津賀寿つれづれ


つれづれによく出てくる略語 単語

TDR =東京ディズニーリゾート    キャスト =TDRの職員さん。
TDL =東京ディズニーランド     ゲスト  =TDRのお客さん。
TDS =東京ディズニーシー


プロのことその11
( ̄^ ̄)12月17日
 
 先日、キャストの質の低下を嘆いたばかりだが、混雑のピークの日曜日、車椅子を使っていらっしゃる友達のお母さんと、友達と、お母さんのお友達とでTDSにご一緒させていただいた。それで、きめの細かい、車椅子の方々に対するサービスがあることを経験し、TDRのなみなみならぬ部分を感じた。おかげで私も、気持ち良く遊ばせてもらった。
 
 それはともかく、クリスマスのショーで、車椅子用の座席のそばにドナルドが来るのだが、少し冷えて来たから、というので、友達が毛布を買って来た。これがたまたま、ドナルドの恋人、デイジーの柄だった。これは、わりに柄が大きくて、折り畳んでひざにかけていると、普通はすぐにデイジーの柄だ、とは気づかない。  ←こんな感じ。
 ところが、お母さんのそばに来たドナルドは、この毛布をほっぺにスリスリしてくれた。あまりディズニーにくわしくないお母さんたちは、ただただびっくりした、ということだが、私が「恋人の柄の毛布だから、ほっぺにスリスリしてたんですよ」と言うと、倍感心していた。ここだ。ドナルドは、TDSに出ている商品を把握しているのだ、少なくとも、自分のと恋人のは。ちょっと見たところで、我が恋人の模様のものを使ってくれている、とわかって、お愛想してくれる。
 
 ここまで徹底してくれるから、また行きたくなるわけよ、ねぇ。
  

TDRでちょっと気分悪かったこと
(!.´)12月11日
 
 今、TDLは、20周年でクリスマスで、いつ行っても混んでいるのだけど、夜の通常パレードの時。すわっている人と立っている人の列ができていて、その間があいていたので、立見はここからなのかな、と誰しもが思って立っていた、と思う。私は少なくともそこは立っていいのかと思って立っていた。ゲストコントロールする人も、いてもなにも言っていなかったのに、いざパレードがそこまで来て、さぁ楽しもう、という時になったら、急に後ろから不愉快な声を上げて「後ろに人がたくさんいるからすわれ」とキャストが言って来た。「あ、立ってちゃいけないんだ、立見はどこですか?」と言ったのだが「ずっと後ろです」としか言わない。それで、横にある柵の近くには人が立っているので、だいぶ後ろの横の方に移動したのだが、結局同じ位置に、新しい人が立っている。それで、しばらくしたらまた他のキャストが、中に入ってまで「すわれ」と言って来た。しかし(私は後ろから見ていたのだけど)すわる人もいるけれど、すわらない人もいる、そしてまた、同じ位置には、新しい人が立っているのだ。
 なんか、私なんか、どいて損した、てことじゃないの!?どかすならどかす、すわらせるならすわらせるで、最後まで徹底して管理してもらいたいものだと思う。
 
 実を言えば、こういう光景は、何度も見ている。ずうずうしいもん勝ち、みたいなのだ。あれだけ人が訪れて儲かっていて、あれだけの数のキャストが雇えるのだから、場所場所に担当者を細かくおいたらどうなの?
 キャストも、混雑していれば気が立っているかもしれないけれど、私なんかここのところ、イヤなことばかりあって低調で、せっかく元気をもらいに行っているのに、この日は、全然、パレードを見た気もしなかった。
 
 TDSができて以来、大量にキャストを急に雇ったため、キャストの質の低下が噂されているTDR。行く末がとても心配だ。私の愛するTDRを、心ないキャスト、だいなしにしないでほしい。
  

続:TDRで心洗われたお子さんその9
(^.^)12月 4日
 
 混雑して行列ができていたTDLのトイレで。パンツをあげあげ、お母さんに先んじてトイレから出て来て、先頭に並んでいた人に「どうぞぉ!」と言ったお嬢ちゃん。
  

しばわんこちゃんのこと
(^・^)12月 1日
 
 先日、友達と遊んでいる時に、ふと「しばわんこの和のこころ」という絵本をみつけた。もともと熊好きの私は、動物を飼ったことはなく、飼いたいとも思わないけれど、柴犬が好きで、表で柴犬を見かけるとずっと目で追ったりしていた。そこへこの柴犬の「しばわんこ」ちゃんは、姉さんかぶりなどをして働いたり、日本の風習やしきたりを愛し、和服を着てみたり、日本の四季を楽しみながら生活している。私と友達は、早速はまってしまい、もう1人、あとから合流した友達に見せると、その友達もすぐはまってしまった。その友達は日本舞踊のプロなのだが、しばわんこちゃんが扇を持って控えている絵を見て、これは本格的だ!と叫ぶ。そういう細かいところがキチンとしているところがまたいい。
 他の友達に吹聴すると、彼女もこれにはかつて目をつけていた、といい、グッズを買ってきてくれた。ただし、彼女はかつて柴犬を飼っていたけど死んでしまったので、つらくてこの絵本を買わなかったそうだ。彼女曰く、柴犬は呼ぶと、しっぽと顔全体で、エ、ヘ、ヘ、と笑って寄って来るのだそうだ。わかるなぁ、かぁいーーーっっっ!!
 しばわんこちゃんは、自分が好きだから、働いたり、おもてなしをしたりしていて、決して見返りなど期待していない。それで自分が幸せになっている。せっかくはった障子を同居している「みけにゃんこ」ちゃんが即破っても、カリカリしない。なんだか大らかな、純粋なやさしさが、見るものをなごませてくれる。
 私のまわりのツボにはまった「しばわんこ」ちゃん、しばらく我々の間の合い言葉だなぁ。
  

