Queen's Quotes (6)


アメリカ銃の謎

ブラウン神父やシャーロック老ならあの事件をどう扱っただろうかとね

バッファロー・ビル,ジェームズ一味,ビリイ・ザ・キッド

今は昔の70年代(1870年代)の西部を彩ったカウボーイとアウトロー達であります。

バッファロー・ビル Buffalo Billは,本名ウィリアム・コディ Wiliam Frederick Cody(1846〜1917)。バッファロー・ビル物語のモデルで,ロデオと西部の活人劇を組み合わせた1種のサーカス,ワイルド・ウェスト・ショーの主宰で知られる。
前半生はポニーエクスプレスの騎手を振り出しに,北軍の斥候(大変優秀だった,斥候を正規のメンバーとしてみとめさせる契機になった),開拓者,バッファロー猟師(西部へ伸びる鉄道敷設工事関係者に新鮮な食肉を提供していた,渾名の由来),辺境ガイド(ロシア皇族のガイドを務めて新聞に取り上げられる,有名になるきっかけ)などとして働く。
ネッド・バントラインによるバッファロー・ビルのフィクションが人気となるに及び,自らバッファロー・ビルとして仮想の人格を生きていくことになる。舞台化されたバッファロー・ビル物語に顔見せ出演したことから,興業にかかわりを持ち,カウボーイを集めた腕試しイベントを思い付いてワイルド・ウェスト・ショーへと発展させた。一方で自らの名前を冠した町コディ Codyの開発にも腕を振るった(終焉の地となり,現在もバッファロー・ビル博物館がある)。
後半生は投資の失敗,妻との離婚協議,メンバーのホームシックなどに悩まされながら,運転資金欲しさの引退興行を繰り返し,ショーそのものも最後には衰退を迎える。しかし,逝去に当たっては時のウィルソン大統領を初めとして国中から弔電が寄せられ,デイビー・クロケットやダニエル・ブーンと並ぶ西部の伝説時代が終わったと悼まれた。

ジェームス一味 James Gangは,ジェームズ兄弟とヤンガー兄弟が中心となった強盗団。
ジェームズ兄弟(フランク,ジェシー)とヤンガー兄弟(コール,ジム,ジョン,ロバート)で,人数から言うとヤンガー家の方が多いが,キャラが勝っていたのか語呂が良いのかジェームズ・ギャングで通っている。両兄弟を含めて,南北戦争時にW.カントリルの南軍ゲリラ部隊に属したメンバーが主力であった。地形を熟知し退路を確保するゲリラ戦術で,15年間に渡り銀行列車強盗を繰り返した。襲撃先が主に北部の大資本であったため,西南部では義賊扱いされ人気があった。

ジェシー・ジェームズ Jesse Woodson James(1847〜1882)は,牧師の息子として生まれる。南北戦争では兄フランクと共にカントリル部隊に参加。ミネソタ州のファーストナショナル銀行襲撃失敗後,家族とともに潜伏。自宅で額を掛け直そうとしている時に,賞金目当てで裏切ったフォード兄弟に背後から撃たれて亡くなったと言われる(何だか兄弟だらけですが,フォード兄弟は結局賞金を得るどころか殺人罪で裁判に掛けられ,特赦を受けたものの1人は自殺1人は喧嘩で殺害と悲惨な最期を遂げました)。

フランク・ジェームズ Alexander Franklin James(1843〜1915)。ジェシーの兄。1866年にコール・ヤンガーと共に最初の銀行強盗を行う。ジェシーが殺害された後自首し,裁判で無罪となった。その後はドアマン,レーススターター,靴商人などの職に就いたり,自宅をジェームズ・ギャングの記念館にしたりしながら,兄弟の誰よりも長生きした。実は一見地味なフランクの方こそ,ジェームズ・ギャングの頭脳にして総元締めだったとの説もある(ありがちですけど)。

ビリーザキッド Billy the Kid (1859〜1881)は,21歳の生涯で21人の相手を殺害したと言われる最も有名な(悪名高い)伝説のアウトロー。
本名はウィリアム・ボニー William H. Bonneyともヘンリー・アントリム Henry Antrimともパトリック・マッカーティ Patrick Henry McCartyとも言われる。東部で生まれ家族で中西部へ移住。洗濯屋からシャツを盗んだのがばれ,継父の叱責を恐れて出奔。さらに窃盗から殺人を重ねてニューメキシコに流れ着く。心服していた牧場での雇用主のジョン・タンストールが牧場主同士の抗争で射殺されたことから,報復のため相手側マーフィー・ドラン一派に属する保安官や助手を殺害。一連の反目は"リンカーン郡戦争"と呼ばれるまでにエスカレートした。自首して証言と引き換えに恩赦の約束を知事から取り付けるが,裁判前に逃亡。2回目の逮捕時も見張りを射殺して逃亡。最後は,ドランの牧場時代の友人だった新保安官のパット・ギャレットによって,愛人のもとに忍んできたところを射殺された。
有名な写真のライフルの持ち方から左利きと言われていたが,どうやら裏焼きミスで本当は右利きだったらしい。この写真結構ネズミ男顔なので,ヤングガンとか最近の映画その他で最初にキッドのイメージを持った向きは実物にガッカリするかもしれないです。

