ちょっと聞いて
(独り言、ボヤキ)
| 書くことは好きでないし上手くもない。 ホームページを開設し、何度か更新している内に新しい題材が見あたらず、行き詰まることがしばしばあり、そのようなときのつなぎになるようにと思い、このページを設置すも事にした。 |
| 伊丹の歴史 | |||||
| 有岡城 | 清酒発祥の地 | 文人墨客 | 植木産地 | 荒木村重 | |
| 食べ物 | |||||
| 漬け物 | 京都の湯豆腐 | ラーメン | 会席料理 | 思いやり(妻の食事) | お総菜 |
| 農薬 | 農薬 | 賞味期限 | 消費者も悪い | 料理の旨さとは | 味 |
| 魚類の国際化 | 旬 | ・ |
・ | ・ | ・ |
| 酒 | |||||
| 酒とは | 酒の個別特性 | 酒の種類 | 酒の旨さ | 製法からの分類 | 酒の種類 |
| 飲み方楽しみ方 | ・ | ・ | ・ | ・ | |
| パソコン(ネットライフ) | |||||
| メル友 | ブロードバンド難民 | カキ友 | ホームページ | 新パソコン災難T・U | ネット回線 |
| 出会い | ハードディスクの寿命 | パソコン | パソコン今昔 | パソコンのスイッチ | ネット回線 |
| 孫(親ばかならぬ爺バカ) | |||||
| こんな小さな身体で(P-1) | 鏡を見る | 孫の目 | 小学校図工展 | ・ | |
| こんな小さな身体で(P-2) | 船坂ピクニック | ・ | ・ | ・ | |
| 生き様(根性)・健康作り | |||||
| 新しい仕事 | けじめ | どっちが先か | 顎が外れる | 敬老の日 | |
| 発想の転換(腰痛克服) | 訓練・慣れ | 身体が財産 | 髪の毛が生えてきた | 悟り | |
| 加齢(老い)その一 | 働く(仕事) | 健康診断 | 車の運転(加齢) | あし | |
| 加齢(老い)その二 | .思い込み | 自然体U | 自然体 T | 33333 | |
| 加齢(老い)その三 | 主婦 | 成せばなる | 欲と道連れ | 悟りA | |
| ふれあい(人との接し方) | |||||
| ほほえみ | コミュニケーション | 女学生 | ・ | ・ | ・ |
| 学ぶ・ものの見方考え方 | |||||
| 目的意識 | ろいろな生徒 | 一夜漬け | お医者さん | 高齢者(思いP-2) | 遺伝 |
| 60の手習い | 確定申告 | すごい女性 | 職業訓練校 | デジタル・アナログ | 茶髪 |
| スカートを回す女 | ピアス | タバコ | 大凶 | ・ | ・ |
| ふれあい(人との接し方) | |||||
| ほほえみ | コミニケーション | 女学生 | ・ | ・ | ・ |
| 02.思いやり(P-1.妻の作る食事)H/14/3月 |
| 料理は手品みたいだ、同じ食材で形を変えたり、味を変えたり、色まで変える、そのうえ時には気分まで変えてくれる。 究極の欲は食であり、それを満たしてくれるのが家庭料理であり外食であろう。 ![]() 外食は単に空腹を満たすだけの場合もあるが、美味さを求めて自ら出向き満足と引き替えに料金を渡す、それで客との関係は終わる、いわば点の繋がりだろう。 それに比べ家庭料理はどうだろうか。 家族の好み、体調、気候、時間、明日への体力・将来に向かっての健康、そのうえ家計を考慮して毎食毎日、手を変え、品を変えて作っている。 家族との繋がりは線であり子供の成長を考えると面の関係を持っているのでないだろうか。 主婦の仕事と言ってしまえばそれまでだが、その苦労はコックを初めとするプロの料理人との比でないだろう。 一年365日何気なく作ってるように見えるが、苦労に慣れそれを日常の行動としているからであり、恐らく所帯を持った当初は並の心境では無かったと思う。 その様にして作る料理だからたまには、ご飯が硬かったり・柔かったり、副食が甘かったり・塩辛かったり、ムラが有って当然である。 ![]() 食べ物にも好き嫌いがあり、当然外食は好みの料理をを選ぶ、反面、手作りの方は好きなものには美味しいといい、あまり好まないものは真心を美味しくあじあう。 結婚当初からどのような場合にも決して文句を言わず、逆に「これが美味しいんだ」と自分に言い聞かせ、実際に美味しく食べている。(辛抱してるのでない) 何も言わなくても作った本人が一番良く分かってるのだから。 若い頃、6ヶ月程千葉に出張し下宿していた、そこの「女将」は口うるさく、毎日、朝食に納豆が出て食べなかったら、「大事な体を預かっているのだ」「身体に良いから食べなさい」「美味しいと思えば食べられる」と毎日毎日言われ続け、食べられるようになった。 不思議なもので美味しいと思えば自己暗示が掛かるのか、慣れてしまうとそれが普通になってしまう。 中年過ぎになると知り合いとの家族同士のつき合いも「裸の会話」ができるようになる。 料理の話になり、奥さんが「うちの主人は味にうるさくて・・」とか、主人が「家内は料理が下手で・・」とかの話になると何時も前述ような、主婦の苦労や納豆体験の話をしている。 奥さんから「優しいんだね、おもいやりがあるんだね」と言われると、そうではないよ、当たり前のことだから「世間の夫婦はみなそうと違うかな」とその主人に言って聞かせている。 |
| 03. 思いやり(P-2 高齢者)H/14/4月 |
私のような年寄りが高齢者のことを言うのはチョット変かなと思うが、あるグループに所属していた頃、ボランティアでケア施設にシーツ替えに数は少ないが何年か通った経験がある。![]() ボランティアのグループでは私が若い方なので、参加する皆さんは入所者より高齢者が多い。 シーツは施設の職員や福祉専門学校の実習生とペアになったりして、ベット・掛け布団・枕カバーを替える。 その間入所者は車椅子やベンチに座って外で待機している。 シーツ替えは短時間で終わるが、夏期などは汗びっしょりになる。 入所者は見たところ全般に生気がないように見える、確かに高齢・病弱者も多いが、中には何故と思うような人もいる。 家族は事情があって入所させているのだろうが、本人はこれで幸せだろうか、あてがわれた三食昼寝付きより、たとえ不自由でも自立した生活の方が幸せでないだろうか、少なくても施設は病人が入る所でないことは事実だし、心配だと言うだけで入所させるのは私には納得できない。 思いやりとは、たとえ本人が苦痛を感じながらでも懸命に自立し、苦労して生きてこそ得られる充実感、その「場作り」が真の思いやりでないだろうか。 同居の家族、親族、社会は本人の幸せを真剣に考えてるだろうか、本人もまた生かされてるのでなく、生きるのだと思ってるだろうか。少なくとも家族は世間の目や、本人にたとえ憎まれても、敢えてそれを受け止め、「本人のため」を考えた思いやりのある接し方をするべきではないだろうか。 私はこのように思いますが、皆さんはどう思われますか。 |
| 04. 伊丹の昔 最近読んだ本で興味深く伊丹の歴史にふれられたのでチョット書いてみる事にした。(要約、抜粋) 本は著者・安達文昭、1983年近代文芸社発行のもので著者は歴史研究会会員でもある。 |
| 有岡城(ありおか)(伊丹市有岡町、1979年国史跡指定) H/14/4月 豪族伊丹氏が本拠を構える伊丹城であったが、1574年荒木村重が伊丹氏を倒し、有岡城と改称、大改修の末、日本最古の総構え [ 本丸(主 城)の周囲に出城(外砦)を設け、城下町の外周を土塁と壕で防衛
] の城とした。特に天守は史上初めての存在で後に築かれた城の範となった。 従ってそれまでの城には天守がなく、後に築かれた天守付きの城は有岡城の天守を参考に築かれた。 |
