ヘルズ・キッチン


本書「ヘルズ・キッチン」は、ジェフリー・ディーヴァーがウィリアム・ジェフリーズ名義で発表したジョン・ぺラム・シリーズの三作目(完結編)にあたる。シリーズ三作目ということもあって、主人公ジョン・ぺラムの職業について多く語られないが、本来は映画のロケーション・スカウトという仕事だ。本編では自らドキュメンタリー映画の制作を行っており、ロケーション・スカウトがどんな仕事がうかがい知ることができないのが残念だ、。

マンハッタンの西側に位置する貧民街ヘルズ・キッチンのドキュメンタリー映画を制作中のジョン・ぺラムは取材のため老婦人エティ・ワシントンのアパートを訪問していた。が、突然の猛火がアパートを襲う。かろうじてエティとともにアパートから逃れたぺラムだったが、警察はを放火と断定。エティを容疑者として逮捕する。エティの無実を信じるぺラムは真犯人を求めて、物騒なヘルズ・キッチンの街をゆく・・・。

いつもは、これでもかと言わんばかりのノンストップ・ミステリで、矢継ぎ早の展開をみせるディーヴァー作品だが、本編ではエティの言葉を借りてヘルズ・キッチンについて大いに語らせるなど、本筋と関係ないところも丁寧に書いている。そのため全体の印象はかなりおとなしめで、リンカーン・ライム・シリーズとは相当に趣が異なる。ただ、ペラムがエティの無実を証明するために奔走するには、実は意外な理由があるのだが、それが最後に明かされるあたりは(その強引さも含めて)いつものディーヴァー節だと言ってよいだろう。

このコーナーでは作中のセリフを紹介しているが、いつものもディーヴァー作品では気の利いた会話が少なくて、実は困っていたのだが、本書はその点でも趣が違う。ペラムが映画関係者ということもあって、映画中のセリフを述べたり、気の利いたセリフが多く、どれを引用しようかと迷うほどだ。いつもは男女のこともおざなりだが、不動産開発を手掛ける富豪の妻などを登場させ、ぺラムとかなり力のはいった掛け合いを描いている。

「あなた賭け事はする?」
ぺラムは言った。「マーク・トウェインによると、人生には賭けをしてはならないときが二度あるそうだ。一度は、失くしてもいい金の余裕がないとき、もう一度は、余裕のあるとき」


シャンペンのグラスを鼻先に当て、香りを吸い込んで彼女は言った。「わたしのこと、魅力的だと思う?」
「ああ」それはほんとうだった。氷河期の八カ月がそう言わせたのではなかった。
「わたしと寝たい?」
「別の時、別の場所でだったら、イエスと答えていただろうな」
この答えはジョリを満足させたようだった。我々はなんと無造作に、ガラスのようにもろい虚栄心をまとっているのだろうか。ただ壊れるためだけに。

これなんか、次のチャンスも保留しているし、結構うまいいなし方ですね。機会があれば一度使ってみたいものだ。おっと、これじゃぁまるで三億円の宝くじが当たる前に、当たったらどうしようかと悩むのと一緒ですね。もっとも、これだけ気を持たせておいて、この人妻は二度と登場してこないところは、これもディーヴァー一流のどんでん返しだろうか。


書名 ヘルズ・キッチン
作者 ジェフリー・ディーヴァー
翻訳 渋谷正子
出版社 早川書房
ISBNコード 4-15-079558-4