ロバート・B・パーカーのスペンサー・シリーズは1980年代に私がもっとも熱心に読んだシリーズで、それだけに思い入れもある。ところが「ペイパー・ドール」あたりを境に、そろそろいいかな、という感じがしてご無沙汰していた。この9月に入って、読みたいミステリがないというちょっとした真空状態になった際、丁度文庫本になって出てきたので手にとってみた、そんないきさつでこの「虚空」を読んだ。
スペンサーの友人、フランク・ベルソン部長刑事の新妻リーサが行方不明となる。自分の意志で出ていったのか、それとも誘拐されたのか。それすらも判らない状態だったが、ベルソンが何者かに銃撃され、瀕死の重傷を負う。捜索を引き継いだスペンサーは、リーサの過去を調べる内に、ある男によって監禁されていることを突き止める。しかし、要塞のようなその場所から、いかに救出するか。スペンサーは一人の助っ人を呼んだ。
となると、このシリーズのファンは、その助っ人とはお馴染みホークだと思うだろうが、今回そのホークはビルマに出かけて不在。代わりに登場するのはロス・アンジェルスのギャング、デル・リオの部下のチョコという人物だ。以前にもこのシリーズに登場しているはずだが、いかんせん久しぶりなので確かな記憶がない。しかし、人や物語は変わってもパターンは一緒なのがこのシリーズ。新鮮味には欠けるが安心して読んでいられる。
久々に読んであらためて感じることがある。このシリーズに登場する人物は二種類のタイプに分けられる。ちゃんと物事が見えていて、信頼が置ける人間とそうでない人間だ。本編では、チョコ、リーサがかかっていた女性精神分析医など(無論、スーザンやベルソンも)が前者で、その区分には一般的な意味での善悪は関係ない。
私は車の中で自分の横に座っているチョコを見た。彼は座席で体を下げて座り、胸の上で両手を組み、目を半ば閉じている。彼は、たぶん、デリオンが経験したことを全て経験しており、たぶん、デリオンよりさしてまともな人間にはなっていないだろう。彼は悪い男だが、彼が何か言った場合、その言葉を信用することができる。彼が、お前を殺すと言ったら、彼は殺す。殺さない、と言ったら殺さない。彼の言葉を信じていい。悪い人間と思われていないはずの大勢の人間について、そこまで言える場合はあまりない。
こうした、立場を超えた信頼関係こそがこのシリーズのテーマかもしれない。加えてこのシリーズの魅力はスペンサーをはじめとする登場人物の軽口にある。スペンサーとチョコの会話。
「中であまり派手な真似はしないでくれ」私が言った。「彼女が傷ついては困る」
「ユカタンのアマガエルのように狡猾に振る舞うよ」
「あれはほんとうに狡猾なのか?」
「知らない、今のはたんなる思い付きだ」チョコは言った。
最近のミステリの主人公はあまり軽口をたたかないのでスペンサーのように気の利いた会話がたくさん登場する本シリーズはこのコーナーには格好の題材だ。わたしの記憶の欠落部分を埋めるために少しさかのぼって読んでみようか。
| 書名 | 虚空 |
| 作者 | ロバート・B・パーカー |
| 翻訳 | 菊池光 |
| 出版社 | 早川書房 |
| ISBNコード | 4-15-075679-1 |