プロのことその10
(☆。☆)11月 8日
 
 今年もTDRでは、クリスマスイベントがはじまった。TDLは、すっかり伝統芸、という色合いが強いが、TDSはまだ3回目のクリスマスで、ショーをやるのは2回目なので、少し試行錯誤っぽい。
 今年のTDSのショーには、ミッキーとミニーがスケートをするシーンが用意されている。去年、TDLでは、ミッキーミニーのスケートがテーマになっていたのだが、パレードでスケートの形はしていたけど、本当に「すべった」わけではなかった。ところが、今年のTDSのショーでは、本当に「すべって」いる。まさか本当の氷ではないのだろうし、仕組みはわからないけど、とにかく、すべっている。ディズニーオンアイス、というものもあるくらいだから、今さら驚くにはあたらないかもしれないのだが、とにかく、感動した!!

 それで、ちょっと夢のないことを書いてしまうけど、スケートをしているミッキーたちの「中」に入っているのは、いわゆる、スケート専門の人にちがいなく、これは、普通のダンスの場面と別に登場退場することからも察しられるのだけど、なにより、立ち居振る舞いが、やっぱり違うので、わかる。それほど、普段意識していないけど、ダンスはもとより「普通」であるミッキーミニーは、ものすごく厳しい特訓のもと、独特の愛嬌や愛らしい仕ぐさ、ミッキーらしさ、ミニーらしさ、を身につけているのだ。これには感心した。
 もちろん、スケートのミッキーミニーもかわいいが、背筋をスッとしてすべる形が、やっぱり、スケーターの形なのだ。これはまた、きっちりした形をすればするほど、ミッキーミニーであるだけにかわいい、ということにもつながっていて、ファンには、どうにもたまらない一瞬なのだが!

 12/25の本当のクリスマスまでに、何回見られるかなぁ!!
  


続:TDRで心洗われたお子さんその8
(^.^)11月 8日
 
 正確に言うと、TDRで、ではなく、自宅の最寄り駅でのこと。
 その日か、あるいは前日、TDRへ連れて行ってもらったんだろう、TDRで子供だけにくれるシールを胸につけたボク、ホームから発車する電車に、手をふっている。
 そうそう、あるのよねぇ、キャストさんが手をふってくれるTDR、ライド発車時も、モノレールでも下から手をふってくれているもんね......つい手をふりたくなるのよねぇ。
  

読者のねたその20
\(-。-)/10月20日
 
 Mより。

  「愛と夢のこと」その4とかその10で、TDRで出しているスーベニアカップで、飲んだあとでしかわからない「愛と夢」が隠されていることを書いた。

 Mと私は、以前USJ(ユニバーサルスタジオジャパン)へ一緒に行った時に、ウィンドブレーカーを買っているのだが、これは、うしろのポケットにウィンドブレーカー自体がしまえるようになっていて、しまった後は1つのかばんのようになるというもの。これと同種の製品がTDRにも出ていて、しかし、TDR製のは、ひと味工夫がすぐれていて、かばん状になったものを、肩から下げられるようになっている。それをMに話したら、買って来て、と言うので、送った。
 すると、M、しまってみて気づいた。かばん状になった部分にも、ミッキーのワンポイントが、胸についているのとお揃いでついている。私も、これはだいぶ後になって、店頭にかばん状にして飾ってあるのを見てはじめて気づいた。Mもいたく感激し、見えないところにこるのがすごい、という話になると、M曰く、着物の裏とか羽裏とか長襦袢にこる、という発想と同じで、これは江戸っ子的、粋な、高級な楽しみだね、ということで盛り上がった。

 そうか、TDRは、江戸っ子だったのか!そして、M 、USJがもう1つなにか足りないのは、大阪で、けっこう大阪色を出しているから、しかたないのかもね、と。んー、そうかもね。ま、TDR、すばらしすぎるもんね。
  


続:TDRで心洗われたお子さんその7
(!o!)10月16日


  いつかも、帰りぎわしゃくりあげて泣いていたお嬢ちゃんのことを書いたが(その3)、またそういうことがあった。
ゲートの外、TDLから出たところでお母さんの前に倒れこんでまとわりつくように地面につっぷしてワーワー泣いているボク。「やだぁ、帰るのやだぁ!」と何度も叫んでいる。
 これには、オバサン、ずーっと駅のあたりまでもらい泣きであった。今思い出しても泣けてくる。かわいそうに。また連れて来てもらおうね。
  


続:TDRで心洗われたお子さんその6
(^-^)10月 9日


  打ち上げ花火は、原則、毎日やっていて、私も数かぎりなく見てはいるが、先日、1発目の花火が打ち上がったとたん「キャーーーーーーー、きれぇええええええ!!!!!」と体全体で喜びを表わす声。ミニーちゃんのカチューシャをしたお嬢ちゃん。「わぁぁ、大っっっっっきいぃいい!!!」「うわぁ、いろぉぉんな色ぉぉぉぉ!!!!!!」「ミッキー出て来てぇ!」ーーーミッキー、といっても丸3つのミッキー型の花火なのだが、それが出ると「キャァァァァァァ!!!!!!!ミィィィィィッッッキィィィィィィィィィィィィーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!」....
ついに感きわまって、ラスト近くには、前の方へ走り出て行った。かわいいなぁぁ、感動したんだなぁぁ。
 私も、いつもの花火じゃないみたいに、すてきな花火を見た気になった!
  


