津賀寿つれづれ
電車のことその8
 <(_ _)>9月 27日
 
 昨日東京では、南北線が目黒まで開通した。うちは目黒のはずれなので、かなり便利になった。ありがたいことだ。が、世の中どんどん便利になって、それが当たり前になると、どんどんそのありがたみ、というものがわからなくなってくる。

 以前書いたように、私は大変いいお稽古を受けることができて、幸せ者である。師匠も「あんたほど幸せな人はいないよ。」といつも感嘆しているくらいだ。だから、それがどんなにありがたいことか、ということを常に忘れないように気をつけなければいけないと思っている。

 先日、文楽のお師匠様に、三味線の基本をみんなで見直すべく、トレーニングをしていただいた。私がみんなに召集をかける役をしたのだが、その時、そういうことにふだん恵まれていない人達が、そのありがたさを身にしみて感じていることに感心した。もちろん、その感謝を自分の稽古に反映して、結果を出さなければご恩返しはできないのだけれど、まずその気持ちがないことには、はじまらないのではないかなぁ、と思う。

 なんでも、当たり前のこと、というのはないのだ。
 


K師匠のこと
 (_ _)9月 16日
 
 K師匠は、義太夫界のトップをきわめ、今は引退しておられるが、お元気で後身の指導をなさっている、いわば、雲上人だ。私など、そば近くへも寄られぬ方なのだが、私は私の師匠がK師匠の指導をあおいでいるおかげで、その三味線弾きとして、時々K師匠にお稽古をしていただける、という幸福を得ている。

 お稽古をしていただく時は、演奏を聞いていただいて、なおしていただくわけだが、時おり、見本に語って下さることがある。間近で至芸を聞かせていただける、ということだ。

 先日も、この「見本」をたっぷり聞かせていただくことができた。その時思ったこと。
 
 義太夫節というのは、およそ350年も前にできたもので、新しい作品でも、猶に100年や200年はたっている。古い物語だし、完成された、できあがったお話を語って聞かせるものだ。だから、たいていはそういう物語を聞いている、という感じがする。ところが、K師匠が目の前で語って下さると、まさに今現在、そこで、なにかが展開していく、という感じがするのだ。物語の中の人物というよりは、そこらによくいる人、身近な人がいて、そこで本当にお話をしていて、それによってなにかが進んでいく。そんな感じがする。(たまに返事をしたくなることさえある...)
 義太夫節はパターンで構成されていて、人物像にもある程度のパターンがあるのだが、そんなところを超越した、生き生きとした「人」がそこにいる。これはすごいことだと思う。当たり前のことのようだが、これは、物語の内容を熟読した上の深い理解力や洞察力、そこから計算される専門的な技術の構築が、よほど緻密になされていなければ、できないことなのだ。それが、物語の多少の矛盾も感じさせない、マジックでもある。

 トップをきわめる方は、そういうところがやはり違うんだなぁ.......
 


呂大夫お師匠さんへ
_(_^_)_ 9月 13日


  お師匠さんの訃報を聞いて、びっくりしています。

 先の錦糸師匠が亡くなった時「あぁ、人、て、ほんとにいなくなっちゃうんだ。」と思いましたが、今度は「あぁ、人、て、こんなに急にいなくなっちゃうんだ。」と思っています。

 8月公演まで勤めていらしたお師匠さん、さぞ、日々しんどかったでしょう。それでも勤めていらした....最後まで力一杯舞台を勤めることを潔しとするお師匠さんらしいと思います。

 私は初舞台の前からお稽古をしていただきましたので、その頃のくせでよく本名で「まゆこちゃん」と呼んでいただきました。そのたびに、初心を忘れずがんばろう、と思ったものです。辛い時にもよくかばっていただきました。
 私にはひそかに「呂大夫ノート」と名付けている本があって、少ない曲数ではありますが、はじめの頃にお師匠さんに教えていただいた曲を清書して、ときにはお師匠さんの口ぶりまでまねして、教えていただいた基本的なことをメモしてあります。