キャベルのアナイティスを思わせる蠱惑

ジェームス・ブランチ・キャベル James Branch Cabell(1879〜1958)は,バージニアの旧家生まれの米国作家。ウィリアム・アンド・メリー大学卒業後,新聞記者などを経て執筆生活に入る。"ジャーゲン Jurgen"が猥褻の故発禁とされるが,取り消しを求めた裁判で逆に作者ともども知れ渡った。1930年代以降はいささか忘れられた存在となったが,作家の間での評価は高くその後のファンタジイ作品に影響を与えている。
仮想の中世的世界を描いた全20冊の"マニュエル年代記 Biography of Manuel's Life"が代表作("ジャーゲン"もこの中の1冊,同名の主人公がさまざまな神話空想世界を巡り女神たちと恋をして回る)。

アナイティス Anaitisはペルシャの愛の女神。前述の"ジャーゲン"中に登場する。

3つ目のディックに話し掛けているようなもんだ

多くのガンマンたちの中で,この人だけサッパリ正体が分かりません。多分モデルくらいは実在かと思うのですが。

ジャック・デンプシーがジェッス・ウィラードを叩き潰した
マナッサ・マウラー以来もっとも良いボクサー

ジャック・デンプシー William Harrison (Jack) Dempsey (1895〜1983)は,近代ボクシング黎明期の拳聖。上体を左右に振りながら接近し,遠心力を利用して左右の強烈な連打を繰り出すデンプシーロールで相手を粉砕した。
コロラド州マナッサの貧しい家庭に生まれる("Manassa Mauler マナッサ・モーラー"なるニックネームはここから)。10代は国内を放浪,酒場での賭けボクシングで圧倒的な強さを見せる。プロ転向後もKO勝を重ねて世界チャンピオンのジェス・ウィラードに挑戦,見事タイトル奪取。ただし,相手を徹底的に粉砕する残虐なまでの勝ち振りが嫌われた。防衛戦でも美男仏人ボクサーのカルパンティエを倒してしまい,第1次大戦時に兵役を逃れたという前歴もあって,すっかり悪役になる。
海兵隊上がりの頭脳派ボクサー,ジーン・タニー Gene Tunnyに判定で敗れて王座を渡すに至り,初めてひたむきなファイトが観客の共感を呼ぶ。タニーとのリターンマッチでもロングカウント事件で破れ,タイトルマッチから引退,1920年代を彩る伝説のヒーローとなる。リングを降りてはニューヨークにレストランを持ち,ダンサー女優歌手と4度の結婚を繰り返し,法廷やゴシップ紙面を騒がせることもあったが90歳近い天寿を全うした。

ジェス・ウィラード Jess Willard (1881〜1968)は。197cmの体躯を誇ったヘビー級ボクサー。
カンサス州生まれで農業牧畜業などに従事。ボクシングを始めたのは29歳と遅かったが,ヘビー級王座を黒人チャンプのジャック・ジョンソンから取り戻し(45R試合の26Rだそうな),"The Great White Hope"として一躍人気者になる。デンプシーとの防衛戦では1Rで7回ダウンを取られ顎の骨を砕かれ前歯を叩き折られ,コーナーに戻って弱音を吐いたと言われる。
引退後はレフェリーをしながら,ランチ・マーケットを経営。無名時代に結婚した幼なじみのハティ夫人との間に5子をもうけ,87歳の誕生日直前に没した。どうも前後のジョンソンやデンプシーと比べ,チャンプになったものの本質的には地味な人だったようである。

