クローン人間もかまわない?
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 最近羊や牛、ネズミのクローンができたという話がマスコミをにぎわしている。
 すると、口をそろえたように人間への応用反対という意見が噴出してくる。
 以前は私も、漠然とこれらの意見に疑問も持たなかったのだが、よく考えてみると、別にクローン人間くらい作ってもかまわないんではないのか?と、考えるようになった。
 これら意見の根拠は、だいたい、生命の問題にふれるのはいけないから、というもので、極めて根拠が曖昧である。
 昔からクローン人間の問題について、いろいろ上げられてきた。しかし、それらって、割と的外れなような気がするのである。
 良く聞くのが、独裁者が自分のクローンを作って・・・というものだが、よく考えて欲しい。しょせんクローン人間と言っても元の人物とは別人格なのである。
 もしも脳を移植でもすれば話は別だが、現在想定されているのは、遺伝的なクローンであって、これは、わかりやすく言うととても年の離れた一卵性双生児を作るのと同じ事であって、これが別人格なのは理解できるだろう。
 つまり、これが、独裁者がどうのという話とは関係しないということである。結局は世襲で自分の子供に権力を委譲するという、世界の多くの君主制がとってきたシステムと同じ事である。
 クローン人間を奴隷に使うからとかいう意見も聞くが、これは、クローン人間にも人権を普通に認めればいいだけのことである。
 あと、異常があったときはどうするのか、という意見も聞くが、これさえも、単に先天的障害の責任者が明確になるというだけのことであって、たいした問題ではないと思う。
 結局の所、生命の誕生は神の領域だから、という、ただの宗教的な話(しかもキリスト教的生命観)に行き着いてしまうわけだが、こんなものを根拠にしてもいいとは思えない。
 まあ、必用がないなら、あえてクローン人間を作る必用もないのだが、現在クローン人間を作る動機としてはっきりしたものが示されているのは、不妊治療に使うというものである。
 私はこれは、なかなか良い話だと思うのだが、はたして問題はあるのだろうか?
 クローン羊の成功のニュースとともに、欧米諸国では次々とクローン人間禁止の方針が決定されていったが、こんな難しい問題にどうしてこんなに早い決定が出されたのだろうかと疑問だったが、たぶん、これらの国はキリスト教という同一の宗教的背景を持っているからであろう。
 私自身は、未だにクローン人間を作ることの是非に結論を出せずにいる。
ソラリスさん
非常に長文なのでフォントを小さくします。また、私のこれに対してのコメントは文中にオレンジで示すことにします(KEI)

クローン人間を作ることに、アンチの立場の意見を述べたいと思います。

一昨日、(1999年9月3日)朝日新聞社の主催する、「バイオ世紀の生命観」というシンポジウムに行ってきました。
リー・シルバー教授(プリンストン大学教授『複製されるヒト』の著者)に顕著に表れていましたが、特に、アメリカは、クローン技術の推進大国ですね。(アメリカでは、この問題に関する、キリスト教的倫理など殆ど働いていません。カトリックがアンチの立場を示していますが。。。)はっきり言えば「デザイン・チャイルドのどこが悪い?子供が病気を持って産まれてくることは、できるだけ排除してあげなくちゃいけない。他人に迷惑かけてないし、どこに問題がある?クローン技術を駆使して、障碍・疾病のリスクを取り除いたデザインド・チルドレンを作ることは、個人の自由だ。」という考え方をしています。

さて、では、遺伝子情報を解読し、操作し、クローン技術を人の生命の誕生へ応用していくことの、何が問題なのでしょうか。私は、三つに分けることができると思います。
一つ目は、ヒトという種の多様性を失わせて行くこと。
二つ目は、相対的な障碍者差別を引き起こすこと。
二つ目は、貧富の差とそれに伴う差別を結果的に増大させることになること。
こうしたことを一つ一つ論ずる前に、私の本音から書いていきたいと思います。
その前に、まずはKEIさんの言っておられたことの転載から。
ソラリスさん
すなわち、私は、たとえば、デザインド・チルドレンを作ることそれ事態も、ヒトの種としての特徴であり、それが、自然界と調和するのであればヒトは生き残っていけるだろうし、調和しない不適切なことであれば、ヒトという種そのものが滅びるか、そういう手段が使えなくなるかのいずれか
になるのであろうと考えます。適切か不適切かは結果を見てみないと何とも言えませんな。

で、結果としてどうなるかを予想してみると、やっぱりうまくいかないだろうなとは、思います。つまり、デザインド・チルドレンは、ヒトの知識以上のものになり得ないのですが、それが、ヒトの多様性、すなわち、種として生き延びていく可能性を狭めるからです。
 たぶんこの問題は貧富の差の拡大とか言った問題に矮小化してはいけないと思うんですが。
KEIさんも、地球全体のライフサイクルの大きな力を、信じておられるのですね。
私も基本的にはそうですが、ヒトとして危機感があります。恐らく、調和をとることには成功しないからです。
危機感については私も同様に持っています。ただし、クローンの問題については各個人に、それを自らに適用しないと言う選択肢が残されていますから。もし、不適当だということになるなら、クローン技術を自らに適用した人に淘汰圧力がかかるんでは?