おつりのこと
(’’;)9月29日


  私は右利きだし、お財布にお札を入れる時、左手でお財布を持って、右手にお札を持って、右側がお札の(印刷されてる人の)頭になるように持って入れるわけだが、たいがい、おつりを渡してくれる人は、逆に、つまり、お札の頭が左に来るように渡してくれる。あれ、なんでなんだろう。お札を横に向けないで私が見てお札に印刷されている人がちゃんとこっちを見るように渡してくれる人もいて(TDRではこれが多い)それだと受け取ってすぐ頭を右に持って行けるのだけど、左にして渡されると、右に持って行き難いんだよね.....
  


続:TDRで心洗われたお子さんその5
(^-^)9月15日


  ある日、TDSの入口のグリーティングに出ていたミッキーに「やぁ、また会ったね、ミッキー!!」と声をかけていたボク。
  


一瞬のこと
(-,-;)9月 4日


  ローマは1日にしてならず。
 先日、会で大山に泊めていただいたので、帰りに大山詣りをしよう、ということになったが、しんどいし、ケーブルカーで下社まで行ってすぐ降りて来た。時間をかけて下社まで歩いて、さらに奥の本殿まで歩いた方が、ご利益はあるに違いない。きっと、歩く、という過程が大事だから。
 いつかも書いたことがあるが、私の好きなみじん切り、機械でやらずになるべく手で、包丁でやろうとするのが私のクセ。それは、なんだか手間をかけた方がおいしいような気がするから。
 義太夫でも、自分で本を書いて手間をかけないと、コピーを利用していると、なかなか覚えられない。
 すべてこの、過程、がものを言って、いいものができていくんだろう。
 
 ところが、こうして苦労して作り上げたものも、食べるのは一瞬、忘れるのも早い。芸も落ちはじめたら、ころがり落ちていくのは早いものだそうだ。パソコンにデータを打ち込む作業だって、大変だけど、削除はボタン1つ、一瞬だ。

 ものを作り上げるのは難く、捨てるのは易い。人間関係でも芸でも、自然の摂理なんだよなぁ。
  


形のことその3
(*o*)u!8月22日


  食材はなるべく、もとの形を想像させない、ひき肉、とか、みじん切りものが好き、というのは前にも書いたが、同じ理由で、あじのたたきはわりに好きなのだが、これがよく、身をけずってしまった頭としっぽを串でさしたのの前にのって出て来る。私はそれだけでショックを受けるたちなのだが、先日出て来たのは、その姿でまだ動いていて、これはいかに新鮮か、のバロメーターで、お店は自慢なんだろうが、とたんにイヤになってしまった。
 せっかくの命をいただこう、と考え直して食べたけど、少ししかいただけなかった。これが、かなり時間がたってから、すごくピクピク動きはじめて、しばらくして動かなくなった。それで息絶えたらしい。すごくショックであった。

 「菊次郎とさき」で、武くんのお姉さんがかわいがって育てているピーちゃん、という鶏を、お父さんが病気のお母さんのためにしめて鍋にしてしまう、というエピソードがある。今度のTVドラマでは、お姉さんは悲しくて悲しくて泣いているが、これを食べてあげないとピーちゃんは「犬死に」だ、という家族の言葉で、食べてみて「おいしい」と泣きながら言うシーンがあった。

 「犬死に」はかわいそうだけど、やはりその、死にざま、ていうのか、生きざま、ていうのか、を見せられると、たまらない気分になるのは、私だけなんだろうか。
   


客席のことその8
(-.-)8月20日


  茂山家の狂言にはまって以来、東京で茂山家が出ている時はよく見に行くようになって、狂言、というものをよく見るようになった。それまでほとんど見ていないので、このところやっと、同じ狂言を違う人がやる、というのを見ることができるようになり、はじめて、ほほぉ、これはそれぞれに違いが面白いものだ、と思った。

 これは、今まで歌舞伎や落語を見聞きすると自然にそう思って来たことで「こんなつまらないと感じていた演目がこんなに面白いなんて!」とか、逆とか、それが1つの楽しみだったりする。若い頃、無謀にも劇評家になりたいな、と思ったきっかけも、今は亡き勘三郎と松緑の違いを書きたい!と思ったことだった。

 同じ台詞を言って、同じしぐさをしていてさえ人によって違うが、各々が工夫をすることもある。
 伝統芸能には、一種の形があって、原則的にはその中で工夫がされていくわけだが、積極的な意味があれば、形をこわしてでも、工夫されていいと思う。形がしっかりしていると残りやすいだろうが、とっても共感できて普遍的であるとそっちが残っていくこともあるだろう。そういった中で、いろいろな人がああでもないこうでもない、とやっているところが、そこを見るのが、また別の楽しみ方だ。
 よく、団菊ジジィ、といって、昔の人は良かった、という年寄り、ということを言うが、私の年でも充分それはあったりするのだけど、やっぱり面白くていいものが残ってほしいし、それを見ていく、何重もの楽しみがあるのが、伝統芸能だな、と思う。
 
 だからこそ、いろんなものがあってくれないと、ダメなんだけど。
   


メッセージのこと
(^-^)8月16日


  年がいもなく、先日、SMAPのコンサートに行った。奇跡的に、友達が取った券が余ったのだ。もともと彼らは好きで、それぞれが嫌味なく、個性を生かしていて、仲が良さそうで、お互いを尊重してグループとして活動している感じがいいと思っていたから、いさんでオバサン、がんばってみた。行ってみると、あきらかにもっともっと年上の方々も多く、ただのアイドルではないなぁ、と感じさせる。
 細部のことはさておいて、コンサートを見終わって印象に残ったことは、歌や踊り、エンターテイメント、という事だけでなく、コンサート自体になにかメッセージをこめているな、ということだった。友達によれば、彼らは、自分達のコンサートはすべて自分達で企画して内容を決めていくそうだ。今はやっている「世界に一つだけの花」という歌がはじめとアンコールに出て来たが、まずこの歌自体がすばらしいメッセージソングだと思う。
「そうさ 僕らは世界に一つだけの花 一人一人違う種を持つ その花を咲かせることだけに 一生懸命になればいい 小さい花や大きな花 一つとして同じものはないから NO.1にならなくてもいい もともと特別なOnly one」(今知ったけど、これ、槇原敬之作詞作曲なんだ)この、言葉が頭に入って来ない私の頭に、この歌詞の意味は、すっと入って来た。
 そういったメッセージや、水泳でメダルラッシュだったことなど、今までにこれほど日本人が活躍していることはないんじゃないかと思います、だから、みんなもがんばろう!等、べつに背伸びをするでもなく、自然体で、個々の力を認めあって、それぞれががんばっていこうね、楽しんでいこうね、と語りかけているのだ。