シッティング・ブルがカスターを天国に送った頃

シッティング・ブル Sitting Bullことタタンカ・イオタケ Tatanka Iyotake (1831〜1890)は,フンパパ・スー(ラコタ)族の族長。リトル・ビッグホーンで,オグララ・スー族のクレージーホースと共に第7騎兵隊を全滅させた。
現在のダコタ州に生まれる。若い頃は慎重な性格からSlowなる有り難くない呼び名をもらっていたが,勇敢な戦い振りと平時の温厚賢明さでスー族全体をまとめるようになる(いわゆる大酋長ですかな)。1870年代に部族の聖地で金が発見されて以来,移住者は聖地を蹂躪しないという条約が遵守されない事態になった際,シャイアン族アラパホー族と協力して米軍に対峙。10年近い戦いの後国境を越えてカナダに逃れたが,厳冬の欠乏のため1881年米国領に戻り投降。居留地に移された後,ゴースト・ダンス流行時に運動激化を恐れる当局の差し向けた警官と支持者が揉み合いになり,同部族出身の警官に撃たれて亡くなった。
ビル・コディのワイルド・ウェスト・ショーに参加したこともあるが,最後まで2人の妻を持ちキリスト教に改宗せず,部族の伝統に生きた。詩や歌にも優れ,リトル・ビッグホーンの戦いと自身の最期をそれぞれ幻想で予知したと言う。

ジョージ・アームストロング・カスター George Armstrong Custer (1839〜1876)は第7騎兵隊の指揮官。劇的な最期(カスター将軍の最後の戦い)と,ニックネーム"long hair"通りの派手な風貌と言動で,長くヒーロー扱いされる。ただし,最近は軍人としての能力やインディアン(ネイティブ・アメリカン)への対応を疑問視する向きも強い。
ウェストポイント陸軍士官学校を最下級で卒業,少尉として配属先でも部隊の内輪もめを防げず処分を受ける(その後も基地内から勝手に妻の元を訪れたりして処分を受けている)。しかし,南北戦争では戦果を相次いで挙げ,北軍の士官不足もあって少将に名誉昇進,少年将軍と呼ばれる。戦後は中佐(軍縮で降格)として騎兵隊を率い,ダコタ州で金発見の報を受けて金鉱確認とラコタ(スー)族掃討に当たる。モンタナ州(当時は準州)リトル・ビッグ・ホーンの戦いで,応援到着を待たずに圧倒的多数のインディアン連合軍に突っ込み,部隊全滅と自らの戦没を招いた。

ダーモンとピシアスの話のたぐいだね

ダモンとピュテイアス Damon and Pythiasは古代ギリシャの人で,無二の友人の代名詞。
シラクサの僭主ディオニシウスが,謀反の疑いでピタゴラス派のピュティアスを処刑しようとした時,ピュティアスは身辺の整理を行うために暫時の猶予を求め,友人のダモンがその間身代わりの保証人に立つ。いよいよ処刑の刻限を迎えた刑場にピュティアスが約束通り現われたため,心を打たれたディオニシウスは2人共を許し,自分も友情の3人目に加えて欲しいと懇請した(走れメロスではなかろうか,ピュティアスでは語呂が良くなかったと見える)。

大人と子供の中間で,青二才で,16歳のふとっちょで,小さくて,ずんぐりしたしろもの
バーハムには気の毒だけれど

バーハムは,多分リチャード・ハリス・バーハム Richard Harris Barham(1788〜1845)で,英国の聖職者,小説家詩人。
同名の郷紳の1人息子としてカンタベリーに生まれる。9歳の時父を亡くしてセントポール・スクールに送られ,その後オックスフォードに進む。当初法律家になるはずだったが聖職に就き,セントポール寺院の準参事まで勤める。詩文は足の怪我をして寝ている間の暇つぶしに書き始めたものらしい。トマス・インゴルズビー Thomas Ingoldsbyなる仮名を使って発表した,ユーモラスな擬古文と詩集"インゴルズビー伝説 The Ingoldsby Legends ; or, Mirth and Marvels"が最も有名。

少年時代のカシウスのようにほっそりしていた

シェークスピアの"ジュリアス・シーザー The Life and Death of Julies Caesar"の第1幕2場のカエサルの台詞。少年時代に限らず痩せていたようです。
"Let me have men about me that are fat;/Sleek-headed men and such as sleep o' nights:/Yond Cassius has a lean and hungry look;/He thinks too much: such men are dangerous./Would he were fatter! シーザーの周りには肥った男を置くが良い,頭をピッタリなでつけ夜はグッスリ眠る男を。あそこのキャシアスは痩せて物欲しげな顔をしている。物を考え過ぎる,あの手の男は危険だ。もっと肥っていれば良いのに。"

カイウス・カッシウス・ロンギヌス Caius Cassius Longinus(?〜BC42)は,ローマの共和派貴族。カエサルの下僚だったが,帝位を目指すかのようなカエサルに反発。ブルータスを説いて暗殺の陰謀に参加させた。暗殺実行後はシリアに逃れ,ブルータスと伍してアウグストゥス/アントニウス連合と対峙。フィリッピの戦いで敗れて自殺。

