殺されない権利
総合目次

 最近世界的に死刑廃止の論が強まってきている。私自身は死刑賛成なのであるが、死刑廃止論の根拠について検討してみたい。
 死刑廃止論者のいう根拠は大きいのは2点である。
1)もし冤罪であることがわかっても死刑執行後はとりかえしがつかない
 これは逆を言えば冤罪である余地が無いケース(大量殺人の現行犯逮捕のような場合)には問題がないということである。
2)殺人はいけないといいながら刑罰として人を殺してもよいのか?
 おそらくこれはキリスト教の聖書あたりを根拠としているのであろうが、「殺人がいけないこと」だからという前提条件が間違っていると思う。私の主張の主眼はそこである。
 それでは、なぜに殺人はいけないのであろうか?
 そもそも人は生来、(殺人を含めて)あらゆることをしてもよいと考えるのが大前提である。ただ、人が無秩序にこの権利行使をしたら社会が成り立たなくなるので、そのために、権利や義務を導入して秩序を保っているわけである。しかも重要なことは権利や義務は自分だけの一方的な主張ではだめで、あらためて言うまでもなく相互に認める関係が必要であるわけである。
すなわち、ある義務を相手に課すならば自分にも同様な義務を課す必要があるし、自分がなにか権利を主張するならば他人にも同様の権利を認める必要があるわけである。
 それでは殺人と死刑に関係するのは何かというと、「殺してはいけない義務」ではなく「殺されない権利」であると考えると多くのことがすっきり解決できる。すなわち人は他人の殺されない権利を認める代わりに自分の殺されない権利を認めてもらっているということである。
 これに従えば「他人の殺されない権利を認めない者(=殺人犯)」では「殺されない権利は消滅する」ということになり、他の人の生来の何でもして良い権利により殺される(=死刑に処されるされる)ということである。
 この「殺されない権利」論は死刑制度だけではなく「普段は殺人はいけないのに戦争で沢山殺すと英雄」という一見矛盾した社会的評価にも解答を与える。
 つまり、平時には他人の殺されない権利を認めるものの、戦争時には相手兵士の殺されない権利を相互に停止するということで相互に殺し合いをするのである。この場合相手の兵士を殺すのは成功として賞賛されるが、非戦闘員に対する攻撃は、非戦闘員は別段他人の殺されない権利を認めないというわけではないから、それを殺すのは相互主義に反して非難されることになるのである。
 というわけで「殺されない権利」論というのは一考に値するのではないだろうか。さらに人の生来の権利である「殺人者を死刑にする」権利を奪う死刑廃止論には賛成しかねる。


ご意見は以下に必要事項を記入の上、送信ボタンを押して下さい。
頂いたご意見はホームページに転載します。
お名前:(半角カナでの記入はできません)

E-mailアドレス:

性 別: 男性 女性

掲載の可否: 必ず 不可

ご意見:(半角カナでの記入はできません)



たわごと目次に戻る
総合目次