将軍の娘


映画「カサブランカ」はあまりに有名だ。「君の瞳に乾杯」というボガードのセリフもそれ以上に有名だ。こんなセリフを一度ぐらい使ってみたいと思っても、そんな機会はついぞ訪れないのが、まあ一般人の人生である。「カサブランカ」ではほかにもよく知られたセリフが多く、たびたび小説や映画でなんの注釈もなくパロディやジョークとして使われる。(いちいち解説していたらジョークにならんか!)
ネルソン・デミルの「将軍の娘」でも、かつての恋人シンシア・サンヒルに会った主人公ポール・ブレナーが言う。

もっと親密だった瞬間にいつも彼女の耳にささやいていた詩がある。それを思いだしたわたしは、彼女のほうに身をのりだして小声で言った。「わが目の楽しみ、ただシンシアのみ。(中略)シンシアのため、死をもいとわず」
「オーケー、じゃ死ねば」彼女は席を立って出ていった。
「もう一度弾いてくれ、サム」わたしはビールを飲みほしてから立ち上がり、バーのほうにもどった。

「もう一度弾いてくれ、サム」なら使えるかもしれない。さて「将軍の娘」は基地司令官の娘で、新兵の募集ポスターのモデルにもなるほどの美貌の持ち主アン・キャンベル大尉が全裸で殺された事件を、元恋人同士の二人が捜査するというミステリーだ。ただ、模範的とも思えたキャンベル大尉に実は隠された一面があった、という展開は常套手段だし、なぜ彼女がそんな行動に走ったかというのが次の謎になるが、いずれも意外にあっさり読者に明かされる。犯人探しをするミステリーというより「父と娘の葛藤の物語」といった感が強い。
とはいえ、主人公ポール・ブレナーの一人称で進む物語は、そのシニカルな語り口調がなかなかに魅力的で最後まで飽きさせない。なにしろ、口のへらない男で、それを読んでいるだけでも楽しいのだ。

「ヤードリーはタフな南部野郎だ」ケントは教えてくれた。「勝手な真似をするときみに復讐しにくるぞ、ポール」
「復讐したいなら、列に並んで順番を待てと言ってやれ」ケントがばかな行動にでないように、わたしは説明した。

「それは結構。きみたちの行動について苦情がきているぞ」
わたしは言った。「それでわかったでしょう、われわれがちゃんと仕事をしていると」


書名 将軍の娘(上・下)
作者 ネルソン・デミル
翻訳 上田公子
出版社 文藝春秋社
ISBNコード 4-16-752729-4
4-16-752730-8