ニック・カーターやホレーショ・アルジャーやアルトシェラーをむさぼる

ジューナ君愛読書の数々であります。

ニック・カーター Nick Carterはダイム・ノベルの主人公で超人的な名探偵。1886年のジョン・コリエル John Russell Coryell の"老探偵の弟子 The Old Detective's Pupil; or, The Mysterious Crime of Madison Square"で探偵シム・カーターの息子として脇役で登場したのが初出。コリエル自身のニック・カーターものは3編だけだが,その後1940年頃までニコラス・カーターなるハウスネームで複数の作者が書き継いだ。最も多作のフレデリック・デイ Frederick Van Rensselaer Deyは400編余りを残している。
後に1960年代には,ニック・カーターをスパイに仕立て直したキルマスター・シリーズが,やはり複数の作者により量産されている。

ホレーショ・アルジャー Horatio Alger Jr (1832〜1899)は,100冊を越える少年物語の作者。マサチューセッツ生まれで,ハーバード大学ではワーズワースに師事している。牧師の息子であり本人も牧師になった人物のためか,いささか説教臭い。
作品は,いずれも貧困や孤児などの逆境に負けない勤勉で勇敢な少年が,自らの運命を切り開き身を立てていくというもの。ニューヨークの靴磨きのストリート・チルドレンを描いた"Ragged Dick: or Street Life in New York"が代表的。また,ガーフィールド大統領の伝記 "From Canal Boy to President"も有名で,ホレーショ・アルジャーと言えば,自力独行で名を成した立志伝の人物の代名詞にもなっている。
米国には現在もその名を冠した協会があり,奨学金の提供や表彰を行っているようである。

ジョセフ・アルトシェラー Joseph Alexander Altsheler(1862〜1919)は,ケンタッキー生まれでヴァンダービルド大学卒業後ジャーナリストとなる。誌面掲載に適した少年用の続き物が見つからず自分で書いたのがきっかけで,少年物語の作者となった。代表作に"The Scouts of the Valley"がある。リサーチを行い,史実をうまく作品中に取り入れてあるのが特徴。第1次大戦開始時に滞在していたドイツでの捕囚生活で健康を害し,帰国後ほどなく没した。

戦争にけりを付けるための大戦争がおっぱじまったとき

第1次大戦開戦時には,全ての戦争を終わらせるための戦争 The war to end all warsと呼ばれた(当然のことながら違っていた)。

僕がファルコナーの子牛革の装丁に脂を塗るのに,どんなに時間を掛けているか

ファルコナーは,ローマ帽子のファルコナー初版本の言及を参照。事件解決後入手できたのでしょうか。

ジェロニモの - カウボーイの連中と一緒にいたらいいだろう

ジェロニモ Geronimo Goyathlay (1829〜1909)は,勇猛果敢な攻撃で最後の戦士と言われたチリカワ・アパッチ族のリーダー(いわゆるインディアンのイメージに一番近いのではないか)。
現在のアリゾナ州に生まれる。妻子をメキシコ人に殺害され,メキシコとアメリカの入植者への攻撃をたびたび行う。1876年に一族ともどもニューメキシコに強制移住させられるが,その後10年に渡り騎兵隊と各地で戦い続ける。1886年にいったん捉えられるもののフロリダに移送中に脱走。逃走と闘争のすえ翌年メキシコで拿捕された。処刑されることはなく,フロリダ,アラバマ,オクラホマの居住区を転々と移送された。晩年はキリスト教に改宗し,セオドア・ルーズベルト大統領の就任式にも列席している。

esgiebt Menschen die gar nicht irren, weil sie sich nichts Vernunftiges vorsetzen
理性的な,何者も身につけていない自分は過たないと思っているひとだっている

ほほう,ガラハッド先生

タブロイド記者のテッド・ライオンズの発言。

サー・ガラハッド Sir Gallahadは,アーサー王円卓の騎士。父はランスロット,母はぺレス王の娘エレイン。祖父の元で育ち,隠者に伴われてキャメロット城に現れると,それまで誰も座ることのできなかった円卓の13番目の危険の席を占めた。
最も高潔純潔な騎士であり,聖杯探索に成功。聖杯を守ってサラスの都に至り,その地の王となって1年後聖杯と共に天に昇った。

