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仮説実験授業とは
仮説実験授業の基礎理論とその成果

仮説実験授業の基礎にある哲学
 仮説実験授業を提唱したのは、1963年の夏のことでした。ですから今年はそれから38年ほど(2001年当時)になります。そこでその間に,「仮説実験授業はどのように発展して,どんな成果を挙げえたか」ということを報告したいと思います。最近は<たのしい授業>という言葉のほうが優勢ともなっていいますが、<たのしい授業>はもともと仮説実験授業が生みの親として生まれたものなのです。
 それでは、仮説実験授業というのはどんなもののことを指すのでしょうか。
 一口にいうと、仮説実験授業というのは,
@科学的認識は,対象に対して<仮説。予想>をもって意識的に問いかける<実験>によってのみ成立する。
という認識論的な考え方と,
A科学的認識は社会的な認識であって,個々の人間が仮説実験的に確かめた事柄を超えた認識を目指すものである。
という
科学論を基にした授業理論ということができます。
 もっとも,上の@Aは,科学一般に通ずるもので,教育論・授業理論とは言えません。そこで,この考えをとくに教育に適用した授業論としては,とくに重要なのは,
B授業には,各クラスの教師と生徒の個性を超えた法則性があって,個々の教師の作成した思いつき的な教材で授業するよりも,他のクラスで成功した授業プランで授業した方が成功するのが普通である。
という
授業論と言うことになります。 (後略)

優等生,劣等生,問題児と仮説実験授業

 ふつうの授業では,予習・復習が大きな成果を発揮します。そこで,家庭や塾で予習・復習した習慣が身についている子どもたちは,確実に優等生となります。そういう子どもたちは,ほとんどの教科でも優等生として振る舞うことができます。そして,そういう優等生にもなれない子どもたちとは,まったく異質な集団を作ることにもなります。
 ところが,<授業書>に基づいて実施される仮説実験授業では,予習を厳禁しています。それは,仮説実験授業が「認識は授業に参加する一人ひとりが<仮説・予想>をもって意識的に問いかける<実験>によってのみ成立する」という認識論的な考え方を元にしているからです。それに仮説実験授業は,「A科学的な認識は社会的な認識である」ということも重視しているので,生徒の誰かが予習してきた結果をしゃべったりして,クラスの他の子供たち自身が自分で考えることを妨害する結果になることを恐れるからです。そこで,仮説実験授業では「予習はドロボウの始まり」とも言って,生徒が予習しないように,授業書の内容を秘密にするのに大きな配慮をしてきました。私たちが,著作権裁判も辞さない姿勢で授業書の秘密を保持してきたのはそのためです。それは,これまでのところ成功してきました。
 授業書の内容を秘密にして,「クラスの誰も予習していない」という授業を実施した結果,予想はしていたことですが,大きな成果が得られました。これまでの教育界では「たいていのクラスには,優等生,劣等生,問題児が混じっている。そこで,優等生に合わせて授ぎょを授業をすると,劣等生がついてこれなくなり,劣等生に合わせると優等生が退屈する結果になる。クラスのすべての生徒を対象にして授業をすることは困難だ」と考えられてきたのです。ところが,予習を禁止した仮説実験授業では「誰が優等生で誰が劣等生かがわからなくなって,優等生から劣等生の序列がほとんどなくなる」という結果になりました。
 仮説実験授業では予習の効果が期待できません。そこで,「たまたま何かのことで知った知識」や「たまたまおもいつきが当たった」という子どもが特に目立って活躍するようになります。多様な生活や遊びの中で得た知識や思いつきが,他の子どもたちを「アッ」と言わせるような成果をあげることになるのです。そこで,仮説実験授業では,特に活躍する子どもが毎時間変わります。
 そこで,人間関係が多様化して,子どもたち同士が認め合う機会が圧倒的に増える結果になります。また,ふだん「問題児」と呼ばれているような変わった子どもたちが英雄的な活躍をするようにもなります。真に「生きた学力」が問題になってくるわけです。討論では,説得の仕方のうまい子ども,発想の豊かな子どもが目立つことにもなります。そこで,いままでの学校にありがちだった序列社会がなくなって,「たのしい学級」が実現するようになるのです。
 そのため,うんと特別な事情がなければ,仮説実験授業をしているクラスでは,学級崩壊がおきることはなく,登校拒否の子どもたちも減少し,それまで「問題児」と思われていた子どもたちも授業に参加するようになるばかりか,クラスで尊敬される場面も多くなっています。そこで,「生活指導のためにも仮説実験授業を実施したい」という教師も増えているほどです。
 このような成果は,「生徒たちはもともと能力が違うのに,それを無視して平等化した結果」と見るべきなのでしょうか。それとも,「これまでふつうに見られた優等生・劣等生の違いは,予習学習制度の生んだものに過ぎないので,そんなものは無視して授業をしたらいい」と考えるべきでしょうか。
 もともと,人間は一人ひとり違っていることは明らかです。しかし,学校で見られる<優等生・劣等生の序列>ほど激しいちがいはないと言っていいのす。それに,学校の<優等生・劣等生の序列>は,人間の能力のごく一面だけで生じているので,それを重視するのは間違っています。自然科学だけを考えてみても,いろんな個性の活躍する社会の方がはるかに生産性が高いのです。その点,「仮説実験授業は,これまでの生徒たちの差別意識を解消する上でも貴重な成果をあげている」と言っていいでしょう。仮説実験授業を「人権についての基礎教育」として注目する人々が少なくないのは,それなりの根拠があってのことなのです。
2つの文章とも 『仮説実験授業をはじめよう』板倉聖宣著 仮説社 2010 より

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