 人は亡くなると、芸も知識もすべてあの世に持って行ってしまいます。私は私なりに「呂大夫ノート」の中身を後輩に伝えていきたいと思っています。そうして私も、そのうちそちらへ行くんですね。
 


芸のことその3
('')(,,)('')(,,) 9月 7日


  その2で書いたことの続きだが、色物の人で、一時休みがちで、最近はよく出ている、というケースがあって、休みがちの時に、この人はもっと上手じゃなかったかな、と思ったのが、最近はすごくうまくなっている、ということがある。

 ずーっと出ている色物の人が、好き嫌いは別として、上手下手は別として「プロの芸」になってきた、ということもある。これは、ごまかす、とかいう、マイナス面を伴うこともあるが、とにかく、「プロの芸」は「プロの芸」なのである。

 毎日舞台に出る、ということは、プロを育てる、ということなのだ。
 


芸のことその2
☆\(^o\)9月 4日


  この夏は、よく寄席へ行った。私は、ずーっと聞き続けているとは言えないが、16〜7年、生の落語を聞いていて、同じ人が成長したり年をとったり、出世したり...というのを見ている。

 先日、当時若手だったけれど、いまや幹部クラスといっていいくらい中心になって活躍している人が、前座さんがよくやるネタをやったのを聞いた。しょっちゅう聞いているネタだし、だいたい次にどんなことを言うか知らないわけではなくて、それを大きく裏切るわけでもなくて、噺は進んでいった。ところが、これがバカに面白い。なんでもないことが、面白い。少し前に彼がこのネタをやっても、そんなことはなかったと思う。
 落語の方法論は、素人の私にはわからないけれど、これが芸なのであって、毎日お客さんの前で演じている、ということは、こういうことなんだな、と思った。

 私たちも、一度舞台にかけたものは、身につき方が全然違う。百ぺんの稽古より一度の舞台、と言われる。落語は寄席があって、毎日お客さんの前でできる。うらやましい。芸質が違うし仕方ないことだが、同じものをもっと何度も舞台で弾く機会があればな、と思う。
 


プロのことその2
(▼▼〆)(___〆)8月20日


  先輩のお嬢さんが司法試験に合格して、弁護士さんになるべく研修を受けている。そこでは「司法解剖の見学」なんてものまであるのだそうだ。先日は「スリをつかまえる研修」というのがあったそうで、刑事さんと一緒にグループごとに、目星をつけた「スリ候補」を追い、犯行に及んだところで、現行犯で捕まえるのだそうだ。これは「ごっこ」ではなくて、実際の捕物を経験するという。びっくりだ。

 お嬢さんのグループはめでたく(?)スリを検挙できたそうで、手錠をかけた縄を持ったり、携帯電話を取り上げたり、取り調べに立ち合ったりしたそうだ。リアルだ。犯人に、恨みの目でにらまれたのが忘れられないとか。取り調べはドラマのように進んで、その犯人は中国系の人だったらしいが、急に言葉がわからないふりをしたりしたそうだ。

 最近は、外国人のスリが多く、手口が乱雑らしい。「スる」技術などどうでもよくて、なんでもナイフで思いきりよく切って盗んでしまうのだとか。ここではたと思った。やはり日本の古いスリとかきんちゃっきりとかやじりきりとかいわれる人々は、もちろんいいことをしているわけではないけれど、ちゃんと親分子分があって、技術を学んでプライドを持ってスっていたんだなぁ、と.....。相手が全然スられたことに気付かない、なんていう技術をもって、プロとしての威厳を保っていたのではないのかなぁ...。これも「伝統芸」だよなぁ.....。
 


プロのことその1
 (゚-゚)b8月15日


  先日タクシーに乗ったら「どのコースで行きましょう?」というので「おまかせします。」というと、第一は、少し遠回りになるけれど、確実にすいていて、第二は、混んでいると第一より時間がかかるが、すいていれば近い、という。そして運転手さんは、お盆だから大丈夫だと判断して、第二を選択した。すると、今年のお盆は東京に人が多いようで、道が少し混んでいた。

 別に、私はさほど急いでいるわけでもなく、お任せします、と言っているのだから、運転手さんにはなんの責任もないはずなのに、彼はとても恐縮して「私のコースの読み間違えですので...」と言って、メーターを切り替えて、値段が少し安くすむようにしてくれた。.....プロだよなぁ......

