数学者は美を追求する

(2003.05.18)


藤原正彦さんの「古風堂々数学者」というエッセイを読みました。藤原さんはそのタイトルが示すように本職は数学者にて大学教授だが、すでに数冊のエッセイをものにしている。また、新田次郎氏のご子息といった方がとおりが良いかもしれない。
藤原さんの著書を読むのは初めてだったが、まさに「古風」とも思える視点で携帯電話などの今どきの世相や教育問題を斬っている。そんな中でも、やはり本業である数学について語ったエッセイが抜きん出ており、「フェルマー予想の解決」にまつわる数学ドラマなどは大変興味深い。なかにこんな一節があって、感心しました。

抽象的世界で仕事をする数学者にとって、唯一のガイドラインは美と調和である。(中略)しかも歴史的には、美しく調和のとれた数学ほど後になっての応用価値が高いように見える。これからも、美と調和が数学者のテーマであり続けるだろう。

やはり、そうだったのかという思いでわたしは読みましたね。でも、この数学者の感覚は判るような気がします。随分と前の話ですが、ある雑誌で「エレガントな解法」とサブタイトルのついた数学の特集記事があって、思わず買ってしまった記憶があります。同じ答えにたどり着くにも、すぐれた解法はシンプルでまさに”美と調和”を兼ね備えてエレガントだ。公開鍵方式の暗号の理屈について初めて知ったときも美しい、と感じたぐらいだから、この感覚はわたしにも良くわかる。ひょっとして、わたしには数学者の素養があったのかも知れないが、いくらなんでもこれは後の祭りですね。

また、教育改革についても語られている。特に、小学校で国語を中心にすえるべきとの意見は、数学者の立場から出た意見だけに傾聴にあたいするものだろう。もっとも、今の国語教育のまま、時間割を増やしてもどうかという問題は別にして。でも何といっても、感心したのは著者のあとがきにある次の言葉だ。

人間には「自分のことを棚に上げる」権利がある。この権利は人類発展の原動力でもある。本書ではこの権利を十二分に活用させていただいたことになる。
威風堂々であれ古風堂々であれ、この世を卑屈にならずに堂々と生きるには、この権利をひっきりなしに行使することがどうしても必要と思う。

思わず、ハタと膝を打ってしまいましたね。そうか、あれは人間が進歩していくために必要な権利だったのだ。この権利を行使しない手はなかろう。もっとも、今まででも散々その権利をふるっていただろうと、言われそうだけれど。