バリアフリーは難しい
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 このホームページのあちこちに書いてある通り、私は脳梗塞の後遺症を抱えた身体障害者です。最近のマスコミの論調等は障害者の社会参加を促すために、公共設備を障害者が使いやすい構造にしようという、バリアフリーという考え方が広がってきているようです。まあ、それはそれでとても結構でありがたいことなのですが、ちょっと問題も見受けられるので、ひとこと。
 日本銀行券が聖徳太子から福沢諭吉にモデルチェンジしたときに、視覚障害者のために点字のすかしを入れたものの、それまで額面によって異なっていた縦の長さを統一したために、思惑とはうらはらに視覚障害者にとって判別しづらくなったというのは有名な話です。
 これは、これらバリアフリー対策が真に障害者のことを考えているわけではなくて、やっている本人の自己満足のためであるのじゃないかと勘ぐりたくなります。まあ、それでもなにかしてくれようと考えてくださるだけありがたいのですが。
 私が注意を喚起したいのはこれについてではなくて、ある障害を持った人へ対策を施して使いやすくしたつもりが、別の障害者にとってかえって使いづらくしてしまうこともあるということです。
 具体例を挙げると、同じ下肢の障害をもった人でも、車椅子の人と、杖歩行の人では、段差への対応が別です。車椅子の人が段差を登ることができないということは、多くの人が理解してくれて、車椅子が上れるようにスロープにするということは、よく行われることですが、杖歩行の人(特に足首が不自由な人)にとっては、スロープは、不安定で、転倒の危険が多くなり、ステップにしてもらった方が使いやすいものです。
 脳梗塞などのいわゆる脳卒中患者の下肢の麻痺のうちで、足首の麻痺は、もっとも最後まで残る障害で、統計は持ってないが、これのために杖歩行を余儀なくされている人はかなりの数がいることでしょう。まあ、下肢障害というと車椅子というのが象徴的でわかりやすいでしょうが、多数は杖歩行のはずです。それに怪我のために一時的に杖を使っている人も大勢いるでしょう。
 最近私は、杖がなくても結構歩けるようになった(といっても、本当はあったほうがいいんだろうが、杖を持つともう一つの手に重い麻痺があるので物が持てなくなるのであえて使っていない。無理に歩くおかげで左足の爪はボロボロです。)のですが、もっと麻痺の重かった数年前に郵便局に行ったとき、ちょうど悪いことに建て替え中で仮説小屋で営業していたのですが、スペースの都合からか、入り口にはスロープしかなく、私はそれを登ることができずに、そこでの用を足すことができませんでした。まあ、幸いたいした用でもなかったのですが、このことがきっかけでこのようなことの問題を考えるようになりました。
 まあ、この場合、スペースの都合で仕方がないといえば仕方がないのですが、車椅子の車輪と車輪の間になる幅30cm位にステップをつけていてくれれば、私は用をたせたはずです。苦情をのべようにも、肝心のその建物に入れないのですから、困ったものです。
 たぶん、スロープをつけた人は、車椅子が上れるようにという配慮のつもりだったのでしょうが、杖歩行の人のことは思い至らなかったということです。
 ひとくちに障害者といってもその状態は千差万別で、健常者にとってちょっとしたことでも、とんでもない障壁になることがあるわけです。
 たぶんある障害者のための対策がべつの障害者にとっての障壁になるという関係はそんなに多くないだろうと思われる(私は他に思いつかない)が、障害者のための対策を施そうと思ったら、ぜひ、障害者本人(できればいろんな種類の障害者)の意見を参考にされてはいかがでしょう。障害者がワガママ言うななどと言わないで聞いて下さいな。
好日庵さん