あのはなばなしいベン・ハー劇に出場した

"ベン・ハー Ben-Hur:A Tale of The Christ"は,ルー・ウォレスの小説。エルサレムに住むユダヤ人豪族の若当主べン・ハーは,新規赴任したローマ帝国総督の部下で幼馴染みのメッサラに冤罪を仕掛けられる。父は処刑,財産没収の上,自身は奴隷身分に落とされ,残りの家族も投獄の末病気に斃れる憂き目に。しかし,奴隷として送り込まれたガレー船の漕手から海戦で提督アリアスを救い,その養子になって自由人の身分に戻る。今や復旧の念に燃えるベン・ハーは剣闘士としての腕を磨き,大戦車競争で今は宿命の敵となったメッサラと対決するのだった。
サブタイトルが示す通り,馬小屋での生誕からゴルゴダの丘での磔刑までのキリストの物語でもある。奴隷ベン・ハーに砂漠で水を与えたのはナザレ村の青年イエスであり,メッサラを倒してなお憎悪と虚無に沈むベン・ハーは,十字架を背負って歩むキリストに水を差し出そうとして兵士に遮られる。最後にキリストが息を引き取ったとき,にわかに降り出す驟雨の中母と妹の病が癒され,ベン・ハーも心の平和を取り戻す(これは実は劇映画版の筋立て,原作は後半ベン・ハーの回心経緯に頁が費やされている)。
アカデミー11部門を取った映画が有名ながら,1959年製作のテクニカラーなので当然アメリカ銃公刊時には存在しない。1925年にもモノクロ版で映画化されているが,ここでは1921年にブロードウェーで上演され,2500公演を数えた劇場版を指していると思われる。

ルー・ウォレス Lew Wallace(1827〜1905)は,米国の政治家,軍人,作家。
父デービッドは弁護士で,ウォレスの幼少時にはインディアナ州知事も務めている。メキシコ戦争で義勇軍を率い,戦後は父の後を継ぐ形で法曹資格を取り,インディアナ州議会に選出される。南北戦争では再度軍務につき,北軍の陸軍准将まで昇進。その後法務と政務に戻り,ニューメキシコの知事(このときビリーザキッドの捕縛にかかわっている)やトルコ大使にもなっている。小説などの執筆を始めたのは南北戦争後と遅いが,著書7冊と多くの短編を発表。中でも1880年に発表した"ベン・ハー"はベストセラーとなった。

いよう,アリグゼンダー・ウールコットと大向こうをうならせる

これもテッド・ライオンズのへらず口。

アレクサンダー・ウールコット Alexander Woolcott (1887〜1943)は,アメリカのジャーナリスト,批評家。ニューヨーク・タイムズの劇評欄を担当。チャップリンの"黄金狂時代"を激賞して世に出したのも,"Cocoanuts"を激賞してマルクス兄弟を表舞台へ(更にハリウッドへ)押し出したのも,ウールコットである。アルゴンキンのラウンド・テーブルのメンバーとしても有名で,カクテルのアレキサンダーはウールコットが思い付いた(最初に愛好した)との説もある。ヒトラーについての座談会ラジオ生放送中に心臓の発作を起こして没(放送は粛々と続き,後から経緯を知った聴取者が,どおりでウールコットさんは今日は発言がないなぁと思ったと言った,という逸話があるそうな)。

カウボーイとは勇気と馬を持った男だ
古い諺が西部にはありますがね

それに,我らのあの若いロキンヴァー

ロキンヴァー Lochinvarは,湖水地方の若い騎士。恋するエレンが自分の他行中に(てんでパっとしない)別の男性と結婚させられる話が決まったことを知り,式の行われる教会に馬で乗り付ける。最後にひとたび花嫁と踊る許しを得て手を取ると,馬の前鞍に彼女を乗せ自分もヒラリと飛び乗って,驚き呆れる花嫁の父一党と花婿を尻目に走り去った。その後,杳として行方を断ったと言われる。
ウォルター・スコットの長詩"マーミオン Marmion a tale of Flodden Field James IV"の1節。第4章終わりでジェームズ王に対して吟唱される詩が,"ロキンヴァー"である。独立した詩が入れ子になっている形なので,この部分だけでもしばしば紹介される。

ポルシアをもっと引き伸ばしたような姿でしゃなりしゃなりと入り込み,処女女王のような崇高なまでの無関心な威厳を見せて腰をおろし,メドゥサの毒々しさで見据えていた

マラ・ゲイを評して,しかし組み合わせがスゴすぎるような。

ポルキア Porciaは,カエサルを暗殺したマルクス・ユニウス・ブルータスの妻。やはり厳格な共和主義者としてカエサルに反対し続けたルキウス・ポルキウス・カトー(小カトー)の娘でもある。親戚筋にあたるブルータスとは再婚になるが,夫婦仲は睦まじく聡明で夫の相談にも良く預かった。暗殺の陰謀を打ち明けかねた夫に対し,自ら太股に短剣を突き刺して秘密を守り切れることを示した。後,焼けた石炭を飲み込んで自殺したという。