 昔、重輝師のお供でタクシーに乗った時、やけにしゃべる運転手さんだと思ったのだが、ふと気付くと、割増しのメーターにしてあった。昼日中なのに、だ。お年寄りと、間抜けなお供と思って騙したのだろう。そんな小細工がそれほど有効なのかなぁ、と思いつつ、私は黙っていた。

 いろんな人がいるものだ。が、なんの道でも「プロだなぁ」という人にめぐり会うと、感動するし、私もがんばろう、と思う。
 


芸のことその1
(--)(__) 8月14日


  「化ける」という言葉は、芸の世界では、それまでさほどの期待を持たれなかった人が、急に脱皮して良くなることを言う。逆に、才能のある人というのは、はじめからなにか違っている。はじめからできる。それが、努力を怠らず、初心を忘れず、ひたすら続けていった時、花開く。「化ける」ことは、果たしてあるかどうかわからないことだから、そういう人は辛抱するのも根気がいる。

 我々の世界ではよく「運 鈍 根」という。よい芸人を産む条件である。良い師匠にめぐりあう、まわりに恵まれる、良い舞台に恵まれる.........などなど、運も大切。器用にこなして、こんなもんだ、と思ってしまうともう終わり、ねばり強く追求していくことが大事。.........全く、困難な道である。

 人の舞台を見聞きすることも大切。先日も、ある、畑違いではあるけれど、同業の方々の舞台を見て、なるほど芸は継続だな、と思った。例えば、ものすごい才能のある人で5年のキャリアの人と、それほどの才能ではないけれど、そして化けたわけでもないけれど10年のキャリアの人がいると、やはり10年のキャリアの人の身に備わったものというのは、どうしようもなくあるのだ。

 人間、そういつでもコツコツと努力していられないけれど、理想に近づこう、という気持ちがまずなければ話にならないから、心構えだけはいつも忘れずにいようと思う。
 


親の責任のこと
(-.-)8月 5日


  またもや、いじめにあった中学生が自殺した。最近の子供が命を簡単に捨ててしまうのは、少年が人の命を簡単に奪ってしまうのと同じからくりだろうか。とにかく、いやなニュースだ。

 その中学生の親ごさんや、祖父母の方が、学校の先生に対して、激しい抗議をしている場面が何度もTVに写った。その中学の校長先生が、身ぶり入りで、いじめの方法、麻酔キックだのなんだのを記者会見で説明している場面も写って、これはたしかに事の重大さをどう考えているのだろうか、と疑問にも思った。
 
 しかし、それでも、子供というのは、まずは親のしつけ、監督によって育つものなのではないだろうか。事実、親も、我が子が自殺するほどの状態であったことに気がつかなかったわけだし、いくら学校にいじめについて調査してくれ、対策を講じてくれ、と訴えたところで、また、学校側が充分に対応しきれなかったところで、全責任を学校にかぶせることはできまいと思う。
 
 我が子を失って不幸のどん底に突き落とされている親ごさんたちをむち打つ気はさらさらないが、人を責める前に、自分達がどれだけの事をしてあげられたのか、もう少し考えても良いのではないだろうか。
 


子供の記憶のこと
(☆_☆)7月27日


  私は、くまのプーさんは、ディズニーのプーさんでなく、クラシックプーでないとぴんと来ない。子供の頃読んでいた本の挿し絵のプーさんが、私にとってのくまのプーさんだからだ。

 逆に、TDLのショーやパレードに出てくる、ピノキオ、シンデレラ、眠れる森の美女、白雪姫......などは子供の頃に読んでいた絵本の挿し絵そのもののキャラクターが、具体的に目の前にあらわれるから感動する。ディズニーはそれを大切にするためか、挿し絵の絵をいたずらに変えることを許さないという。

 私は、TDL好きではあるが、アニメは見ないので、最近のバグズライフやトイストーリーといった新作ものがパレードなどに出てきても、どうしてあんなかわいくないものが出てくるのかなぁ、としか思わないのだが、こういうアニメを見て育つ子供は、大人になっても、私がシンデレラなどに感じるのと同じノスタルジーを、これらに感じるのだろう。

