サイレント・ゲーム


リチャード・ノース・パタースンの「サイレント・ゲーム」は、ハードカバーで実に500頁を超える大作。本当に枕になるぐらい分厚いのだが、眠たくなるどころが、グイグイと引き込まれる、魅力たっぷりの一作だ。

敏腕弁護士として成功しているトニー・ロードは、28年ぶりに故郷スティールトンの地を踏む。今は高校の教頭をしている、かつての親友サム・ロブが教え子の女子高生マーシー・コールダーを暴行し、殺害した容疑をかけられたからだ。サムを弁護するため帰ってきたのだ。しかし、今回のこの事件はトニーが28年前に経験した事件に酷似していた。あの日、トニーはガールフレンドのアリスン・テイラーの無惨な死体を発見したが、自らが最有力の容疑者として周囲の冷たい目にさらされた。結局充分な証拠がないまま、事件は迷宮入りとなり、高校を卒業したトニーは故郷を離れ今日の成功をものにしたのだった。サムに圧倒的に不利な証拠が多いなか、トニーは親友サムの無実のため奮闘するが、やがて28年前の事件の謎に迫ることになる・・・。

物語はトニーが高校生だった28年前から始まる。身に覚えのない殺人容疑をかけられた少年の戸惑いと苦悩。サムと彼のガールフレンドのスーとの微妙な関係などが巧みに描かれている。後半はサムの裁判を中心に物語は進む。あくまで弁護士として行動しながらも、サムを信じたいという気持ちと一抹の疑念の間でゆれるトニーの心。一人ひとりの証人の証言と反対尋問を丹念に描き法廷ミステリの形式をとってはいるものの、むしろライバルであり親友でもあるトニーとサムとの葛藤を中心にした人間ドラマとして読みごたえがある。

もっとも、前作「最後の審判」と同じパターンの話という見方もできる。「最後の審判」も、主人公の弁護士キャロライン・マスターズが姪が殺人事件に巻き込まれたことから24年ぶりに故郷へ帰り、過去の事件とも向き合うという物語だった。そんな意地の悪い見方をすれば、多少割り引いて考える必要もあるが、それでも充分に楽しめる一作だろう。

ところで、トニーが高校三年の28年前にキング牧師の暗殺事件が発生するという時代設定になっている。キング牧師の暗殺後、トニーはテレビでロバート・ケネディ司法長官の演説を聞く。

「(前略)合衆国に必要なのは、分裂ではありません。合衆国に必要なのは、憎悪ではありません。合衆国に必要なのは、暴力でも無法状態でもありません。そうではなく、愛と知恵が、相互の思いやりが、いまだわが国で苦しむひとびと、白人であろうと黒人であろうと、そういうひとびとに対する正義が・・・。(後略)」

これは作者パタースンの創作ではなく、実際の演説がそうだったのだろうが、その内容に時代を感じますね。今のアメリカと当時のアメリカでは随分と空気が変わってしまったものだ。なかなか上手に時代を選んでいると言える。また、まったく本筋とは関係ないが、トニーとサムがフットボールの試合で勝ったあとのコーチの言葉を紹介しておこう。

「ここで、ありきたりの感想を言うつもりはない。これまで指導したなかでいちばんのチームだったとか、いまわの際におまえたちを思い出すだろう、なんてことはな。うんと長生きして、おまえたちのことはすっかり忘れたいよ。
重要なのは、そんなことじゃなくて、おまえたちが何を持ってここを去るか、それだけだ。競技場の得点はやがて消される。この選手権は、おまえたちが勝利を味わう最後のものかもしれない。だが、今夜、おまえたちはみごとにやってのけた。勝つということではなく、なし遂げるということを。おまえたちは精いっぱい戦った。ほかの仲間と力を合わせた。自尊心を持った。それを持ち帰れ。そうすれば、何事もうまくいくだろう」

映画でもそうなのだが、ちょっとした登場人物が人前で実にしっかりと、いい事を言うのは欧米の伝統でしょうか。


書名 サイレント・ゲーム
作者 リチャード・ノース・パタースン
翻訳 後藤由季子
出版社 新潮社
ISBNコード 4-10-531604-4