私の直感では、遺伝子組換もクローン人間を作ることも、不自然な行為であるために、ヒトという種を滅ぼすことになる。ヒトは、既に現在見られているように、ある一定期間、遺伝子組換食品を量産していくことに成功するでしょう。そしてまた、優良精子・卵子を掛け合わせ、遺伝子操作で障碍を排除したクローン人間を作ることにも、成功するでしょう。でも、それは長い眼で見れば、単一化という方向を辿り、人類を滅亡させていく行為です。
種としてのヒトが、ゆくゆく滅びることについては、しょうがないと思っていますが、それまでの過程をどうするか、ということについては、KEIさんとは別の意見を持っています。(これについては、後程述べます。)

人類の滅亡までの過程は、まだ長い。だから、ある一定期間であっても、こうした技術を駆使することによって、障碍を持つことへの差別、貧富の差などを中心とする、多様な差別の構造を生み出すことに、アンチの立場です。
では、一から三までの問題を、順を追って考えてみたいと思います。

@種としてのヒトの多様性

一つ目は、KEIさんも、別の掲示板で述べておられましたね。
>私がクローン人間をつくることで唯一問題かもしれないと感じるのは、ヒトという種の
>内部の多様性が失われることによって、地球環境変化に適応する能力が落ちるだろうと
>いうことのみです。

当然、ヒトの種の多様性は失われていくことでしょう。地球環境の変化に適応する能力が 落ちるのは、当たり前ですよね。この点についての我々の意見は、一致。ヒトは多様であるからこそ、さまざまな環境に適応していくことができるのです。
NHKの特集で、鎌形赤血球の例なども出ていましたが、鎌形赤血球は、やはり、進化でもあることは、ご存知の通り。メンデルの法則と同じですね。うまく行けば、確か1/4の割合で、マラリアにかかっても、重篤な症状には陥らずに生き残ることができる人が出てくる。「鎌形」が血管内で感染が広がるのをを防いでくれるとのこと。でも、だからこそ、劣性となった1/4の人は、血管が詰まって溶血性貧血になってしまう。
先天性疾患を持つということは、鎌形赤血球の例で挙げられるように、進化に貢献している可能性が高い。だから、劣性(大体、劣性も、人間の感覚でダメなものというのが、劣性であるわけではない。)として出現しても、勿論、確率としては落ちますが、強い子孫を残す確率も必ずやある訳です。メンデルの法則をもう一回思い出してみて下さい。
そして、必ず、先天性疾患を持つような人は、ある一定の割合で、私たちの社会に出現することになっているのです。
大腸菌の話を思い出します。物理的に強いものばかりが生き残るわけではない。
優生思想を推し進めて良いのか。人間のバラエティー。プール。そうしたものがあってこその人間ではないのでしょうか。(そして、他の生き物とのバランス。地球上の一生命体としてのバランス。)
これは、言わずもがなのことでしょう。多様性が失われた種はたとえ、ある環境で有利であったとしても、環境変化があったときにはもろいものです。

(現代の西欧中心の世界の価値観において)頭が良く、見掛けが良く、そして背の高い、若い人達の精子や卵子がとてつもなく高い値段で、売り買いされる。インターネットのHPで売られていますね。提供者の写真付き、というものまであります。
こうしたことが進めば、結果的に、良質な精子と卵子が集められ、また、遺伝子情報が解読されることで、様々な疾患の可能性を排除した、デザインド・チルドレンがクローン技術を駆使して誕生することになるのです。人類は、単一化していくでしょう。様々な環境に適応不可ということにもなります。
人間がばしびし破壊している環境、遺伝子組替やクローン技術を含む、生命体操作のことを考えると、ゆくゆくは人類が滅びていくと感じています。
だからといって、何もしなくて良い訳ではない。それを阻止するように動く遺伝子?だの考えだのを持った人が生まれ、他の人を説得しようとしていることも、また、大きなライフサイクルの一環であるかと思います。
できるだけ長い間、ヒトが地球に他の生物と共存できる関係にしておこうとすること。我々は、そうした状況を作る責任もあると思うのです。次世代、またそれに続く世代の人達のために。

