一夏の経験と言っても山口百恵の歌のように、ときめく話ではないのであしからず。ネクタイをめぐる一夏の経験の話だ。
今年は結果的には冷夏でしたが、東京電力の原発不祥事に端を発する電力不足が予想されたこともあって、私の勤める会社ではオフィスの空調の設定温度を上げました。省電力への協力ですね。そのかわりと言っては何ですが、ネクタイを締めなくても良いというルールになったのです。企業によっては自由な服装の会社もあるでしょうが、わたしのように長い間、製造業の会社に勤めていると、現場で作業服を着ていた時期を除けば初めての経験となったしだい。
背広、ネクタイがないと何となく自分で自分が頼りないような気分になるから不思議ですね。さしずめ、ネクタイは戦場の武士の鎧や兜のような趣で、自分が無防備になったような気にさせられてしまう。でも冷静に考えればそんなものは幻想でしかなく、いざネクタイを外してしまうと、これほど快適なことはない。年中ノー・ネクタイでもいいぐらいだ。でも、社内には最後までネクタイを外さなかった人もいましたね。人それぞれでとやかく言う筋合いのものでもないが、背広やネクタイで守りたい権威や面子があるのかなぁ、と逆に不思議に思えてくる。ちなみに日本人で最初にネクタイをしたのはジョン万次郎と言われている。従って、日本でのネクタイの歴史はごく浅いものだし、そもそも日本の気候に適しているとはとうてい思えない。一頃は夏には開襟シャツというスタイルが多かったのに、冷房の普及によって背広、ネクタイが当たり前になって、それに慣らされてしまったのは考えものだ。ネクタイと一緒に、会社人間のしがらみを外すのも大いに結構、ノー・ネクタイに大賛成だ。
ところでこのネクタイですが、2世紀頃ローマ兵士が防寒のために首に巻いた布”フォーカル”が起源と書いてあるものが多いのだが、なんだかマフラーみたいですっきりと納得がいかないね。米語でこそネクタイと呼ぶが、ドイツ語やフランス語に代表されるように他の言語では”クラバット”と呼ぶのが主流で――ドイツ語では正確にはクラバッテとなるし、言語によって微妙に発音は変化するものの、語源は一緒――、その由来のほうが面白い。あのルイ十四世に遡るのだが、親衛隊として雇ったクロアチア兵が首に巻いているのを見て、共の者にあれは何かと尋ねた。家来のほうは兵士たちのことを訊かれたと勘違いし、「クラバット(クロアチア兵)でございます」と答えた。これが語源と言われているが、どこかにも同じような話がありますね。信憑性はともなく、後世に伝えるにはこういう話のほうが面白い。ルイ十四世というのも華があっていいよね。
話はネクタイから少しそれるけれど、夏の軽装の話題となると、思い出すのが政治家の羽田孜氏の省エネルック、例の袖を切った背広だ。あんな背広を着るぐらいなら、いっそのこと背広を脱いで、ワイシャツの袖をまくっていたほうが余程選挙の票に結びつくと思っていたけれど、これは多少訳ありだったようだ。国会の議員規則(?)か何かで、背広の着用が義務づけられているようで、その苦肉の策でもあったよし。小泉さんも身近なところから構造改革ということで、このルールを変えたらよかろうに。それとも、こんな所にも抵抗勢力が出現するのかなぁ。