 我々、芸の世界でも、もちろんNo.1はめざすべきことかもしれないが、Only oneでないNO.1は、意味がないと思う。また、曲がりなりに、自分の弟子のような立場の人ができると、その何人かの人、それぞれがNO.1をめざすことはかまわないが、彼女たち同志が、また、私が彼女たちを見る時に、Only oneを見たい、見てほしい、と思う。

 やっぱり、SMAPは、なんとなく感じていた通り、ただものではなかったなぁ、との意を強くした。
   


芸のことその21
(--)(__)8月13日


  今日、稽古で教えていただいた話。
 太夫でも三味線でも同じだが、たとえば、年をとっていて弱っている人を表現するのに、小さい声を出したらいい、と思うのは間違え。大きい声を出して、そう聞こえる、のが、芸であって、虚実の入り交じったところだ、と。うそをやっているのに、ほんとに聞こえる、イコール芸。
 三味線も、まず大きい音が出てから、いろいろな音を出す工夫をしはじめる。小さい音も、出せるようになる。そこから表現がはじまって、それは、リアルになにかやっていなくても、そう、聞こえる、ところを工夫する。イコール芸。
 納得。
   


芸のことその20
(o--o)8月 4日


  7月中に、いつもとちょっと毛色の変わった仕事をいくつかした。TVもそうだし、洋舞(バレエや現代舞踊、フラメンコ等)の人が義太夫で踊る、という会や、笛の方の新曲を演奏する会に出していただいた。
 
 洋舞と共演した会では、短い部分ではあったが、本来語りがあるものを、語り抜きで三味線のみで弾く、ということもした。慣れないことなので譜面を見て演奏させてもらったが、語りを抜いたところを歌詞を抜いて三味線の譜だけ書いてやってみたら、見事に自分がなにをやっているんだかわからなくなって、次からは、歌詞と一緒に書き直して、語りがあるつもりで演奏した。
 またこの会では、歌詞のないところで、こういうイメージ、というので三味線だけなにか作ってほしい、と言われて、なにかのとっかかりからある程度の長さまでは出てくるのだが、それ以上、言葉がないとなにも出て来なくなる、という経験もした。私に作曲の才能が皆無であることの証拠ではあるのだが、これだけ、音人間で、歌詞が頭に入って来ない人間なのに、言葉がないとなにもできなくなっている自分を発見して、愕然とした。

 笛の会では、笛の福原徹さんが、思う存分、ご自分のイメージから音だけで構成した曲を作って下さったので、そのイメージをうかがい、それを表現すべく演奏した。この曲は、徹さんの笛と、私の太棹のみの曲で、楽譜を頂戴した時にはわからなかったが、稽古を2人でしていく段階で、言葉はないのだけど、笛の方がどういうことを言いたいか、どういう音を出したいか、もっとたっぷりやりたい気分なのか、ギブアップ状態なのか、等々のことを、息を、となりで感じながら、こちらがどう出ようか、と考える、という、普段義太夫でやっていることと同じ作業をしていることに気づいた。

 義太夫の三味線は、音に意味をもたせることが最大の魅力で、我々は、聞いた人に、より強いイメージを持っていただけるような音を出すことを目ざす職人なわけだ。それは、なにをやっていても同じなのだ。
 
 もう1つ、7月中にゲストで行ったレクチャーでは、講師の先生が「そういうことを目ざして努力している人がいるからこそ、我々は、熱く語り、存続を強く望むのです。」とおっしゃった。
  


芸のことその19
( ̄。 ̄)8月 3日


  '01、「芸のことその9」に、太夫は音程を、腹と息の加減ではかり、三味線弾きは音高ではかる、という話を書いたが、同じことがまたあった。
 何度か書いている「菊次郎とさき」で、草笛光子さんに、ある一節をこんな感じです、とお聞かせしていた時の話。三味線弾き的に言うと、ある音で伸ばして、半音上がって、もとに戻って、また半音上がる、という音程の部分。草笛さんは、ミュージカルなどもなさるし、洋楽をやってらっしゃるので、五線譜的な説明をした方がわかりやすいかと思って、半音上がって〜、と言っていたら、どうも半音が中途半端な音に聞こえる、ということで、ご自分でやってみると半音上げているつもりが、その前で下がってしまったり、どうもうまくいかない。ピアノで音をならしてみて、あぁ、たしかに、半音上がってるわねぇ、と悩んでいらっしゃる。
 そこで、ここで息で押して、ゆるめる、という表現で説明したら、とたんにおできになった。草笛さん的には、これは途中で息で押すだけで、全部同じ音、という感覚なのだそうだ。これが、同じように息を使って声を出している人の感覚なのかなぁ、と思うと同時に、半音であるにはあるのに、半音、では割り切れない、義太夫の音、というものを再認識したのだった。
  


続:2002年の終わりに
( ̄▽ ̄||)6月28日


  ウォルトディズニーの言葉を集めた「夢をかなえる100の言葉」という本に、パーク内が常に清潔であることに関して曰く「いつでもパークをきれいにしておけば、人は汚さない。でも汚くなるまでほっておいたら、ますます汚くするようになるんだ。」
 まさに、これじゃないかっっっ!!
  