 私を含めて、西洋音楽で育つ今の日本人が、邦楽や日本舞踊などに関心が持てないのは、いたしかたのないことかもしれない。私がこの世界に入ったきっかけは、子供の頃親に連れて行かれたかぶきにすっかりはまってしまったからなのだが、日本人の血というものがあるのだから、なるべく子供の頃に、いろいろなきっかけを与えてほしいものだと思う。
 


客席のことその5
(--)(__)7月23日


  金沢によんでいただいて、能楽堂で演奏した。「寺子屋」という演目で、最後に「いろは送り」という、我が子を犠牲にした両親がその子のお葬式をする場面がある。

 いろは送りは何度か演奏しているのだが、金沢のお客さまを前に演奏していて、ふと改めて「お葬式をしてるんだ」と思った。当たり前のようなことだが、これは時々あることで、舞台はやはり、お客さまと一緒に作り上げるもの、と思う。お客さまがとても一所懸命に聞いて下さって、感情移入もして下さって、犠牲になった子を哀れに思って下さる。それがなんとなく感じられて、自分が思っていた悲しさと別の感情が加わる。

 舞台はやはり、ナマです!
 


縁日のこと
(^.^)7月18日


  バスで祐天寺の前を通ったら、縁日をやっていた。

 となりに自転車置き場が作ってあって、看板に、白い紙に墨黒々と「自転車置き場」と書いてあって、その上に青で矢印が太く書いてあった。いかにもお寺らしい。.....けど、縁日にはちょっと陰気かも......。
 


読者のねたその7
(--x)7月17日


  「記者会見のこと」を読んだSgちゃんより。
 
 ずっと雪印のミルクを飲んでいた赤ちゃんが他のメーカーのミルクを吐き出してしまう、といった、もっと大事なことに対して雪印側はどう対処するか、とか、記者会見では、そういうことを聞きたかったのに......。

 一気になんでもかんでも撤収しすぎだよね。
           


意味のこと
p(゚-゚)q7月15日
 
 TDLでは、ミッキーマウスをはじめとするキャラクターがスターだから、ダンサーさんや司会をする人、歌手の人たちは、なるべく個性を消した形で提示される。たとえばジャングルクルーズなどのアトラクション(スキッパーとよばれる船長さんが、各船に乗ったゲストを案内しながらクルーズするというもの)でも、スキッパーさんのしゃべりはある程度決まっていて、個性を出すことは禁じられているそうだ。ゲストに芸能人がいても、ミッキーたちにはかなわない、というのがTDLのポリシーだそうだ。すばらしい!!

 サンリオピューロランドは、 多々TDLをお手本にして作られたテーマパークだと思うが、ダンサーさんたちの名前をプログラムに発表するとか、司会者が個性を出すという形式をとっている。

 比べてみると、この徹底ぶりがTDLらしい秩序を保っているのだと思う。

 TDLは、同じショーでもダンサーさんたちが交代で演じているし、役を交代しても演じている。だから、ある役を違うダンサーさんで見ることになるわけだが、そうすると、同じものでも人によって伝わるものが違って、また楽しみがふえる。同じ振り付けを踊っても、うまい人がやると、その振りの意味がはっきりわかる。なにかが伝わってくるのだ。

 義太夫も、意味がわかるように語ることが1番大切なことだといわれる。義太夫の人は口をそろえて、美空ひばりの歌をほめる。歌がうまい、詞の意味がよくわかって伝わってくる、というのだ。同じことだ。三味線でも、ただ音符を並べて弾いていてはいけない。弾く音の意味を考え、場合によってはこじつけてまでも、意味のある音を弾くことを目指す。

 無個性な中でも、芸というのは、自ずと主張するものなのである。
           


記者会見のこと
(´.`)7月12日


 雪印が不祥事を起こして、記者会見があった。

 集まった記者の中で、さかんに罵声を浴びせるが如く、追求の声をあげている人があった。

 製品のミスで食中毒者を多く出してしまったのだから、プロとして失格、もちろん、いいことではない。が、反省して、点検のために工場を休止する、と言って、責任者があやまりに出て来ているのだから、ここぞとばかりののしることはあるまいと思う。こういう場所で、なんとなく不愉快な雰囲気にもっていくのが、いかにも「仕事熱心」みたいだが、自分の欲求不満を解消しているみたいで、見苦しい...........
              


