな船で機材を運搬したそうです。

「大曲」地区は、周囲からやや高い微高地状の地形で、そこには数ヶ所の方形のくぼ地が見られました。くぼ地の大きさには大小があり、緩斜面にも確認できます。藤井さんからは、方形のくぼ地であることから擦文時代の竪穴が想定できること、この地区の近くの川でシジミ取りの最中に擦文土器が引き上げられていることから竪穴の多くは擦文時代のものであること、こうしたまとまりが遺跡内にはいくつかあることを教えていただきました。

今年度の調査は測量調査のみで、可能であれば来年度以降4年間続く測量調査と並行しながら、トレンチ調査などの発掘調査を行いたいとのことでした。道北地区での擦文時代の調査は、最近行われていないため、多くの成果が期待されます。

 

佐藤 剛


2005917()18日(日) 蝦夷研究会との合同研究会

 


2005730() 第3回遺跡見学会

 12名の参加


2005625()26日(日) 第17回研究会・第8回巡検

 20名弱の参加

 


2005226() 第16回研究会



20041218() 第15回研究会
   
15回研究会の参加者は10名。北海道考古学会が後追いでブッキングした中では、まずまずの人数でした。忘年会からは3名が合流しました。

15回研究会は、平成161218日(土)に北海道開拓記念館会議室で、2名の発表がおこなわれました。
 はじめは、土肥研晶氏より『恵山貝塚出土の動物遺存体について』というテーマで発表していただきました。これまでの発掘調査で得られた動物遺存体の内容の再検討した結果、恵山貝塚ではヒラメ・マダラなど特定の魚種を狙った漁撈をおこなっていたと推察されるとのことでした。また、恵山文化にともなう魚形石器など特徴的な遺物は、ヒラメなどを釣るための道具である可能性が大きいとしています。
 土肥さん自身が今後の課題としていましたが、他地域・他の時代の動物遺存体を検証することで、先史時代の生業について明らかにできると思います。また、そうすることで、魚形石器などの機能や、その発生―展開―消滅の意義についても議論を深めることができるのではないか、との感想をもちました。
 二本目は、福井淳一氏により『オホーツク文化の骨角牙製釣針』というテーマで発表していただきました。
 オホーツク文化の釣針について形態・変遷・系統など体系的に論じ、U字形式釣針と・し字形釣針は、続縄文文化から発展したもので、ほとんど形態変化しないという特徴をもつとのことでした。また、漁獲対象については、大型底棲魚(ヒラメなど)が考えられるとのことです。そのうえで、網漁が存在するオホーツク文化において、特殊な釣針を用いる釣漁は、威信財獲得行為であり、また交易社会の繁栄を暗喩しているのではないかとのことでした。
 発表後は、釣針以外の漁撈具について検討をおこなう必要性などの意見や質疑がおこなわれました。個人的に『威信財』というキーワードから、社会がどの程度複雑化していたのか、という点に興味をもちました。
 研究会後、忘年会がおこなわれました。遅れて参加したら、会場は某ホテルのサロンでした。そこから、素敵な?新札幌の夜景を見ながら楽しい一時を過ごしたのでした。
 今年一年お疲れ様でした。来年も宜しくお願いいたします。
それでは良いお年を!

