臨界事故だって?
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 いやはや、驚くような事故のニュースが飛び込んできた。東海村のウラン燃料処理工場での放射線漏れ事故である。
 もちろん、これだけでも、驚くべきことなんだろうが、もっと、驚かされるのが、事故が原子力関係での基本中の基本に触れる臨界事故だったことである。
 ご存じの方が多いだろうが、ウランやプルトニウムといった、核分裂燃料は1カ所に一定量以上集めると、継続して核分裂の連鎖反応が進行する状態になる。こうなると、丸裸の原子炉がそこにできあがる、最悪核爆発が起きる。これを臨界状態というわけで、通常の取り扱いで絶対に起こしてはならない状態である。
 今回の事故のそもそもの原因は、安全装置の付いた装置と違うところで、ウラン原料を処理したことにあるわけだが、仮にそうだとしても、なぜ、臨界になる可能性について気づかなかったのかが疑問でならない。
 もし、現場の作業者がせめて臨界量を意識していれば、最終的に事故は防げたであろうに、起きてしまったところを見ると、臨界そのものを知らなかったか、臨界量を実感を持った量として認識してなかったのではないかと思われる。
 まあ、こういったばかげた無知は論外として、システムが巨大になってしまったために、どの部分が重要事項であるかと言うことが現場の作業者に見え難くなっているのかもしれない。
 原子力のような巨大技術を維持していくためには、それに携わる全人員が、その分野について最低限知っているべき基本的事項については知識として持っておき、自分の携わっていることでは具体的にどれに相当するのか十分認識しておくべき事なのであろう。

   さらに、もうひとつの側面としては、事故を起こした装置の臨界を起こす危険があるとして定められていた規制値を超過して操業することが日常化していたのではないかと疑われることである。むろん、規則違反を攻めることはたやすい。しかし、重要なのは責任問題ではなくて規則違反が起きる原因である。
 当然ながら、規制値はある程度安全係数をかけてある。皆が規則を守るならば、安全係数は大きいほど安全である。しかし、安全係数を大きくとりすぎると、それをある程度超過しても、何も問題は起こらない。これを繰り返していくうちに、規制値そのものへの感覚が麻痺し、信頼感が失われていくわけである。ちょうど、車の制限速度が低く設定されすぎているために、わずかな速度超過が日常化しているようなものである。もちろんこれも、あまり超過してしまうと、重大事故につながることは自明である。もしかしたら、今回の事故の背景にもこのようなことがあったのではなかろうか?
 すなわち安全にしようと思って安全係数を大きくとりすぎたために、規則違反を助長してしまったと言うことである。私の記憶に間違いなければ、原子力技術の安全係数は通常の工業技術分野より大きくとっていたはずである。
 私は規制値のたぐいには3つあると思う。
 1)たてまえの値:十分に安全係数をとってだれもがこれを守っていれば事故が確実に起きない数値。
 2)本当の値:当該事象について十分に知識と判断力のある人が十分な注意力をもってあたれば、問題の起きない数値。
 3)絶対の値:だれがどうやろうとも、重大な事故が起こる理論値。
 つまり、たてまえの値を無視することが常態化しているうちに、本当の値を踏み越え、ついに絶対の値をも超えてしまった結果ではないのかと思われる。
 これの対策は規制値を厳しくすることではダメであって、規制値をゆるくすることによって、その規制値を超えたら危険な目に遭うことを学習させることが重要である。
 これは、人は規則を守らないであろうという性悪説による対策である。
 まあ、なんにしても、今回の事故で、周辺住民への被害が出なかったのは幸いである。


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