| 荒木村重(1535〜1586)H/14/4月 織田信長の配下で摂津を支配していたが、突如反旗をひるがえし、一年に及ぶ兵糧攻めにも持ちこたえたが、家臣の謀反もありついに陥落した。 ところが村重は妻子、家臣を見捨て只一人脱出、毛利方に落ち延び、後に茶人として秀吉に拾われた。 有岡城に 取り残された荒木一族・家臣の妻子など、670人の運命は一挙に暗転、信長による「見せしめ」のための成敗(1579年)は、世にも残酷であった。このときの有岡城婦女子処刑は、僧俗3000人の比叡山延暦寺焼き討ち(1571年)、本願寺門徒20000人が焼き殺された伊勢長島一向一揆(1574年)とともに信長の三大虐殺のひとつとされているほどだった。 |
| 清酒H/14/4月 元禄年代(1688〜)から伊丹の酒は全国一の生産量をほこり、また清酒は伊丹が発祥の地でもあった。(伊丹以外は、にごり酒だった) ところが享保年代(1716〜)になって灘の清酒業が隆盛しだし、清酒王国の座は徐々に蝕まれだした。 その要因は 1.米の流通に関する政策転換 享保末期の米の大豊作により幕府が酒造統制を緩和した。 2.宮水の発見 西宮で酒造に最適な水が発見された。 3.精米技術革新 足踏精米だったが、片や豊富な六甲水系を利用した水車を利用した。 ![]() 4.立地条件 灘は京浜地帯で陸・海の交通の便が抜群で内陸部の 伊丹は太刀打ち出来なかった。 等の理由により徐々に衰退し、灘に座を譲ったが「剣菱」 「老松」 「白雪」は今も名酒の座を保っている。 |
| 文人墨客H/14/4月 伊丹の酒造は最上酒の名産地でその生産に繁栄していただけに、固有文化も構築され多くの文人を生んだ。 上島鬼貫(うえしまおにつら)1661〜1738 松尾芭蕉の俳風に先駆(日本文学通史)となったのが山口素堂と上島鬼貫と言われている。 東の芭蕉、西の鬼貫ともいわれ元禄俳壇の最右翼といわれる人で ・ おもしろさ急には見へぬすすきかな 鬼貫 26才(1685) ・ 古池や蛙飛び込む水の音 芭蕉 43才(1686) ![]() この二作はそれぞれの開眼作と言われており、鬼貫が先覚であったことが分かる。 なのに芭蕉が元禄文化の巨峰と挙げられるのに、鬼貫は没後忘れられた存在となった。 鬼貫は伊丹村の裕福な作り酒屋に生まれ、幼い頃から才覚は突出していたが、武士を志し俳諧は余技に位置づけ、門人は置かなかったために後継者が存在しなかった。 ![]() 事実27才から20年以上仕官し、余技的に俳諧をしていた。 それにひきかえ、芭蕉は高名な門下生をもち、没後も師の遺志を継いで優れた俳諧書を出し「蕉風」を後生に伝えた。 他に宗旦・宗因等の俳諧師、作家の西鶴、飛騨生まれながら伊丹で名を成せた天才彫師で鬼才といわれた谷口輿鹿(よろく)等が居る。 ・ 行水の捨て所なし虫の声 鬼貫 教科書等にもこの句の他、僅かに紹介されているが、芭蕉とは比べものにならない。 |
| 植木産地(三大植木産地の一つ)H/14/4月 福岡県久留米市田主丸(たぬしまる)と埼玉県川口市安行(あんぎょう)に兵庫県宝塚市山本の三つが日本三大植木産地である。 ![]() 山本(H14.3.19日から山火事で三日間燃えて地区)は町村合併(1955)により宝塚に組み込まれたが、それまでは兵庫県川辺郡長尾村に所属しており同村に鴻池・荒牧・荻野があり山本だけが宝塚に他は伊丹に組み込まれた。 その長尾村には園芸の祖と言われる坂上善太夫頼泰がおり、園芸の才に秀でていたので、豊臣秀吉から「接木太夫」の称号を賜った人物がいた。 従って同地区は園芸業が盛んで、鳥取の「二十世紀」・岡山の「水蜜桃」ワシントンの桜も源流は伊丹にあると言われるのも頷ける。 |
| 男みたいな女かそれとも女みたいな男かH/14/5月 |