そういうことがあることを私も去年、目の見えない友人を連れて都内を歩いた時、聞かされました。視覚障害用の点字ブロックを景観のために黄色から地面と同じような色に塗り替えられてしまい、その人は黄色ならかすかな識別が出来たのに全く見えなくなってしまったこと、音の出る信号機は少なく、もっとあれば外へ出られることなどを訴えてました。私は普段そういう方に接する機会も少なく何が必要なのかどういうことで困っているのかもっと知る必要があるとその時思いました。そして障害は一人一人種類も程度も違うのでいろんな立場をわかることがこれからのバリアフリーを進めていくのにも大切だと思いました。ここに書いていらっしゃる杖歩行の方など特にそう思います。確かに車椅子や友人も白杖を持ってるのである程度、目立ってみえるものは周りも意識が働きますが、一般にわかりにくい障害は、別の友人ですが聴覚障害の方など何でもなく見えるためとても苦労していらっしゃいます。それは意地悪をされてるのではなく無知、無理解からくることが多いのです。だから、もっと知らない人に知ってもらえるように障害がある人もない人も普通に一緒に生きて行かれるようになったらいいなと思います。そのためには交流ができる場をもっと増やし、障害をもってることを特別視しない生き方が大事だと思います。

ホンネさん

五体不満足の著者の談話にも同様の話がありましたが
大学でエレベータ設置を訴えたら
日本の大学では、健常者も同じ学費を払っているのに、特定の障害者の為に使うなと反対運動の実例
米国では、障害者も同じ学費を払っているのだから健常者と同じ条件で大学内や講義出席などの利用できる権利があると賛成運動の実例

妙な話ですねぇ。
エレベーターは、いわゆる健常者にとっても便利な設備でしょうし、もし、そのエレベーターが障害者専用としても、反対運動をする人は、怪我などで自分がそのエレベーターのお世話になる可能性があるということを想像できないんですかねぇ。(KEI)
A.tomyさん

 雨の日のバリアフリーから始めます。ボクは片麻痺のため、杖と装具を使った歩行なのですが、雨に濡れた床、特にスロープは神経を使います。最近はスロープとステップの併用、若しくは滑り止めの付いたスロープもよく見かけるのは確かなのですが、見栄えの為に化粧石やタイルを使うなどで、よくスリップ事故を起かけます。杖にちょっとした力をかけるとツルッといくわけです。
 まぁ、雨に限らず、濡れているところでの話かも知れませんね。公衆トイレなどは、たとえ障害者マークが付いていても、掃除ではそこまでは気がまわらないのでしょう。また、車庫で洗車してきたばかりのバスも、床がとても滑りやすいですが。自分自身で注意しなさいということでしょうか?でも、もしそうであれば、逆に「バリア」のことだけが強調されてしまう現在の「バリアフリー」はいかがなものかとも思います。少なくとも施設のことで障害者が困っているのはバリアの問題だけでなく、もっと些細で大切なところにもたくさんあると思うのです。「過ぎたるは及ばざるが如し」だと思います。
 ところで、電車に乗る時、介助者がいないと運賃が半額にならない介護サービス制度。二人で乗ると共に半額だけれど、身障者ひとりで乗ると割引がないという制度。おかしいなぁとは思いつつ、割引じゃなくて、介護者が無料になるんだ、と理解していますが、聞いた話によると、とある障害者の団体がこの制度に対して反発しているそうです…つまり子供料金イコール半人前と言う考え方をしているそうですよ。何かおかしいなぁ。
 確かに雨の日は怖いですね。先日も、雨の日に地下鉄に乗ろうと思ったところ、地価への入り口の段が、けっこう滑る石だったので、冗談抜きで命がけで乗ることになりました。
 そういえば、私が日常的に通院している病院の前が、タイル敷きだったものを、アスファルト舗装に張り替えていましたが、おかげで大分歩きやすくなりました。まあ、タイルのほうが見栄えはいいんでしょうが、もうちょっと機能に注意した材料の選択をしてもらえると有り難いですね。これは障害者にやさしいだけでなく、事故により障害者を作ることの防止にもなるわけですが。
 それはいいとして、この場合は「過ぎたるは及ばざるがごとし」とは違うのでは?(^^;
 ところで、後半の運賃の話ですけど、介護者がいないと半額にならない割引制度って知らないんですが。長距離の旅客鉄道会社運賃割引制度なら本人だけでも半額になるはずですよね?もしかしたら、近距離電車でも対象の別の制度があるんですか?まあ、なんにしても、半人前扱いされてると勘ぐるのもどうかと思いますね。まあ、そう勘ぐりたくなるくらいに日常的に他のところで半人前扱いされてるんでしょうか。(KEI)


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