続:TDRで心洗われたお子さんその4
(^.^)6月28日


  激しい夕立ちから夜、大雨になった日の翌日、てるてる坊主をリュックにくくりつけてお母さんに抱かれていたボク。
 その日は、快晴!良かったね!
  


芸のことその18
(-.-;)6月24日


  舞台予定に書いたが、7月からはじまる連続ドラマ「菊次郎とさき」で、主人公武クン(ビートたけし氏の子供の頃)のお婆ちゃんが、女流義太夫の方だったため、家で義太夫をうなっている、というシーンがいくつかあり、お婆ちゃん役の草笛光子さんにお三味線をお貸ししたり、曲を選んだりして、ちょっとお手伝いをしている。
 今までに、3シーンほど、撮影に立ち合ったのだが、そのうち2シーンが、武クン役の子役、桑原成吾クンが義太夫を聴いている、というシーンだった。1シーン撮るためには、4〜5回テストがあるのだが、その間に、この武クンは、すっかり義太夫を覚えてしまって「オレも弾いてみたい!」とか言って、合間合間に三味線の所へ来て、さわってみたりする。ちょっと首を振りながら「ご〜ざ〜んすぅ」なんて口ずさんだりする。草笛さんも「あら、できるわねぇ、今度頼んで、語らせてもらったらぁ?」なんておっしゃるほど。ディレクターには「そんなことやってて、肝腎のセリフとちったら、許さないぞぉ!」などとおどかされている。もちろん、ちゃんとわきまえた、小さな役者クンだから、シーンは、きっちりしおうせるけど。

 それで感じたのは、彼は小4くらいだけど、ほんの身近なところで、ちょっとだけなにかを聴くと、やっぱり面白いんだなぁ、ということ。これは、私が教えている時に時々人に言うことなのだが、意味を考えたりするより前に、まず耳で聴いたままを、まる暗記して下さい、と。上げ下げとか、すべてそのま〜〜んまを、そのま〜〜んま体に入れるほど強いことはない。子供というのは、そういう作業を自然にしていて、なんの偏見もなく、義太夫でもなんでもそのま〜〜んま体に入れる。
 スタッフの方がおっしゃるには、(ことに2話目はそれが少しテーマっぽく出て来るのだが)ビートたけし氏の現在の要素の中に、身近に義太夫があり、お母さんに勉強勉強、と言われながらも、そういったものを体に入れていた少年時代、というのが、大きくあるだろう、と。それを地でいってくれているような、武クンを見ていると、改めて、そういう「身近さ」の大切さを思う。
  


電車のことその15
(`o´)6月 8日


  新幹線には、数年前から、ひかりの上級、というのか、のぞみ、というのができて、時間が、新大阪までなら30分近く短縮された。はじめは、ひかりより疲れるような気もしたが、慣れると、まぁ便利だ。
 しかし、最近は、のぞみの本数が大幅にふえて、ひかりは満席ということも多く、のぞみは、片道2千数百円増しだから、実質的な値上げなんじゃないか、と思うことがある。

 我々は、回数券のバラ売りを利用してよく往復しているのだが、ひかりの普通車用の回数券は、2千数百円足すと、のぞみに変更可能だ。ところが!ところが、だ!グリーン車には、いくらお金を足しても、変更、不可。
 おかしくないか?!お金、出す、てってのにさぁ。なんとかして、のぞみに慣れさせよう、て思ってんじゃないの?!JR!
  


続:TDRで心洗われたお子さんその3
(!_!)6月 5日


  ホテル行き無料送迎バスに並んでいたお嬢ちゃん。顔をクチャクチャにして鼻と涙だらけにして、声をあげて泣いている。たまりかねて、列を作る柵にしがみついて泣いている。そこで同年輩のお嬢ちゃんの視線を感じてか、また離れてお父さんに抱きついて嗚咽。お父さんもお母さんと顔を見合わせて困っている。「どうしたの、楽しかったでしょ?楽しくなかったの?......なに、帰りたくないの?楽しすぎたの?」お嬢ちゃん、.....以降で、大きくうなづく。
 わかるなぁ............純粋なお嬢ちゃんの心には、ミッキーのやさしい顔が焼きついているにちがいない。夢のようなTDLの景色が焼きついているにちがいない。きっと、また飛行機にでも乗って、遠いおうちへ帰るんだろう。どんなに切ないだろう....

 別の日、やはり送迎バスの中。元気にお父さんのひざに乗っていたお嬢ちゃんが、バスが動き出したとたん、大泣き。これからTDSに向うというのに。「ママぁ!」と叫びながら泣いている。お父さん、かたなし...ママは、となりにいるんだけど、呼んでいる。お父さんとお母さんが話しているのが聞こえたところでは、前日なにかのアトラクションの乗り物に乗ったところが、こわかったらしい。それで、車が動いたとたんに思い出してこわくなってしまったらしい。

 トラウマがどの程度残るのか.....大変なこともあるだろうけど、それぞれの純粋な思い出だ。それぞれの心に、それぞれミッキーはいる、というのが、TDRのポリシーらしい。
 ミッキー、それぞれの心に素敵な夢を配って、それぞれの人生を彩ってあげてね!!
  