処女女王Virgin Queenは,エリザベス1世(1533〜1603)。
ヘンリー8世と2番目の妻アン・ブーリンとの間の娘。国家と結婚したと称して生涯独身(恋人だのご贔屓の寵臣だのはしっかりいたようである)。結婚にまつわる王位争奪を嫌ったらしいが,その出自による所も大きい。
つまり,父ヘンリー8世は,法王の特別許可を得て早世した兄アーザーの未亡人カザリン・オブ・アラゴンをまず娶った。しかし娘メアリしか生まれず,世継の男児を求めてアン・ブーリンと結婚。法王がカザリンとの離婚を認めなかったため旧教を廃し,王が長となる国教会を建ててまで踏み切った再婚だったが,またも女児エリザベスの誕生でアンも失寵。ジェーン・シームアと結婚するためアンは密通の疑いを着せられ斬首,結婚無効によりエリザベスも私生児とされた。ちなみにその後も再婚離婚は続き,ジェーンは待望の男児エドワードの産褥熱で没。肖像画に惚れ込んで娶った(が期待と違っていた)アン・オブ・グレーブスは,政略結婚のため手荒にできず単に離婚。キャサリン・ハワードは本当に前夫と密通のかどで処刑。最後の妻キャサリン・パーがヘンリー8世を看取った。世に言うヘンリ8世と6人の妻であります。
キャサリン・パーにより王女の身分を回復されたエリザベスだが,異母弟異母姉であるエドワード6世とメアリ1世の治下では危険人物として何度かロンドン塔に送られている。2人の没後,25歳で女王に即位。今度は自分がスコットランドの女王メアリをロンドン塔に押し込め,首長令統一令で国内を収めた後,重商主義を取り世界貿易に進出してスペイン艦隊を破り,文化面ではイギリスルネサンスを迎え,40年余りの在位は絶対王制の最盛期となり大英帝国の礎を築いた。

メデューサ Medusaは,ギリシャ棺のメドゥサの喩えを参照して下さい。

謙遜は汝の功績の灯なりか

フィールディングの"偉大なる親指トムの一代記 The Life And Death Of Tom Thumb The Great",第1幕3場。
"Thy modesty's a candle to thy merit."
大掛かりな英雄劇を皮肉った喜劇らしい(フィールディング略歴は,ローマ帽子の金は悪事の果実引用を参照。"シャミラ"とか,フィールディングはこの手の作風多いですね)。

エマソンがペルシャ詩篇で直感について言っている言葉

エマソンは実際にペルシャ詩を訳しているが,ここで言っているのは1876年発表の"Letters and Social Aims"におさめられている評論"Persian Poetry"のことらしい。エマソンは,オルコット("若草物語"著者の父),ソロー("森の生活")などと共に,5感による経験を超越し直感で真理を把握しようとするトランセンデンタリズム transcendentalismを唱えている。

ラルフ・ウォルドー・エマソン Ralph Waldo Emerson (1803〜1882)は,19世紀アメリカの思想家,詩人。
古い入植者の名家に生まれる。父の後を継いで牧師となるが,1人目の妻を若くして結核で亡くし,自らも健康を害して療養のため欧州へ。ミル,コールリッジ,ワーズワース,カーライルを訪ねて交友を結び,思索講演と執筆の道に入る。ブラーミンと呼ばれたボストン知識人のリーダーとして,当時まだ旧宗主国英国の影響を大きく受けていたアメリカで独自の思想を展開した。"アメリカの学者 The American Scholar"はアメリカの知的独立宣言とも言われる。

赤い血が月にある
古い勢揃いの合い言葉

アンニー・オークリーのように,銃の手応えがやかましかった

アニー・オークリー Annie Oakleyことフィービ・アン・モーゼス Fhoebe Ann Moses(1860〜1926)は,ワイルド・ウェスト・ショーの人気女性ガンマン。小さな射撃手 Little Sure Shotと呼ばれ,曲打ちの名手だった。ショーのヨーロッパ巡業でドイツ皇太子の持つ葉巻の先を打ち落として見せたなど数々の伝説がある。
ミュージカル"アニーよ銃を取れ Annie, Take Your Gun"のモデルでもあるが,作中とは異なり1875年の射撃大会でちゃんとフランク・バトラーを負かしている(子供の頃から抜群に射撃が上手かったらしい)。その後結婚し,夫婦でワイルド・ウェスト・ショーのスターとして活躍したのはその通り。

