Ellery Queen

1905〜1971 as Manfred B Lee
1905〜1982 as Frederic Dannay
1929〜1971 as the writer
1905〜 as the written sleuth


ズラっと並ぶライフタイムが,エラリー・クィーンという名前に関わる人物たちを巡るいささかややこしい状況を表している。エラリー・クィーンとは,同名の名探偵が登場する多くの本格推理小説を共作した2人の従兄弟が使ったペンネームである。しかも2人組は別の筆名を使ったこともあり,さらに筆名を他の作家にOEMしたこともある。ほとんど迷宮入りのややこしさ。

実作家エラリー・クィーンとなる2人,フレデリック・ダネイFrederic Dannayとマンフレッド・リーManfred Bennington Leeは, リーが1905年1月,ダネイが同年10月にいずれもブルックリンで生まれている。リーの母レベッカとダネイの母ドラが姉妹で,母方の従兄弟同士となる。親類友人うちではマニーとダニーと対で呼ばれていたらしい。
最近の資料によると,出生時の名前はダネイがDavid (Daniel) Nathan,リーがEmanuel (Manford) Lepofskyであった。成年に達するまでのどこかで名前の変更届を出したらしい(そう言えば何回か前の大統領選で,名字からドイツ色をなくしたことを隠していたと攻められた候補がいましたね)。なるほど,これだと違う街に行って違う名前にしてしまえば重婚もありそうかも。

ダネイ一家が郊外に引っ越せば夏休みにリーが泊りがけで遊びに行ったり,同じ男子高に通って2人で完全犯罪を(紙上のプランとして)考えたり,従兄弟同士は近しく往来して育つ。1928年,いずれも結婚してブルックリンで広告関係の仕事に従事していた2人は,共通の趣味である推理と犯罪研究を活かしマクルーア誌の推理小説懸賞に応募する。
読者は作者より作中の探偵の名前の方をより強く印象に残すと見た2人は,匿名が条件の応募作品に,筆名と同じ名前の主人公を登場させることにした。印象的で覚えやすく響きの良い名前として,エラリー・クィーンが選ばれる。エラリーは,2人の好きな編集者と詩人の名前,さらにダネイの少年期の友人の名前でもあった。
応募作は見事1等に内定したが,その後マクルーアがスマートセットに買収されて女性狙い路線を目指したため,1等当選作品も変更されてしまう(ちなみにスマートセットの編集に一時身を置いていたのがリチャード・ハンティントン・ライトだから,世の中狭いです)。一巻の終わりになりそうなところだったが,両誌を傘下に置く社主フレデリック・ストークスが原稿を読んで気に入り,別途単行本としての出版が決まった。これが"ローマ帽子の謎 The Roman Hat Mystery"で好調な売れ行きを上げ,3年後2人の従兄弟はライター専業となる。探偵=作家エラリー・クィーンは,以降10冊を数える国名シリーズを始め,40年に渡り多くの作品に登場する。

1932年から1933年にかけて国名シリーズの執筆を続けながら,ダネイとリーは,探偵エラリー・クィーンの現われない4冊の作品を執筆する。引退したシェークスピア名優ドルリー・レーンを主人公とするこれらの作品は,当初バーナビー・ロスという筆名で発表された。この時点では2人がエラリー・クィーンであることも伏せられていたため,2重のミスティフィケーションを掛けたことになる。多分,書店との絡みでクィーンでは出せなかったのだろうが,4部作の構成を考えると手垢の付いていない1回こっきりの名前がやはり欠かせなかったのだろう。エラリー・クィーンでは,作家=探偵の虚構があまりにうまくできあがっていたのである。ご丁寧にも新刊宣伝の書店ツアーなど,それぞれブラック・マスクを付けてリーがクィーン,ダネイがロスとして出席したこともあったそうな。
なお,初期の国名シリーズには,JJマックという探偵エラリー・クィーンの架空の友人による序文が冠されている。ローマ帽子の序文では,エラリーの手がけた事件としてバーナビー・ロス殺人事件なるものが挙げられている。レーン4部作の構想は流石にこのときはまだなかっただろうから,後に新しいペンネームが必要になったところでロスに冠する言及を思い出して再利用したのだろう。お茶目というには相当の韜晦ぶりである。結局この2重の隠れん坊は,1936年に業界誌の記事で2人の正体が明らかになるまで続いた。
この間,自作執筆以外に推理小説雑誌の創刊と編集(ミステリ・リーグ,エラリー・クィーンズ・ミステリ・マガジンEQMM)や,アンソロジー編纂などにも力を振るっている。

2人合作でどのように分業が行われたのか,本人たちによる説明はないまま。ただし,周辺の証言や書かれたものの検討から,ダネイが骨格となる梗概を作り,リーが文章の肉付けをした,というのが定説になっている。1960年代にはリーがたびたび心臓発作に襲われ,スランプも重なって書けなくなってしまう。クィーンの新作を市場から絶やさないため,2人はエラリー・クィーンという名前を使って作品を発表するよう他の作家と契約を交わし,代作のペーパーバック・オリジナルが出回ることになる。関与の度合いもいろいろで,一番オーセンティックなケースでは,ダネイが梗概を渡したりリーが文章のチェックをしたりしていたらしい(EQMMが代作者の草刈り場になっていたのかもしれないと思うと,余計にあまり楽しくない話でありますが)。
ちなみにクィーンの作品がリアルタイムで翻訳紹介されていたのがこの時期あたりになる(国名シリーズなどは英語版発行から創元文庫での全訳紹介まで20年以上たっている)。どの作品だったかハヤカワポケットミステリの後書きに,新作が何冊か出ているがいずれも傑作とは言い難くクィーン衰えたりなどと書かれていた。今思えば,それらの新作が代作のペーパーバックオリジナルだったのだろう。

1975年のリーの逝去をもって,2人共作による作家エラリー・クィーンは終わりを迎える。遺されたダネイは続けたい意向も持っていたらしい。代作があったことを考えれば全く可能なのだが,やはり心情的にも無理だったのだろう。
ポアロとは異なり,探偵クィーンに意図された最後の事件はない。1950年代にそれと目される作品はあったものの,その後も代作を含めて登場は続いた。最終作となった"心地よく秘密めいた場所 A Pleasant and Private Place"も結果として最後になっただけで,ごく普通に物語は終わっている。実際,プロットまで出来上がっていた次作"The Tragedy of Errors"の方が余程晩期を飾る力作の予感を漂わせているらしい(1999年に未発表短編と組み合わせてアメリカで出版)。探偵エラリーの活躍は,ピリオドを打たれることなく永い中断に入ったのである。

リーに続いて1972年にはヒルダ夫人をなくしたダネイだが,1975年にローズ夫人と再々婚している。晩年はもっぱら編集と書誌に携わり,さらに1人残ったクィーンとしてメディアにもしばしば登場した。新しいEQMM日本語版にあたるEQ発刊にあたって,ダネイ夫妻が来日した記事を読んだ記憶がある。漢字の表札だか印鑑だかをプレゼントされていて,確かエラリーに偉理と字を宛ててあった(ローズ夫人は薔薇だった)。さて,クィーンは何の字だったのだろう。九院だったような気もするけれど,究因あたりなら実に良くその体を表わしていたと思いますが。


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