最後の審判


さながら大河ドラマのような堂々たる大作だ。文句なく推薦できる一級品といって良いだろう。このパタースンという作者はわたしにとっては「ラスコの死角」というミステリで印象に残っている人だ。十数年以上前に読んだのでさすがに物語りの内容は忘れてしまったが、面白かったということだけはしっかりと記憶にある。この最新作「最後の審判」でもいかんなくその力量を発揮している。

弁護士のキャロライン・マスターズは姪のブレットが殺人事件に巻き込まれたことから二十四年ぶりに故郷へ帰ってきた。ブレットは恋人のジェームズと湖畔で一夜を過ごすが、ワインとマリファナのせいで朦朧とし、気がついた時にはジェームズの無残な遺体を発見することになる。当然ブレットに疑いの目が向けられるが、状況証拠のみで有力な決め手がない状態だった。ところが、ブレットの動機を示唆する有力な証人が現れたことから、検察側は起訴を決心する。折りしも、キャロラインはホワイトハウスから連邦裁判所判事のポストの申し出を受けており、自らが弁護するかどうが迷うのだったが・・・。

という展開だが、当然キャロラインは自ら弁護を買って出る、そうじゃないと小説として成り立たないものね。しかし本書ではこの殺人事件をめぐる謎に加えて、もう一つの大きな謎が存在し、それが読者を悩ませることになる。キャロラインの父で元判事のチャニング、そして異母姉のベティ、その夫のラリー、彼らとキャロラインの間に横たわる大きな溝の原因となった二十数年前のある事件。その全容が徐々に明かされる仕掛けになっているのだ。殺人事件と一家の愛憎劇、この二つをうまく織り交ぜながら物語は進んでいく。

殺人事件の真相のほうは、登場人物が限られているせいもあって、明敏な読者なら見当がつくような結末なのでそれほど意外という感じは受けないが、法廷における検察側証人に対するたたみかけるような反対尋問にはすばらしい迫力がある。思わず、検察側証人の警察官に同情したくなるほどだ。一族の愛憎劇はもっぱら家族に対して愛情豊かだが、一方で支配的な父親に端を発しているのだが、ここらは娘をもつ身としていろいろ考えさせられる内容になっている。

ところで、ブレットの無実を信じたい気持ちをもちながらも確信が得られないキャロラインに対してブレットが言う。

「どうして、ここに残ったの、キャロライン? わたしの無実を信じてもいないのに」
不意を突かれたキャロラインの脳裏に、あの血に染まったナイフが浮かんだ。平静を装った声で言う。「弁護士は、何も信じないのよ。信じても無意味だから。わたしは、そして法律は、あなたの無罪を推定する。わたしの仕事は、ただその推定を保つことだけ」
「ずいぶん冷たい仕事ね」

アメリカの法廷ミステリにはこれに類する話がよく出てくる。確かにブレットが言うように冷たくもあるが、それが裁判を言葉の格闘技(どこかのゲームの宣伝に使われているコピーのパクりだが)として面白くしている要素でもある。まあ、当事者でないから言えることですがね。

訳者のあとがきによれば、パタースンは執筆活動を休止していた時期があって、本作は活動再開後の三作目にあたるそうだ。前二作「罪の段階」、「子供の眼」も押さえておく必要がありそうだ。


書名 最後の審判
作者 リチャード・ノース・パタースン
翻訳 東江一紀
出版社 新潮社
ISBNコード 4-10-531603-6