愛と夢のことその11
(`-´)5月22日


  TDLでは、パレードが昼夜行われていて、パーク中を通過するのだが、出て来るところと、入っていくところがある。
 
 夜のエレクトリカルパレードドリームライツを、出て来るところで見てみた。これの前のファンティリュージョンというパレードは、ミッキーが先頭で高い位置にいたので、出て来るところの正面にいると、出る前からミッキーがゲストに手をふっているのが見えたりしたものだ。その時も、たしかに、出て来る前から、はじまっているなぁ、と思ったものだが、今度感じたことは、ゲストのいるところより音楽も中で先行していて、みんな、中からずぅっとつながって出ているんだなぁ、ということ。これは、出て来る前はバックステージなことは変わりないが、ゲストから本当に見えない、曲がりくねった奥のバックステージでも、もう確実にはじまっている、と感じる、ということだ。
 具体的な数字は今わからないが、膨大な長さのフロートが次々連なって出て来るこのパレード。きっと、そのフロートは一斉に美しい電飾をつけ、かなり奥で音楽がはじまった時に命をふきこまれている。そこは、まだ誰にも見えていないところなのだ。

 忠臣蔵の四段目という芝居があって、悲劇のヒーロー、お殿様の切腹の場面。家中の者どもがすべて集まって、一斉に平伏する中、切腹は行われる。これを、かぶきでは、ふすまの影の見えないところにまでびっしりと、家来が平伏するのだそうだ。

 ある他流のお師匠様が、会をやる時に、舞台の裏をやって下さる人とか、そういった見えない所にお金を使わないと、会はうまくいかないんだよ、とおっしゃった。お金を使う、というのは、象徴的な表現だけど、そういうところをキチンとしていないと、うまく事は運ばない、ということ。

 ここ、どうせ見えないからいいや、みたいな手の抜き方、というのは、なぜか現われてしまう、ということらしい。ディズニーがこの不況の中、一人勝ちしている秘密は、見えない所まで徹底したポリシーを貫いている、というところなんじゃないか!?
 
 私も、そういう風に、芸にのぞんでいかねば...........
  


愛と夢のことその10
('_;)4月25日


  その4(2002.7^12)で書いたことと同種のこと。
 TDL20周年のスーベニアカップで、新型が出た。スタバ方式、というか、飲み口が上についていて、ふたをしたまま飲めるようになっている。このふたが、ミッキーの顔になっていて、まず感激。
 表の絵柄は、各キャラクターが、20周年のお誕生日を祝うケーキから顔を出している。これが、買う時には、なんとなくキャラクターがたくさんついている、くらいにしか思わなかったのだが、飲んだあと、ふたをとって、びっくり。カップの裏側に、ケーキのいちごの断面、それと、各キャラクターが、ケーキに顔を突っ込んでいる、裏側のお尻の絵柄が出て来た!!買う時には見えない、しかも、飲み終わらないと、見えない!!

 どんな時でも、愛と夢を与えてくれて、ありがとう!
 


争う人のことその2
(;_;)4月22日


  イラク戦争で、銅像が倒される映像が、頻繁に流れている。私は、御存知の通りの政治オンチで、それの意味、とかはわかっていないけれど、なににしろ、人をかたどったものを倒し、こわし、首を切り離して喜ぶ、というような行為は、醜いと思う。

 戦争がはじまった頃に、反戦集会かなんかで、ブッシュ大統領の写真に火をつけて燃やす映像も流れていたが、この人達のやっていることは、戦争とそんなに変わらないんじゃないのか、とさえ思う。なににしろ、人の顔の写っているものを意図的に燃やす、なんて.....醜い。

 なんで人はそんなに血の気が多いのか。
 去年の暮れ頃から気が落ち込みっぱなしで、私は、敏感になっているのだろうか.....人が争う、ということが、とても悲しくて、やるせない。戦争なんか、なにになるんだろうか.....まぁ、どっかがミサイルでも打って一瞬にして世界がなくなってしまう、とか、そんなんだったら、私は大歓迎なんだけど.....不謹慎かもしれないけどね。
 


愛情のこと
(ーー )4月 1日


  通いはじめた鍼灸のお医者さんのこと。
 その先生は、いつか私に歯痛があって、それが歯の問題かして、先生の治療で治らなかった時に、とてもガッカリして、哀しそうな顔をなさった。また先日、私の前の時間に、とても重度な病気を持ったお子さんをご両親が連れて来ていらして、発作が起きてしまった時、先生はとても哀しそうな顔で、しばし落ち込んでいらした。
 逆に、診察をして下さって少しでも改善されていると、とっても喜んで下さる。その笑顔は、本当に嬉しそう。
 これらは、自分の治療の技術を云々する表情ではなくて、具合の悪い人に対しては、そういう事実が本当に哀しく、逆の場合は、人が健康でいられる、ということは、本当にありがたい、いいことだね、と思っていらっしゃる笑顔なのだ。
 その表情を見て、私はこの先生、とってもいい人だな、信用できるな、と思う。

 私や母は、大病院、というのが嫌いで、それは、こわい、ということもあるが、1番の理由は、母も実際大病院に行っているものの、データだけで患者さんを見ていて、その人がどういう人か、どうして病院に通いはじめたか、などについては、全く無関心であることを感じるからだ。もちろん、人によって、精一杯、患者さんを人間、として考えてくれよう、とする人はいる。検査担当の人などで、とてもやさしい人はいる。でも、全体の印象とか現象が、大病院は、冷たい。
 
 先日TVで、増え続ける医療ミスを特集します、という予告をやっていて、「医療に足りないものはなにか、検証します」とアナウンサーが言ったら、即座に母が「愛情ですっ!!!!」とTVに向かって言い放った。まぁたTVに向かって本気で話しかけてる、と思いつつ、それは言えてるよなぁ、と共感する、娘なのだった。
 


