柄にもなく、真面目な話からはいるけれど、日朝首脳会談以後の報道をながめ、「疑事は功なく、疑行は名なし」という言葉を思い出した。宮城谷昌光さんの「楽毅」を読んでいて知った。疑いながら事をはじめれば成功せず、疑いながら事をおこなえば名誉は得られない、といった意味だ。今回の拉致問題と国交正常化については批判もあるようだが、国家百年の計ということで言えば、小泉さんの決断は正しかったと思う。「疑事は功なく、疑行は名なし」と言って、小泉さんに決断を勧めた側近がいたとすれば、たいしたものだ。
ところで、宮城谷昌光さんの「楽毅」だが、こんな人物をわたしは知らなかった。もっとも、文庫版の解説を書いている秋山駿さんもそうらしいから、ちっとも恥ずかしくはないけれど。楽毅は中国の春秋・戦国時代に、中山国という小国の将として奮戦した人だが、後世のかの諸葛孔明が敬慕した名将だと言う。たしかに、本編でもつねに寡兵を率い、大軍を向こうにまわしてすばらしい戦いぶりを示している。しかし楽毅は単に百戦百勝の人ではなく、外交の機微や、行政の大切さも判っていた人で、今風にいうなら上司に恵まれなかったのに、その出処進退は鮮やかだ。
宮城谷さんの書くものはどれも面白いが、この「楽毅」は「重耳」や「太公望」と比較しても抜きん出て魅力的だ。敵役とも言える趙の武霊王とその王室の内紛なども丁寧に描いてあって、人の有り様、運命ということについて考えさせられる。その武霊王についてこんなくだりがある。
ところで、もしも恵文王が沙丘で横死し、主父(武霊王)の時代がつづいたら、趙は中国を統一できたであろうか。おそらく、否、である。主父という非凡人は、非凡であるがゆえに、おのれの力を信じすぎて挫折することになったであろう。遠くは見えても、足もとのみえない人である。臣下を道具とみなし、使いつづけ、すりへらす型の英雄である。この点、日本の織田信長と似ているが、信長ほど開明的ではない。
生意気なようだが、こうした人を見る目の確かさ、これが宮城谷文学の大きな魅力だろう。たまたま、信長にも言及しているが、宮城谷さんの目には日本の戦国武将たちはどのように映っているのだろうか。中国が専門の宮城谷さんだが、一度日本の歴史物も書いて欲しい、そんな気にさせられる。
わたしがこの本をもっとも読ませたい人物はブッシュ大統領である。彼の政策はしょせん覇者への道にすぎない。そのうえに王者や帝者の道があることと、その政策がどんなものか、あの単細胞に少し知恵をつける必要があると思うなぁ。