Aデザインド・チルドレンのコンセプト――相対的な障碍者差別――

(事故などで障碍者になる例を除いて)遺伝子的に言えば――そんなことは絶対にあり得ないのですが――自分に障碍を引き起こすリスクが仮にゼロであり、かつ、子供に引き継がれるであろう遺伝子も、障碍リスクがゼロ。また、配偶者も完全にリスクフリーならば、そのカップルの間に生まれてくる子供に先天的障碍はない。ということになります。

>これは障害者差別を助長した問題についての例じゃないんでは?
>これ事態はまったく別の問題でそれはそれで問題ではありますが、これは障害者差別で
>しょうか?
>私が述べたのはデザインド・チルドレンを作ることが障害者差別につながるということ
>は疑問だということですが・・・。

そうですねえ。でも、全く別の問題ではないと思います。
現代の社会では、「障碍」を持つ人に対する差別と偏見が存在することは、事実です。
それは、ある側面では既に増長され、障碍者差別どころか、障碍者となるかもしれない人
への差別のレベルにもなってきています。
まず、いくつかの疾病に関する遺伝子は、既に解読することができますね。例えば、遺伝子を解読してみて、ハンチントン舞踏病(←障碍者扱いとなるものだったと思います。)などを発病する<リスク>のある人は、予め、分かるようになっています。

こうした例は、幾つかあります。保険への加入を断られた、就職ができなかった(後者はアメリカのウィスコンシン州での話とのこと。)しかし、障碍者となるリスクを持っているというだけで、様々な場面で、現実に差別されている事例が、既に出てきているわけです。広い範囲での、障碍者に対する差別と考えられるのではないでしょうか。

さて、デザインド・チルドレンは、こうした流れの一環として位置するものだと思います。予め、遺伝子情報を解読し、遺伝子を操作して、性別、身長、髪の毛の色などを決定するばかりでなく、特に障碍となるリスクは直しておく。そうしてプログラミングされた要素を持って誕生するのが、デザインド・チルドレン。仮に、(自分には発現しなくても)次世代まで受け継がれる遺伝子の中に、障碍のリスクがあるのならば、それも直しておくことができます。
そして、そうした技術の使用は、必ずお金のある人に独占されます。莫大なお金を払って子供をデザインする訳です。貧富の問題は後程述べますが、貧しければ、こうしたデザインはできません。生まれてくる子供も、障碍を持って生まれてくるかもしれません。
そうした中で、「あいつのところは、貧しいから、直せないで、障碍者で生まれたな。」という見方なども、生まれていくのではないでしょうか。
また、当然、就職・結婚その他でも、デザインド・チルドレンは有利であり、好んで採用されたりすることでしょう。反対に障碍があれば、どんなに努力しても、障碍があるだけでも差別されるのに、バック・グラウンドとしての貧しい家柄ということでも差別されるかもしれません。

ところで、本当にデザインド・チルドレンは「総合的に」有利なのでしょうか?自然に発生する先天的障害についてはその責任は誰のものでもないですよね?しかし、自然に障害が発生する確率と比較して、デザインド・チルドレンを作る過程ではいるミスによる不具合が出る確率が、無視できるほど小さいとは思えないんですがねぇ。
単純なクローン技術でさえも、かなり難しい技術ですから、やり損なう可能性というのはかなり高いと思いますよ。
つまり、自然に障害が入るというリスクを除去しようという利益と、その操作でしくじるであろうという不利益ではたしてペイするのだろうか?という問題ですね。
しかも、操作でしくじって障害が発生した責任は誰にあるかという責任の所在が自然のものと比較してはっきりしてますよね?
これは、事故のたびにかなり高額な賠償訴訟が行われることにつながり、結果的にデザインド・チルドレンをつくることを引き受ける設備も消えていくことになるでしょう。と、私は予測するのですが。

私の立場は肯定ではなく、「できるもんならやってみな。どうせうまく行きっこないから。もし失敗してもそれは、あんたの責任であって、ワシャ知らんかんね」ってものです。

貧富の問題が出てきたので、それは次に。

B貧富の差と障碍者――南北問題との関連の中から――(1)

貧富の差の問題が出てきたので、クローン技術を駆使した、デザインド・チルドレンの話から、ちょっと飛んでおきます。
どのレベルで話をするかにも依りますが、でも、先に挙げた例のように、貧富の差の問題は、やはり、無視することはできない問題だと思います。
ある一定期間にしろ、富める人は、遺伝子情報を解読してもらい、その情報を操作し、障碍や疾病のリスクを防ぐようになりますが、貧しい人は、障碍リスクを防ぐことはできません。同じことは、国家間の格差についても言うことができます。

