新潮文庫に「井上ひさしと141人の仲間たちの作文教室」という面白い本があります。この作文教室は1996年の11月に岩手県一関市で行われたもので、井上さんのボランティアによるものなのですが、そのときの講義を本に編集したものです。原稿用紙の使い方から文章を書く心構えまで、丁寧に解説してあります。最後に作文教室の生徒さんが書いた文章の添削がのっているのですが、皆さん上手すぎてあまり添削が入ってないものだから、参考にならないという欠点がありますが、その点を除けばいといろと勉強になる点が多い。
この本の中に子供に感想文を書かせることの是非について論じた部分があるのですが、井上さんの意見に全面的に賛成です。子供に感想文を書かせることなんか大反対。自分の子供のころも思いだしてもそうだよね、苦労したもの。感想文を書くにあたって先生が教えてくれたことときたら「思ったまま、感じたままを書けばいいんですよ」の一言だもの。子供としては素直にそんなものかなと思っていたが、思ったまま、感じたままを過不足なく他人に伝えるなんて大人にとっても至難の業ですよ、今にして考えると。それをよくも簡単そうに言ってくれたもんだと、思いだしても腹立たしいものがあります。少し井上さんの文章から引用しましょう。
丸谷才一さんの言葉を借りますと、日本の国語教育は、全生徒をすべて小説家か詩人にするつもりでいると。これが日本の国語教育の根本的な欠陥です。
つまり芸術鑑賞とか、文学鑑賞とか、人の心を動かす文章を書かせようとするわけです。こんなの、子どもに無理ですね。大人だって無理なことを、なぜ子どもに要求するのかよくわかりません。
つらつら考えて、ひとつの結論を今とりあえず出しますと、子どもたちに書かせる文章はまず、感想文ですね。つまり、頭の中に今、何が起こっていますかという、大人も難しいことをやらせている。それじゃ、駄目なんですね。
そうじゃなくて、あなたはそれをどう見ていますか、という観察文とか、報告文とかを書かせなければならない。みんな文学的なことばっかりやっているのです。学校の先生方もそういうことが好きなんです。文部省も好きなんですね。
そういう場合、子どもがせっかく答えを出しても、大人が用意した答えに合わないと、まちがいになっちゃうんですね。子どもとっても踏んだり蹴ったりです。
和田秀樹という人の書いた「勉強のできる人できない人」という本が評判ときいて読んでみました。ところどころ疑問に思う点もありますが、国語教育について論じている部分は的を射ていると思います。
本当は、論説的な文意をつかんだり、筋道の通った論理的なレポートをまとめる能力ははるかに必要とされているものです。しかも、詩や小説などの心理的な内容を理解することに傾きすぎている国語教育は、多くの子どもの理解力を越えており必要以上の負担を強いているために、結果として国語嫌いを増やしています。さらに、実際には必要とされる実用的な国語能力を落とすという弊害さえもたらしているのです。
(中略)
日本人なのだから日本語ができるのは当たり前という錯覚です。それでいて現状では普通の論理的文章を読む練習さえしていない。実際は、日本語を正確に読むことができないのです。
と、こんなふうに心ある識者はいまの国語教育を問題視しているのですが、現場はいっこうに変わらないのです。こんなことを書く気になったのも、実は中学生の子どもが「あなたの心に残る一言」というお題の作文を宿題として持ってかえったからです。感想文ではないものの、感動した云々という情緒を書かせたがる傾向から抜けきれないのですよ。五十年近く生きてきたって、心に残る一言を書くのはなかなかに難しい。ほかにやらせる事はたくさんあると思うのですよ。
こんなふうに思うのもわたし自身が感想文にたいしてトラウマがあるからなのでしょう。そう言えば「粗筋を書くな、感想を書け」とさんざん怒られた記憶がありますからね。アァ、感想文を強要されるってイヤですね。