電車のことその7
(@。@)7月 6日


  自動改札は、わりに大きい駅ほど設置されるのが遅い傾向があるようだ。数年前、たしか仙台だったと思うが、自動改札に切符を裏返しに入れたところ、ピンポ〜ン、と止まってしまった。その頃、東京の自動改札では、裏返しに入れてもちゃんと出てきたので、驚いた記憶がある。

 井の頭線の渋谷駅は、最近自動改札になった。妙に長い機械だな、と思っていたが、この前、切符を裏返しに入れたら、なんと表向きになおって出てきた。びっくり!人の作り出すものというのは、日進月歩、限りなく進歩していく。

 パソコンを数年ぶりに買った時も、FAXがこわれて見に行った時も、見なれぬ機能のオンパレードで、形状も変わり、すっかり頭がぼんやりしてしまった。浦島太郎状態。

 人は、こうして年をとっていくんだなぁ............
              


一日一善のことその2
(^-^)7月 4日


  It's rainy cats and dogs. 受験の時、覚えたような気がする。ここ2〜3日夕立ちが続き、突然「バケツをひっくり返したような」という感じの雷雨が襲ってくる。
 
 今日も地下鉄の入り口まであと少しの所で、大粒の雨が降ってきた。傘を持っていなかった私は、足下も危ないので、走りもせず、ゆっくり歩いていた。すると、急に傘がさしかけられたので振り向くと、ちょっとだけ茶髪にした見知らぬお嬢さんだった。「あ、すみません。」と言うと、こちらを見るでもなく見ないでもなく、自分が急いでいるついで、という感じに、自然に一緒に歩いてくれている。「急に降って来ましたもんね。ここですか?」と言うと、すたすた同じ入り口に消えて行った。私は「ご親切にすみません、ありがとうございましたぁ!」と彼女の後ろ姿に向かって精一杯お礼を言った。

 こういうのが、ほんとの一日一善だなぁ.........
                            


ドナルドダックのことその4
(^-^)6月30日


  そして、ドナルドのパラパラ入りイベントは終わった。雨も中止も多かったが、だいぶ踊ってもらうことができたのではないだろうか。ダンスのイベントは、最後に、ドナルドのパラパラ、ミッキーのパラパラ、エンディング、という形で締めた。
 ミッキーマウスと同じ誕生日なのに、「ミッキーの誕生日」とだけしかイベントをやってもらえないミニーマウスより、恵まれているかもしれない。

                                   

  良かったね、ドナルド!


笑いと泣きのこと
(-__-)6月23日


  もう何年も前の話しだが、友人と4人連れで、温泉旅行に行った。その帰り、「あさぎり」という行楽列車に乗ったのだが、我々は4人だから、いすを向かいあわせにしてしゃべっていた。たしかに声は大きいし、うるさかっただろう。が、通路をへだてたむこうの席に、葬儀の帰りで喪服を来たままの夫婦連れらしき人がいて、1時間余りで新宿に着いて、降りる段になったら、女性の方が「楽しい人ばかりじゃないんですから、もう少し静かにしたらどうですか。」と、いたちの最後っ屁のような言葉をかまして去っていった。その後我々は、新宿で、ただただ気分悪く食事をして帰った。さほど迷惑をかけていた、という自覚がなかっただけに、ショックが大きかった。

 我々に非はある。あるけれど、行楽列車に、決して陽気とはいえない喪服を着替えもせずに長距離の旅をすることは、そんなに良いことだろうか。近距離でも、まわりに少しでもいやな感じを与えないようにアクセサリーなどを変えるとか、そういう気配りが大切だと、私は思う。そんなに辛ければ、行楽帰りの人ばかり乗るのがわかっている電車なのだから、個室をとるとか、あるいは車を利用するとか、方法はほかにもあっただろう。
 
 私は、こういうことの背景には「悲劇は高級で、喜劇は低級」という、いわれのない価値観が大きく影響していると思う。悲しむことに関係することは、大いばりで気を使われてよい、と考えるのではないだろうか。私はお笑いが大好きで、だから言うわけではないが、お笑いを低くみることは、断然間違っていると思う。同じ人間の感情の1種にすぎない。

 だからといって、我々が悪くない、とは言ってません.............!
 