折角なので、個人レベルではなく、南北格差の話に広げておきましょう。

ポリオ(小児麻痺)の例を出したいと思います。ポリオは、ポリオウイルスによる、感染症ですから、遺伝子情報操作された、デザインド・チルドレンの話とはあまり、関連性がないと思われるかもしれませんが、「貧富の問題」「障碍者の問題」を考える上では、分かりやすい例だと思いますので、出しました。
ポリオは、現在、ワクチンでほぼ100%防ぐことができますよね。そうしたことから、日本ではワクチン接種が義務づけられ、所謂、小児麻痺の方は、あまりお見かけしなくなりました。しかし、一昔前までは、小児麻痺の人たちは結構おられましたし、障碍者として、様々な差別を受けてきた歴史があります。

今でも、西南アジアでは、ポリオの子供は沢山います。国自体が貧しく、ワクチンそのものを買うこともできず、ユニセフや、先進国の各種団体などから、提供してもらうことを待っている状況です。(こうした状況は、貧富の問題、南北問題のごく些細な例でしかありません。)

では、ポリオに感染したあの子たちは、障碍者となってもしょうがない、国に生まれているのでしょうか。
こうした国々の子供たちばかりが、自分の身体が麻痺していく現象に甘んじなくてはならないのでしょうか。
先進諸国は、そうした現象を「自然淘汰」として、こうした国々の子供たちに対して、何をするべきでもないのでしょうか
ソラリスさんが言いたいのは「何をするべきでもない」ではなくて「何もしなくてもよい」では?

B貧富の差と障碍者――南北問題との関連の中から――(2)

私は否であると考えます。こうした子供たちを救う努力をしなくてはならない。一人の人間としてです。
でも、それは、遺伝子情報を操作して、障碍や疾病を防ぐことと、さして変らないのではないか、という反論があるかもしれません。
決して同じことではありません。ここには元々生まれてくる子供の遺伝子を操作して障碍・疾病が発現しないようにしてしまうことと、生まれた後に子供救うことの、大きな差があります。生まれてきた子供たちは、すでに、遺伝子は自然な状態で持っています。そして、ポリオ(小児麻痺)は繰り返しますが、感染症です。

国境があることも、話をややこしくしていると思います。(*近い未来、国境はなくすべきであり、地球国家というべきものを形成しなくてはならないだろう、というのが私の持論です。国家主義が台頭していますが、国家が先にあるのではなく、人の関係が先にあるということが忘れられている、と思います。)ある地域に生まれた、一人の人間を救おうとするのは、ヒトの本来持っている姿ではないかと思います。動物は本来、同じ種であれば、弱いものを助けますよ。
本当に「動物は本来」ですか?私はまったく逆の考え方を持っています。
つまり、同じ種の動物というのは、同じ資源を使う競合関係、すなわち、最大の敵であるわけです。これが人間社会で激しく現れたのが戦争です。
ただし、有性生殖を行う場合は同じ種の動物が多数いるというのは、子孫の多様性を確保するという意味において有利なわけです。
そもそもは、こうしたところから、協力関係が生まれるんでしょう。

もう、こうなると、直感レベルで話をしなくてはならないのが、辛いところですが、障碍や、疾患を持って生まれてきた子供たち、また、後天的に障碍や疾患を獲得する人達を救おうとする試みは、ライフサイクルの一環であるかもしれません。障碍や疾患は、私たちの種の多様性を保持し、守るために、必ず出てくる要素だから、ということがあるかもしれません。
それはまったくその通りでしょう。
しかし、反対に「予め」遺伝子情報を解析し、操作し、クローン技術を用いてヒトを作ってしていくことは、さまざまなことを考えると、ヒトという種自体を自然淘汰される方向に加速させているだけだ、と思います。

KEIさんの言われるように、愚かな人間のやる枠組みを越えることができない、とも感じています。デザインド・チルドレンの試みは、ある期間成功しても、何らかの形で、失敗に終わるのではないか。しかし、そのある期間がどれくらいかは、分かりません。たとえ、半世紀の間だとしても、これ以上、社会的身分の格差を広げ、多様な差別の構造をも生み出していくことには、反対なのです。そうしたことが起きる前に、何とか止めることができないのか、と考えます。
たぶん成功するのは最初の数例だけであって、恐らく社会的に影響を及ぼすほどの成功はしないでしょう。その前に破綻すると思っています。理由は上の方に書いたようなことですが。