愛と夢のことその9
(^-^)3月30日


  またありました、すばらしい出来事が!
 今TDLでは、20周年のパレードをやっていて、途中3回止まって「お願い」をするところがある。その時、そばにいるゲストはフロートの所に出て、キャラクターやダンサーのそばで踊ることができる。ただしこれは、かなりそばにいるゲストに限られている。
 先日、大変な混雑日で、かなり遠くまでロープがはられていた。「お願い」の時に、かなり遠くから、全身プルートの着ぐるみの女の子がすごい勢いで走り出た。そばの男性キャストが追いかけたが、あまりに突然の出来事で追いつかず、もっとフロートの近くにいた女性キャストもびっくりしたものの、プルートちゃんを見て、まぁいいね、というアクションをして、フロートの近くで踊らせてあげた。それだけなら、まぁよくあることなのだが、「お願い」が終わって、プルートちゃんがまたもや勢い良くかけ戻って来ると、キャストも満面の笑顔なら、そばのゲストが、みんなでプルートちゃんに拍手してあげた。もちろん私も拍手したけれど、なんか自然にそういう気持ちになる......TDRというのは、そういう場所なのです。
 


愛と夢のことその8
(^-^)3月18日


  またTDSでの話。
 中南米をテーマにしたレストランがあって、ある日そこで休んでいた。後ろの席におじいちゃまとおばあちゃまらしきご夫婦に抱かれた赤ちゃんがいて、お母さんとお父さんは、飲み物か食べ物を買いに行っていたらしい。すると、キャストさんがやって来て「今から音楽が始まりますけど、音が大きいので、大丈夫ですか?この通路も通ります。」と言う。おばあちゃまが「大丈夫だと思います、泣いたら出ますので。」と答えてしばらくしたら、5〜6人のグループが、大きい太鼓と中南米の笛の演奏をしながら入って来た。赤ちゃんは、平気。おばあちゃまが一応耳をふさいでいる。
 そして、しばらくしたら、そのバンドがすぐ横の通路に、演奏しながらやって来た。赤ちゃんは、平気。そう思っていたら、なんとバンドは、赤ちゃんのそばを通り過ぎる時、演奏のボリュームを下げてあげた!!
 なんという心遣い!これですよ、TDRのすばらしさは!
 


しつけのこと
(;`O´)o/3月15日


  同じくTDSでの話。
 
 昼の定期のイベントは「ポルトパラディーゾ」というショーで、船に乗ってキャラクターが次々登場するのだが、その内容はともかく、そのショーを見るために場所取りをしている人達が各所にいて、その日、私は立って見るべく待っていたら、後方の、段があって見やすい、すわれる場所近辺で、急に子供の激しい泣き声がした。見ていたわけではないから事情はわからないが、どうも後から来た子供がその場所にすわりたい、とダダをこねているらしい。するとそこに席をとっていた年配の女の人が「どうしたの、ボク。」と話しかけていて、キャストさんはまわりで困ってなだめていた。私もそこまでしか見ていなかったが、次に気づくと、件の席には、ちゃっかりその子供と妹、母親がすわっており、年配の女の人は、私の後方に立っている。で、母親が一応「すみません。」とか言っていた、みたい。

 なんじゃ、そら、甘やかせすぎだろ!ゆずってあげることなんか、ないと思うよ!しつけでしょう。世の中ルールがあるんです。そのルール1つ守れなければ、世の中めちゃくちゃになってしまうんです。単に見たいな、と思っているかわいい子を、前に出してあげる、ゆずってあげる、これは、いい。泣きゃぁ、なんでも通る、と思ってるようなガキに、ゆずっちゃダメッ!!
 その、ゆずられた子供はケロッ、としてお菓子をかっこんでいる。腹立たしい。
 ........いかんいかん、今年は、穏やかに、と決心したのに。

 で、すばらしいのは、キャストさん。ゆずってあげた人に、普段お子さんにしかあげないシールを渡して、深々とお辞儀をしていた。なんて言ってたかは聞こえないけれど、きっと「ありがとうございました。ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。」みたいなことを言って、その場がうまくなごんで解決したことに対して感謝を述べたに違いない。ありがたい、の精神だなぁ。だから、TDRでは、癒されるんだけどね。
 


愛と夢のことその7
(^-^)3月15日


  TDSの夜のイベントは、開園以来「ディズニーシーシンフォニー」という、わりに短いが、水と火の競演、といった感じのすばらしいショーだ。海の中に浮かんだフロートからミッキーが登場して、最後にセリ下がって行くのだが、その時に「今日はみんな、どうもありがとう、ありがとう、演奏してくれたみんなもありがとう!」と言う。夜の淋しさと、今日1日楽しかったTDSでの思い出とが入り交じって、いつも心がジ〜ンと熱くなる。
 
 先日見ていた時にうしろの方に、いわゆる「キッモッォ〜イ、コノ、オヤジィェ!」とでも言いそうなギャルたちの話し声が聞こえた。彼女たちはとても素直に、ちょっと花火が上がると「すっごぉぉいっ!」と感動しながら見ていた。すると、ラストのこの台詞の所へ来たら、中の1人が「ミッキー、ありがとう!!!」と叫んだ。

 私は、この言葉が、とってもいいな、と思った。ありがとう、という言葉はいい言葉だ。有り、難い、ので、難ばかり言う人はいけない、難有り、を逆さにすると有り難い、だ、というのはお釈迦様の言葉だよ、と、ヨイショの噺家、志ん駒師匠の本に書いてあった。

 いつもいつも、ほんとに思う。ミッキー、ありがとう!!
 