選挙のことその1
(-,-;)6月20日


  今、盛んに選挙運動をやっている。自慢じゃないが、私は生まれてこのかた、選挙に1度も行ったことがない。これは、私が政治のことが全くわからないために、積極的に参加しない結果である。選挙に行かない、ということは、とても無責任なこと、と言われるのだが、私は、わからないこと、不得意な分野はあって当然だし、それで積極的に避ける、ということはあってもいいのではないかと思っている。「タレント議員」と言われる人が悪いとは思わないが、「なにもわからないけど、このタレントさんなら知っているから」という理由だけで投票するよりは、ましな参加のしかたではないんだろうか.......。
 


ドナルドダックのことその3
('_;)6月18日


  私も1回経験したのだが、TDLの例のイベント、ドナルドのパラパラがはじまってから雨続き、やっとやんだと思ったら、今度は「システム調整のため」中断が頻発しているらしい。「システム調整」というのは、だいたい故障を指すことが多い。ステージの故障、噂によれば、白煙があがっていたとか、修理がおいつかなかったとか.........

 ほんとにドナルドって..................................あと12日間........パラパラはどれだけ踊ってもらえるだろう.........
 


ドナルドダックのことその2
(^∧^)6月13日


  6月9日は、ドナルドダックの誕生日だ。今年のこの日、ダンスイベントで盛り上がるTDLでは、大評判のミッキーのパラパラにあやかって、突然、ドナルドのパラパラを決行した。去年のドナルドのイベントの残り火とでもいうのか、TDLはドナルドのためにとっておきの仕掛けを用意し、しかも、ダンスイベントが終了する今月末まで、ミッキーのパラパラと同時にドナルドのパラパラをみんなで踊ってあげるのだという。すごい英断!!

 ところが、ドナルドは雨男。日本では梅雨時にあたっているから当然かもしれないが、たしか、去年のドナルドのイベントの最終日も雨模様で、スリル満点の状況のもと、最後のパレードは、雨の中決行され、淋しさに拍車をかけたように記憶している。今年も、9日の誕生日は嵐。夜の最後のイベントでやっとパラパラが踊れ、ハピーバースデイドナルドを合唱できた。それからここ5日間、ずっと雨である。せっかくパラパラを用意してもらいながら、雨でほとんどが中止になってしまっているのだ。

 ほんとにドナルドって.........22日間のうち、もう5日間........残りの日が、どうぞなるべく晴れますように!
 


読者のねたその6
(^.^)6月 9日


   「勉強会のこと」を読んだSちゃんより。

 「つまらないものですが」は「あなたが気に入って下されば光栄です。」と翻訳すれば、外人にもニュアンスが伝わるのに.......

 彼女は外資系のお勤めで、多く外人と接しているので、日本人の謙譲語を美しいと思うそうだ。彼女のメールを読んでもう1つ思ったことは、自分のためでなく、自分本意でなく、他人を思いやる、他人のために怒ったり笑ったりできること、これがもっとも日本的な美徳であろう、ということだ。
 


勉強会のこと
(´.`)6月 7日


  「ひこばえ」という勉強会を、この4、5日の公演をもって、ファイナルとした。6年間、年1回ずつ、2回目からは、2日間の公演を続けてきたが、去年の公演の時「番組の予定を組んでいる来年までで、一時休止にしよう。」ということになった。

 この「勉強会」ということ、西洋的発想のもとでは「勉強会なのにお金をとるの?」という意見が強い。我々、日本の伝統芸能は、修得に時間がかかるために、若手が思うように発表の場を持つためには、勉強会と銘打って「まだ未熟な芸ではありますが、修得の途中ですので、聞いて下さい、そして、御意見、御批判を下さい、そして、我々を育てて下さい。」という意味あいを持たせる。