加藤さん
また長文をいただいたので、上のソラリスさんのものと同様に表示します。(KEI)

 初めまして。
 古い記事に対しての意見で申し訳ないですが「人間」ではなく「人」で考えると違った視点が得られるかもしれません。ただ、私は専門でもなく、当然深い知識がある訳ではありませんので、その辺りご了承ください。

 まず、理工学系の人にとっては面白くない仮定になりますが、話を簡潔にするために「技術的瑕疵を無視」「デザインの許容範囲を無限」(障碍の除去や、遺伝子疾患への対応などだけでない、よりポジティブなデザインを含む)として考えます。もはや SFですが、技術確立後の社会浸透は学者/技術者が想像するより遥かに速いです。例えば 1970 年代までは実験段階にあった臓器移植も、その後の二、三十年で「誰でも受けられる当たり前の技術」になっています。クローン技術は臓器移植より遥かに高度なのでしょうが、ナノレベルの超微細技術の話題も目に付く時代ですらあります。気軽に子供をデザイン出来る日も、それほど遠くないかもしれません。

 本筋と離れました。

 話を戻しまして、もし自分自身「親が設計した自分」だったとしたら? これは技術として広く広まった前後で精神的心持ちはかなり異なるでしょうが、「強迫性障害」「自己不全感」に陥る事は、ほぼ間違いないと思いますね。親から見れば子供は「完璧」であるはずであり、子供からすれば親は自分の「設計者」つまり神に等しい。心持として幼少時ではどんな子供にとっても親は神に等しいのですが、それが思春期でも堅持されるのではないかと思われるほどより強固なモノへと変わるでしょう。
 今ですら「親は子供に完璧を求め」「子供はそれに応えようとする」と言った家庭は非常に多く、子供をデザインしようとする家庭であれば、なおその傾向は強まる。通常、社会が高度になればなるほど、社会自らの「管理」は過熱する(大企業はそのデフォルメと言ってもいいかもしれない)。つまり家庭でも社会でも「過剰管理」が浸透し、人の心は常に「緊張」した状態を強いられるでしょう。精神疾患の蔓延は逃れられんでしょうね。二十年前にはほとんど気にならなかった「花粉症」が、今ではマスクだらけになっていますが、それと似たようなものです。抗鬱剤入りの清涼飲料水という馬鹿げた商品すら登場しかねない。現状でも似たようなサプリメントやチョコ、ガムが売られています。
 また話がそれましたがさらに続けると、淘汰は人に対してもはや無力でしょう。生命の長い歴史を見ても、今の人間、今の技術を淘汰出来るような地球規模の環境の変化は皆無です。例えば小惑星が衝突するなど、地球上の全生命が危機的状況に陥るような場合でもなければ、人間はいなくならないでしょう(でもそれは、もはや淘汰とはいえない)。ただ、人間は自ら首をしめ、そのために苦しいからと言って気管挿管、呼吸器管理を行うような愚行を何度も繰り返すでしょう。おそらく技術による想定外の副作用を別の新しい技術で埋める。むしろ、種の保存欲求を欠落して滅びる方が先ではないかとすら感じます。つまり淘汰圧は人自らが作る。

 以上、視点がふらつきましたが、出来る出来ないに関わらず、技術的副作用が分かっていない段階では「やみくもな反対」もある意味「是」です。何にせよ、人は「理性」の生き物ではないので、各個人のアイデンティティに関わる問題にすらなりかねない。社会的、技術的な問題や倫理的な問題だけでなく、精神面でも何が起こるか分からない、ということでしょうか。
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 蛇足です。
 多様性という話が出てますが、多様性は遺伝的多様性ばかりではありません。
 加えて人間の価値観の「多様さ」は計り知れないものがありますが、人の価値観の多様さと遺伝的多様性の統計的評価をすると、遺伝子を弄る事は逆に多様化に貢献するかもしれません。今ですら、自らを「トカゲ」に改造する者や「トラ」に改造する者が居ます。そういった「一般では考えられない」価値観を持つ者達のレアリティと、共通観念・社会通念の圧とのバランス次第でしょうが――。
いただいたご意見は、遺伝子操作あるいは、遺伝子設計についてのお話が主体で、話をさらに複雑化しているようですので、純粋にクローニングについてのご意見を頂けると助かります。ちなみに、受精卵、杯あるいは未熟な胎児に対しての遺伝子操作については、私の考えは「否」です。逆に出生後あるいは、生存可能まで成長した胎児の遺伝子治療に対しては否定するものではありません。



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