Le moment ou je parle est deja loin de moi, 私がしゃべっている瞬間は,既に私より遥かに遠く隔たっている
Le temps fuit, et nous tra'ne avec soi 時は逃げ去り,われわれを共に引きずっていく

ボアローになじみはなかろうね

ボアロー・デプレオー Nicholas Boileau-Despreaux(1636〜1711)。フランス新古典主義の詩人,批評家。フランス語における韻文を確立した。パリに生まれソルボンヌに学ぶ。当初は神学を目指したが法学に転向,弁護士資格を得る(ただし,父の残した資産があり実務には就かなかった)。1677年にはルイ14世の修史官に任ぜられ年金を受ける。
"詩学 L'art poetique"で仏語韻文を確立したと言われる。また風刺詩"Le Lutrin"は,ポープの"髪の毛盗み The Rape of the Lock"の元となった。論争好きで,詩を優位に置く立場から文学形式としての小説の可否を巡り,シャルル・ペロー("白雪姫"で有名)と激しくやりあった。長年の論争の末2人は一応和解するが,古代と現代どちらが優れているかは他の論者に引き継がれ繰り返された。晩年は,若い頃受けた手術の後遺症と聴力障害のため引きこもりがちであった。

このモーソルスの墓をね

マウソレウム Mausoleumは,BC4世紀頃小アジアのハリカルナッソスを治めていたマウサロス王の霊廟。高さ34mで白大理石に豪華な彫刻が施してあったが,15世紀頃十字軍の騎士団により解体,その石材は築城に使用され現存しない。フィロンの世界7不思議の1つ(残りはオランダ靴のロードス巨像のたとえを参照して下さい)。

さあ,行きましょう,プロスペロ

プロスペロ Prosperoは,シェークスピアの"テンペスト(あらし) The Tempest"の登場人物。

ミラノ公であったプロスペロは,魔法研究に没頭しているうち弟アントニオとナポリ王の陰謀で国を追われてさ迷い,娘ミランダと共に辿り着いた孤島で更に魔法を極めていた。ある日アントニオらの船が島の近くを通ったことから,一行を漂着させ恨みを晴らそうとする。プロスペロの魔法にアントニオとナポリ王は恐怖し,前非を悔いてミラノ公国の返還を誓う。さらに王の息子フェルディナンドは美しく育ったミランダと恋に落ち,プロスペロの課す試練にパスする。ここに至ってプロスペロも宿敵の2人を許し,若い2人の結婚を祝福,自らも魔法を捨てる時が来たと使い魔にしていた空気の精エアリエルを解放し,一行と共にミラノへの帰路に着く。
シェークスピア最後の作品で,悲劇とも喜劇ともつかない夢幻的な雰囲気に覆われている。最後にプロスペロが魔法を捨てるシーンは作者シェークスピアの引退を示唆するとの解釈もある。

労する者の眠りは心地よし
伝道の書

旧約聖書,伝道の書第5章12節
"The sleep of a labouring man is sweet, whether he eat little or much:"

編集長は白兎のように部屋から飛び出していった

この白兎は,おそらく"不思議の国のアリス Alice's Adventures in Wonderland"冒頭で"遅れちゃう!"と叫びながら,チョッキのポケットから時計を取り出して,アリスの脇を走り去った白兎(後を追ってウサギ穴に入って行ったことからアリスの冒険が始まる)。
"when suddenly a White Rabbit with pink eyes ran close by her. There was nothing so very remarkable in that; nor did Alice think it so very much out of the way to hear the Rabbit say to itself, `Oh dear! Oh dear! I shall be late!' ; but when the Rabbit actually took a watch out of its waistcoat-pocket, and looked at it, and then hurried on, Alice started to her feet"

アリスの物語と作者キャロルについては,フランス白粉の時は来たの引用を参照して下さい。

ジム・ブルーゾ老人が職務に服していたときと同じに

ジム・ブルーゾ Jim Bludsoは,ジョン・ヘイ John Hay作詞の歌曲に出て来る。ミシシッピ川の河船 プレーリーベル the Prairie Belleの船長で,船が火災に遭ったとき,乗客を逃がすために自らは船とともに焼け落ちた。同タイトルの舞台劇,さらに白黒サイレント映画が造られている。

何かが出てくるだろう
ヴレーブルージアの国家的盾の上にある不滅の箴言

デンマークの女王マチルダのように清廉潔白な生活

マチルダの付くデンマーク王妃はキャロライン・マチルダですが,あまり清廉潔白とは言えなそう。この名で非常に心正しい生涯を送ったのは聖マチルダですが,デンマーク王位とあまり関係がない。もっとズバリのお后が他にいらっしゃるのでしょうか。