仕事の関係で色んな人を知る機会が多い。 ![]() 駐輪場の定期利用客は名前は覚えられないにしても通行人か利用客かは見分けられる、又そうでなければ務まらない。 長い人生色んな人を見てきたが、ここに勤めだして初めて体験した事をを書いてみることにする。 大人の利用客は別にして学生、特に高校生より上のお客は成長が著しく時にエッと思うほどの変化をする。 高校を卒業し、多分専門学校に通っていると思われるお客さんで、髪型は丁度高校野球選手の五分刈りくらいの坊主頭で茶髪に染めていた。 あんな短い毛も染められるんだなと思いながら見ていた。 ピンクのリュックにビンクのスニーカーを履き毎日通学していた。 手も華奢だし体つきも細身の色白で少し内股気味に歩き女の様な男で、世間にはこのようなタイプは結構居るもので会社勤めの頃もこのようなタイプの男性を二・三人見たことがあるがチャント結婚し子供も出来てた。 それがだんだんエスカレートしてゆき、赤いマニキュアをし耳にはピアスをつけだした、ピアスをつけるのに男は片方だけと思っていたら両方つけてる。 そう思って 見ていると胸は膨らんでないものの何となくお尻は丸みをおびてるし、いよいよほんまものの女形に成って来たなと思って、同僚にどう思うと聞くと「声もハスキーだし生まれついての女形と違うかな」という。もう専門学校に通い出して2年ほどになるから二十歳くらいの筈だ、親も心配だろうなと余計なことを心配したりもしていた。 そうこうする内に卒業も近づいたのか定期駐輪を解約し、駐車回数も少なくなり会うことも減って忘れてしまっていた。 ある日、就職活動かどうか分からないが駐輪に来た。 顔こそ前のままだが髪型はショートカットに成ってるし、薄く口紅までつけてる、これじゃどう見ても女性だ、こんな格好をして就職活動が出来るのかなと、人ごとながら心配になってきた。 週に一・二回のペースで駐輪を繰り返している内にますます化粧が濃くなり、何と終いにはスカートを履いてるではないか、これじゃ全く女性だ、世の中には色んな人が居るんだなと思ってたとき、たまたま駐輪場が満杯で場所を違ったところに停めて貰うべく案内の会話をする機会が出来(今まではこちらから一方的な会話だった)話してみてビックリ、何と本当の女性ではないか、女言葉で話をし、内容も柔らかみがあり、ハスキーながら声質も女性だ。 頭が混乱して今まで何を勘違いしてたんだ、女みたいな男と思っていたのが 逆に男みたいな女だったことに気づいた。 ![]() 人を見るのに服装や格好で見たらいけない、まして先入観とは怖いものだと痛感した体験だった。 女みたいな男には何となく不快感を感じるが、男みたいな女には好感が持てる。 これは私だけが感じることなのかな、読まれた皆さんはどう思われますか。 |
| 朝の通勤風景H/14/6月 |
| 勤めている駐輪場は駅と隣接しており、殆どの乗降客は管理室横の歩道を通る。 駅の北側は公園と住宅街で南側は大型電気店や工場が多い、従って駅南にある駐輪場横は通勤時間帯には多くの勤め人が通っている。 通行人その一 そんな通行人の中に何時も七時半頃ラップで包んだ握り飯を食べながら歩く 四十半ばの男性がいる、毎日毎日同じ握り飯を二つに割り一方を口に運びながら、もう一方はラップがダラッと下がった状態で駐輪場前を通る。駅のベンチで座って食べてから歩いてもいいのにと思ったり、喉が詰まらないのだろうか、歩きながら食べるのが美味しいのかなと人ごとながら気になる。 通行人その二 二十歳過ぎくらいのうら若い女性でこちらもサンドイッチを左手に右手には牛 乳を持って毎日同じ時間に歩きながら食べてる、化粧もキチンとしてるのに朝は家で朝食を食べる時間がないのかそれとも歩きながら食べるのが美味しいのか、私からみれば化粧する時間があったら食事をする時間も有るだろうに、化粧の方が大事で食事は二の次なのか、それとも独身で作る時間が無く、途中買ってきたものを会社に着くまでに食べてるのかな。一昔前なら考えられない光景だ。 通行人その三 決して美人じゃないが知的な容貌でキリッとした五十才くらいの女性が七時半頃、何時も笑顔で管理室を向いて会釈しながら通ってくれる 。その女性が何時の頃からか見かけなくなり気になっていたが、ある日九時頃管理室の前に立たれ初めて言葉を交わした。 「実は出勤時間が変わりました」、と言いに来られた。 何気なく挨拶を交わしているようでも向こうも気にしてくれてたんだ。 通常八時半頃までは正対してるが九時頃になると通行人もまばらになり一息入れる。 世の中まだまだ捨てたものでない、この方の挨拶が済んでから一息入れることにした。 |