サイパンにて 思ったこと

Don

バンザイクリフ 塹壕跡 ラストコマンドポイント
1944年7月、島の南から上陸した米軍に北端へと追い詰められた日本兵や現地人達約一万人がこの崖から海に身を投げた。海は真っ赤な血で染まったという
まだ日本軍の塹壕跡が残っています

日本軍が島に残していった高射砲などの武器をこの公園に集めたそうです

最近機会があってサイパンに行ってきた。
何のことはない私設添乗員を務めてきたのだ。
他の方たちはゴルフにマリンスポーツを楽しんだが、私は興味がないので島内散策を行った。サイパンは、日本軍玉砕の島という印象しかなかった。
それも領土拡大のために、無理して南方に出陣したのだと!。
しかし実際にはちょっと違っていた。

確かに日本がサイパンや周辺の地域を統治していたが、それは占領でなくむしろ現地の方々からは感謝されていたようだ。
はるか昔サイパンはスペインによって占領統治されていた。
その後ドイツがスペインから統治権を譲り受けたようだが、統治によるメリットはあまりなかったと聞いている。

その後日本は、第二次世界大戦のかなり前からサイパンを統治し、砂糖製造工場を建設し、地域に振興をもたらした。

街が建設され、鉄道が敷設され、港湾が整備された。
日本からも多くの民間人がサイパンに移住した。
当時の写真を見ると、街は活気を帯び、人々は心豊かに暮らしていたようだ。
しかし戦争が激化し、戦況が悪くなるにつれて人々は不安におののいた
それでも駐留していた日本軍は、まだまだ日本は大丈夫だと嘘の情報を流した。
その情報を信じた民間人は、日本に帰国する機会を失っていった。
築き上げたものを、捨て去る決心もつかなかったのだろう。
そのくらい街は繁栄していた。


結果として、アメリカ軍がサイパン上陸するにつれ、日本軍は島の北部に移動した。民間人も豊かに繁栄した街を捨て、軍とあい前後して島の北部に避難した。
そして追い詰められた人々は、断崖から海や、遥か下の大地に身を投げた。
その身を投げた際の「バンザイ」という言葉が、「バンザイクリフ」という地名となった。


バンザイクリフ・スーサイドクリフ等の地名は日本の民間人の自ら命を絶った場所で
ある。

また軍人や一部の民間人は、自ら命を絶つことなく周囲の山間部に隠れた住んだ。

以前、新聞紙面を賑わした横井さんや小野田さんと同じであろうか。

戦後、現地で飛行機でビラを撒いたり、同じサイパンに居住していた日本人が海からマイクで呼びかけたりして、数多くの日本人が救出された。

山に潜んでいた軍や民間の日本人は、過酷な環境の中で次第に命を落としていった。

誰が建てたものか、今でも山の隅にひっそりと朽ちた墓標を見かけることがあると、現地在住の日本人が語ってくれた。

今思えば、芸能人がサイパンを訪れたりすると,現地の古老が日本の歌を歌って聞かせてくれたりするが、短期間占領のためだけにサイパンに駐留した日本軍から覚えたものでなく、共に働き共に楽しんだ、良き仲間が口ずさんでいた歌だから覚えていたのだ。

そのあたりが、南京大虐殺や731部隊のように、現地の方々を虐待したのとは根本的に違っているようだ。

今でこそ観光の島になっているが、あちこちに戦争の爪痕が散見出来た。

観光も結構だが、そう遠くない昔に、こんな悲惨な現実があったことを忘れてはならない。

この体験の上に立って、憲法第9条があるのではないのだろうか。

現政権を含む戦後の政治屋たちは、一体日本をどうしたいのだろう。

そう言えば、バンザイクリフにはいろいろな団体組織の慰霊碑が建っていた。

そのなかに、年号で皇紀○○年と書かれたものがあった。

なぜか、虚しかった・・・・・・・。