天才セッターの視線

(2003.06.15)


二宮清純の「天才セッター中田久美の頭脳(タクティクス)」を読みました。それというのも、子どもが最近バレーボールを始めたのがきっかけですが、もともとバレーボールには少し関心がありました。なにしろわたしの子どもの頃はバレーボールは男女ともに強く、日本のお家芸でしたから当然でもあります。さて本書は、二宮氏の中田久美さんへのインタビューを中心にまとめてありますが、バレーの奥深さがうかがえてなかなか面白かった。なかでも次の一節には感心しましたね。

中田:とろこでいまの選手はほとんど、決まったあと、相手のコートを見ていませんよね。
二宮:点と取るたびにはしゃぎ回っていて、目を相手コートから切っている。
中田:他の選手はともかく、セッターは絶対に目を切ってはいけない。
二宮:司令塔ですからね。
中田:点が入ると、コートを回りながら仲間と手を叩き合ったりしていますが、本当は、セッターはあのときにも相手チームのコートを見ていなければいけないんです。
二宮:相手のフォーメーションを確認しておく必要があると?
中田:はい。誰が前衛で、どこが低いのか。そこを観察することで、次の攻撃でどんな手を使うか。それが見えてくるんです。

多分、どのスポーツでも一流の選手には共通することでしょうが、つねに先の展開、相手が次にどうでるかを読む力に優れている。相手から目線を切るな、とは名言ですね。

中田選手とはまったくレベルが違うが、娘のバレーボールの応援につきあった際、サービスエースが決まったりすると、すごい喜びようなのだ。チームを勢いづかせるという目的もあるのだろうが、すこし単純に、また無節操に喜びすぎのように見えました。最近ではバレーに限らず子供でも派手なガッツ・ポーズをとるようですが、これなどサッカーに代表されるプロスポーツの影響なのでしょうが、ちょっとどうかと思う。

わたしがひっかかるのは、常に相手の先の読むという戦術的なこと以外にも、最近の無節操な喜びようは相手(敗者)への配慮というものが欠けているように感じるからだ。逆に審判の判定(自分に不利な)に対する過度な反応もどうかと思う。少し古いかもしれないが、よき勝者、よき敗者という言葉はやはりあると思う。

話が横道にそれますが、先日、大相撲の朝青龍が土俵での態度をめぐって、ずいぶんと槍玉にあがっていましたね。それはそのとおりで、横綱になる以前からそういう態度は目についており、わたしの好きな関取ではないが、でも翌日の朝刊で各紙がこぞって非難するのはちょっとひっかかるなぁ。例えばプロ野球でも審判に対する暴言や選手同士の乱闘は珍しいものではないが、メディアの論評も基本的には容認しているように見える。いわく、プロの選手はそれで生活がかかっているのだから当然だ、といった具合です。それを容認するなら、プロの格闘技である大相撲だって許されて良いはずだ。

大相撲が国技ということで、また朝青龍が外国人力士ということだけで、ことさらに非難しているとすれば、それは間違っていると思うのですよ。