キャロライン・マチルダ Caroline Mathilda (1751〜1775)は,英国王の孫娘にしてデンマーク王妃。
英国王ジョージ2世の長男フレデリック・ルイス(プリンス・オブ・ウェールズのまま父王在位中に早世)の末娘に生まれ,15歳でデンマーク皇太子クリスチャン7世と結婚。しかし相手は,生後すぐ母を亡くし,父は無関心で強権的な輔役の手に任せられ,さらに後妻の義母に疎まれると,問題の多い育ちからか性格行動が風評となる人物だった(後年精神異常を起こす)。当然結婚はうまくいかず,即位後も乱行が続く王をよそに,王妃は王の侍医から宰相になったシュトルエンゼと恋に落ちる(王妃の第2子はシュトルエンゼ似で疑惑の王女と呼ばれた)。自腹の王子を押し出そうとする皇太后(つまり前王の後妻)の暗躍により,シュトルエンゼは大逆罪で八つ裂きの刑。キャロライン・マチルダも王妃の地位を剥奪され幽閉,兄の英国王ジョージ4世が引き取るという話もあったがそのまま没した。

聖マチルダ Saint Matilda (895〜968)は,ウェストファリアおよびデンマーク・ラインヒルト侯テオデリックの娘で,ドイツ王ハインリッヒ1世と結婚。修道院で教育を受け信仰深く,貧民救済に力を尽くした。夫没後の息子たちの争いに心を痛め,長男オットーがドイツ王,次男ハインリッヒがババリア王に落ち着くよう尽力。晩年は自ら設立したノルトハウゼン修道院で過ごし,財産は全て貧しい人々に分かち与えたという。

Que diable allait-il faire dans cette galere この苦役船の中で,ちきしょう,何をしでかそうというのか

モリエールの"スカパンの悪だくみ Fourberies de Scapin"から。愚昧な主人を徹底的にコケにする召し使いのお話であります。

モリエール Moliere(1622〜1672)はフランスの喜劇作家。本名ジャン・バティスト・ポクラン Jean Baptiste Poquelinとして,パリの王室御用達を務める富裕な室内装飾業者の長男に生まれる。オルレアン大学で法律を修めるも,父の反対を押し切り演劇の道に入った(モリエールはこの時付けた筆名芸名)。恋した女優と結成した最初の劇団が破産し,負債で投獄の憂き目も見る。その後10年に渡るドサ回りの間にイタリア喜劇をベースとした独自の世界を生み出し,1658年にはルーブル宮殿のルイ14世御前公演で成功を収める。しかし激しい風刺が反感を買い,"タルチュフ"では教会,"町人貴族"では宮廷人を敵に回す。
自ら役者として舞台にも立ち,"病は気から"の公演中に舞台袖で病没。本物の発作の苦痛を作中のヒポコンデリの演技に見せかけ最期の大受けを取ったが,反目していた教会は末期の秘跡を与える神父を送ろうとしなかったと言う。他の主要作品は,"女房学校","人間嫌い","守銭奴"など。

歴史はその膨大な巻数にもかかわらず,ただ1ページしか持っていない
バイロン

"チャイルド・ハロルドの巡礼 Childe Harold’s Pilgrimage," 第4部,108連。
"There is the moral of all human tales; 'Tis but the same rehearsal of the past, First Freedom, and then Glory -- when that fails, Wealth, vice , corruption, -- barbarism at last. And History, with all her volumes vast, Hath but one page, 全ての人間の物語に通じる教訓がある。つまり,これは過去の繰り返しにすぎないのだ。まず自由,それから栄光 - それが崩れ去り,富,悪徳,腐敗,そして最後は蛮行。歴史は膨大な巻数にもかかわらず,1ページしか持っていない。"

バイロン略歴は,オランダ靴の太った女を嫌う引用を参照。チャイルド・ハロルドの巡礼"は,ギリシャ棺の生命の害虫引用を参照。

アキレウスのかかと

アキレウス Achilleusはギリシャの英雄,ペレウスと女神テティスの子で,ケンタウロスの賢者ケイローンに育てられた。
赤ん坊のとき冥界の間を流れるスティクス河に全身を漬けられて不死身となるが,母神が握っていた踵だけは河の水が掛からなかったため生身である(アキレス腱ですな)。トロイア戦争で,ヘクトルの弟パリスにこの踵の弱点を射られて戦死する。

われわれの古き友人チェスタートンは,きわめて巧妙に単純な謎の真理を使っている。ブラウン神父がここにいなかったのは残念に思うね

再びブラウン神父への言及が。確かに,ロデオ大会の射殺では銃だらけ,木の枝を森に隠すようなものかもしれません。


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