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1、クラブの結成 我が緑ヶ丘ソフトテニスクラブは昭和44年4月村山団地居住のテニス愛好者で結成され、村山病院のテニスコートを練習の場とし、昭和46年まで体育協会主催の対外試合にクラブ単独で村山町代表としていました。昭和44年連盟結成の機運が高まり、今日の連盟の母体となった伝統あるクラブです。クラブ結成当時は若夫婦の多い団地でクラブ員も若い人達であったが、子供が大きくなるに従い団地を去るクラブ員が増加しクラブ運営の岐路に立った時期もあったが、クラブ員の固い結束で在籍人員の減少はあるにせよ現在に至っている。 2、クラブ活動状況 現在の当クラブ員は初心者講習会より始め、着実に力をつけた人が殆どで何故ここまで続けられたか!!それはクラブの基本理念である「親睦と技術の向上」です。クラブ員がテニスに打込めるのは本人の努力は勿論ですが、家族の協力・理解が不可欠であり、家族の協力理解を得るために家族全員がテニス以外で参加出来る川遊び、ハイキング、合宿等を行ってきました。また都合で当クラブを離れた元会員を6月の親睦会に招待し新旧会員の親睦を図る一方、青木氏をリーダとする毎週水曜日の女性主体の練習(他クラブよりの参加者も多い)、および月一回のクラブ全体の合同練習で技術の向上に努めています。 クラブの基本理念を踏襲しながら、今後も連盟発足の母体クラブとして頑張っていきます。 |
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1、クラブの結成(昭和45年4月) 昭和44年4月武蔵村山市軟式庭球連盟が結成し、その1年後の連盟が体育協会に加盟した時点(昭和45年4月)に当クラブは結成され、発足した。当時クラブ会員はMTA(むさしの住宅テニス愛好会)、MTC(村山団地テニスクラブ)以外の市在住軟庭愛好者で構成された(但し、MTAの決まりにより、MTAから住居を当市内に移された方は雷塚テニスクラブに入会)。発足当初は、昭和20〜30年代に中、高校でやった経験者が大勢入会し、大変活発にやっていたようである。 2、活動状況 会員は、現在20名で、他クラブに比べて少ない方である。連盟最長老の芥川忠信氏(83才)が在籍しており、今も毎週コートに立ってプレーしている姿には驚かされる。また我々後輩達への無言の励ましとなっている。技術レベルは我々がクラブの誇る藤生―芥川知ペアがおり、市民大会(春秋年2回)優勝の常連である。女子は平日も練習し技術向上を図っており、女子一般、女子シニアで優勝ペアをしばしば出している。また、春秋の市民大会の他に、都民大会、市町村大会、都下個人選等対外試合への参加、会員親睦目的のクラブ対抗、連盟親睦会、12月納会へも積極的に参加を奨励している。 |
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あゆみ ・昭和47年 日産自動車村山工場の軟式テニスクラブとして発足 ・昭和48年 武蔵村山市軟式庭球連盟に加盟 ・平成15年 解散 平成15年4月、日産自動車村山工場がなくなったことにより31年の歴史に幕を閉じました。 以下は当時のクラブの紹介です。 クラブ紹介 昭和47年、テニスブームの流れの中、30名程のクラブ員を要し会社のクラブとして発足したのが日産クラブだ。 平均年齢が若く、ほとんどが独身であり、活発な活動を行っていた。春夏を中心とした年2回以上の合宿や日産圏の大会を実施するなど参加者も多く盛況であった。その後連盟に加入、行事にも参加し連盟メンバーとの新たな出会いも生まれ、練習や合宿を通じ親交を深めてきた。市民大会や市町村大会にも選手が出場し好成績を収めている。 現在はクラブ員もそれぞれ家を持つようになり、住所等も他の市町村に転出・転勤などで現在は数人のメンバーとなっている。しかしこれからテニスをやってみたい人や運動をしたいと考える人の受け皿として、日産クラブを盛り上げていこうとメンバー一同、日々楽しんで活動している。 |
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1、クラブの結成(昭和50年12月) 当クラブの母体になっている三ツ藤住宅には自治会があり、その役員当番が1年の輪番制で回ってくる。自治会活動を通して役員同志が親しくなり、任期が終わった後も友達関係は続いている。 役員の任期を終えた翌年、武蔵村山市に軟式庭球連盟があることを知り三ツ藤テニスクラブを結成しようということになり、元自治会長の後藤氏が発起人になり昭和50年12月に当クラブを結成し、翌51年4月に連盟に加盟した。当初は旧役員とその家族が大勢入会し、クラブ員も68人と大人数での発足だった。当時連盟会員も200人を越えており、雷塚コートも2面で混み合っていた。後藤氏のお世話で埼玉銀行コートをお借りし、鍬や箒で整備しながらテニスをしたのを懐かしく思い出す。 2、活動状況 会員の多くは中高年になってから初めてラケットを握ったと言う人達である。なかなか上達しないのが実情で、「上手になって公式戦に出たい」と思っている人よりも、「健康維持のために、いい汗かこう」と思っている人が多く、地味できつい練習よりは、気心の知れた仲間同志でゲーム的な試合に興じ「楽しみながら」を優先することが多い。コート内の練習もさることながら、例年お花見、親睦会、合宿、納会、忘年会、総会などのクラブ行事には必ず宴席を設けている。コートではなかなかお目にかかれない人達ともお会いできたりして、仲良しクラブの結束は固い。 |
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1、クラブの歴史 当クラブは昭和45年春故細島善美氏東京軟式庭球副理事長が三本榎にコート4面で武蔵村山テニスクラブを設立し、軟式硬式共に会員を募集し集まった中に現クラブの元たるメンバーがいたわけです。 その後昭和55年家庭移転のためコート閉鎖後も軟式の我々はなんとか一緒にテニスを続けたいと近隣の公共施設等を借りながら練習に又親交を深めていました。 丁度その頃土方氏が仲間に加わり、なんとか我々のコートをとの願いのもとに60年自宅前に現コートを作っていただき、晴れて専用コートが出来た次第です。ここに名称もロングテニスクラブと名前を改め、連盟にも61年に加盟し、会員も15名、連盟の中堅として現会長、副会長等を選出し活躍しているのが現状の姿です。 2、活動状況 我々会員も高齢化が進んでおりますが、練習日のテニスの技術はお互い競争、勝負の毎日ですが、その後は一週間のご無沙汰と共に酒を酌み交わし、家庭、社会、三面記事等話し合うのが楽しみの日曜です。例年新年会、お花見、夏の合宿、忘年会等土方氏の母親も加わり楽しみながら宴席を設けています。 今後会員は健康に留意し、永遠の友として絆を深めていきたいと思います。 |
| 拓大一高が武蔵村山市に引っ越ししてきたのを機会に、2005年4月OBによるチームとして当連盟に加盟。 2007年3月にて解散。 |