感謝のこと
(-.-;)2月24日


  先日TVで、カリスマ的タレントのMさんが、自分に悪いことばかりが起こる、と文句を言う人は、自分に起こっているいいことを見すごしているだけだ、例えば普通に歩ける、とか、用が足せる、とか.....それを当たり前、と思っているだけであって、それもうまくできない人だって世の中にはいるわけだし、そのありがたみを忘れているだけだ、と。ほんとだな。
 今月から、縁あって、鍼灸のお医者さんに通いはじめたのだが、私の体は異常に疲れをためこんでいるそうで、ある日の治療後、体の存在感を意識しないで歩く、という爽快感を久しぶりに感じたのだが、これはちょっと反対かもしれないけど、体の存在感を意識しない、ということのありがたさを感じたし、それが当たり前になったら、そういう感謝を忘れてしまう、ということだろう。

 しかし、例えば、芸をやっていく上で、これでいい、ということはないし、そう思ったらおしまいだ。それは、すごく欲深いことで、現状に感謝、満足しているだけではいけない。そこらが難しいところであって、向上心、というやつは持ちながら、感謝も忘れない。そこらのほどの良い人は、人間的にも魅力がにじみ出て、人前に出てもステキなんだろうな。
 まぁ、生きている以上は、そんな人になりたいもんだ。
 


使い捨てのことその4
( ̄_ ̄ i)1月30日


  iモードを使ってみて、基本の発想が使い捨てだな、と思った話は、すでに「つれづれ10〜12月」に書いたが、容量のはるかに大きいパソコンも、サイトで取り出す情報は画面上のものだから、保存しよう、と思わないと書いたものが残らない。いつでもまたそのサイトへ行けば見られる、というようなものの、けっこうそれが私のような古い人間には落ち着かない。
 そんなことで私はメールもけっこう保存しておいたものだが、去年の12月の大掃除以来、原則的に、捨てることにした。大掃除で物を捨てた時も、人間いつかは死ぬし、ずっと持っていられるわけではない、ならば、どこかで区切って、思い出の中にしまって、忘れるものは忘れていいではないか、死ぬ時別れるも、今別れるも、同じ、と思うことにした。
 とはいうものの、人間の気持ちというのは、そういうモードになった時は潔いのだが、必要なものに限って捨ててしまったりして、惜しかったなぁ、と未練を残したりしてだらしない。
 それでも、どんどん捨ててみて、正解かな、と思う。どうしても捨てられないものは本当に大事なものだし、それでも頭のどこかに残っていくものが、本当に必要なものなのかもしれない。
 
 物事は、どんどん変化していくもの、1つが終わって1つがはじまる、という発想は、TDRにさんざん教えてもらっているはず。あそこは、本当に名作、と思われるショーやパレードでも、必ず終わっていき、新しいものが生まれる。永遠に完成しない魔法の王国なのだ。本当に大切な考え方やウォルトディズニーが目指したものは、全員一丸となって守っている。

 芸も、つまるところ、それだろう........
 


争う人のことその1
(:_;)1月22日


  またもやTVのバラエティ番組の話だが、応募してきた視聴者が自分の提案を論じ、数人の芸能人のパネリストが視聴者の論の穴をさまざまな角度からつっこみ、その結果、スタジオにいる大勢のお客さんがどれだけ賛成するかによって、賞金をもらえたりする、そういう番組を見た。

 去年末「今年は控えめに人と争わずに穏やかに生きていこう」と決心したところだからよけい、真っ向から他人を否定するパネリストに(まぁ彼らは仕事として番組的にそういう役目でいるのだから仕方ないのだが)あきれる、というのか....そんな感覚を持った。なんでそんなに元気なんだ......
 番組ではなくても、常に人と争って生きている人というのは多い。才気のある人や不満を多く持つ人などがそうなるのだろうが、なにより、自分の中にものすごい気力、体力、エネルギー、情熱を持っている人でないと、そうなれないな、と思う。
 私も裏表なくはっきり物を言うタイプではあるので、昔はよく人と衝突したり、誤解されたりしたが、今は、いろいろと落ち込むことが多くて、そんな気に、全くなれない。どちらかといえば、泣き寝入り。人の短所を探すより、長所を探したい。これ、て、あんまり出世できない人、てことかな、と思うけど、それでいいと思う。とにかく、穏やかに、ありたい。
 


人の感じ方のこと
(-.-;)1月12日


  私の好きなバラエティ番組の中に「ご長寿クイズ」というコーナーがある。各地で長生きして元気なお年寄りがクイズに答えるのだが、天然ボケのほのぼのさで、笑いを誘う。
 
 だいぶ前だが、ある先輩が、女義の世界の元気な現役のお師匠様方がTVで話したら、それだけで面白い、と言った。その話をある師匠にしたら、とてもお怒りの様子で、そんな、人をバカにして笑いをとるようなことは、私は絶対反対だ、とおっしゃった。すごく意外で驚いた。というのは、私もそうだし、その番組の中の人たちも、出演しているお年寄りたちに、大変な愛情をもって接しているわけで、事実、そういうコーナーに出て人に認められて、若返ったり、気がはっきりしてきたり、という例が多いのだという。
 その先輩も私たちも、女義のお師匠様方を尊敬し、愛情をもって接しているからこそ、そんな話も出たのだが、人の考え方とか、感じ方というのは、いろいろだなぁ、と思う。本当に、自分のこう、と思うことだけが正しいのとは違うし、いろいろな可能性を考えながら人とつきあわないといけないなぁ、とつくづく思う。

 同じ番組の中で今日新しく、ある人の評価をまわりの人に聞く、というコーナーができて、評価されている人は、シャレのわかる楽しい人だったが、冗談で「あんたたち、そうやって人の困った顔見て面白いの?良くないよぉ。」と言った。そのコーナーは、弟子にあたる人があたたかくもすばらしい評価を語って、本人が涙する、という感動で終わったけれど、その、良くないよぉ、の感じ方の人もいるのかもしれない、と思った。