 西洋的発想では「そんな未熟なものを、なぜ平気で人前でやるのか、失礼だろう。」という風になって、完璧を求めるというのか、観客も厳しい。学生の時授業で、「西洋の舞踊は、例えば、高さがどのくらい高く飛べるか、が重要であって、日本舞踊は、年とってよろよろしてるのか、幽玄でよろよろしてるのか、よくわからない。」と聞いた。とても印象的だった。日本的なものの価値観というのは、独特だ。

 つまらないものですが、と訪ねるお宅になにかを持って行く。これは、日本人の謙譲の美徳だが、西洋的発想では「つまらないものなら、持ってくるな。」なのだ。

 お客様が、西洋的発想の人ばかりになったら、我々はお手上げだ。「ひこばえ」は、いつまでも勉強会を掲げて甘えている立場ではなかろう、勉強会という看板ははずすのが新版であろう、ということが大きな要素でファイナルとした。これからの活動は、甘えられないし、真価が問われることになるだろう。大変だぁ......そして、我々の世界の若手は、これからはどんどん、本当に大変になる...............。
 


なべのこと
(?O?)6月 4日


  片口の流す口がついているなべがあるが、たいがいこういう風に口がついている。私は右利きなのだが、このなべは、右手で柄を持って中の汁を流すには便利だが、左手で柄を持った時には逆になってやりにくい。なべを使う時というのはだいたい、なべを火にかけて、左手で柄を持ちながら右手ではしなど握って、なべの中のものをかきまわしたりする。ということは、その後、中の汁を流そうと思ったら、そのまま左手で柄を持って流したい。例えば、汁と具が入っていて、汁だけ流したい時、はしで具をおさえて流したい。そういう時も、このなべは不便だ。

 逆に口がついているなべは、あるのかなぁ.........
 


少年犯罪のことその2
(Θ.Θ)6月 3日


  「虫も殺さないような顔をして」というのは、楚々とした女性に対して言われることばだ。蚊とかハエなんかは、害虫として、堂々と殺されていいことになっている。殺虫剤やらごきぶりとり、古くは蠅取り紙など、いくらも市販されている。私も、うまくキャッチできた時には殺している。

 虫はどうして殺してもいいのだろう。小さいからか。弱いからか。悪いことをするからか。悪いこと、といっても、彼等、虫たちにしてみれば、生きていくための仕方ない行動かもしれないのに.......

 人は勝手である。子どもは、もう少し大きいばったやかえるなどをいじめて遊ぶのが昔は定番であった。今の子どもは自然と接することが少ないだろうから、そういった残酷性が、ゲームなどにすりかわっているのかもしれない。

 最近の少年犯罪は、この子どもらしい残酷性がそのまま人に対して向けられたものと考えられなくもない。だから、人の中では弱者に属する、お年寄りや、女性、幼児に対象がさだめられるのだろう。彼等は、だから、「なんで殺しちゃいけないの?」と簡単に思っているのかもしれない..............。
 


形のことその2
(´。`;)6月 1日


  「読者のねたその5」にある如く、水槽に魚を泳がせて、それをとってさばいてすぐ食べさせる店がある。いわゆる「生き造り」。ご想像のとおり、これを私は、信じられない。食にこだわる人には、これがたまらない楽しみだそうだ。魚でも、鳥でも、ちょっと前まで形をなして生きていた、その新鮮なところをいただく、命をいただく、そのおいしさのためには、形を解体すること、さばくことは楽しみになるのだそうだ。たまに、まだ生きていて動いたりする。........ほんとに信じられない。ペットと食材、どういう差なのかなぁ..........
 


読者のねたその5
(^○^)6月 1日
 
「形のことその1」を読んだT野氏より。

 彼の行きつけの、水槽のある飲み屋さんの水槽には、ペットのメゴチという魚が名前付で飼われているが、これは誰が注文しても食べさせてくれないそうだ。
 



 
 
 
 
 

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