欺く炎


読書時間の多くが通勤電車であるわたしにとって、その本の評価について明確なバロメータがある。時折、運良く途中から席に座ることができるのが、そんなとき、思わずうつらうつらしてしまうか、下車する駅まで読みつづけかだ。本書スザンヌ・チェイズンの『欺く炎』はだんぜん後者だ。デビュー作の『火災捜査官』の評でも書いたが、なかなか出来のよいシリーズだ。「面白いにもほどがある」なんて大胆なコピーが本書の帯に書いてあるが、あながち誇大広告でもない。

相次いで二人の医師が火災事故で焼死をする。二人の共通点はニューヨーク市消防局(NYFD)で年金の支給を決定する労働災害の認定をしていたことだ。火災の原因に不可解なものを感じたNYFD火災捜査官ジョージア・スキーアンは捜査を開始、やがて二十五年前に起こった倉庫火災にいきあたるが、なぜか関係者はみな口を閉ざしてしまう。しかし、時を同じくしてニューヨーク市の真下をはしるパイプラインを爆破するという脅迫テープが市長のもとに届けられていた。ロビン・フッドと名乗る犯人は百万ドルを要求、しかもその運び役としてジョージアを指名してきた。ジョージアはパイプラインの爆破を阻止し、二十五年前の倉庫火災の真相に迫ることができるか・・・。

こんな骨格のお話に、ジョージアの上司で恋人でもあるマック・マレンコ(前作から登場しているが、関係は進展している)や親友のニューヨーク市警の女性刑事コニー・ルイス
が深く関わり、物語は複雑な展開を見せる。復讐を企てるロビン・フッドと二十五年前の倉庫火災の真相を闇に葬りたい市の実力者のはざまでジョージアは苦闘するが、クライマックスではパイプラインの爆破が待っている。

なんといっても本書の魅力は、火災の恐ろしさをあますところなく伝える迫真の描写、その猛火と戦う消防士たちの献身的な姿にある。無論、いろいろなタイプの人間が描かれているが、命を賭して使命をまっとうしようとする消防士とその家族の姿が感動的だ。ミステリとしても、人間ドラマとしてもよくできているシリーズだ。

9月11日のテロで多くの消防士が殉職をした。掛け値なしの英雄を欲する世の中にとって、消防士は格好の題材とみえて、以来消防士を主人公にすえたものが目立つ。日本のテレビドラマでも目に付くありさまだが、あまたの中でこのシリーズは一頭抜きん出ている。ちなみに本書は9月11日のテロ以前に書き上げられたものだが、著者スザンヌ・チェイズンの夫君がNYFDの高官ということもあって、消防官への情愛と尊敬の念にあふれている。しかし、それだけではなく計算されつくした筋立てを組み立てる小説家としての冷静さが、本書の出来に大きく寄与している。

さて、著者の夫によるものか、専門的な知識も随所に出てくる。火災による火傷で入院中の女医の具合をたずねたときにも、こんな言葉が出ている。

「よくないな。火傷は体の六○パーセント以上にもおよんでいる。法則は知ってるだろう・・・」
「年齢プラス熱傷の範囲がほぼ死亡率に匹敵する」ジョージアは厳しい口調で答えた。

これは知りませんでしたね。覚えておきましょう。また、ロビン・フッドが何を企んでいるか知るよしもない弁護士はこんなふうに語る。

「君が正義を求めていたことはわかる。できればそれを実現してあげたかった。しかし、ぜひ理解してほしいんだが、観念的な正義など存在しないんだよ。正義とは人間同士の契約でしかない」
「ばかばかしい」
「二千年以上も前にローマ人が言ったことだ。都市は正義の上に築かれたのではない。妥協の上に築かれたーーそして、公正な人びとの亡骸の上に」

こうして、ロビン・フッドは自らの手による復讐を決意するのだった。

(2004.09.12)


書名 欺く炎
作者 スザンヌ・チェイズン
翻訳 中井京子
出版社 二見書房
ISBNコード 4-576-04145-2

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