Joyce Maynard

1953〜


1953年生まれというから団塊の世代である。向こうではずっとセミセレブ位の感じで出突っ張ってるらしいが,海の彼方からボンヤリ見ていると,節目節目でポッカリと現われる人という印象である。あまり近くない親戚の子供とか昔の隣のクラスの同窓生のように,ときおりこうしているらしいよと消息が入って来る感じ。作品も好きというよりは,出ていると一応気になる感じ。

Daphne Joyce Maynardとして,父Maxと母Fredelleの次女として生まれる(実はこの名前がミソ)。15歳でSeventeen誌の小説コンテストに入賞。ちなみに,このコンテストには後にロリ・ムーアも入賞している。シルビア・プラスも,全米から数名選ばれて同誌の特別記者になった経験を"自殺志願 Bell Jar"の中に書いている。意外と一種文章世界のようなもので,小説家を目指すアメリカン・ガールの登竜門なのかもしれない。1972年にエッセイ"An 18-Year-Old Looks Back On Life"がNew York Times Magazineに掲載,翌年加筆された単行本"17歳にとって人生とは Looking Back: A Chronicle of Growing Up Old in the Sixties"として出版。ヤンガージェネレーションの代弁者として脚光を浴びる。
エール大学へ入学していたがドロップアウト(小説を書くためと本人の略歴には記されている)。NYタイムズのエッセイを読んで連絡を受けて以来文通を続けていたJ.D.サリンジャーの元へ向かったが,その時期は短かったようだ(存外有名なエピソードらしく,他の同世代次世代作家の文物にもこの話を踏まえたようなクダリが散見される)。
20代前半はNYタイムズのレポーター兼コラムニスト,CBSラジオのコメンテーターを務めるかたわら,各種雑誌に寄稿。1977年に結婚,ニューヨークを離れニューハンプシャーの古い農家に移り住む。ビッグシティ・ブライトライトを後ろに置き去り,田舎で静かな家庭生活を送りながら文章を発表するという,一種のカリスマハウスワイフだったようだ。1981年に小説の第1作"Baby Love"を出した他,ニューヨーク・タイムズのコラム"HERS"にも書いていた(単行本にまとめられ邦訳も出ているはず。1人持ちのコラムではなく,複数の女性筆者が交代して書いているコーナーであったらしい)。
80年代中頃のTIME誌の特集,その名も"40歳になったベビーブーマー"に当時の近況がチラっと出ていた(ジェームス・クネンとかも並んで出ていた)。近くに核廃棄物処理施設みたいなものができそうで反対運動に没頭している,あまり没頭しているので子供が誕生日のプレゼントに"今日はnuclearって単語を聞かないで済むように"とねだるという話だった。

1989年に離婚。元の夫については,その後物の見事にどこにも記載がない。まるで指紋でも拭い去ったかのようである。"HERS"あたりのタイミングで収録された当時の文章でも探さないと,名前はおろか何をしていたか如何なる人となりであったのかすら分からないほど。子供3人を引き取ってシングルワーキングマザーに(それまでのファン層にとってなかなかダァーとなってしまう展開)。この時期の作品には,実在の事件を元にしたサイコパス・スリラー系統の"誘う女 To Die For"がある。またガラっと作風が変わったものだが,筆1本で生計を支えるため映画化されそうなヒット作を狙ったのか。実際にニコール・キッドマン主演で映画化もされている,ただしそれほどのブロックバスターにもお金の成る木にもならなかったらしい。

1998年に自伝的作品"ライ麦畑の迷路を抜けて At Home in the World"を出版(邦題はあまりと言えばほとんど気の毒です)。翌年サリンジャーから送られた手紙をサザビーズの競売に掛けたことから,最近にして最大の注目を集めることになる。
同時に彼女の行動を巡って論争が湧き起こる。片や糾弾する層。よりによってラブレターを競売に出すなんて,人の純情を金に換えるなんてとんでもない。昔振られた意趣返しも入っているのかもしれないが,それにしてもおっそろしい。しかも時期を合わせて同じ内容の本を出すなんて,宣伝上手な目立ちたがり屋。作家としての能力に自信がないのか。片や弁護する層。サリンジャーは決して心優しい恋人ではなく圧政者みたいなもん。自分の夢想めいた理想を追い,彼女にも同調することを強要するばかりで真の理解や共感なぞヒトカケラも与えなかった。年上で名声もある男が若くて世の中を知らない女性を精神的に虐待したと言わないまでも,あまりな扱いだった(同時期にサリンジャーの長女の回想録を出ているが,こちらで描かれたサリンジャー像も相当否定的)。
結局,ピーター・ノートン(ノートン・ユーティリティのノートンさんです,サリンジャーのファンで富豪だそうです)が手紙を競り落としてサリンジャーに渡したことにより,騒ぎは一応の終焉を見た。しかし,メイナード自身は,論争の継続中,おそらく論争の対象でありながらその中にはいなかった。自分を攻撃する多くの男性およびサリンジャー愛読者を中心にする女性から離れていたのはもちろん,弁護の論陣を張る主にフェミニスト達にも一定の距離を置いていた向きがある。振り返れば出世作から,彼女の主題は皆と違っている自分,渦の中心にいるように見えながら実は1人離れている自分だった。それだからこそ,さほどの時間を経ずに時代の観察を記せたのであろう。新しい世代の代弁者として扱われながら,世代に属していないと強く感じており,作中でも繰り返しそのように記していた。

本人による公式サイトがあり,新作の書店ツアー告知や近況が発表されている。寄せられているやや古目の文章には,父親の最後の日々(後年母親と別居,画家になると言い出して北欧に1人渡りある程度の画業を遺すが,以前からのアルコール依存症で極寒の中泥酔して肺炎を起こし病没した)や姉との関係(妹の命名を任された姉は自分の好きなダフネと付けたものの,やはりお気に入りの名前を妹に取られるのがイヤでジョイスというミドルネームを日常使わせた。姉妹ながらソリが合わず母の末期の介護を巡り対立した)などが記されている。いずれも先に発表された文章では,全く触れられていなかった,それでいて淋しく腑に落ちる展開となっている。率直な心情を吐露したエッセイで共感を呼んだはずのメイナードだが,まだまだ開けていない抽斗がいくつも隠されているようである。


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