                                下野直章



20041023() 第14回研究会および第7回巡検



2004923() 第2回遺跡見学会
第2回遺跡見学会に参加させていただいた感想

 第2回遺跡見学会の,案内をいただき9月23日が待ちどうしくて,しかたありませんでした。妻と私は,平成8年より夕張の発掘調査に作業者として,従事し今年まで主に千歳.恵庭の行政発掘に参加してきました。
 最初の見学地は,北海道埋蔵文化財センターが行っている,早来町大町2遺跡です。国道234号線に伴うもので,調査面積3,900平方メートルで8月から10月までの緊急発掘だそうです。内心調査員の方も大変だろうなと思いました。調査員の佐藤剛さんに,調査地区を,案内していただき説明を聞きました。石器の集中している所,また取り上げた土器を見せてい
ただき,時期的には後北C1が多く出土しているそうです。
 次に訪れたのは,早来町郷土資料館を見学です。この機会がなければ,気がつかないで通り過りすぎてしまうだろうと,思いました。役場の方が休みにもかかわらず,資料館を開けていただき感謝いたします。この資料館は,以前早来町が村だった頃,村議会場だったそうですが今は郷土資料館に利用しているそうです。ちょっと古くて薄暗かったのですが,土器が展示してあり縄文中期,晩期,続縄文,擦文まで数は多くありませんでしたが,大変参考になりました。早来で昼食をとり次の見学地に向かいました。
 厚真町では,調査員の方がワゴン車で現場まで案内してくれました。現場名は,「厚真町上幌向モイ遺跡」で,厚幌ダム建設に伴う発掘で,平成14年度から始まり今年度で3年目だそうです。発掘調査面積は,3.870平方メートルで期間は511日から1029までです。現場はすごい急斜面で作業員の目から見ると大変だなと,そんな印象です。斜面上部からは,縄文早期の中茶路式が出土し,斜面中間部分からは(少しテラス状)住居祉,縄文後期の余市式が出土したそうです。斜面から下り平地部分からは,擦文期,アイヌ期の遺構,遺物が確認,検出されました。急な斜面の頂上付近まで登ってみますと,その裏側は,驚いたことに100mもありそうな崖です。本当に危険な感じがしました。縄文時代の人達にとって崖の下には,厚真川が流れており鮭も遡上し,眺めも良く条件のいい場所だったのでしょう。来年も発掘調査が行われるそうですが,もし機会があれば訪れたいところです。
 最後の見学地は,桜丘チャシ跡です。10分位山道を登り,チャシを見ましたが,まるで遠足のようでした。溝は3m位長軸81mで本格的な調査はされていないそうです。小さいトレンチをいれて地層の確認ができればと思いました。
 今回は,妻も特別に参加させてもらい一日中機嫌が良かったです。今回の見学会の企画又,説明をしていただいた調査員の方に,心からお礼申しあげます。ありがとうございました。

林田拓一



2004918()19() 合同研究会



2004626() 第2回活動報告会および第13回研究会


2004313() 第12回研究会



2003122() 第11回研究会
 平成15年最後の研究会で、場所は北海道開拓記念館会議室、参加者は10数名で行われました。今回の発表内容は北方民族博物館の角達之助さんの「オホーツク文化の意匠について」と苫小牧駒沢大学の蓑島栄紀さん、()北海道埋蔵文化財センターの佐藤剛さんの「エゾの成立について」の二つでした。
 角さんの「オホーツク文化の意匠について」は宇田川先生ほかによって行われたオホーツク文化の動物意匠の集成に近年の新たな資料を加え、動物意匠の時期ごとや地域ごとにその傾向の分析を行いました。
結論として、オホーツク文化期全般を通じてクマが精神的な支柱であることを挙げ、さらに前半期においては動物意匠や骨塚は道北が多く、後半期には道東に多くなるということでした。また今後の課題として、道北・道東の地域による違いは単に信仰の変化の問題だけではなく、広くオホーツク文化全体の地域差の問題として考え、意匠の対象となる動物の生態や交易品としての狩猟獣の経済的価値も合わせて考えることを挙げました。
 蓑島さん、佐藤さんの「エゾの成立について」は蓑島さんが文献史学の立場から、佐藤さんが考古学の立場からそれぞれ研究史と現状について報告しました。
 考古学関係の参加者が多いため、蓑島さんの文献資料からみた「エゾ」の成立というテーマは興味深く、私を含めた参加者にとって得る所が多い発表でした。 佐藤さんの発表も最近の考古学研究の動向を知る上で参考になる点が多々ありました。発表後の討論では文献による歴史と考古学による歴史の接点や相違点について活発な議論が行われました。
 研究会終了後は忘年会を兼ねた懇親会が新札幌で行われ、こちらも大いに盛り上がりました。

        (事務局 広田)



2003119日 第1回遺跡見学会
 今回は6名の参加。蘭越町寿都町を巡りました。


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